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はら民喜たみき

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はら 民喜たみき
(はら たみき)
誕生たんじょう 1905ねん11月15にち
広島ひろしまけん広島ひろしまのぼりまち
死没しぼつ (1951-03-13) 1951ねん3月13にち(45さいぼつ
東京とうきょう国鉄こくてつ中央ちゅうおうせん吉祥寺きちじょうじえき - 西にし荻窪おぎくぼえきあいだ線路せんろじょう
墓地ぼち 円光寺えんこうじ広島ひろしまけん広島ひろしま
職業しょくぎょう 詩人しじん小説しょうせつ
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
教育きょういく 学士がくし文学ぶんがく
最終さいしゅう学歴がくれき 慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく英文えいぶん
活動かつどう期間きかん 1923ねん - 1951ねん
ジャンル 小説しょうせつ俳句はいく
代表だいひょうさくなつはな』(1947ねん
廃墟はいきょから』(1947ねん
壊滅かいめつ序曲じょきょく』(1949ねん
原爆げんばくしょうけい』(1950ねん
心願しんがんくに』(1951ねん
おも受賞じゅしょうれき 水上みずかみ瀧太郎たきたろうしょう1948ねん
デビューさくほのお』(1935ねん
親族しんぞく 佐々木ささき基一きいち義弟ぎてい
ウィキポータル 文学ぶんがく
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はら 民喜たみき(はら たみき、1905ねん明治めいじ38ねん11月15にち - 1951ねん昭和しょうわ26ねん3月13にち)は、日本にっぽん詩人しじん小説しょうせつ広島ひろしま被爆ひばくした体験たいけんを、原爆げんばくしょうけい』(1950ねん)や小説しょうせつなつはな』(1947ねん)とう作品さくひんのこした。

縫製ほうせいぎょういとな裕福ゆうふく家庭かていなんまれた。慶大けいだい英文えいぶんすすみ、ダダイズムの影響えいきょうけた発表はっぴょうする一方いっぽう左翼さよく運動うんどうにも一時いちじちかづく。卒業そつぎょう翌年よくねん掌編しょうへん小説しょうせつしゅうほのお』(1935ねん)を自費じひ出版しゅっぱん。「三田みた文学ぶんがく」などに短編たんぺん小説しょうせつ発表はっぴょうするなど創作そうさくさかんであった。つま病死びょうししたかなしみも創作そうさくへの原動力げんどうりょくとなる。

郷里きょうり広島ひろしま疎開そかいちゅう被爆ひばく以降いこう体調たいちょうすぐれないなか、「このことをきのこさねばならない」というつよ信念しんねんのもと、被爆ひばく体験たいけんつづった。

生涯しょうがい

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学生がくせい時代じだい

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1905ねん11月15にち広島ひろしまけん広島ひろしまのぼりまち(のぼりちょう)(げんちゅうのぼりまち)にまれる[1]陸海りくかいぐん官庁かんちょう用達ようたし縫製ほうせいぎょういとなちちはら信吉のぶよしなん[1]1917ねん、11さいちちくし[2]、このころから無口むくち内向ないこうてき性格せいかくとなる。おなねんあに守夫もりお原稿げんこうていじの家庭かていない同人どうじん『ポギー』を発刊はっかんして詩作しさくはじめる[3]。これはのち兄妹きょうだい参加さんかして、めいを『せれなで』『沈丁花じんちょうげ』『霹靂へきれき(へきれき)』とえながら、断続だんぞくてきやく12年間ねんかんつづいた[4]1918ねんゆかにあったあねツルから聖書せいしょはなしき「まれわるような衝撃しょうげき」をける。ツルの死後しご形見かたみとして『聖書せいしょ』をゆずけ、さい晩年ばんねんまでツルをしたった。

1923ねん広島ひろしま高等こうとう師範しはん学校がっこう付属ふぞく中学ちゅうがくげん広島大学ひろしまだいがく附属ふぞく高等こうとう学校がっこう)4ねん修了しゅうりょう大学だいがく受験じゅけん資格しかくあたえられたために1年間ねんかん登校とうこうせず[5]ロシア文学ぶんがく愛読あいどくし、宇野うの浩二こうじ傾倒けいとう[6]室生むろう犀星さいせいヴェルレーヌ耽読たんどく[6]同級生どうきゅうせいくまたいら武二たけじさそいで同人どうじん雑誌ざっし少年しょうねん詩人しじん』に参加さんかする[7]

1924ねん慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく文学部ぶんがくぶ進学しんがく[6]どう学年がくねん山本やまもと健吉けんきち田中たなかせん禾夫あしはらえいりょう瀧口たきぐち修造しゅうぞう北原きたはら武夫たけお厨川くりやがわ文夫ふみおがいた[8]1925ねんつじじゅんスティルネルかれ、ダダイスム傾斜けいしゃし、1がつから4がつにかけて、糸川いとかわたびおっと筆名ひつめいで『げい備日新聞しんぶん』にダダイスムふう発表はっぴょうする[9]1926ねん同人どうじんはるうぐいすさえず』を創刊そうかんしてくまたいら清一せいいちくまたいら武二たけじ山本やまもと健吉けんきちぜにむら五郎ごろう長光ながみつふとしらが参加さんか[10]。また原稿げんこうてい回覧かいらん雑誌ざっしよんにんかい雑誌ざっし』を創刊そうかんする。在学ざいがくちゅう一時いちじ左翼さよく運動うんどうへの関心かんしんたかめ、日本にっぽん赤色あかいろ救援きゅうえんかい所属しょぞくしオルグにも参加さんかするが、組織そしき衰弱すいじゃく崩壊ほうかいともない、自然しぜん運動うんどうからはなれる[11]1932ねん慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく英文えいぶん卒業そつぎょう[12]卒論そつろんは「Wordsworthろん[12]相当そうとう身請みうきん本牧ほんもく女性じょせい自由じゆうにし同棲どうせいをはじめるも、半月はんつきたないうちにげられる[13]初夏しょかカルモチン自殺じさつはかるが失敗しっぱいする[14]

詩人しじん

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1933ねん郷里きょうり隣家りんか紹介しょうかいで、広島ひろしまけん豊田とよだぐん本郷ほんごうまちげん三原みはら出身しゅっしん永井ながい貞恵さだえ見合みあ結婚けっこん[15]貞恵さだえおとうと善次郎ぜんじろう評論ひょうろん佐々木ささき基一きいち1935ねん小品しょうひんしゅうほのお』を自費じひ出版しゅっぱん俳句はいくくさくき』へ貞恵さだえとともに俳句はいく発表はっぴょう俳号はいごう杞憂きゆう[16]1936ねんから1941ねんにかけて『三田みた文学ぶんがく』などに短編たんぺん小説しょうせつ多数たすう発表はっぴょうするが、1939ねん貞恵さだえ発病はつびょうにより次第しだい作品さくひん発表はっぴょうすう減少げんしょうした[17]1942ねん船橋ふなばし市立しりつ船橋ふなばし中学校ちゅうがっこう嘱託しょくたく英語えいご講師こうしとなる[18]1944ねん9月28にち貞恵さだえ糖尿とうにょうびょう肺結核はいけっかくのため死去しきょ[19]つまとのおものちに「わすれがたみ」(1946ねん)などの作品さくひんんだ[20]同年どうねん船橋ふなばし中学ちゅうがく退職たいしょく朝日あさひ映画えいがしゃ脚本きゃくほん嘱託しょくたくとなる[21]

1945ねん1がつ31にち郷里きょうり広島ひろしま長兄ちょうけいいえ疎開そかい[22]8がつ6にち広島ひろしま原爆げんばく投下とうかされ、ばく心地ごこちから1.2キロメートルの生家せいか被爆ひばく[23]いえ堅牢けんろうだったこと、せま便所べんじょにいたことから一命いちめいはとりとめるが[23]いえはその火災かさい焼失しょうしつする。ばん野宿のじゅくのち佐伯さいきぐん八幡やはたむらげん広島ひろしま佐伯さいき東部とうぶ)に避難ひなんする[24]。それ以後いご被爆ひばくとの因果いんが関係かんけい不明ふめいであるが下痢げりなど体調たいちょうがおもわしくない状態じょうたいつづ[25]あきからふゆにかけて、原爆げんばく投下とうか惨状さんじょうをメモした手帳てちょうもと小説しょうせつ原子げんしばくだん」(の「なつはな」)を執筆しっぴつ[26]体験たいけんしゃしかりえないどうさく過酷かこく原爆げんばく描写びょうしゃは、現在げんざいでも稀少きしょうであるとともに、はら詩人しじんであったことから、今日きょうでも原爆げんばく投下とうか状況じょうきょう表現ひょうげんしたとして評価ひょうかたかい。

自殺じさつ

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1946ねん4がつ長光ながみつたいすすめに呼応こおう上京じょうきょう[27]慶應義塾けいおうぎじゅく商業しょうぎょう学校がっこう工業こうぎょう学校がっこうよるあいだ嘱託しょくたく英語えいご講師こうしをしながら[28]、『三田みた文学ぶんがく』の編集へんしゅうたずさわる[29]1947ねん6がつ、「なつはな」を『三田みた文学ぶんがく』に発表はっぴょう[30]同年どうねん12がつ英語えいご講師こうし[31]1948ねん1がつ、『三田みた文学ぶんがく』の編集へんしゅうしつのあった能楽のうがく書林しょりん転居てんきょし、雑誌ざっし編集へんしゅう執筆しっぴつ活動かつどう専念せんねん[31]。6月、『近代きんだい文学ぶんがく』の同人どうじんとなる[32]。またこのころはる慶応義塾大学けいおうぎじゅくだいがく卒業そつぎょう評論ひょうろんとして出発しゅっぱつしたばかりの遠藤えんどう周作しゅうさくい、ふか親交しんこうむす[33]同年どうねん12がつ、「なつはな」がだいいちかい水上みずかみ滝太郎たきたろうしょう受賞じゅしょう[32]1949ねん2がつ能楽のうがく書林しょりんより小説しょうせつしゅうなつはな』を刊行かんこう[34]。このとしいっぱいで丸岡まるおかとともに『三田みた文学ぶんがく』の編集へんしゅうした[35]

1950ねん1がつ武蔵野むさしの吉祥寺きちじょうじ転居てんきょ[36]。4月、広島ひろしまおこなわれた日本にっぽんペンクラブ大会たいかい参加さんか登壇とうだんしゃ一人ひとりとして「原爆げんばく体験たいけん以後いご」とだいした講演こうえんおこな[36]同月どうげつちち遺産いさん株券かぶけん売却ばいきゃく[36]。6月、朝鮮ちょうせん戦争せんそう勃発ぼっぱつ。12月、長光ながみつたいあて書簡しょかんいえなきのクリスマス」と碑銘ひめい」をおくる。1951ねん3月13にち久我山くがやま鈴木すずき重雄しげおいえたずしゅわしたのち、午後ごご1131ふん国鉄こくてつ中央ちゅうおうせん吉祥寺きちじょうじえき - 西にし荻窪おぎくぼえきあいだ線路せんろよこたえ鉄道てつどう自殺じさつする[37]はら大量たいりょうさけんでいたらしく、かんはら轢死れきしたいからアルコールのにおいがしたと証言しょうげんしている。しかし、事前じぜん遺品いひんなどの整理せいり周到しゅうとうおこなわれており、衝動しょうどう自殺じさつではないことがうかがわれる[38]下宿げしゅくつくえには親族しんぞく佐々木ささき基一きいち遠藤えんどう周作しゅうさく丸岡まるおかあきら鈴木すずき重雄しげお庄司しょうじ総一そういち山本やまもと健吉けんきち藤島ふじしま宇内うだい佐藤さとう春夫はるお梶山かじやま季之としゆきなどにあてた17つう遺書いしょがあった[39]葬儀そうぎ埴谷はにやゆうだか提案ていあん宗教しゅうきょうおこなわれた。遺稿いこうに「心願しんがんくに」「永遠えいえんのみどり」がある。

作家さっか研究けんきゅう

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はら民喜たみき草野くさのこころひらた主催しゅさいの『歴程れきてい』に参加さんかし、おおくの創作そうさく童話どうわ多数たすうのこした。

はら対人たいじん関係かんけい日常にちじょう生活せいかつにおいておくする幼児ようじであったと形容けいようされるが「ぼくこたえよ、しずけさにこたえよ。まぼろしこたえよ。せいふかみにこたえよ。こたえてこたえてこたえてゆくことにこたえよ。ひとつのなげきにこたえよ。無数むすうなげきにこたえよ。なげきよ、なげきよ、ぼくつらぬけ。かえるところをうしなったぼくつらぬけ。はなされた世界せかいぼくつらぬけ」(『鎮魂歌ちんこんか』より)にみられるように、内部ないぶにおいて強靭きょうじん意志いしった作家さっかだということが垣間見かいまみられる。はら作品さくひん死後しご50ねんったため、著作ちょさくけん失効しっこうしている。そのため作品さくひんおおくはインターネットとう自由じゆう閲覧えつらんすること出来できる。

大江おおえ健三郎けんざぶろうによる原爆げんばく小説しょうせつアンソロジーでは、はらの『心願しんがんくに』のなかの「なんともれない未来みらいに」という言葉ことばしょだいとして使つかわれた[40]

おも作品さくひん

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  • 原爆げんばくしょうけい」(「コレガ人間にんげんナノデス」「もえエガラ」「みずしもサイ」「永遠えいえんのみどり」などをおさめる構成こうせい
  • 碑銘ひめい
  • 悲歌ひか

小説しょうせつ

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  • なつはな」「廃墟はいきょから」「壊滅かいめつ序曲じょきょく」(以上いじょう3つは『なつはなさんさくしょうされる)
  • 鎮魂歌ちんこんか
  • 心願しんがんくに

著書ちょしょ

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  • ほのお東京とうきょう印刷いんさつ、1935ねん3がつ 
  • 小説しょうせつしゅう なつはな能楽のうがく書林しょりん〈ざくろ文庫ぶんこ 5〉、1949ねん2がつ 
  • はら民喜たみき詩集ししゅう細川ほそかわ書店しょてん、1951ねん7がつ 
  • なつはな角川書店かどかわしょてん角川かどかわ文庫ぶんこ 908〉、1954ねん8がつ 
  • はら民喜たみき詩集ししゅう青木あおき書店しょてん青木あおき文庫ぶんこ 295〉、1956ねん8がつ 
  • なつはな丸木まるきさと丸木まるきしゅんむぎ書房しょぼう新編しんぺん文庫ぶんこ だい3しゅう 7〉、1965ねん11月。 
  • なつはな晶文社しょうぶんしゃ、1970ねん7がつ 
  • なつはな鎮魂歌ちんこんか講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ〉、1973ねん5がつ 
  • なつはな心願しんがんくに新潮社しんちょうしゃ新潮しんちょう文庫ぶんこ 2137〉、1973ねん7がつISBN 9784101163017 
  • はら民喜たみきのガリバー旅行りょこう晶文社しょうぶんしゃ〈ものがたり図書館としょかん〉、1977ねん12月。 
  • 小説しょうせつしゅう なつはな岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ文庫ぶんこ〉、1988ねん6がつISBN 9784003110812 
  • 藤島ふじしま宇内うだい へんはら民喜たみき詩集ししゅう土曜どよう美術びじゅつしゃ出版しゅっぱん販売はんばい日本にっぽん現代げんだい詩文しぶん 100〉、1994ねん12月。ISBN 9784812005170 
    • 新編しんぺん はら民喜たみき詩集ししゅう』(改訂かいていばん土曜どよう美術びじゅつしゃ出版しゅっぱん販売はんばいしん日本にっぽん現代げんだい詩文しぶん 64〉、2009ねん8がつISBN 9784812017432 
  • 『ガリバー旅行りょこう講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ〉、1995ねん6がつ 
  • 川津かわづまこと へんはら民喜たみき日本にっぽん図書としょセンター〈シリーズ・人間にんげん図書館としょかん 作家さっか自伝じでん 71〉、1998ねん4がつISBN 9784820595151 
  • なつはな日本にっぽんブックエース〈平和へいわ文庫ぶんこ〉、2010ねん7がつ 
  • 『コミックばん なつはな山田やまだあめがつ漫画まんがホームしゃ〈MANGA BUNGOシリーズ〉、2010ねん8がつISBN 9784834263152 
  • はら民喜たみき初期しょき作品さくひんしゅう ゆめ 幼年ようねん広島ひろしまはなまぼろしかい、2011ねん11月。 
  • はら民喜たみきぜん詩集ししゅう岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ文庫ぶんこ〉、2015ねん7がつISBN 9784003110829 
  • 幼年ようねん』サウダージ・ブックス、2015ねん8がつISBN 9784907473051 
  • なつはな幸文たかふみどう出版しゅっぱん〈Koubundo Bibliotheca 1〉、2015ねん8がつISBN 9784907965037 
  • 天瀬あまがせ裕康ひろやす へんはら民喜たみき初期しょき幻想げんそう傑作けっさくしゅう ゆめうつわいろどりりゅうしゃ、2018ねん5がつISBN 9784779124747 

翻訳ほんやく

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作品さくひんしゅう

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はら民喜たみき作品さくひんしゅう
  • はら民喜たみき作品さくひんしゅうだい1かん角川書店かどかわしょてん、1953ねん3がつ 
収録しゅうろくなつはな, ゆめ, 幼年ようねん, なつはな
  • はら民喜たみき作品さくひんしゅうだい2かん角川書店かどかわしょてん、1953ねん3がつ 
収録しゅうろくうつくしききしに, 原爆げんばく以後いご, うつくしききし
はら民喜たみき全集ぜんしゅう
収録しゅうろくほのお, 幼年ようねん, ゆめ, 短篇たんぺん作品さくひん, , 俳句はいく, 断片だんぺん書簡しょかん
  • はら民喜たみき全集ぜんしゅうだい2かん芳賀はが書店しょてん、1965ねん8がつ 
収録しゅうろくなつはな, 原爆げんばく以後いご, うつくしききしに, 短篇たんぺん作品さくひん, 童話どうわ, エッセイ, 遺書いしょ
日本にっぽん現代げんだい文学ぶんがく全集ぜんしゅう
  • 織田おだ作之助さくのすけ田中たなか英光ひでみつはら民喜たみきしゅう講談社こうだんしゃ日本にっぽん現代げんだい文学ぶんがく全集ぜんしゅう だい95かん〉、1966ねん7がつ 
    • 織田おだ作之助さくのすけ田中たなか英光ひでみつはら民喜たみきしゅう』(増補ぞうほ改訂かいていばん講談社こうだんしゃ日本にっぽん現代げんだい文学ぶんがく全集ぜんしゅう だい95かん〉、1980ねん5がつ 
収録しゅうろくほのお, 行列ぎょうれつ, 玻璃はり, 暗室あんしつ, わすれがたみ, ちいさなにわ, なつはな, かかと, 壊滅かいめつ序曲じょきょく, 鎮魂歌ちんこんか, うつくしききしに, 心願しんがんくに, 童話どうわ, 原爆げんばくしょうけい, のひととき, 杞憂きゆう句集くしゅう, ガリヴァ旅行りょこう, 原爆げんばく回想かいそう, ねん, 戦争せんそうについて, について
日本にっぽん短篇たんぺん文学ぶんがく全集ぜんしゅう
  • 北原きたはら武夫たけお田中たなか英光ひでみつはら民喜たみき三浦みうら朱門しゅもん井上いのうえ光晴みつはる石原いしはら慎太郎しんたろう筑摩書房ちくましょぼう日本にっぽん短篇たんぺん文学ぶんがく全集ぜんしゅう だい46かん〉、1969ねん8がつ 
収録しゅうろくのひととき, 迷路めいろ, 冬草ふゆくさ
定本ていほんはら民喜たみき全集ぜんしゅう
  • 定本ていほんはら民喜たみき全集ぜんしゅうだい1かん青土おうづちしゃ、1978ねん8がつ 
収録しゅうろくほのお, ゆめ, 幼年ようねん, 拾遺しゅうい作品さくひんしゅうI, なつはな, 拾遺しゅうい作品さくひんしゅうII, 拾遺しゅういしゅう
  • 定本ていほんはら民喜たみき全集ぜんしゅうだい1かん青土おうづちしゃ、1978ねん9がつ 
収録しゅうろく原爆げんばく以後いご, うつくしききしに, ガリバー旅行りょこう, 童話どうわ作品さくひんしゅう, エッセイしゅう, 拾遺しゅういしゅう
  • 定本ていほんはら民喜たみき全集ぜんしゅうだい1かん青土おうづちしゃ、1978ねん11月。 
収録しゅうろくぜん詩集ししゅう, ぜん句集くしゅう, 書簡しょかんしゅう遺書いしょ, 拾遺しゅういしゅう
  • 定本ていほんはら民喜たみき全集ぜんしゅう別巻べっかん青土おうづちしゃ、1979ねん3がつ 
はら民喜たみき戦後せんごぜん小説しょうせつ
  • はら民喜たみき戦後せんごぜん小説しょうせつじょう講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ〉、1995ねん7がつISBN 9784061963313 
収録しゅうろくなつはな, うつくしききし
  • はら民喜たみき戦後せんごぜん小説しょうせつした講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ〉、1995ねん8がつISBN 9784061963351 
収録しゅうろく原爆げんばく以後いご, 拾遺しゅうい作品さくひんしゅう, 童話どうわ作品さくひんしゅう
  • はら民喜たみき戦後せんごぜん小説しょうせつ』(新装しんそうばん講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ〉、2015ねん6がつISBN 9784062902762 
収録しゅうろくなつはな, うつくしききしに, 原爆げんばく以後いご, 拾遺しゅうい作品さくひんしゅう, 童話どうわ作品さくひんしゅう

詩碑しひ建立こんりゅう経緯けいい

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平和へいわ記念きねん公園こうえんはら民喜たみき詩碑しひ

広島ひろしま平和へいわ記念きねん公園こうえんうち原爆げんばくドーム東側ひがしがわはら詩碑しひには、かれ作品さくひんである「碑銘ひめい」(「とおいしきざみ/すなかげおち/くずれ墜つ/天地てんちのまなか/一輪いちりんはなまぼろし」)がきざまれている。

はら没後ぼつごおおくの友人ゆうじん知人ちじんなかからかれ記念きねんする詩碑しひ出身しゅっしんであり原爆げんばく被災ひさいしたでもある広島ひろしま建立こんりゅうしようといううごきがあった。いしぶみ建立こんりゅう広島ひろしま学生がくせい同人どうじん運動うんどう中心ちゅうしんでありはら私淑ししゅくしていた梶山かじやま季之としゆき当時とうじ広島ひろしまだか在学ざいがくちゅう)らの奔走ほんそうにより実現じつげんし、表面ひょうめんはらの「碑銘ひめい」をきざんだ陶板とうはん裏面りめん佐藤さとう春夫はるお追悼ついとうぶんきざんだ銅板どうばん1951ねんすえ広島ひろしま城址じょうし公園こうえんしろ石垣いしがき建立こんりゅうされた。

しかしそのいしぶみ子供こどもたちの投石とうせきあそびの標的ひょうてきにされ損傷そんしょうあなだらけになった陶板とうはん碑銘ひめい判読はんどく困難こんなん状態じょうたいとなり、またうら銅板どうばん何者なにものかにられたため、1967ねん現在地げんざいち最初さいしょ形態けいたいそのままで再建さいけんされた[41]

なお詩碑しひとはべつ2010ねんには、被爆ひばく翌日よくじつ一夜いちやごした広島ひろしま東照宮とうしょうぐうに、当時とうじはらいたメモ「原爆げんばく被災ひさいのノート」の一節いっせつきざんだ「原爆げんばく65周年しゅうねん追憶ついおく」が建立こんりゅうされている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b はしご 2018, p. 33.
  2. ^ はしご 2018, p. 42.
  3. ^ はしご 2018, p. 72.
  4. ^ はしご 2018, p. 76.
  5. ^ はしご 2018, p. 77.
  6. ^ a b c はしご 2018, p. 79.
  7. ^ はしご 2018, p. 78.
  8. ^ はしご 2018, p. 83.
  9. ^ はしご 2018, p. 86.
  10. ^ はしご 2018, p. 88.
  11. ^ はしご 2018, pp. 95–98.
  12. ^ a b はしご 2018, p. 101.
  13. ^ はしご 2018, p. 103.
  14. ^ はしご 2018, pp. 102–104.
  15. ^ はしご 2018, p. 108.
  16. ^ はしご 2018, p. 9.
  17. ^ はしご 2018, p. 132.
  18. ^ はしご 2018, p. 266.
  19. ^ はしご 2018, p. 112.
  20. ^ はしご 2018, p. 114.
  21. ^ はしご 2018, p. 143.
  22. ^ はしご 2018, p. 152.
  23. ^ a b はしご 2018, p. 154.
  24. ^ はしご 2018, p. 158.
  25. ^ はしご 2018, p. 176.
  26. ^ はしご 2018, pp. 178–181.
  27. ^ はしご 2018, pp. 198–199.
  28. ^ はしご 2018, p. 199.
  29. ^ はしご 2018, p. 205.
  30. ^ はしご 2018, p. 187.
  31. ^ a b はしご 2018, p. 211.
  32. ^ a b はしご 2018, p. 212.
  33. ^ はしご 2018, p. 214.
  34. ^ はしご 2018, p. 213.
  35. ^ はしご 2018, p. 268.
  36. ^ a b c はしご 2018, p. 269.
  37. ^ はしご 2018, pp. 3–4.
  38. ^ はしご 2018, p. 23.
  39. ^ はしご 2018, p. 24-25.
  40. ^ 日本にっぽんペンクラブ へんなんともれない未来みらいに』大江おおえ健三郎けんざぶろうせん集英社しゅうえいしゃ集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ〉、1983ねん7がつ 
  41. ^ はら民喜たみき詩碑しひ”. 広島ひろしま平和へいわ記念きねん資料しりょうかんバーチャルミュージアム. 広島ひろしま平和へいわ記念きねん資料しりょうかん. 2019ねん3がつ12にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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評伝ひょうでん

関連かんれん人物じんぶつ

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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