吉田 英三
1902 | |
1978 | |
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1919 1952 1954 | |
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経歴
[その
年譜
[- 1919
年 (大正 8年 )8月 :海軍兵学校 入校 - 1922
年 (大正 11年 )6月 :海軍兵学校 卒業 (第 50期 ) - 1923
年 (大正 12年 )9月 :海軍 少尉 任官 - 1925
年 (大正 14年 )12月:海軍 中尉 - 1927
年 (昭和 2年 )12月:海軍 大尉 - 1928
年 (昭和 3年 )12月:海軍 水雷 学校 高等 科 卒業 - 1929
年 (昭和 4年 )4月 :ドイツ駐在 (- 1931年 4月 ) - 1931
年 (昭和 6年 ) - 1933
年 (昭和 8年 )11月:海軍 少佐 - 1934
年 (昭和 9年 ) - 1935
年 (昭和 10年 )10月 :「睦月 」駆逐 艦長 - 1936
年 (昭和 11年 )11月:第 一 水雷 戦隊 参謀 - 1937
年 (昭和 12年 )12月:軍令 部 第 3部 第 7課 部員 - 1938
年 (昭和 13年 )11月15日 :海軍 中佐 [3] - 1939
年 (昭和 14年 )11月15日 :第 二 水雷 戦隊 参謀 [4] - 1941
年 (昭和 16年 ) - 1943
年 (昭和 18年 ) - 1944
年 (昭和 19年 ) - 1945
年 (昭和 20年 )2月 25日 :軍務 局 第 1課 付 - 1947
年 (昭和 22年 )5月 27日 :復員 庁 第 二 復員 局 資料 整理 部長 [17] - 1948
年 (昭和 23年 )1月 1日 :復員 局 第 二復員局残務処理部資料課長 - 1952
年 (昭和 27年 ) - 1953
年 (昭和 28年 )4月 1日 :第 一 船隊 群 (現 ・第 1護衛 隊 群 )司令 兼 ねて第 三 船隊 群 司令 - 1954
年 (昭和 29年 )- 7
月 1日 :海 将 に任命 、初代 自衛 艦隊 司令 兼 ねて第 1護衛 隊 群 司令 - 9
月 20日 :第 3代 横須賀 地方 総監 (再任 )
- 7
- 1958
年 (昭和 33年 )- 6月1
日 :練習 隊 群 司令 - 12月19
日 :退官
- 6月1
- 1972
年 (昭和 47年 )4月 29日 :勲 二 等 瑞宝章 受章 [19] - 1978
年 (昭和 53年 )4月 24日 :東京 都内 の自宅 にて慢性 気管支炎 による心臓 衰弱 のため逝去 (享年 76)[20]、叙 ・正 四 位 [21]。
栄典
[脚注
[- ^
名字 の「吉 」の正確 な表記 は「」(「土 」の下 に「口 」、つちよし、U+20BB7、「𠮷」)である。また、「英三 」(ひでみ)は「えいぞう」とも読 まれていたようである。 - ^
憲法 調査 会 『憲法 調査 会 報告 書 』大蔵省 印刷 局 p.153 - ^ 「
昭和 13年 11月15日 海軍 辞令 公報 号 外 (防衛 省 防衛 研究所 )」 アジア歴史 資料 センター Ref.C13072074500 - ^ 「
昭和 14年 11月15日 海軍 辞令 公報 (部内 限 )第 402号 (防衛 省 防衛 研究所 )」 アジア歴史 資料 センター Ref.C13072076700 - ^ 「
昭和 16年 8月 15日 海軍 辞令 公報 (部内 限 )第 691号 (防衛 省 防衛 研究所 )」 アジア歴史 資料 センター Ref.C13072081700 - ^ 「
昭和 16年 10月 11日 海軍 辞令 公報 (部内 限 )第 726号 (防衛 省 防衛 研究所 )」 アジア歴史 資料 センター Ref.C13072082700 - ^ 「
昭和 18年 5月 1日 海軍 辞令 公報 (部内 限 )第 1103号 (防衛 省 防衛 研究所 )」 アジア歴史 資料 センター Ref.C13072090800 - ^ 「
昭和 18年 5月 1日 海軍 辞令 公報 (部内 限 )第 1106号 (防衛 省 防衛 研究所 )」 アジア歴史 資料 センター Ref.C13072090800 - ^ 「
昭和 18年 7月 10日 海軍 辞令 公報 (部内 限 )第 1169号 (防衛 省 防衛 研究所 )」 アジア歴史 資料 センター Ref.C13072092100 - ^ 「
昭和 19年 4月 1日 海軍 辞令 公報 (部内 限 )第 1401号 (防衛 省 防衛 研究所 )」 アジア歴史 資料 センター Ref.C13072097000 - ^ 「
昭和 19年 8月 8日 海軍 辞令 公報 (部内 限 )甲 第 1557号 (防衛 省 防衛 研究所 )」 アジア歴史 資料 センター Ref.C13072100400 - ^ 「
昭和 20年 4月 28日 海軍 辞令 公報 甲 第 1785号 (防衛 省 防衛 研究所 )」 アジア歴史 資料 センター Ref.C13072104500 - ^ 「
昭和 20年 7月 6日 海軍 辞令 公報 甲 第 1848号 (防衛 省 防衛 研究所 )」 アジア歴史 資料 センター Ref.C13072105900 - ^ 「
昭和 20年 7月 19日 海軍 辞令 公報 甲 第 1861号 (防衛 省 防衛 研究所 )」 アジア歴史 資料 センター Ref.C13072106200 - ^ 「
昭和 20年 12月21日 第 二 復員 省 辞令 公報 甲 第 18号 (防衛 省 防衛 研究所 )」 アジア歴史 資料 センター Ref.C13072162100 - ^ 「
昭和 20年 12月8日 第 二 復員 省 辞令 公報 甲 第 7号 (防衛 省 防衛 研究所 )」 アジア歴史 資料 センター Ref.C13072162000 - ^ 「
昭和 22年 6月 6日 復員 庁 第 二 復員 局 辞令 公報 第 37号 (防衛 省 防衛 研究所 )」 アジア歴史 資料 センター Ref.C13072160600 - ^ 『
官報 』本紙 第 7613号 (昭和 27年 5月 27日 ) - ^ 『
官報 』本紙 第 13607号 (昭和 47年 5月 4日 ) - ^
毎日新聞 ・1978年 (昭和 53年 )4月 25日 (火 )第 23面 - ^ 『
官報 』本紙 第 15396号 (昭和 53年 5月 13日 )
参考 文献
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