(Translated by https://www.hiragana.jp/)
呉竹 - Wikipedia コンテンツにスキップ

呉竹くれたけ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社かぶしきがいしゃ 呉竹くれたけ
Kuretake Co.,Ltd.
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
略称りゃくしょう 呉竹くれたけ
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
630-8670
奈良ならけん奈良なら南京終みなみきょうばてまち7丁目ちょうめ576番地ばんち
設立せつりつ 1932ねん昭和しょうわ7ねん)8がつ16にち
創業そうぎょう:1902ねん明治めいじ35ねん)10がつ1にち
法人ほうじん番号ばんごう 7150001000721 ウィキデータを編集
事業じぎょう内容ないよう すみ書道しょどうえき書道しょどう用品ようひん書道しょどうセット、水墨すいぼく用品ようひんてがみ・水彩すいさいスケッチ用品ようひんふでぺん、マーキングペン、カリグラフィーマーカー、店頭てんとうサイン用品ようひん、スクラップブッキング用品ようひん製造せいぞう販売はんばいおよび輸出入ゆしゅつにゅう
代表だいひょうしゃ 代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょう 山際やまぎわよしけい
資本しほんきん 8000まんえん(2021ねん5がつ現在げんざい
従業じゅうぎょう員数いんずう 234めい(2021ねん5がつ現在げんざい
決算けっさん 5月
外部がいぶリンク https://www.kuretake.co.jp/
テンプレートを表示ひょうじ
ふで日和びより

株式会社かぶしきがいしゃ呉竹くれたけ(くれたけ)は、日本にっぽん文具ぶんぐメーカー。以前いぜん社名しゃめい呉竹精昇堂くれたけせいしょうどう本社ほんしゃ奈良ならにあり、奈良ならすみ書道しょどうえきふですずりなどでられるメーカーである。にペン、のり便箋びんせんなどかみ製品せいひん製造せいぞう

近年きんねんは、スクラップブッキングをはじめ、カリグラフィー水彩すいさい絵具えのぐなどクラフト、アート用品ようひん製造せいぞうしており、アメリカや西欧せいおうなど海外かいがい幅広はばひろ事業じぎょう展開てんかいしている。

呉竹くれたけ」はもともとはすみ商品しょうひんめい創業そうぎょうしゃ綿谷わたやすみみのため全国ぜんこく学校がっこうまわっていたさい訪問ほうもんした熊谷くまがい高等こうとう女学校じょがっこう当時とうじ)の校内こうないが「くれちく」であり、綿谷わたやがこれに感銘かんめいけたことから命名めいめいされた[1][2]

歴史れきし

[編集へんしゅう]

せいすみ業者ぎょうしゃとして創業そうぎょう

[編集へんしゅう]

創業そうぎょうしゃである綿谷わたや奈良ならきち(1868ねん - 1947ねん)は、1877ねん明治めいじ10ねんごろから当時とうじ有名ゆうめいせいすみ業者ぎょうしゃであった大森おおもり徳兵衛とくべえみせすみ職人しょくにんとしてはたらき、ぼくづくりの技術ぎじゅつみがいた。その午前ごぜん4時半じはんから正午しょうごまで大森おおもりみせで1にちぶん仕事しごとをしたのち自宅じたく自分じぶんすみつくほかすみ下請したうけで商品しょうひんおさめるようになり、この資金しきんをもとに、それまで三条さんじょうどおおくんでいたいえはらって内侍原なしはらまち1番地ばんち藁葺わらぶきのいえい、1902ねん明治めいじ35ねん)10がつ1にちせいすみ業者ぎょうしゃとして独立どくりつした[3]

奈良ならきち長男ちょうなん綿谷わたやなら太郎たろう(1892ねん - 1956ねん)は小学校しょうがっこう3年生ねんせいから家業かぎょう手伝てつだい、すみ生産せいさん過程かてい習得しゅうとくして生産せいさんめん責任せきにんしゃとなり、二男じなんせん二郎じろうよんなん伍朗ごろう高等こうとう小学校しょうがっこう卒業そつぎょう販売はんばいめん担当たんとうし、ちかくのみせまわるようになる。奈良ならきちつまコマのアイデアで東京とうきょう筆墨ひつぼくおろししょう平安へいあんどう[注釈ちゅうしゃく 1]信用しんよう平安へいあんどうブランドすみ大量たいりょう製造せいぞうし、おおくの利益りえきげることができた[5]

奈良ならきち自社じしゃブランドですみ販売はんばいするため、1924ねん大正たいしょう13ねん)10がつ合名ごうめい会社かいしゃせいのぼりどう商会しょうかい設立せつりつ。この奈良ならきち自身じしん命名めいめいで「精密せいみつ仕事しごと上昇じょうしょうする」という意味いみである。このころしらげのぼりどう全国ぜんこく学校がっこう訪問ほうもんすみんでいたが、1926ねん大正たいしょう15ねんごろ埼玉さいたまけん熊谷くまがい高等こうとう女学校じょがっこうげん埼玉さいたま県立けんりつ熊谷くまがい女子じょし高等こうとう学校がっこう)の同窓会どうそうかい呉竹くれたけかい」にその品質ひんしつみとめられたのがえんで、すみのブランドに「呉竹くれたけ」という使つかうことをゆるされた。この「呉竹くれたけ」の原典げんてん明治天皇めいじてんのう和歌わか芽生めばえよりぐなるしん呉竹くれたけびよはぐくおのれしんを」に由来ゆらいする[1]。それ以降いこう呉竹くれたけすみ」が主流しゅりゅう製品せいひんとなり、1932ねん昭和しょうわ7ねん)8がつ組織そしき変更へんこうにより株式会社かぶしきがいしゃせいのぼりどう商会しょうかい資本しほんきん10まんえん)となり、1940ねん昭和しょうわ15ねん)6がつ社名しゃめい株式会社かぶしきがいしゃ呉竹精昇堂くれたけせいしょうどうあらためた[5]

戦後せんご連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかんそう司令しれい(GHQ)は日本にっぽん義務ぎむ教育きょういくにおける書道しょどう授業じゅぎょう禁止きんしする布告ふこくす。戦争せんそうにより衰退すいたい気味ぎみであった奈良ならせいすみ業界ぎょうかいおおきな打撃だげきけ、やく50けんあったせいすみ業者ぎょうしゃ半数はんすう転業てんぎょうした。悲観ひかんしたなら太郎たろう兵役へいえきからもどってきた2人ふたり息子むすこ綿谷わたや安弘やすひろ(1920ねん - )、良孝よしたか(1923ねん - )には家業かぎょうがずほか仕事しごとにつくようすすめる。しかしその、GHQの方向ほうこう転換てんかんにより書道しょどう自由じゆう選択せんたく科目かもくとして復活ふっかつ文部省もんぶしょう学習がくしゅう指導しどう要領ようりょうあらためられると、1950ねん昭和しょうわ25ねんごろからなら太郎たろうにんおとうと息子むすこたちと事業じぎょう再開さいかいした[6]

戦後せんご発展はってんふでぺん誕生たんじょう

[編集へんしゅう]

1956ねん昭和しょうわ31ねん奈良なら大宮おおみやまちだいホールをそなえた鉄筋てっきん3かいての新社屋しんしゃおく完成かんせいしん製品せいひん開発かいはつだいいちだんとして、はん状態じょうたいすみチューブれた「すみのかおり」を発売はつばいする。しかし全国ぜんこく校長こうちょう先生せんせいからひどくしかられれなかった。1958ねん昭和しょうわ33ねん)には「ぼくしずく」の書道しょどうよう液体えきたいすみ業界ぎょうかいはじめてした。すす比重ひじゅうをあげてかすことで沈殿ちんでんふせ書面しょめんひからない工夫くふうをしたが、またもしかられ80パーセントもの返品へんぴんがあった。しかしわか先生せんせいじゅく先生せんせいからはほめられて、これをきっかけに液体えきたいすみ主力しゅりょく商品しょうひんとなっていく[7]

1958ねん昭和しょうわ33ねん)10がつにはサインペンマーキングペン)を開発かいはつ、「クレタケドリームペン」の発売はつばいした[8]。これは良孝よしたかのアイデアで、かれモリソン万年筆まんねんひつ[注釈ちゅうしゃく 2]工場こうじょうかよって筆記具ひっきぐ製造せいぞうまなび、東洋紡とうようぼうのエクスラン(アクリル繊維せんい)をしん使つかうことをかんがえついた。このサインペンはぶようにれ、外国がいこくからも注文ちゅうもん殺到さっとうする。これに自信じしん呉竹精昇堂くれたけせいしょうどうは、1965ねん昭和しょうわ40ねん)4がつ筆記具ひっきぐ生産せいさんせんもんべつ会社かいしゃとしてクレタケ工業こうぎょう株式会社かぶしきがいしゃ創設そうせつし、海外かいがいとの貿易ぼうえき開始かいしした[10][11]。1968ねん昭和しょうわ43ねん)にはクレタケ工業こうぎょう本社ほんしゃペン工場こうじょう奈良なら南京終みなみきょうばてまち7丁目ちょうめ492番地ばんち移転いてん[12]1971ねん昭和しょうわ46ねん)5がつからは安弘やすひろ本社ほんしゃ社長しゃちょうに、良孝よしたか本社ほんしゃ専務せんむとクレタケ工業こうぎょう社長しゃちょう兼務けんむする体制たいせいとなった[10]

こうしてサインペンの海外かいがい輸出ゆしゅつせいすみなら経営けいえいはしらとなっていたが、1971ねん昭和しょうわ46ねん)のドル・ショックによるえんげは日本にっぽん輸出ゆしゅつ産業さんぎょうおおきな打撃だげきあたえ、呉竹精昇堂くれたけせいしょうどう貿易ぼうえきから一時いちじ撤退てったいすることとなり、それにわる国内こくないでのあたらしい商品しょうひん開発かいはつ急務きゅうむとなる。そしてぼくづくりの伝統でんとうとサインペンでつちかった筆記具ひっきぐ製造せいぞう技術ぎじゅつむすびつけ、手軽てがるふで文字もじけるペン(ふでペン)の開発かいはつプロジェクト会社かいしゃ命運めいうんけることとなった[8][13]

1973ねん昭和しょうわ48ねん)11月、2ねん歳月さいげつをかけ、ふでのようなペンさきにこだわって開発かいはつされた「くれたけひつぺん[注釈ちゅうしゃく 3]」は、オイルショック合成ごうせい樹脂じゅし原料げんりょう調達ちょうたつ苦労くろうするが、なんとか10まんほん製作せいさく関西かんさいけんでテスト販売はんばいした。画期的かっきてきなペンの評価ひょうかたかく、もっと商品しょうひんしいというこえ相次あいつぎ、よく1974ねん昭和しょうわ49ねん)には需要じゅようを411まんほん予測よそく増産ぞうさん体制たいせいをとる。なつ暑中しょちゅう見舞みまんだが予想よそうはんして商品しょうひんれず、なつわりには不良ふりょう在庫ざいこになるかと心配しんぱいされた。しかし、年賀状ねんがじょう商戦しょうせんテレビCM全国ぜんこく展開てんかいなど販売はんばいキャンペーンひろげ12がつ初旬しょじゅんにはほぼ完売かんばい。その知名度ちめいど全国ぜんこく浸透しんとうした[8][13]

沿革えんかく

[編集へんしゅう]
  • 1902ねん明治めいじ35ねん)- 創業そうぎょうしゃ綿谷わたや奈良ならきち奈良なら内侍原なしはらまちせいすみぎょう開始かいし
  • 1924ねん大正たいしょう13ねん)- 合名ごうめい会社かいしゃせいのぼりどう商会しょうかいおこす。
  • 1932ねん昭和しょうわ7ねん)- 株式会社かぶしきがいしゃせいのぼりどう商会しょうかい設立せつりつ
  • 1945ねん昭和しょうわ20ねん)- 社名しゃめい株式会社かぶしきがいしゃ呉竹精昇堂くれたけせいしょうどうとする。
  • 1956ねん昭和しょうわ31ねん)- 本社ほんしゃ奈良なら大宮おおみやまち移転いてん
  • 1958ねん昭和しょうわ33ねん)- 液体えきたいすみぼくしずく」を発売はつばい
  • 1963ねん昭和しょうわ38ねん)- サインペン発売はつばい
  • 1965ねん昭和しょうわ40ねん)- 筆記具ひっきぐ生産せいさん工場こうじょうとしてクレタケ工業こうぎょう株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつ文具ぶんぐ貿易ぼうえき開始かいし
  • 1968ねん昭和しょうわ43ねん)- クレタケ工業こうぎょうのペン工場こうじょう奈良なら南京終みなみきょうばてまち建設けんせつ
  • 1973ねん昭和しょうわ48ねん)- 「くれたけひつぺん」を開発かいはつ
  • 1986ねん昭和しょうわ61ねん)- ゴルフじょう融雪ゆうせつざい「SRブラック」発売はつばい
  • 1987ねん昭和しょうわ62ねん)- 水墨すいぼく用品ようひん開発かいはつ
  • 1992ねん平成へいせい4ねん)- 本社ほんしゃ工場こうじょう奈良なら南京終みなみきょうばてまち移転いてん
  • 1994ねん平成へいせい6ねん)- 呉竹精昇堂くれたけせいしょうどうとクレタケ工業こうぎょう合併がっぺいしん体制たいせいでの呉竹精昇堂くれたけせいしょうどうとなる。
  • 1997ねん平成へいせい9ねん)- アート&クラフト市場いちば開拓かいたく開始かいし
  • 1998ねん平成へいせい10ねん)- てがみ専用せんようのセットを発売はつばい
  • 2003ねん平成へいせい15ねん)- 社名しゃめい株式会社かぶしきがいしゃ呉竹くれたけとする。
  • 2014ねん平成へいせい26ねん)- 米国べいこくカリフォルニアしゅうサクラメントに現地げんち法人ほうじん「Kuretake ZIG Corporation」を設立せつりつ
  • 2018ねん平成へいせい30ねん)- 100ねん経営けいえいかい事務じむきょく日刊工業新聞社にっかんこうぎょうしんぶんしゃ)「だい3かい 100ねん企業きぎょう顕彰けんしょう 近畿きんき経済けいざい産業さんぎょう局長きょくちょうしょう」を受賞じゅしょう奈良ならけんの「奈良ならすみ」が経済けいざい産業さんぎょう大臣だいじんよりくに伝統でんとうてき工芸こうげいひん指定してい
  • 2019ねん平成へいせい31ねん)- 公益社こうえきしゃだん法人ほうじん中小ちゅうしょう企業きぎょう研究けんきゅうセンター主催しゅさい だい52かいグッドカンパニー大賞たいしょう特別とくべつしょう」を受賞じゅしょう

提供ていきょう番組ばんぐみ

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ 1893ねん明治めいじ26ねん)に岡田おかだむめ(うめ)があきないとして開業かいぎょうしたのち1908ねん明治めいじ41ねん)にその長男ちょうなん岡田おかだ久次郎きゅうじろう創業そうぎょう[4]
  2. ^ 1918ねん大正たいしょう7ねん創業そうぎょう創業そうぎょうしゃ谷川たにがわ寅次郎とらじろう[9]
  3. ^ 「ぺん」が平仮名ひらがななのは毛筆もうひつ字体じたい表現ひょうげんするため。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b 創業そうぎょうしゃ偉人いじんでん だい11かい 綿谷わたや奈良ならきち」『商工しょうこう振興しんこう』、大阪おおさか工業こうぎょう協会きょうかい、2016ねん5がつ、3-5ぺーじ 
  2. ^ 串間くしまつとむ『まぼろし小学校しょうがっこう』1996ねん小学館しょうがくかん、ISBN-4093872015 P62。
  3. ^ 三島みしま1999ねん p.36
  4. ^ 平安へいあんどう歴史れきし”. 平安へいあんどう. 2022ねん2がつ22にち時点じてんのオリジナルよりアーカイブ2022ねん2がつ22にち閲覧えつらん
  5. ^ a b 三島みしま1999ねん p.37
  6. ^ 三島みしま1999ねん pp.38 f
  7. ^ 三島みしま1999ねん p.40
  8. ^ a b c ニッポン・ロングセラーこうVol.019 くれたけひつぺん平成へいせい25ねん10がつ閲覧えつらん
  9. ^ まぼろし国産こくさんまんねんひつ「モリソン万年筆まんねんひつ」を展示てんじ ためきもできる喫茶店きっさてん本社ほんしゃあと限定げんていオープン」『産経さんけいニュース』産経新聞さんけいしんぶんしゃ、2015ねん11月6にち2022ねん2がつ22にち閲覧えつらんオリジナルの2022ねん2がつ22にち時点じてんにおけるアーカイブ。
  10. ^ a b 三島みしま1999ねん pp.40 f
  11. ^ 会社かいしゃ情報じょうほう|歴史れきし - 公式こうしきサイト(平成へいせい25ねん10がつ閲覧えつらん
  12. ^ 三島みしま1999ねん p.46
  13. ^ a b ふでぺん誕生たんじょう秘話ひわ - 公式こうしきサイト(平成へいせい25ねん10がつ閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]