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三重みえ県立けんりつ図書館としょかん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
三重みえ県立けんりつ図書館としょかん
Mie Prefectural Library
施設しせつ情報じょうほう
正式せいしき名称めいしょう 三重みえ県立けんりつ図書館としょかん
愛称あいしょう 県立けんりつ図書館としょかん
専門せんもん分野ぶんや 総合そうごう
事業じぎょう主体しゅたい 三重みえけん
管理かんり運営うんえい 三重みえけん教育きょういく委員いいんかい/三重みえけん生活せいかつ環境かんきょう[1]
のべゆか面積めんせき 5,332[2] m2
開館かいかん 1939ねん昭和しょうわ14ねん7がつ20日はつか[3]
所在地しょざいち 514-0061
三重みえけん一身田上津部田いしんでんこうずべた1234
三重みえけん総合そうごう文化ぶんかセンターうち
位置いち 北緯ほくい3444ふん37.5びょう 東経とうけい13630ふん2.8びょう / 北緯ほくい34.743750 東経とうけい136.500778 / 34.743750; 136.500778座標ざひょう: 北緯ほくい3444ふん37.5びょう 東経とうけい13630ふん2.8びょう / 北緯ほくい34.743750 東経とうけい136.500778 / 34.743750; 136.500778
ISIL JP-1002003
統計とうけい情報じょうほう
蔵書ぞうしょすう 853,114さつ(2014ねん3がつ31にち[4]時点じてん
貸出かしだしすう 338,450さつ(2013年度ねんど[5]
来館らいかんしゃすう 332,426にん(2013年度ねんど[5]
とし運営うんえい 30,140せんえん(2014年度ねんど資料しりょう予算よさん[6]
条例じょうれい 三重みえけん総合そうごう文化ぶんかセンター条例じょうれい平成へいせい6ねん3がつ29にち三重みえけん条例じょうれいだい5ごう
公式こうしきサイト 三重みえ県立けんりつ図書館としょかん
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地図
プロジェクト:GLAM - プロジェクト:図書館としょかん
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三重みえ県立けんりつ図書館としょかん(みえけんりつとしょかん、Mie Prefectural Library)は、三重みえけんにある三重みえ県立けんりつ公共こうきょう図書館としょかん1939ねん昭和しょうわ14ねん)の開館かいかん以来いらい三重みえけんにおける中心ちゅうしんてき図書館としょかんとして機能きのう[3]1987ねん昭和しょうわ62ねん)に図書館としょかん開館かいかんする[7]までは、市民しみん公共こうきょう図書館としょかんとしての役割やくわりたしてきた[8]高度こうど専門せんもんしょ収集しゅうしゅう県立けんりつ図書館としょかんにない、図書館としょかんでは日常にちじょうてき利用りようする図書としょ収集しゅうしゅうおこなうという役割やくわり分担ぶんたん実施じっしされている[9]

沿革えんかく[編集へんしゅう]

三重みえ県立けんりつ図書館としょかん成立せいりつ大戦たいせん(1939ねん - 1945ねん[編集へんしゅう]

1880ねん明治めいじ13ねん)、官製かんせい三重みえけん教育きょういくかい発足ほっそくし、その県内けんないかくぐんぐん教育きょういくかい設立せつりつされていった[10]教育きょういくかい附属ふぞく図書館としょかんもうけ、地域ちいき文化ぶんか向上こうじょう貢献こうけんした[10]三重みえけん教育きょういくかい三重みえけん教育きょういくかい図書館としょかん運営うんえいしていたが、開館かいかん時期じき不明ふめいである[11]1916ねん大正たいしょう5ねん)から1917ねん大正たいしょう6ねんごろには公園こうえんにあり、その丸之内まるのうち本町ほんちょうどおりにあった商工しょうこう会議かいぎしょ跡地あとちうつった[11]図書館としょかん建物たてものは3かいての洋風ようふう建築けんちくで、1かい書庫しょこ新聞しんぶん閲覧えつらんしつ、2かい一般いっぱん閲覧えつらんしつ充当じゅうとうされていた[11]

1933ねん昭和しょうわ8ねん6月30にち図書館としょかんれい公立こうりつ図書館としょかん職員しょくいんれい改正かいせいによる図書館としょかんたいする一般人いっぱんじん認識にんしき向上こうじょうなどをけ、県立けんりつ図書館としょかん設置せっちもとめるこえたかまり、同年どうねん12月10にち三重みえ県議会けんぎかい図書館としょかん建設けんせつ55,000えん承認しょうにん、3ねん計画けいかく費用ひよう拠出きょしゅつすることを決定けっていした[12]1937ねん昭和しょうわ12ねん1がつ16にち文部省もんぶしょう三重みえ県立けんりつ図書館としょかん設立せつりつ認可にんか[13]同年どうねん4がつ三重みえけん教育きょういく会館かいかん図書館としょかんから10,714さついでかり事務所じむしょ工芸こうげい学校がっこうあと開設かいせつした[2]かり事務所じむしょ愛宕あたごまちとうかわ沿いにあった[13]職員しょくいんなべ館長かんちょう以下いかけい11にんであった[13]同年どうねん11月19にちに「三重みえ県立けんりつ図書館としょかんそく」が発布はっぷされ、よく11月20にちより閲覧えつらん業務ぎょうむ開始かいしした[13]。なお、蔵書ぞうしょ三重みえ県立けんりつ図書館としょかん寄贈きぞうした三重みえけん教育きょういくかい図書館としょかんはこのとし閉館へいかんした[11]

1939ねん昭和しょうわ14ねん)5がつ官舎かんしゃ2むねのあった西裏にしうらげん北丸之内きたまるのうち)のとうかわ沿いに2かい[ちゅう 1]タイルりの図書館としょかん落成らくせいし、7がつ20日はつか業務ぎょうむ開始かいしした[13]開館かいかん直前ちょくぜん7がつ14にち三重みえけん中央ちゅうおう図書館としょかん指定していされている[3]業務ぎょうむ同年どうねん9がつより開始かいしした[2]1940ねん昭和しょうわ15ねん)には当時とうじとしてはめずらしい巡回じゅんかい文庫ぶんこはじ[2]なべ館長かんちょうみずかさんじゅう県内けんない踏破とうは郷土きょうど資料しりょう収集しゅうしゅうすすめる[14]など、活発かっぱつ活動かつどう展開てんかいした[2]。また中央ちゅうおう図書館としょかん指定していけて県内けんないかく図書館としょかんとのむすきができたことから、同年どうねん5がつ三重みえけん図書館としょかん協会きょうかい結成けっせいし、読書どくしょ普及ふきゅう職員しょくいん研修けんしゅう推進すいしんした[14]

しかしだい世界せかい大戦たいせんによる戦局せんきょく悪化あっかともない、三重みえ県立けんりつ図書館としょかんでも蔵書ぞうしょ疎開そかいらざるをなくなり、三重みえ県立けんりつ中学校ちゅうがっこうげん三重みえ県立けんりつ高等こうとう学校がっこう)の生徒せいと奉仕ほうしにより、近隣きんりん寺院じいんなどへ貴重きちょうしょ郷土きょうど資料しりょう疎開そかいした[14]1945ねん昭和しょうわ20ねん)7がつ15にち疎開そかいえてのこった蔵書ぞうしょ閲覧えつらん業務ぎょうむ再開さいかいするも、7がつ28にちよる空襲くうしゅう建物たてもの焼失しょうしつ[14]、19,000さつ図書としょうしなった[2]疎開そかいした図書としょ焼失しょうしつけることはできず、のこったのは安濃あのうぐん安濃あのうむららい照寺しょうじなど8かしょうつしたわずかな図書としょだけであった[15]

戦後せんご復興ふっこう(1946ねん - 1950ねん[編集へんしゅう]

戦災せんさい建物たてものうしなった三重みえ県立けんりつ図書館としょかんは、一志いちしぐんだいさんむら事務所じむしょいて執務しつむする状態じょうたいであったが、1946ねん昭和しょうわ21ねん)になると図書館としょかん再開さいかいのぞこえがりはじめ、三重みえ師範しはん学校がっこう附属ふぞく国民こくみん学校がっこう[ちゅう 2]げん三重大学みえだいがく教育きょういく学部がくぶ附属ふぞく小学校しょうがっこう)の教室きょうしつ一部いちぶ借用しゃくようして再開さいかいする方針ほうしん三重みえ県庁けんちょう内政ないせい教育きょういくかためた[15]。そして新規しんき購入こうにゅうしたものをふくめたかん所有しょゆう9,000さつ県立けんりつ図書館としょかんへの委託いたく図書としょ8,300さつけい17,300さつをもって1946ねん昭和しょうわ21ねん)8がつ附属ふぞく国民こくみん学校がっこうない業務ぎょうむ開始かいし9月2にちより閲覧えつらん業務ぎょうむ再開さいかいした[16]。9月の閲覧えつらんしゃすうは1,014にん貸出かしだし冊数さっすうは1,528さつであった[17]

1947ねん昭和しょうわ22ねん)7がつ三重みえ県議会けんぎかい知事ちじ青木あおきさとしは、県立けんりつ図書館としょかん総合そうごうてき文化ぶんか施設しせつとし、三重みえけんにおける文化ぶんか運動うんどう中心ちゅうしんとする構想こうそう表明ひょうめいした[18]。この構想こうそう議会ぎかいでも図書館としょかん関係かんけいしゃあいだでもれられ、早速さっそく新館しんかん建設けんせつ場所ばしょ検討けんとうされた[19]。その結果けっか当時とうじ県立けんりつ図書館としょかんちょうであった富山とみやま好一よしかず提案ていあんした丸之内まるのうちじょうあとえらばれ、地主じぬしであったもとはん主家しゅか藤堂とうどうから15まんえんで4,846m2土地とち1948ねん昭和しょうわ23ねん5月8にち購入こうにゅう同年どうねん6がつ10日とおかから波多野はたの喜太郎きたろうって建設けんせつ工事こうじ開始かいしした[19]新館しんかん同年どうねん12月11にち竣工しゅんこうし、そう工費こうひは2,736,417えんであった[19]

新館しんかん鈴鹿すずか海軍かいぐん工廠こうしょう食堂しょくどうりょうとして使つかわれていたざいはらげをけた木造もくぞう2かいて、のべゆか面積めんせき1,150m2建物たてもので、1かい閲覧えつらんしつ館長かんちょうしつ書庫しょこ製本せいほんしつ喫茶きっさしつなどをもうけ、2かい展示てんじしつ研究けんきゅうしつ講堂こうどうとして利用りようした[20]落成らくせいしき1949ねん昭和しょうわ24ねん2がつ15にち挙行きょこうしたが、一足早ひとあしはや1がつ31にちから閲覧えつらん業務ぎょうむ開始かいししていた[21]講堂こうどうでは音楽おんがくかい映写えいしゃかいなどの文化ぶんか行事ぎょうじひらかれ、研究けんきゅうしつ青年せいねんだんなどに利用りようされるなど、青木あおき知事ちじ構想こうそう実現じつげんすることとなった[22]。1949ねん昭和しょうわ24ねん蔵書ぞうしょすうは23,664さつ、1にち平均へいきん閲覧えつらんしゃすうは97にんといずれも三重みえ県内けんない図書館としょかんでは首位しゅいであり、図書館としょかん経費けいひ四日市よっかいち市立しりつ図書館としょかんだい2であった[23]よく1950ねん昭和しょうわ25ねんには蔵書ぞうしょすう26,489さつ、1にち平均へいきん閲覧えつらんしゃすう219にん成長せいちょうし、2かい施設しせつ利用りよう年間ねんかん380けん展示てんじしつでの展覧てんらんかいとし12かいけい12,928にん来場らいじょうしゃあつめ、おおいに利用りようされていた[24]

三重みえCIE文庫ぶんこ(1947ねん - 1949ねん[編集へんしゅう]

1947ねん昭和しょうわ22ねん1がつ22にち県立けんりつ図書館としょかん分館ぶんかんとして広明こうめいまちCIE文庫ぶんこ開設かいせつされ、公募こうぼにより「マッカーサー文庫ぶんこ」と命名めいめいされた[25]蔵書ぞうしょ県立けんりつ図書館としょかん本館ほんかんからうつされた教育きょういくしょ300さつ三重みえ軍政ぐんせい寄贈きぞう英語えいご図書としょ743さつ雑誌ざっし16しゅ247さつ構成こうせいされ、1にち平均へいきん35にん利用りようきょうした[25]。マッカーサー文庫ぶんこは1947ねん昭和しょうわ22ねん3がつ20日はつか三重みえCIE文庫ぶんこ改称かいしょう、1949ねん昭和しょうわ24ねん)4がつ県立けんりつ図書館としょかん本館ほんかん統合とうごうされた[25]

三重みえCIE文庫ぶんこ民間みんかん情報じょうほう教育きょういくきょく(CIE)から派遣はけんされた2人ふたりアメリカじんと4にん日本人にっぽんじん事務じむいん運営うんえいにあたり、毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ支局しきょくきょくしゃ転用てんようしていた[25]。1948ねん昭和しょうわ23ねん)には広報こうほうしつやフィルムライブラリーを設置せっちした[25]本館ほんかんへの統合とうごう建物たてもの毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ支局しきょくもどった[25]

図書館としょかん充実じゅうじつ発展はってん(1951ねん - 1967ねん[編集へんしゅう]

設備せつびととのった県立けんりつ図書館としょかんつぎ衝突しょうとつしたかべは、図書館としょかんほうさだめる最低さいてい基準きじゅんであった[26]利用りよう実績じっせきこそ好調こうちょうであったものの、ゆか面積めんせき最低さいてい基準きじゅんより85つぼ(≒281m2不足ふそくし、41まんえん図書としょ三重みえ県立けんりつ高等こうとう学校がっこう図書としょ購入こうにゅう費用ひよう(61まんえん)すら下回したまわ有様ありさまで、1951ねん昭和しょうわ26ねん)12月の県議会けんぎかい議員ぎいんから指摘してきけるにいたった[26]。これをけたけん図書館としょかん予算よさん増額ぞうがくすすめ、1952ねん昭和しょうわ27ねんに472まんえんだったものが1954ねん昭和しょうわ29ねんには725まんえんまでびたが、都道府県とどうふけんりつ図書館としょかん比較ひかくすると最低さいてい水準すいじゅんであることにわりはなかった[27]

一方いっぽう、サービスめんでは1951ねん昭和しょうわ26ねん)11月に出納すいとうしきから開架かいかしきえ、1952ねん昭和しょうわ27ねん)より日本にっぽんじゅうしん分類ぶんるいほう3はんから6はんへの移行いこう蔵書ぞうしょ目録もくろく作成さくせい貸出かしだし文庫ぶんこ充実じゅうじつ実行じっこうし、1955ねん昭和しょうわ30ねん1がつ19にちから移動いどう図書館としょかん[ちゅう 3]「ともしびごう」の運行うんこう開始かいしし、県内けんない各地かくちもうけた43ステーションを巡回じゅんかいした[29]。ステーションは1965ねん昭和しょうわ40ねん)には94かしょまで増加ぞうかし、どう年度ねんど利用りようしゃは45,500にんおよんだ[30]移動いどう図書館としょかん県内けんない各地かくち読書どくしょグループが結成けっせいされる契機けいきともなり、1965ねん昭和しょうわ40ねん)の記録きろくによると113団体だんたい5,627にん三重みえ県内けんない活動かつどうおこなっていた[31]県立けんりつ図書館としょかんでも読書どくしょグループの利用りようこたえるため、おなほんを10さつセットにした読書どくしょかいようのテキストを準備じゅんびし、1959ねん昭和しょうわ34ねん)からは読書どくしょグループのもとめにおうじて図書館としょかん職員しょくいん出張しゅっちょうして指導しどうおこなうサービスを開始かいしした[31]さら1960ねん昭和しょうわ35ねん)11月には県内けんない読書どくしょグループの交歓こうかんかい発足ほっそくし、そこから派生はせいして1963ねん昭和しょうわ38ねん)の『図書館としょかんだより』創刊そうかん1964ねん昭和しょうわ39ねん)の読書どくしょかい機関きかん『つどい』の創刊そうかんへとつながった[31]

また1958ねん昭和しょうわ33ねん)3がつには移動いどう図書館としょかん連動れんどうする配本はいほんしょ県内けんない7かしょもうけ、1959ねん昭和しょうわ34ねん)5がつから1年間ねんかんラジオさんじゅう東海ラジオ放送とうかいらじおほうそう前身ぜんしん企業きぎょうの1しゃ)で県立けんりつ図書館としょかん新刊しんかん案内あんない放送ほうそうした[28]同年どうねん伊勢湾いせわん台風たいふう発生はっせいしたとしでもあったため、被災ひさいしゃのために「慰問いもん文庫ぶんこ」を臨時りんじ開設かいせつした[28]

1960ねん昭和しょうわ35ねん蔵書ぞうしょすうは51,866さつ閲覧えつらんしゃすうは58,268にんで、1965ねん昭和しょうわ40ねん蔵書ぞうしょすうは78,110さつ閲覧えつらんしゃすうは76,904にんりょう年度ねんどとも蔵書ぞうしょすう神宮じんぐう文庫ぶんこ県内けんないだい2閲覧えつらんしゃすう県内けんない首位しゅいであった[32]。しかし、1960ねん昭和しょうわ35ねん時点じてんで、三重みえ県立けんりつ図書館としょかん都道府県とどうふけんりつ図書館としょかんなか蔵書ぞうしょすう最下位さいかいであり、職員しょくいんすう都道府県とどうふけんりつ図書館としょかん全国ぜんこく平均へいきん半分はんぶんの16にんしかおらず、依然いぜんとして全国ぜんこく最低さいてい水準すいじゅんだっすることはできていなかった[28]。また建物たてもの図書館としょかんとしての構造こうぞう適格てきかくかつ老朽ろうきゅうしていることも問題もんだいされた[28]

尾鷲おわせ熊野くまの分館ぶんかん(1957ねん - 1964ねん[編集へんしゅう]

1957ねん昭和しょうわ32ねん10月1にち尾鷲おわせ分館ぶんかん尾鷲おわせ市立しりつ図書館としょかんうち設置せっち[33]よく1958ねん昭和しょうわ33ねん12月27にち熊野くまの分館ぶんかん熊野くまの木本もくほん公会堂こうかいどう設置せっち[33]熊野くまの中央ちゅうおう公民館こうみんかん図書としょげん熊野くまの市立しりつ図書館としょかん)に業務ぎょうむ委託いたくした[34]1961ねん昭和しょうわ36ねん蔵書ぞうしょすう尾鷲おわせが1,303さつ熊野くまのが3,485さつで、閲覧えつらんしゃすう尾鷲おわせが3,782にん熊野くまのが9,554にんであった[33]尾鷲おわせ熊野くまの両分りょうぶんかん1964ねん昭和しょうわ39ねん)3がつけん財政ざいせい問題もんだいにより閉館へいかんした[33]

広明こうめいまち時代じだい(1967ねん - 1994ねん[編集へんしゅう]

城内じょうない県立けんりつ図書館としょかんは、構造こうぞうじょう図書館としょかん不向ふむきで、なおかつ老朽ろうきゅう進行しんこうしていたため、1962ねん昭和しょうわ37ねん)に当時とうじ館長かんちょう井崎いざき清雄きよおみずかしん図書館としょかん建設けんせつ計画けいかく設計せっけい作成さくせい新館しんかん建設けんせつせまったが、1964ねん昭和しょうわ39ねん)に尾鷲おわせ熊野くまの分館ぶんかん閉鎖へいさせねばならないほど三重みえけん財政ざいせい事情じじょういかめしかったため、実現じつげんしなかった[35]県立けんりつ図書館としょかんがわはこの1けんあきらめたわけではなく、つぎさかい貞一さだいち館長かんちょう計画けいかくいだ[36]。こうしたおり都市とし公園こうえんほう規定きていにより1966ねん昭和しょうわ41ねん10月15にちまでに土地とちわたさねばならないことが判明はんめいし、1965ねん昭和しょうわ40ねん)6がつ県議会けんぎかい三重みえけん図書館としょかん協会きょうかいなどから提出ていしゅつされた陳述ちんじゅつしょ採択さいたくするかたち建設けんせつ計画けいかく検討けんとうはじめた[36]同年どうねん7がつ13にち毎日新聞まいにちしんぶん記者きしゃ同紙どうしで「三重みえけん庁舎ちょうしゃ立派りっぱさにたいして図書館としょかん貧弱ひんじゃくさが目立めだち、文化ぶんか行政ぎょうせい貧困ひんこんさが痛感つうかんされる」とき、図書館としょかん建設けんせつけた世論せろん喚起かんきしたことも援護えんご射撃しゃげきとなり、三重みえけん教育きょういく委員いいんかい同年どうねん9がつ新築しんちく移転いてん決定けってい紆余曲折うよきょくせつ偕楽公園こうえんにあった三重みえ県立けんりつ博物館はくぶつかん三重みえけん総合そうごう博物館はくぶつかん前身ぜんしん隣接りんせつ建設けんせつすることとなった[36]

こうして1967ねん昭和しょうわ42ねん)3がつ広明こうめいまち新館しんかん完成かんせいした[2]1978ねん昭和しょうわ53ねん)7がつ郷土きょうど資料しりょうしつ開設かいせつ[37]1984ねん昭和しょうわ59ねん)の巡回じゅんかい文庫ぶんこ再開さいかい1985ねん昭和しょうわ60ねん)の協力きょうりょくしゃ巡回じゅんかい事業じぎょう開始かいし同和どうわ問題もんだい関係かんけい図書としょコーナー開設かいせつおこない、利便りべんせい向上こうじょうさせてきた[2]

けんぶんへ(1994ねん - )[編集へんしゅう]

1994ねん平成へいせい6ねん10月7にち[38]広明こうめいまち図書館としょかん手狭てぜまになったとして郊外こうがい移転いてん三重みえけん総合そうごう文化ぶんかセンター(けんぶんないにのべ5,332m2しん図書館としょかん開館かいかんした[2]館内かんないには対面たいめん朗読ろうどくしつ燻蒸くんじょうよう消毒しょうどくしつ郷土きょうど作家さっか郷土きょうど文学ぶんがく紹介しょうかいする「文学ぶんがくコーナー」が設置せっちされ、コンピュータによるしと蔵書ぞうしょ検索けんさく提供ていきょうし、県内けんない4つの市町しちょう村立そんりつ図書館としょかん、1つの大学だいがく図書館としょかんあいだオンラインむすばれた[38]移転いてんからあいだもない図書館としょかんおとずれた海野うみのひろしは「ぜいたくなほどゆったりしたスペース」とひょうしている[39]新館しんかん開館かいかんした1994ねん平成へいせい6ねん)は三重みえけんまち村立そんりつ図書館としょかん図書としょしつ開館かいかんラッシュのとしで、美里みさとむら文化ぶんかセンター図書としょしつげん美里みさと図書館としょかん)、香良洲からす町立ちょうりつきらめき図書館としょかんげんきらめき図書館としょかん)、多気たき町立ちょうりつ図書館としょかんげん多気たき町立ちょうりつ多気たき図書館としょかん)、阿児あご町立ちょうりつ図書館としょかんげん志摩しま市立しりつ図書館としょかん本館ほんかん)、浜島はまじま生涯しょうがい学習がくしゅうセンター図書としょしつげん志摩しま市立しりつ図書館としょかん浜島はまじま図書としょしつ)が相次あいついで開館かいかんしている[38]。1999ねん平成へいせい11ねん)には「三重みえけん図書館としょかん情報じょうほうネットワーク」(MILAI)をげ、インターネットを利用りようして県内けんない図書館としょかん蔵書ぞうしょ一括いっかつ検索けんさくし、最寄もよ図書館としょかんせできるシステムを構築こうちくした[40]

2004ねん平成へいせい16ねん)10がつ図書館としょかんシステムの開発かいはつ委託いたくされていた業者ぎょうしゃ[ちゅう 4]無断むだんでデータをコピーして自宅じたく作業さぎょうおこなっていたところはいられ、ノートパソコンぬすまれたことで図書館としょかん利用りようしゃ13まんにんのデータが流出りゅうしゅつする事件じけん発生はっせいした[41]ぬすまれたデータにふくまれていた個人こじん情報じょうほう氏名しめい生年月日せいねんがっぴ住所じゅうしょなどで、貸出かしだし情報じょうほうについてはべつファイルかつ資料しりょう番号ばんごうのみだったので、だれがどんなほんりていたかは特定とくていできるものではなかった[43]

施設しせつ[編集へんしゅう]

三重みえけん総合そうごう文化ぶんかセンター生涯しょうがい学習がくしゅうとう地階ちかい・1かいと2かい一部いちぶめている。

地階ちかい[編集へんしゅう]

  • 閉架書庫しょこ - 非公開ひこうかい収納しゅうのうりょくはおよそ100まんさつである。書庫しょこ収納しゅうのうされているもっとふる新聞しんぶんは1885ねん明治めいじ18ねん)のもので、江戸えど時代じだい和装わそうほん巻物まきもの収蔵しゅうぞうしている[40]

1かい[編集へんしゅう]

1かい開架かいか閲覧えつらんしつ
  • 開架かいか閲覧えつらんしつ - やく10まんさつ一般いっぱん図書としょがある。
  • 参考さんこう資料しりょうコーナー - 辞典じてん年鑑ねんかんなど調査ちょうさ研究けんきゅうのための参考さんこう図書としょおよそ6000さつすべきん帯出たいしゅつ
  • 地域ちいき資料しりょうコーナー - 三重みえけんかんするさまざまなジャンルの資料しりょう閲覧えつらん可能かのう[40]歴史れきし地理ちりほか産業さんぎょう民俗みんぞく文学ぶんがくとう多岐たきにわたり[40]とく伊勢神宮いせじんぐうほんきょ宣長のりなが伊賀いがりゅう松尾まつお芭蕉ばしょうかんする資料しりょうおお[44]三重みえ県内けんない発行はっこう雑誌ざっし三重みえけんかく市町村しちょうそん刊行かんこうぶつ所蔵しょぞうする。すべきん帯出たいしゅつ
  • 三重みえでくらす くらしコーナー - 3ヶ月かげつごと日常にちじょう生活せいかつ身近みぢかなテーマを設定せっていし、関連かんれん書籍しょせき行政ぎょうせいのパンフレットなどがあつめられている。
  • 児童じどうコーナー - 絵本えほん児童じどうしょなどがある。
  • はなしコーナー - だい1 - 4土曜日どようび絵本えほん英語えいご絵本えほんもある)のかせや、おはなしかいボランティアとのおはなしかいおこなわれる。
  • マイクロリーダーしつ - 伊勢いせ新聞しんぶん朝日新聞あさひしんぶんさん重版じゅうはん三重みえけん統計とうけいしょ公報こうほう和漢わかんせき古文書こもんじょなどのマイクロフィルム記録きろくされた画像がぞう閲覧えつらん複写ふくしゃ有償ゆうしょう)できる。使用しよう機器ききが1だいしかないため、事前じぜん予約よやく推奨すいしょうされている。
  • 対面たいめん朗読ろうどくしつ - 視覚しかく障害しょうがいしゃのために、職員しょくいんがマンツーマンで図書としょ朗読ろうどくする。予約よやくせい

2かい[編集へんしゅう]

2かい文学ぶんがくコーナー
  • 文学ぶんがくコーナー
  • 読書どくしょ振興しんこうしつ - 読書どくしょかいよう利用りようできる会議かいぎしつ。1ヶ月かげつまえまでによう予約よやく
  • セット文庫ぶんこしつ - 読書どくしょかい学校がっこう図書館としょかんでの利用りようはかるため、どういち図書としょを10さつ単位たんい所蔵しょぞう貸出かしだし期間きかん1ヶ月かげつ貸出かしだし期間きかん終了しゅうりょうまえ申請しんせいし、つぎ予約よやくがなければ1ヶ月かげつ延長えんちょう可能かのう)。
  • 資料しりょう研究けんきゅうしつ

文学ぶんがくコーナー[編集へんしゅう]

鳥羽とっぱ神島かみしま舞台ぶたいとした三島みしま由紀夫ゆきお潮騒しおさい』のはつ版本はんぽんなど、三重みえけんえんのある文学ぶんがくしゃ文学ぶんがく作品さくひんかんする資料しりょう所蔵しょぞう常設じょうせつ展示てんじ企画きかくてんなどをおこなっている。資料しりょう所蔵しょぞうされているおも文学ぶんがくしゃとう以下いかとおり。

俳人はいじん俳諧はいかい
歌人かじん
詩人しじん
小説しょうせつ随筆ずいひつ
国学こくがくしゃ

利用りよう案内あんない[編集へんしゅう]

  • 貸出かしだし制限せいげん - 居住きょじゅう制限せいげんとくにない。
    • 1994ねん平成へいせい6ねん)の三重みえけん総合そうごう文化ぶんかセンターへの移転いてん住所じゅうしょ要件ようけん撤廃てっぱいした[38]
  • 貸出かしだし可能かのう点数てんすう - 5さつ
  • 貸出かしだし可能かのう期間きかん - 15日間にちかん延長えんちょうは1かいのみ
  • 返却へんきゃく場所ばしょ - カウンター、ブックポスト図書館としょかんまえアスト3かいにある)、三重みえけん総合そうごう文化ぶんかセンター総合そうごう案内あんないしょ三重みえ県内けんない図書館としょかん図書としょしつなど
  • 開館かいかん時間じかん - 9から19まで
  • 休館きゅうかん - 月曜日げつようび祝日しゅくじつ場合ばあいはその直後ちょくご平日へいじつ)、月末げつまつにちしゅく場合ばあいはその直前ちょくぜん平日へいじつ)、年末年始ねんまつねんし特別とくべつ整理せいり期間きかん
  • 予約よやく、オンライン予約よやくせ、レファレンスサービス複写ふくしゃ郵送ゆうそう複写ふくしゃ利用りよう可能かのう

交通こうつうアクセス[編集へんしゅう]

特色とくしょく[編集へんしゅう]

三重みえ県立けんりつ図書館としょかん所管しょかん三重みえけん教育きょういく委員いいんかいであるが、地方ちほう自治じちほう事務じむ一部いちぶ首長しゅちょう委任いにんできる規定きてい適用てきようして、運営うんえい知事ちじ部局ぶきょく三重みえけん環境かんきょう生活せいかつおこなっている[1]知事ちじ部局ぶきょく運営うんえい移管いかんしたことで三重みえけん総合そうごう博物館はくぶつかんなどと共通きょうつうテーマで展示てんじができるようになり、2016ねん平成へいせい28ねん)には忍者にんじゃ2017ねん平成へいせい29ねん)にはオリンピックパラリンピック題材だいざいとした[1]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 当初とうしょは3かいての予定よていであったが、物価高ぶっかだかにより2かいてに規模きぼ縮小しゅくしょうした[13]
  2. ^ 2017ねん現在げんざい市役所しやくしょ位置いちにあった[15]
  3. ^ 県立けんりつ図書館としょかんでは「自動車じどうしゃ文庫ぶんこ」と呼称こしょうしていた[28]
  4. ^ 受注じゅちゅう業者ぎょうしゃNEC)から下請したうけ(NECシステムテクノロジー)にされ、さらまごけ(中部ちゅうぶ日本電気にほんでんきソフトウェア)にされていた[41]。これらの会社かいしゃなかにはプライバシーマーク取得しゅとく企業きぎょうふくまれている[42]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 博物館はくぶつかん図書館としょかん、「移管いかん」で地域ちいき活性かっせい 中教審ちゅうきょうしん議論ぎろん”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん (2018ねん4がつ9にち). 2018ねん11月17にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f g h i 清水しみず 1996, p. 12.
  3. ^ a b c 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1981, p. 1019.
  4. ^ 三重みえ県立けんりつ図書館としょかん/図書館としょかん概要がいよう統計とうけい 平成へいせい25年度ねんど利用りよう統計とうけい”. 平成へいせい27年度ねんど三重みえけん統計とうけいしょ. 三重みえけん戦略せんりゃく企画きかく統計とうけい分析ぶんせき情報じょうほうはん. 2015ねん11月1にち閲覧えつらん
  5. ^ a b 201.公共こうきょう図書館としょかん”. 三重みえ県立けんりつ図書館としょかん. 2015ねん11月1にち閲覧えつらん
  6. ^ 速報そくほう 都道府県とどうふけんりつ図書館としょかん政令せいれい指定してい都市とし図書館としょかんの2014年度ねんど資料しりょう予算よさんがく”. 2015ねん11月1にち閲覧えつらん
  7. ^ 清水しみず 1996, pp. 41–42.
  8. ^ 中野なかの 1978, p. 35, 37.
  9. ^ 山田やまだ 2011, p. 11.
  10. ^ a b 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1980, p. 1176.
  11. ^ a b c d 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1981, p. 490.
  12. ^ 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1981, p. 1009.
  13. ^ a b c d e f 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1981, p. 1010.
  14. ^ a b c d 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1981, p. 1020.
  15. ^ a b c 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, p. 645.
  16. ^ 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, pp. 645–647.
  17. ^ 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, p. 647.
  18. ^ 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, pp. 648–649.
  19. ^ a b c 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, p. 649.
  20. ^ 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, pp. 649–650.
  21. ^ 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, p. 650.
  22. ^ 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, pp. 650–651.
  23. ^ 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, p. 646.
  24. ^ 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, p. 651.
  25. ^ a b c d e f 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, p. 648.
  26. ^ a b 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, pp. 651–652.
  27. ^ 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, pp. 652–653.
  28. ^ a b c d e 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, p. 1036.
  29. ^ 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, pp. 652–653, 1037.
  30. ^ 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, p. 1037.
  31. ^ a b c 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, p. 1038.
  32. ^ 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, p. 1034.
  33. ^ a b c d 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, p. 1033.
  34. ^ 熊野くまの編纂へんさん委員いいんかい へん 1983, p. 855.
  35. ^ 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, p. 1033, 1039.
  36. ^ a b c 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん 1982, p. 1039.
  37. ^ 三重みえ県立けんりつ図書館としょかん公式こうしきホームページ、「沿革えんかく」(2015ねん10がつ15にち)、2015ねん12月12にち閲覧えつらん
  38. ^ a b c d 三谷みたに 1995, p. 43.
  39. ^ 海野うみの 1995, p. 213.
  40. ^ a b c d 松上まつがみ 2011, p. 11.
  41. ^ a b 田中たなか 2005, p. 4.
  42. ^ 田中たなか 2005, pp. 8–9.
  43. ^ 田中たなか 2005, pp. 4–5.
  44. ^ 海野うみの 1995, pp. 213–215.
  45. ^ 利用りよう案内あんない”. 三重みえ県立けんりつ図書館としょかん. 2018ねん11月17にち閲覧えつらん
  46. ^ 来館らいかんできないほう”. 三重みえ県立けんりつ図書館としょかん. 2018ねん11月17にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 海野うみのひろし日本にっぽん図書館としょかん紀行きこうマガジンハウス、1995ねん10がつ19にち、234ぺーじISBN 4-8387-0725-8 
  • 清水しみず正明まさあき三重みえけん図書館としょかんさんいち書房しょぼうけんべつ図書館としょかん案内あんないシリーズ〉、1996ねん4がつ3にち、357ぺーじISBN 4-380-96229-6 
  • 田中たなか敦司あつし図書館としょかん利用りようしゃ情報じょうほう流出りゅうしゅつ問題もんだいとその―2つの事件じけんをめぐって」『みんなの図書館としょかんだい333ごう教育きょういく史料しりょう出版しゅっぱんかい、2005ねん1がつ、2-10ぺーじNAID 40006550381 
  • 中野なかのイツ「市立しりつ図書館としょかん設立せつりつ運動うんどうと、および県立けんりつ図書館としょかんとのかかわり」『図書館としょかんかいだい30かんだい1ごう日本にっぽん図書館としょかん研究けんきゅうかい、1978ねん、35-38ぺーじNAID 40002717055 
  • 松上まつがみ由貴子ゆきこいま図書館としょかんがおもしろい。」『すばらしきみえ』だい161ごう百五銀行ひゃくごぎんこう経営けいえい企画きかく広報こうほうCSR、2011ねん4がつ15にち、1-12ぺーじ 
  • 三谷みたに義彦よしひこ ちょ三重みえけん」、社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽん図書館としょかん協会きょうかい図書館としょかん年鑑ねんかん編集へんしゅう委員いいんかい へん へん図書館としょかん年鑑ねんかん 1995』社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽん図書館としょかん協会きょうかい、1995ねん6がつ30にち、43ぺーじISBN 4-8204-9601-8 
  • 山田やまだよろず知代ちよ表紙ひょうしひと使つかった図書館としょかん 図書館としょかん三重みえ県立けんりつ図書館としょかん」『あうる』だい103ごう図書館としょかん学校がっこう、2011ねん10がつ、10-13ぺーじNAID 40019053354 
  • 熊野くまの編纂へんさん委員いいんかい へん へん熊野くまの ちゅうまき熊野くまの、1983ねん3がつ31にち、1377ぺーじ 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:88024262
  • 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん へん三重みえけん教育きょういく だいいちかん三重みえけん教育きょういく委員いいんかい、1980ねん3がつ30にち、1235ぺーじ 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:80043033
  • 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん へん三重みえけん教育きょういく だいかん三重みえ学校がっこう生活協同組合せいかつきょうどうくみあい、1981ねん3がつ30にち、1286ぺーじ 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:82025909
  • 三重みえけん総合そうごう教育きょういくセンター へん へん三重みえけん教育きょういく だいさんかん三重みえけん教育きょういく委員いいんかい、1982ねん3がつ30にち、1107ぺーじ 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:84050499

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]