(Translated by https://www.hiragana.jp/)
名港西大橋 - Wikipedia コンテンツにスキップ

名港めいこう西大橋にしおおはし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
名港めいこう西大橋にしおおはし
名港西大橋
基本きほん情報じょうほう
くに 日本の旗 日本にっぽん
所在地しょざいち 愛知あいちけん名古屋なごや飛島とびしまむら
交差こうさ物件ぶっけん 名古屋なごやこう
路線ろせんめい 国道こくどう302ごう伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ
管理かんりしゃ ちゅう日本にっぽん高速こうそく道路どうろ
座標ざひょう 北緯ほくい353ふん7.5びょう 東経とうけい13650ふん8.4びょう / 北緯ほくい35.052083 東経とうけい136.835667 / 35.052083; 136.835667座標ざひょう: 北緯ほくい353ふん7.5びょう 東経とうけい13650ふん8.4びょう / 北緯ほくい35.052083 東経とうけい136.835667 / 35.052083; 136.835667
構造こうぞうしょもと
形式けいしき はすはりきょう[1]
材料ざいりょう はがね[1]
全長ぜんちょう 758 m
たか 122 m[2]
最大さいだいささえあいだちょう 405 m[2]
地図ちず
名港西大橋の位置(愛知県内)
名港西大橋
名港西大橋の位置(名古屋市内)
名港西大橋
関連かんれん項目こうもく
はし一覧いちらん - 各国かっこくはし - はし形式けいしき
テンプレートを表示ひょうじ

名港めいこう西大橋にしおおはし(めいこうにしおおはし)は、伊勢いせ湾岸わんがん自動車じどうしゃどう伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ名港めいこう中央ちゅうおうIC名古屋なごやみなと金城きんじょうとう)から飛島とびしまIC海部かいふぐん飛島とびしまむら木場きば)のあいだにある橋梁きょうりょう名古屋なごやこう横断おうだんする名港めいこうトリトン名港めいこう東大橋ひがしおおはし名港めいこう中央大橋ちゅうおうおおはし名港めいこう西大橋にしおおはし)のひとつである。

昭和しょうわ59年度ねんど土木どぼく学会がっかい田中たなかしょう作品さくひん部門ぶもん受賞じゅしょうした[3]

概要がいよう

[編集へんしゅう]

はしちょう758 m、中央ちゅうおうみちあいだ405 mのはがねはすはりきょうである。構造こうぞうの2大橋おおはしことなって上下じょうげせん分離ぶんりしており、のぼせん現在げんざい豊田とよだ新東名しんとうな方面ほうめん)は有料ゆうりょう道路どうろ名港めいこう西大橋にしおおはしとして1985ねん昭和しょうわ60ねん3がつ20日はつか暫定ざんてい2車線しゃせん対面たいめん通行つうこう供用きょうようされた[4]一方いっぽうくだせん現在げんざい四日市よっかいち新名にいなかみ方面ほうめん)は1993ねん7がつ事業じぎょうされ[5]、1998ねん3がつ30にちから供用きょうようされた[6]

日本道路公団にほんどうろこうだんげんNEXCOちゅう日本にっぽん)の資料しりょうでは、のぼせんいちせんくだせんせん呼称こしょうしていることから[1]以下いか解説かいせつもそれにならう。なお、一期いっきせんせんおよび2きょうくら路肩ろかたせまくなっているが、これはとう路線ろせん新東名しんとうな新名にいなかみ一体いったい運用うんよう東西とうざい幹線かんせんとされる以前いぜんの、道路どうろ規格きかくだい2しゅだい1きゅう[4]めいたまきどう規格きかく)として計画けいかくされていた時代じだい設計せっけい施工しこうされたためである。

はすはりきょうななめにったケーブルで橋桁はしげたはしいち形式けいしきである。このため、けたきょうくらべてささえあいだちょうなが設定せっていできるメリットがある。技術ぎじゅつ進歩しんぽによってささえあいだちょう長大ちょうだい傾向けいこうにあり、ながらくささえあいだちょう200 m以下いかクラスのはし主流しゅりゅうなかで、1975ねん以降いこうは400 mクラスとなり、西大橋にしおおはし建設けんせつ過程かていもこのながれのなかにあった[7]西大橋にしおおはしいちせんささえあいだちょう405 mで、竣工しゅんこう当時とうじ世界せかい最長さいちょうはすはりきょうであった[8]西大橋にしおおはし以後いごはがねはすはりきょう急速きゅうそく長大ちょうだいしてきている[9]。なお、ささえあいだちょう 405 mに決定けっていした理由りゆうとして、船舶せんぱく航行こうこう条件じょうけんとしておおむね340 mのながさを必要ひつようとしたこと、これに必要ひつよう防護ぼうご施設しせつはばをプラスしたためである[4]

本橋もとはしは3みちあいだ連続れんぞくはすはりきょうであり、Aかたちの2ほんしゅとうとそのりょうはし橋脚きょうきゃくにより構成こうせいされる。ほんこうでは日本道路公団にほんどうろこうだんげん・NEXCOちゅう日本にっぽん)の呼称こしょうしたが[10]木場きば金岡かなおかとうがわ橋脚きょうきゃくをP-1、どうあるじとうをP-2、金城きんじょうとうがわおもとうをP-3、どう橋脚きょうきゃくをP-4として記述きじゅつする。

構造こうぞう

[編集へんしゅう]

しょもと

[編集へんしゅう]
  • はしちょう : 758 m[4]
  • ささえあいだわり : 176.5 m+405 m+176.5 m[11]
  • けた空間くうかん : T.P+39.4 m[4]
  • 基礎きそ : P-1、P-4 : 場所ばしょ鉄筋てっきんコンクリートくい P-2、P-3 : ニューマチックケーソン[4]
  • 型式けいしき : 3みちあいだ連続れんぞくこうはすはりきょう[4]
  • しゅけた : 偏平へんぺい六角形ろっかっけいばこけた[4]
  • ケーブル : 一期いっきせん : パラレルワイヤーストランド 直径ちょっけい5 mm[4]せん : セミパラレルワイヤーストランド 直径ちょっけい7 mm[12]

一期いっきせん計画けいかくされた1970年代ねんだい後半こうはん[13]、マルチケーブルによる長大ちょうだいはすはりきょう施工しこうれい日本にっぽん国内こくないにはなく、世界せかいてき見地けんちからしてもめずらしいものであった[14][15][16]。よって技術ぎじゅつてき未知みち部分ぶぶんおおく、幾多いくた調査ちょうさ研究けんきゅう設計せっけいされた[14]。また、名古屋なごやこうかるこのはしは、季節風きせつふう海風かいふう影響えいきょうけ、幾多いくた船舶せんぱく横断おうだんすることから、設計せっけいはそのてん考慮こうりょした。

下部かぶこう

[編集へんしゅう]
建設けんせつちゅう一期いっきせん橋脚きょうきゃく周囲しゅういにジャケットを設置せっちし、陸上りくじょうとジャケットをつなぐ桟橋さんばしもうけている(1982ねん11月)
出典しゅってん:『国土こくど交通こうつうしょう国土こくど画像がぞう情報じょうほう(カラー空中くうちゅう写真しゃしん)」(配布はいふもと国土こくど地理ちりいん地図ちず空中くうちゅう写真しゃしん閲覧えつらんサービス)

地質ちしつ調査ちょうさ結果けっか支持しじそうとして適格てきかく東海とうかいそうは、東大とうだいきょうではT.P-30 m付近ふきんだが、西大橋にしおおはしではT.P-150 mでも確認かくにんできなかった[10]。よって、それよりもあさそう支持しじそうとしてもとめ、砂層さそうではあるが強度きょうどてき安定あんていしている熱田あつたそう下部かぶ砂層さそうひろし積層せきそう)をP-2およびP-3、P-4の支持しじそうとした[10]。その深度しんどはT.P-45 m付近ふきんである。なお、一期いっきせん施工しこう地層ちそう区分くぶんおよび記号きごう変更へんこうされ、西大橋にしおおはし支持しじそう従来じゅうらい熱田あつたそうから海部かいふ弥富やとみるいそうとなった[17][18]

基礎きそ形式けいしき海中かいちゅう橋脚きょうきゃくのP-2、P-3がニューマチックケーソン、陸上りくじょう橋脚きょうきゃくのP-1、P-4が現場げんばコンクリートくいである[19]。P-2、P-3では、ニューマチックケーソン基礎きそほか鋼管こうかん矢板やいた基礎きそ検討けんとうされたが、工事こうじ費用ひよう割安わりやすであるメリットがあるにせよ、大型おおがた鋼管こうかん矢板やいた基礎きそ設計せっけい手法しゅほう確立かくりつされていないこと、および施工しこうじょう問題もんだいてん払拭ふっしょくされていないことからケーソン方式ほうしき採用さいようされた[20]

P1、P4はふとう建設けんせつされることから資材しざい搬入はんにゅう心配しんぱいはないが、問題もんだい海中かいちゅうのP-2、P-3である。このため、P-2は西にしげん木場きば金岡かなおかとう)から、P-3は金城きんじょうとうから桟橋さんばしもうけ、これを搬入はんにゅうとした[21]一方いっぽう作業さぎょう足場あしばはジャケットと呼称こしょうするはがねせい足場あしば工場こうじょうてたのち、フローティングクレーンで設置せっちする方法ほうほうによった。これにより海上かいじょう作業さぎょう期間きかん大幅おおはば短縮たんしゅく可能かのうとなったほか[21]、ジャケットじょうでクレーンおよびトラックを活用かつようできることから作業さぎょう効率こうりつ向上こうじょうはかられている[21]

ニューマチックケーソンのためひとがケーソン底部ていぶはいって掘削くっさく作業さぎょうおこなうが、そのためには作業さぎょうしつないからみず排除はいじょするためにこうあつ空気くうきおくむことになる。しかしながら、掘削くっさくして深度しんどふかまるにつれて多大ただい水圧すいあつけることから、それに対抗たいこうするためによりこうあつ空気くうきおく必要ひつようがあり、その結果けっか潜函せんかんびょう発症はっしょうするリスクがたかまる[22]。しかし施工しこう容易たやすさ(地質ちしつ地層ちそう変化へんか対応たいおうでき、支持しじ地盤じばん直接ちょくせつ確認かくにんできる[23])やコストのてんから施行しこうれいおおく、西大橋にしおおはしもそのれいれない。しかし、以上いじょう悪影響あくえいきょう潜函せんかんびょう)を回避かいひするためのさまざまな手段しゅだんこうじられ、ケーソン周辺しゅうへんだい深度しんど井戸いどって地下水ちかすい揚水ようすいすることで、おく空気くうき圧力あつりょく低減ていげんして作業さぎょういん安全あんぜん配慮はいりょするととも作業さぎょう効率こうりつ向上こうじょうはかった(ディープウェル工法こうほう[24]

一期いっきせん計画けいかく時点じてん将来しょうらいせん近接きんせつ施工しこうされることはみであったが、当初とうしょしゅけたの2ばい間隔かんかくをあけるとの前提ぜんていから、ケーソン基礎きそ間隔かんかくは10 mで計画けいかくされた[25]。しかし、後年こうねん道路どうろ規格きかく変更へんこうせん拡幅かくふくされた関係かんけいでケーソン基礎きそ間隔かんかくも13 mに拡大かくだいされ、ケーソン基礎きそいちせんで5 m拡大かくだいされた。基礎きそ間隔かんかくやく3 m拡大かくだいされたとはいえ、13 mしかはなれていないところへケーソン基礎きそめることでいちせんへの影響えいきょう懸念けねんされた[26]とくにディープウェル工法こうほうによって地下水ちかすいをくみげたさい地盤じばん変位へんいしていちせん基礎きそ傾斜けいしゃする懸念けねんがあった。潜函せんかんびょう対策たいさくとして是非ぜひとも必要ひつよう工法こうほうであるが、以上いじょうのリスクをかんがとう工法こうほう断念だんねんするわりにヘリウム混合こんごうガスを作業さぎょういん呼吸こきゅうさせることで問題もんだい解決かいけつはかった。これによって海面かいめん40 m以下いかたか気圧きあつなかでの作業さぎょう可能かのうとした。ただし、地面じめん掘削くっさく世界せかいはつ無人むじん掘削くっさくシステムによる通常つうじょう気圧きあつ作業さぎょういん遠隔えんかく操作そうさでパワーショベルを操作そうさし、ヘリウム混合こんごうガスの吸引きゅういん機器ききのメンテナンスや点検てんけんかぎって使用しようした[27]

基礎きそおもとう連結れんけつするためのアンカーブロックを設置せっちしてからコンクリートをしつらえするが、だい重量じゅうりょうたかさ120 mをえるおもとうをコンクリートじょう安定あんていてきささ密着みっちゃくするにはこう精度せいど平坦へいたんせい要求ようきゅうされる。このため、研磨けんま使つかってアンカーボルト周辺しゅうへんのコンクリートを研磨けんました[28]

おもとう橋脚きょうきゃく

[編集へんしゅう]

独立どくりつ2きょう並列へいれつで、りょうはし近接きんせつすることから、ささえあいだちょう(405 m)にくらべておもとうはばせまいスレンダーな外観がいかん特徴とくちょうとなっている[14]。また、支持しじそう砂層さそう軟弱なんじゃく地盤じばんであることから、瀬戸大橋せとおおはしのようなもんがたによらず、重量じゅうりょう軽減けいげんのためAかたちとして下部かぶこう負担ふたんおさえた[14]西大橋にしおおはし中央ちゅうおう大橋おおはし東大とうだいきょうくらべるととういただきから下部かぶこうまでがストレートで、そのかたちはまさしくAかたちである。それでも、設計せっけい段階だんかいではしゅけた以下いかとうばしら間隔かんかくしぼんで中央ちゅうおう東大とうだいきょうのイメージで計画けいかくされたが、Aにくらべてとう下部かぶかる負担ふたんおおきく、とう自体じたい重量じゅうりょうおもかった[29]。そこに製作せいさく容易たやすさ、形式けいしき勘案かんあんして現行げんこうのAかたち採用さいようされた[29]しゅとう形状けいじょう変更へんこうによってはしじく方向ほうこうくるま進行しんこう方向ほうこう[30])の負荷ふか減少げんしょうしたことにともない、しゅとう断面だんめん形状けいじょう南北なんぼく方向ほうこうせばめられて東西とうざい方向ほうこうながめの長方形ちょうほうけいとなった[31]しゅとうたかさは122 m(T.P基準きじゅんでは127 m)で、3きょうなかではもっとひく[32]

架設かせつおもとう根元ねもとたるしょうブロックをアンカーブロックにいてボルトで接合はぎあわした。とう基部きぶよりうえ部分ぶぶんだいブロック)は製作せいさく工場こうじょうでAのかたちげて3000 tフローティングクレーンでげ、そのまま名古屋なごやこうはこれて下部かぶこう接合せつごうした[33]

西大橋にしおおはし名古屋なごやこう表玄関おもてげんかんかざりとの位置付いちづけから、その塗装とそうについては愛知あいちけん名古屋なごや専門せんもん検討けんとうした結果けっか白色はくしょく決定けっていした[34]。ところがしゅとう航空こうくうほう抵触ていしょくするたかさであることから高層こうそう建築けんちくぶつなされ、運輸省うんゆしょうげん国土こくど交通省こうつうしょう)はあかしろしまにすることをもとめてきた[34]。つまり東京とうきょうタワー塗装とそうされているあかしろしま模様もようにすることを要請ようせいしてきたのである。結果けっかてきに1980ねん航空こうくうほう施行しこう規則きそく一部いちぶ改正かいせいされたことをけて、昼間ひるま障害しょうがい標識ひょうしきこう光度こうど航空こうくう標識ひょうしきとう設置せっちする場合ばあいあかしろ対象たいしょうがいとなった。よっていろ選択せんたく自由じゆうられ、西大橋にしおおはしさそえ目性めしょう視認しにんせいみなとのシンボルせい考慮こうりょしてあかけい彩色さいしき採用さいようした[16]塗料とりょう最終さいしゅう外面がいめん上塗うわぬりがしゅとして塩化えんかゴムけいとした(一期いっきせん)。これは海上かいじょう施工しこうとなるため塩分えんぶん付着ふちゃく対策たいさく長期ちょうきてきぼうさび効果こうか期待きたいした結果けっかである[16]工場こうじょう下塗したぬだい4そうまで塗装とそうし、以降いこう現場げんばはこれてケーブル架設かせつ最終さいしゅう塗装とそう実施じっしした。工場こうじょう最終さいしゅう塗装とそうしなかったのは、ケーブル架設かせつふくめた工事こうじにおける足場あしば、エレベーター、架設かせつはり設置せっち撤去てっきょによって塗膜とまくきずがついてタッチアップがおおくなると判断はんだんされたためである[35]。なお、せん完成かんせいいちせんさい塗装とそう実施じっしされている[36]

P-1、P-4橋脚きょうきゃく鉄筋てっきんコンクリート中空なかぞらかべしきである。その外観がいかんてき特徴とくちょうはV字形じけいにあり、おもとうのAかたちしてぎゃく対称たいしょう強調きょうちょうするデザインである[37]中空なかぞら断面だんめんとしたのは軟弱なんじゃく地盤じばんじょうにあることから、重量じゅうりょう軽減けいげんはかって地盤じばん負担ふたん軽減けいげんねらったためである[37]

P-1橋脚きょうきゃく木場きば金岡かなおかとうがわ)。
P-2おもとう木場きば金岡かなおかとうがわ)。
P-3おもとう金城きんじょうとうがわ)。
P-4橋脚きょうきゃく金城きんじょうとうがわ)。手前てまえ橋脚きょうきゃく1金城きんじょうだか架橋かきょう橋脚きょうきゃく

しゅけた

[編集へんしゅう]
主桁高さはカーフェリー「いしかり」を基準として決定された。(画像左) 主桁は多室箱型で耐風安定性に配慮した偏平六角形。両端の角はフェアリング。(画像右) 主桁高さはカーフェリー「いしかり」を基準として決定された。(画像左) 主桁は多室箱型で耐風安定性に配慮した偏平六角形。両端の角はフェアリング。(画像右)
しゅけたたかさはカーフェリー「いしかり」を基準きじゅんとして決定けっていされた。(画像がぞうひだり
しゅけたしつばこがたたいふう安定あんていせい配慮はいりょした偏平へんぺい六角形ろっかっけいりょうはしかくはフェアリング。(画像がぞうみぎ

けたたかさの決定けってい要因よういん大型おおがた船舶せんぱく通過つうか支障ししょうないことである。西大橋にしおおはしでは名古屋なごやこう苫小牧とまこまい西港にしこうむすカーフェリー「いしかり」(マストたかさ36 m)が最大さいだい船舶せんぱく想定そうていされ、余裕よゆうたかさ2 mをくわえてけた空間くうかんを38 mと決定けっていした[38]

名古屋なごやこうかる本橋もとはし海風かいふう影響えいきょうけ、とく海面かいめんよりたか位置いちにあるしゅけたたいしてはその影響えいきょうによる安全あんぜんめん心配しんぱいされた[39]。このためしゅけた断面だんめん形状けいじょう検討けんとう風洞ふうどう実験じっけんおこない、ふうによる抵抗ていこう低減ていげん意図いとから薄型うすがた変形へんけい六角形ろっかっけいしつばこがた採用さいようした。これはケーブルの定着ていちゃくせいいと見込みこまれたうえでの採用さいようでもあった。しゅけたそとはらばん定着ていちゃく鋼管こうかん直接ちょくせつませて溶接ようせつ[40][41]、フェアリングをかぶせて該当がいとう箇所かしょ隠蔽いんぺいしていることから、かけじょうはシンプルである[42]昨今さっこん各地かくちはし採用さいようされている当該とうがい定着ていちゃく方式ほうしきも、一期いっきせん計画けいかく当時とうじ長大ちょうだいはすはりきょうにおける採用さいよう実績じっせき皆無かいむであったことから、定着ていちゃくにおける応力おうりょくしゅけたつたわるながれが解明かいめいであった。そこで、大阪おおさか豊里とよさと大橋おおはし建設けんせつさいして実施じっしされた模型もけい実験じっけんによる成果せいかいちせん定着ていちゃく実験じっけん参考さんこうとした[40]

一期いっきせん拡幅かくふく)とせんしゅけた比較ひかく断面だんめん薄型うすがた変形へんけい六角形ろっかっけいはこがただが、せんは2%の傾斜けいしゃがあるため、断面だんめん形状けいじょう左右さゆういちじるしくことなる。また、せんいちせん左右さゆうに3.4 m拡大かくだいされている。出典しゅってん:『伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ工事こうじ』304ぺーじ、411ぺーじ

一期いっきせんしゅけた道路どうろ構造こうぞう規格きかくだいしゅだい一級いっきゅう設計せっけいされたことから[43]幅員ふくいん16 m(フェアリングふくむ)である[44]。これにたいせん道路どうろ構造こうぞう規格きかくだい一種いっしゅだいきゅう設計せっけいされたことから19.4 mといちせんで3.4 m拡大かくだいされている[12]一期いっきせんせん供用きょうようあわせてだい一種いっしゅだいきゅう規格きかく変更へんこう[45]するために高欄こうらん取替とりかえをおこなって道路どうろはば拡大かくだいした[46]高欄こうらんは、断面だんめんが100 mm縮小しゅくしょうされ、高欄こうらん位置いち両側りょうがわへ150 mm移動いどうした[47]。この結果けっか標準ひょうじゅん幅員ふくいん改良かいりょうまえの12.5 mから13.5 mに、北側きたがわ路肩ろかたは1.25 mから1.75 mに、南側みなみがわ路肩ろかたは0.75 mから1.25 mに拡大かくだいされた[48]。ただし、車線しゃせん当初とうしょ計画けいかくの3.5 m×3が維持いじされ[49]せんの3.5 m+3.75 m+3.5 mと比較ひかくするとだい2走行そうこう車線しゃせんせまくなっている[2]。なお、一期いっきせん接続せつぞくする陸上りくじょう高架こうかきょう幅員ふくいん拡大かくだいおこなわれたが、こちらはコンクリートせい高欄こうらんをカッターでとしたうえで、あらたに製作せいさくした拡幅かくふくよう床板とこいたをボルト接合せつごうするというおおがかりな工事こうじとなった[50]

一期いっきせんせんしゅけた間隔かんかくしゅけた中心ちゅうしんせん基準きじゅんで50 mとなっている。ふうによる干渉かんしょう影響えいきょうおさえるにはいちせんせん間隔かんかくけたはばの2ばい必要ひつようであることから50 mとされた[12]。ただし、一期いっきせん設計せっけい段階だんかいでは45 mであったが、道路どうろ規格きかく変更へんこうによるせんけたはば拡大かくだいによってりょうはし間隔かんかく変動へんどうしたことで5 m拡大かくだいされるにいたった[12]

一期いっきせん高欄こうらんには航空機こうくうきのフラップにもそもそもりゅういたけられ海風かいふうによる影響えいきょう抑制よくせいすることとしたが、せん完成かんせいによりそもそもりゅういたなしでも問題もんだいなしと判定はんていされたことで撤去てっきょされた[12]

しゅけた架設かせつ方法ほうほうはベント(Bent : 橋脚きょうきゃく意味いみするが日本にっぽんではかり支柱しちゅうをベントとぶ。ステージングともいう[51]併用へいよう架設かせつ工法こうほうによった。水中すいちゅうベントじょうしゅけた6ブロックをフローティングクレーンで一括いっかつし、ケーブル架設かせつ左右さゆうに1ブロックずつしていった。左右さゆうから中心ちゅうしんけて伸長しんちょうしたしゅけたは1997ねん6がつ17にち最後さいごのブロックを併合へいごうし、しゅけたは1つにつながった。3大橋おおはしがこの併合へいごうで1つにつながるとあって当日とうじつ多数たすう報道ほうどう関係かんけいしゃ現場げんばめかけ、地元じもとのトップニュースとしてげられた[52]。なお、せんのベントは費用ひよう圧縮あっしゅくのため中央ちゅうおう大橋おおはし使用しようされたものをしょう改造かいぞうのうえ転用てんようしたものである[53]。また、使用しよう長崎ながさきけん大島おおしま大橋おおはし建設けんせつ事業じぎょうのために再度さいどしょう改造かいぞうのうえ転用てんようされた[54]

一期いっきせん完成かんせいにおけるしゅけたおもとうおなあかけい彩色さいしき塗装とそうされた[16]。よってケーブルカラー(くろ以外いがいすべ赤色あかいろであった。後年こうねん、3きょう完成かんせい陸上りくじょう高架こうかきょう塗装とそう統一とういつすることになり、あおそらうみ連続れんぞくした水平すいへいせんとして印象いんしょうける意図いとからしろえられた[55]

ケーブル

[編集へんしゅう]
画像左:横から見たケーブル連結部。その間隔は端部になるほど密になる。 画像右:一期線は車両衝突におけるケーブル保護のため防護ステイが斜めに設置された。 画像左:横から見たケーブル連結部。その間隔は端部になるほど密になる。 画像右:一期線は車両衝突におけるケーブル保護のため防護ステイが斜めに設置された。
画像がぞうひだり:よこからたケーブル連結れんけつ。その間隔かんかくはしになるほどみつになる。
画像がぞうみぎ:一期いっきせん車両しゃりょう衝突しょうとつにおけるケーブル保護ほごのため防護ぼうごステイがななめに設置せっちされた。

ファンがたの2めん12だん合計ごうけい96ほん)マルチケーブルによりしゅけたささえる[45]本橋もとはしいちせんせん分離ぶんりして施工しこうすることから、必然ひつぜんてき中央ちゅうおう分離ぶんりたい設置せっちされない。したがって、しゅけたとケーブルの連結れんけつ道路どうろ中央ちゅうおうによらずりょうはしとなることでしゅけた両端りょうたんる2めん方式ほうしき採用さいようされている[56]

ケーブルはみち5 mm亜鉛あえんのめっきこうせんを163 - 379ほんあいだ平行へいこう結束けっそくし、7種類しゅるいのケーブルを製作せいさくした[57]おもとうからはなれるほどふといケーブルで緊張きんちょうしている[57]。また、しゅけたとの連結れんけつ間隔かんかく力学りきがくてき観点かんてんおよび、架設かせつ都合つごうから、とうからはなれるにしたがってみつとしている[56]。なお、せんではみち7 mmに変更へんこうされ、109 - 223ほんあいだ結束けっそくしている[12]一期いっきせんはパラレルワイヤーストランド[4]せんはがねせん若干じゃっかんのよりをくわえた[58]セミパラレルワイヤーストランド(NEW-PWS[59])である[12]

一期いっきせん設計せっけい時点じてんにおけるケーブルははがねせんとポリエチレンかん隙間すきまぼうさびのためのグラウト(セメント、みず混和こんわざいぜたものを注入ちゅうにゅう[60])する手法しゅほう主流しゅりゅうであった[61]工場こうじょう出荷しゅっか故意こい両者りょうしゃ隙間すきまけておき、とう橋桁はしげたをケーブルで緊張きんちょうしてからグラウトした。しかし、1980年代ねんだい後半こうはんになると、はがねせんとポリエチレンかん直接ちょくせつ密着みっちゃくする手法しゅほう開発かいはつされ[61]、このため1995ねん以降いこう着工ちゃっこうされたせんはグラウトなしで緊張きんちょうした[62]

一期いっきせん道路どうろ規格きかく変更へんこうのため高欄こうらんえのうえ位置いち両側りょうがわうつしたことは先述せんじゅつした。ところがそのために高欄こうらんとケーブルのクリアランスがちいさくなり、まんいち通行つうこう車両しゃりょう運転うんてん操作そうさあやまって高欄こうらん衝突しょうとつした場合ばあい高欄こうらん車両しゃりょうがケーブルに接触せっしょくすることが懸念けねんされた[63]。そこで衝突しょうとつのシミュレーション解析かいせきおこなった結果けっかとく進行しんこう方向ほうこうから鋭角えいかくがわのケーブルに衝突しょうとつした場合ばあい甚大じんだい影響えいきょうおよぼすことが確認かくにんされた[64]。そこで鋭角えいかくとなるケーブルぐん高欄こうらんあいだななじょう防護ぼうごステイを連結れんけつすることになった。これにより、走行そうこう傾斜けいしゃした車両しゃりょうをケーブル内側うちがわ誘導ゆうどうさせることが可能かのうとなった[65]

一期いっきせんしゅけた架設かせつちゅうの1984ねん6がつ10日とおか、ケーブルがおおきくれる現象げんしょうはじめて確認かくにんされ、今後こんごせいふるえ対策たいさくおこなううえ原因げんいんめる必要ひつようしょうじた[66]。このためその3かげつあいだわたって振幅しんぷく計測けいそくしたところ、振動しんどう発生はっせいにおいてかならあめっていること、およびかぜがあってもあめむと振動しんどう停止ていしすることが判明はんめいした。よってこの振動しんどうあめ由来ゆらいし、これに一定いってい速度そくどたいかぜけることによって発生はっせいするレインバイブレーションであることがわかった[66]。この現象げんしょう名港めいこう西大橋にしおおはしはじめて確認かくにんされたものである。西大橋にしおおはしではレインバイブレーション対策たいさくとして、ケーブルあいだ横断おうだんてきにステンレスワイヤーで連結れんけつして振幅しんぷくおさえることとした[66]。ところがそのステンレスワイヤーが破断はだんしていることが確認かくにんされ、これを名港めいこう中央ちゅうおう大橋おおはし名港めいこう東大とうだいきょう採用さいようすることは同様どうよう結果けっかまねくとして採用さいようとされた[67]。よってしん対策たいさくとして、ケーブルとしゅけた定着ていちゃくないこう減衰げんすいゴムを内蔵ないぞうし、これで振幅しんぷくおさえることにした。せん当初とうしょからゴムを内蔵ないぞうし、一期いっきせんもゴムタイプに変更へんこうされた[68]

付帯ふたい作業さぎょう

[編集へんしゅう]

下部かぶこう施工しこう先立さきだって架橋かきょう予定よてい機雷きらい確認かくにんおこなった。さき大戦たいせんにおいておこなわれたアメリカぐんによる空襲くうしゅうで、名古屋なごやこう大量たいりょう爆発ばくはつぶつ投下とうかされたための対応たいおうだが、結果けっかてき爆発ばくはつぶつ残存ざんそん皆無かいむであった[69]

一期いっきせん工事こうじによって航路こうろ制約せいやくけるため、リーディングライト設置せっちとう必要ひつよう対策たいさくほどこしたが、なかでもカーフェリーの安全あんぜん通航つうこうはかるため、フェリーふとう近接きんせつする海底かいてい浚渫しゅんせつおこない、ふねかいあたまするためのターニングベースンを確保かくほした[70][71]

歴史れきし

[編集へんしゅう]
  • 1979ねん昭和しょうわ54ねん
    • 8がつ10日とおか : 名古屋なごや環状かんじょう2号線ごうせん海上かいじょう都市とし計画けいかく決定けってい(L=9.83 km)[72]
    • 12月7にち : 一期いっきせん事業じぎょう許可きょか[73]
  • 1980ねん昭和しょうわ55ねん
    • 5月1にち : 日本道路公団にほんどうろこうだん名港めいこう西大橋にしおおはし工事こうじ事務所じむしょ設置せっち[73]
    • 6月3にち : ターニングベースン浚渫しゅんせつ工事こうじ開始かいし翌年よくねん3がつ20日はつかまで)[74]
  • 1981ねん昭和しょうわ56ねん
    • 3月26にち : 一期いっきせん下部かぶこう工事こうじ発注はっちゅう[73]
    • 11月17にち : 一期いっきせん起工式きこうしき開催かいさい[74]
  • 1982ねん昭和しょうわ57ねん
    • 8がつ27にち : 一期いっきせん西にしとうケーソン沈下ちんか掘削くっさく終了しゅうりょう[74]
    • 9月6にち : 一期いっきせんひがしとうケーソン沈下ちんか掘削くっさく終了しゅうりょう[75]
  • 1983ねん昭和しょうわ58ねん
  • 1984ねん昭和しょうわ59ねん
    • 7がつ24にち : 一期いっきせんしゅけたしょうブロック架設かせつ完了かんりょう[75]
    • 11月16にち : 一期いっきせん弾性だんせい拘束こうそくケーブル工事こうじ完了かんりょう[76]
  • 1985ねん昭和しょうわ60ねん
  • 1991ねん平成へいせい3ねん
    • 8がつ28にち : 弥富やとみ - 大府おおぶあいだ都市とし計画けいかく変更へんこう。これにともなって西大橋にしおおはしふく伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ道路どうろ幅員ふくいん道路どうろ規格きかく変更へんこう[注釈ちゅうしゃく 1][77][78]
  • 1993ねん平成へいせい5ねん
    • 7がつ20日はつか : 西大橋にしおおはし拡幅かくふく事業じぎょうせん許可きょか[79]
    • 11月19にち : せん東西とうざい下部かぶこう工事こうじ発注はっちゅう[79]
  • 1995ねん平成へいせい7ねん
    • 6月16にち : せん西にしとうケーソンのヘリウム混合こんごうガス併用へいよう無人むじん掘削くっさく開始かいし[80]
    • 8がつ7にち : せんひがしとうケーソンのヘリウム混合こんごうガス併用へいよう無人むじん掘削くっさく開始かいし[80]
    • 9月26にち : せんひがしとうケーソン沈下ちんか掘削くっさく終了しゅうりょう[80]
    • 10月25にち : せん西にしとうケーソン沈下ちんか掘削くっさく終了しゅうりょう[80]
  • 1996ねん平成へいせい8ねん
    • 6月11にち : せん下部かぶこうひがし西にし工事こうじ竣工しゅんこう[80]
    • 6月23にち : せんひがしとうだいブロック架設かせつ[80]
    • 7がつ3にち : せん西にしとうだいブロック架設かせつ[80]
    • 8がつ7にち : せんしゅけた工事こうじ発注はっちゅう[80]
    • 8がつ26にち : せんとう工事こうじ竣工しゅんこう[80]
    • 9月1にち : せんしゅけたG2'だいブロック架設かせつ[80]
    • 9月3にち : せんしゅけたG2だいブロック架設かせつ[80]
    • 9月11にち : せんしゅけたG1だいブロック架設かせつ[80]
    • 9月15にち : せんしゅけたG1'だいブロック架設かせつ[80]
    • 9月19にち : せんしゅけたG3だいブロック架設かせつ[80]
    • 9月29にち : せんしゅけたG3'だいブロック架設かせつ[80]
  • 1997ねん平成へいせい9ねん
    • 1がつ26にち : せんしゅけた直下ちょっか工事こうじ開始かいし[81]
    • 3月14にち : せんひがしぬしけた西にしぬしけた(その1)工事こうじ竣工しゅんこう[81]
    • 6月17にち : せん併合へいごうブロック架設かせつ[81]
    • 7がつ16にち : せん連結れんけつしき開催かいさい[81]
    • 7がつ20日はつか : 名港めいこう3大橋おおはし愛称あいしょうを「名港めいこうトリトン」として発表はっぴょう[81]
    • 12月8にち : せんひがしぬしけた西にしぬしけた(その2)工事こうじ竣工しゅんこう[81]
  • 1998ねん平成へいせい10ねん

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ 愛知あいちけん公報こうほうだい404ごう愛知あいちけん告示こくじだい785ごうどう786ごうどう787ごう、831ぺーじ関係かんけい図書としょ愛知あいち県庁けんちょう閲覧えつらん

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい 1998, p. 4.
  2. ^ a b c 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい写真しゃしんしゅう) 1998, p. 11.
  3. ^ 日本にっぽんきょう 完全かんぜん名鑑めいかん廣済堂こうさいどう出版しゅっぱん、2013ねん3がつ、78ぺーじISBN 978-4-331-80222-9
  4. ^ a b c d e f g h i j 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 7.
  5. ^ 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい 1998, p. 7.
  6. ^ “「名港めいこうトリトン」が直結ちょっけつ 名古屋なごやみなみ - 飛島とびしま開通かいつうパレード”. 朝日新聞あさひしんぶん名古屋なごや本社ほんしゃ夕刊ゆうかん. (1998ねん3がつ30にち) 
  7. ^ 長井ながい正嗣まさつぐ井澤いざわまもる中村なかむらひろし 1997, pp. ii - iii(はじめに).
  8. ^ 長井ながい正嗣まさつぐ井澤いざわまもる中村なかむらひろし 1997, pp. 4–5.
  9. ^ 長井ながい正嗣まさつぐ井澤いざわまもる中村なかむらひろし 1997, p. iii(はじめに).
  10. ^ a b c 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 87.
  11. ^ 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい 1998, p. 341.
  12. ^ a b c d e f g 佐久間さくまさとし渡部わたなべ恒雄つねお山田やまだ三郎さぶろう 1998, p. 8.
  13. ^ 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 49.
  14. ^ a b c d 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 165.
  15. ^ 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 393.
  16. ^ a b c d 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 560.
  17. ^ 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい 1998, pp. 25–29.
  18. ^ 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい 1998, p. 352.
  19. ^ 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 98.
  20. ^ 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 100.
  21. ^ a b c 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 139.
  22. ^ 塩井しおいみゆき 2014, pp. 199–200.
  23. ^ 佐久間さくまさとし前川まえかわとしさとし宮内みやうち秀敏ひでとし 1997, p. 65.
  24. ^ 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, pp. 302–307.
  25. ^ 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, pp. 100–101.
  26. ^ 佐久間さくまさとし前川まえかわとしさとし宮内みやうち秀敏ひでとし 1997, pp. 55–56.
  27. ^ 佐久間さくまさとし前川まえかわとしさとし宮内みやうち秀敏ひでとし 1997, p. 57.
  28. ^ 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, pp. 409–413.
  29. ^ a b 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 39.
  30. ^ 長井ながい正嗣まさつぐ井澤いざわまもる中村なかむらひろし 1997, p. 37.
  31. ^ 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, pp. 39–40.
  32. ^ 鈴木すずきひろし 1997, pp. 68–70.
  33. ^ 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, pp. 412–417.
  34. ^ a b 神作かんさくひろし 1991, p. 96.
  35. ^ 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 562.
  36. ^ 佐久間さくまさとし渡部わたなべ恒雄つねお山田やまだ三郎さぶろう 1998, p. 12.
  37. ^ a b 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 156.
  38. ^ 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, pp. 30–31.
  39. ^ 鈴木すずき裕二ゆうじ橋本はしもと昌郎まさお 1998, pp. 24–25.
  40. ^ a b 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 639.
  41. ^ 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい写真しゃしんしゅう) 1986, pp. 47–49.
  42. ^ 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい写真しゃしんしゅう) 1986, p. 46.
  43. ^ 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 2.
  44. ^ 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 168.
  45. ^ a b 佐久間さくまさとし渡部わたなべ恒雄つねお山田やまだ三郎さぶろう 1998, p. 7.
  46. ^ 鈴木すずきひろし 1997, p. 72.
  47. ^ 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい 1998, p. 294.
  48. ^ 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい 1998, p. 293.
  49. ^ 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい 1998, p. 304.
  50. ^ 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい 1998, pp. 307–310.
  51. ^ 藤原ふじわらみのる久保田くぼた宗孝むねたか菅谷すがやこう寺田てらだひろしあきら 1994, p. 169.
  52. ^ 佐久間さくまさとし渡部わたなべ恒雄つねお山田やまだ三郎さぶろう 1998, p. 10.
  53. ^ 佐久間さくまさとし渡部わたなべ恒雄つねお山田やまだ三郎さぶろう 1998, pp. 9–11.
  54. ^ 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい 1998, p. 241.
  55. ^ 鈴木すずきひろし 1997, p. 75.
  56. ^ a b 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 41.
  57. ^ a b 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, pp. 368–369.
  58. ^ 長井ながい正嗣まさつぐ井澤いざわまもる中村なかむらひろし 1997, p. 26.
  59. ^ 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい 1998, p. 194.
  60. ^ 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 496.
  61. ^ a b 土木どぼく学会がっかい田中たなかしょう選考せんこう委員いいんかいへん 1999, pp. 52–53.
  62. ^ 佐久間さくまさとし渡部わたなべ恒雄つねお山田やまだ三郎さぶろう 1998, p. 7 - 8.
  63. ^ 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい 1998, p. 217.
  64. ^ 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい 1998, p. 226.
  65. ^ 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい 1998, p. 229.
  66. ^ a b c 横山よこやま功一こういち日下部くさかべあつしあかり 1989, pp. 75–78.
  67. ^ 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい 1998, pp. 134–135.
  68. ^ 日経にっけいBPしゃ 1998, p. 103.
  69. ^ 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 280.
  70. ^ 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 33.
  71. ^ 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 265.
  72. ^ 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 13.
  73. ^ a b c 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい 1998, p. 473.
  74. ^ a b c 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 761.
  75. ^ a b c d e f g 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 762.
  76. ^ a b c 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい 1986, p. 763.
  77. ^ 建設省けんせつしょう中部ちゅうぶ地方ちほう建設けんせつきょく めい四国しこくどう工事こうじ事務所じむしょ 1989, p. 302.
  78. ^ 名古屋なごや高速こうそく1ごう 2.8キロをトンネル 都市とし計画けいかく変更へんこう知事ちじあん発表はっぴょう 場所ばしょにより幅員ふくいん拡大かくだい 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ”. 中日新聞ちゅうにちしんぶん朝刊ちょうかん: p. 18. (1991ねん4がつ27にち) 
  79. ^ a b 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい 1998, p. 475.
  80. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい 1998, p. 476.
  81. ^ a b c d e f 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい 1998, p. 477.
  82. ^ a b 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい 1998, p. 478.

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい名港めいこう西大橋にしおおはし工事こうじ日本道路公団にほんどうろこうだん名古屋なごや建設けんせつきょく、1986ねん3がつ15にち 
  • 名港めいこう西大橋にしおおはし編集へんしゅう委員いいんかい写真しゃしんしゅう)『名港めいこう西大橋にしおおはし写真しゃしんしゅう日本道路公団にほんどうろこうだん名古屋なごや建設けんせつきょく、1985ねん 
  • 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ工事こうじ』・『伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ写真しゃしんしゅう』は三重みえ県立けんりつ図書館としょかん閲覧えつらん非売品ひばいひん
    • 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ工事こうじ日本道路公団にほんどうろこうだん名古屋なごや建設けんせつきょく 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ工事こうじ事務所じむしょ、1998ねん3がつ 
    • 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ編集へんしゅう委員いいんかい写真しゃしんしゅう)『伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ写真しゃしんしゅう日本道路公団にほんどうろこうだん名古屋なごや建設けんせつきょく 伊勢いせ湾岸わんがん道路どうろ工事こうじ事務所じむしょ、1998ねん3がつ 
  • 横山よこやま功一こういち日下部くさかべあつしあきらはすはりきょうケーブルのふうによる振動しんどう対策たいさく」『橋梁きょうりょう基礎きそだい23かんだい8ごう株式会社かぶしきがいしゃ建設けんせつ図書としょ、1989ねん8がつ、75-84ぺーじ 
  • 佐久間さくまさとし前川まえかわとしさとし宮内みやうち秀敏ひでとししん技術ぎじゅつ紹介しょうかい ヘリウム混合こんごうガス併用へいよう無人むじん掘削くっさく工法こうほうによるだい深度しんどニューマチックケーソンの近接きんせつ施工しこう名港めいこう西大橋にしおおはしIIせん-」『土木どぼく技術ぎじゅつだい50かんだい11ごう土木どぼく技術ぎじゅつしゃ、1995ねん11月、54-65ぺーじ 
  • 鈴木すずき裕二ゆうじ橋本はしもと昌郎まさお伊勢いせ湾岸わんがん自動車じどうしゃどう建設けんせつ(1)」『土木どぼく技術ぎじゅつだい53かんだい5ごう土木どぼく技術ぎじゅつしゃ、1998ねん5がつ、23-31ぺーじ 
  • 鈴木すずき裕二ゆうじ名港めいこうさん大橋おおはし開通かいつうけて」『橋梁きょうりょうだい33かんだい1ごう橋梁きょうりょう編纂へんさん委員いいんかい、1997ねん1がつ、68-75ぺーじ 
  • 佐久間さくまさとし渡部わたなべ恒雄つねお山田やまだ三郎さぶろう施工しこう研究けんきゅう 名港めいこう西大橋にしおおはし(IIせんしゅけた設計せっけい施工しこう伊勢いせ湾岸わんがん自動車じどうしゃどう-」『土木どぼく施工しこうだい39かんだい1ごう山海さんかいどう、1998ねん1がつ1にち、6-12ぺーじ 
  • 檜山ひやま義光よしみつ佐久間さくまさとし前川まえかわとしさとし広瀬ひろせつよし施工しこう研究けんきゅう 近接きんせつ施工しこう だい深度しんどニューマチックケーソンの近接きんせつ施工しこう 名港めいこう西大橋にしおおはしIIせん」『土木どぼく施工しこうだい37かんだい11ごう山海さんかいどう、1996ねん11月1にち、29-35ぺーじ 
  • 名古屋なごやこう開港かいこうひゃくねんへんさん委員いいんかい名古屋なごやこう開港かいこう100ねん名古屋なごやこう管理かんり組合くみあい、2008ねん 
  • 名古屋なごやこう管理かんり組合くみあいさんじゅうねん編集へんしゅう会議かいぎ名古屋なごやこう管理かんり組合くみあいさんじゅうねん名古屋なごやこう管理かんり組合くみあい、1984ねん3がつ30にち 
  • 名古屋なごやこう編集へんしゅう委員いいんかい名古屋なごやこう 建設けんせつへん名古屋なごやこう管理かんり組合くみあい、1990ねん3がつ31にち 
  • 建設省けんせつしょう中部ちゅうぶ地方ちほう建設けんせつきょく 名四めいし国道こくどう工事こうじ事務所じむしょさんじゅうねんのあゆみ』めい四国しこくどう工事こうじ事務所じむしょ、1989ねん 
  • 名古屋なごやこう管理かんり組合くみあい『Port of Nagoya 2016-2017』名古屋なごやこう管理かんり組合くみあい、2016ねん9がつ 
  • 名古屋なごやこう編集へんしゅう『Port of Nagoya 名古屋なごやこう利用りよう促進そくしん協議きょうぎかい設立せつりつ25周年しゅうねん 名古屋なごやこう開港かいこう100周年しゅうねん名古屋なごやこう利用りよう促進そくしん協議きょうぎかい、2008ねん3がつ31にち 
  • 藤原ふじわらみのる久保田くぼた宗孝むねたか菅谷すがやこう寺田てらだひろしあきらだい8かん はし世界せかい株式会社かぶしきがいしゃ山海さんかいどう〈ニューコンストラクションシリーズ〉、1994ねん6がつ30にちISBN 438108196X 
  • ぎょうせい道路どうろ法令ほうれい総覧そうらん 平成へいせい28年版ねんばん』2015ねんISBN 978-4-324-10011-0 
  • 土木どぼく学会がっかい田中たなかしょう選考せんこう委員いいんかいへん『Bridges 田中たなかしょうはし』(鹿島かしま出版しゅっぱんかいかん)、1999ねん9がつ1にちISBN 4306023338 
  • 塩井しおいみゆきたけ長大ちょうだいきょう科学かがく ゆめ実現じつげん進化しんかしてきたはしづくりの技術ぎじゅつ歴史れきしをひもとく』(SBクリエイティブ株式会社かぶしきがいしゃ)〈サイエンス・アイ新書しんしょ〉、2014ねん8がつ25にちISBN 978-4-7973-6200-8 
  • 長井ながい正嗣まさつぐ井澤いざわまもる中村なかむらひろしはすはりきょう基本きほん計画けいかく設計せっけいほう森北もりきた出版しゅっぱん株式会社かぶしきがいしゃ、1997ねん11月13にちISBN 4-627-48461-5 
  • 日経にっけいBPしゃ「フラッシュ 着工ちゃっこうから8ねんあまりで開通かいつう 最終さいしゅう事業じぎょうは2210おくえん」『日経にっけいコンストラクション』だい206かん日経にっけいBPしゃ、1998ねん4がつ24にち、100-103ぺーじ 
  • 神作かんさくひろし色彩しきさい機能きのう役割やくわり社会しゃかい環境かんきょうにおいて総合そうごうてき的確てきかく位置いちづけられているか?」『日本にっぽん色彩しきさい学会がっかいだい15かんだい2ごう、1991ねん9がつ1にち、96ぺーじ 

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]