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国家こっか人民じんみんぐん

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国家こっか人民じんみんぐん
Nationale Volksarmee
国家こっか人民じんみんぐんのエンブレム
周囲しゅうい文言もんごんは「労農ろうのう政権せいけん保衛やすえのために」を意味いみする
国家こっか人民じんみん軍旗ぐんき
創設そうせつ 1956ねん3月1にち
解散かいさん 1990ねん10月2にち
派生はせい組織そしき

国家こっか人民じんみんぐん地上ちじょうぐん

人民じんみん海軍かいぐん

国家こっか人民じんみんぐん航空こうくうぐん

ドイツ民主みんしゅ共和きょうわこく国境警備隊こっきょうけいびたい
本部ほんぶ 東ドイツの旗 ひがしドイツ フランクフルト・アン・デア・オーデルけんシュトラウスベルク
指揮しきかん
国防こくぼう評議ひょうぎかい議長ぎちょうドイツばん
ドイツ社会しゃかい主義しゅぎ統一とういつとう
だいいち書記しょき/書記しょきちょう兼務けんむ
ヴァルター・ウルブリヒト
エーリッヒ・ホーネッカー
エゴン・クレンツ
国防こくぼう大臣だいじん ヴィリー・シュトフ
カール=ハインツ・ホフマン
ハインツ・ケスラー
テオドール・ホフマン
ライナー・エッペルマン
参謀さんぼう総長そうちょう ヴィンツェンツ・ミュラー
カール=ハインツ・ホフマン
ジークフリート・リーデル
ハインツ・ケスラー
フリッツ・シュトレーレッツ
マンフレート・グレーツ
そう人員じんいん
徴兵ちょうへい制度せいど あり
産業さんぎょう
国外こくがい供給きょうきゅうしゃ ソビエト連邦れんぽうチェコスロバキア
関連かんれん項目こうもく
歴史れきし 1956ねん:兵営へいえい人民じんみん警察けいさつ改組かいそしして設立せつりつ
1990ねん:ドイツ連邦れんぽう共和きょうわこくへの編入へんにゅうともな解散かいさん
国家こっか人民じんみんぐん階級かいきゅう
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国家こっか人民じんみんぐん(こっかじんみんぐん、ドイツNationale Volksarmee,ナツィォナーレ フォルクスアーメー)は、ワルシャワ条約じょうやく機構きこうぐん一翼いちよくになっていたドイツ民主みんしゅ共和きょうわこく軍隊ぐんたいである。別称べっしょうドイツ国家こっか人民じんみんぐん通称つうしょうひがしドイツぐん東独とうどくぐん略称りゃくしょうNVA(エヌ・ファオ・アー)。1956ねん3月1にちにそれまで存在そんざいしていたじゅん軍事ぐんじ組織そしき兵営へいえい人民じんみん警察けいさつ改組かいそするかたち創設そうせつされ、東西とうざいドイツ合併がっぺい1990ねん10月2にちドイツ連邦れんぽうぐん統合とうごうされ解散かいさんした。

概要がいよう[編集へんしゅう]

社会しゃかい主義しゅぎこく軍隊ぐんたい同様どうよう国軍こくぐんであると同時どうじ支配しはい政党せいとうであるドイツ社会しゃかい主義しゅぎ統一とういつとう(SED)のつよ指導しどうかれたとう軍隊ぐんたいでもある。東西とうざい冷戦れいせん最前線さいぜんせんであることからドイツ駐留ちゅうりゅうソ連それんぐんほう国家こっか人民じんみんぐんより規模きぼおおきく、また運用うんようにおいてもソ連それんぐん指揮しきかれていた。

国家こっか人民じんみんぐん公式こうしきには16世紀せいきドイツ農民のうみん戦争せんそう農民のうみんたち軍隊ぐんたい後継こうけいしゃであるとしょうしていた[1]が、後述こうじゅつするようにドイツ将校しょうこう同盟どうめいなどで「はんファシズム教育きょういく」をけたとされるドイツ国防こくぼうぐん将校しょうこうたちが創設そうせつ関与かんよし、入隊にゅうたいさい忠誠ちゅうせい宣誓せんせいでは西にしドイツの連邦れんぽうぐんでは削除さくじょされた上官じょうかんへの絶対ぜったい服従ふくじゅう義務ぎむ明記めいきされているなど、だい世界せかい大戦たいせん以前いぜんドイツぐん伝統でんとう継続けいぞくされていた[2]軍服ぐんぷくのデザインガチョウあし行進こうしんなどにドイツ国防こくぼうぐん影響えいきょう色濃いろこのこっているてんも、戦後せんごそれらをアメリカしきあらためたドイツ連邦れんぽうぐん西にしドイツぐん)とはおおきくことなるてんである。このため国家こっか人民じんみんぐんは「あかプロイセンぐん」とばれていた[3]。ただし、ガチョウあし行進こうしんそのものはソビエト連邦れんぽうぐんでもおこなわれていた。また国家こっか人民じんみんぐん基本きほん教練きょうれん軍装ぐんそうにはソ連それんぐん様式ようしきれられている。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

1956ねん1がつ18にち人民じんみん議会ぎかいでは冷戦れいせん激化げきかけて「国家こっか人民じんみんぐんおよ国防省こくぼうしょう創設そうせつかんする法律ほうりつ」(Gesetz über die Schaffung der Nationalen Volksarmee und des Ministeriums für Nationale Verteidigung)が採択さいたくされた。これにもとづいて3月1にちまでに兵営へいえい人民じんみん警察けいさつ国家こっか人民じんみんぐん改組かいそされ、同時どうじ国防省こくぼうしょうドイツばん(Ministerium für Nationale Verteidigung)が設置せっちされた。1962ねんからは徴兵ちょうへいせい導入どうにゅうされた。西にしドイツのような良心りょうしんてき兵役へいえき拒否きょひみとめられなかったが、実質じっしつじょうこれに相当そうとうする建設けんせつ部隊ぶたい勤務きんむドイツばんという制度せいどはあった(西側にしがわ諸国しょこく兵役へいえき代替だいたい役務えきむちかい)。建設けんせつ部隊ぶたい勤務きんむはん体制たいせい意思いし表示ひょうじとして兵役へいえき期間きかんちゅうはもちろん除隊じょたい周囲しゅういからの差別さべつ偏見へんけん対象たいしょうとなった。建設けんせつ部隊ぶたい勤務きんむ制度せいどおも宗教しゅうきょううえ理由りゆうから兵役へいえき拒否きょひした人々ひとびと当局とうきょくとの妥協だきょう結果けっかとして成立せいりつした制度せいどである[4]

1990ねんドイツさい統一とういつ以降いこうかくぐんはドイツ連邦れんぽうぐんかくぐん統合とうごうされる。きゅう地上ちじょうぐん人員じんいん機材きざいきゅう地上ちじょうぐん司令しれい設置せっちされただい4軍団ぐんだんによって管理かんりされ、またきゅう人民じんみん海軍かいぐん人員じんいん機材きざいきゅう人民じんみん海軍かいぐん司令しれい設置せっちされたロストック海軍かいぐん司令しれいによって管理かんりされた。しかし、統一とういつ直前ちょくぜん締結ていけつされていたドイツ最終さいしゅう規定きてい条約じょうやく軍縮ぐんしゅく確定かくていしていたため統合とうごうさいおおくの将兵しょうへいしょくうしなった。残留ざんりゅうゆるされたいちにぎりの下士官かしかんへいも、直後ちょくごむすばれたヨーロッパ通常つうじょう戦力せんりょく条約じょうやくもとづく軍縮ぐんしゅくなか段階だんかいてき解雇かいこされていった。

さらに統一とういつドイツ連邦れんぽう共和きょうわこくでは国家こっか人民じんみんぐんへの従軍じゅうぐんを「外国がいこくぐんへの従軍じゅうぐん」となし、軍人ぐんじん恩給おんきゅう支給しきゅうみとめなかった。もと将校しょうこうらがった年金ねんきん大学生だいがくせい奨学しょうがくきんがくにもたなかったという。かれらは退役たいえき軍人ぐんじん名乗なのことみとめられず、少額しょうがく年金ねんきんのみを保証ほしょうされ、ながらくくるしい生活せいかつおくった[5]統一とういつからおよそ15ねんの2005ねん3がつ1にちドイツ社会しゃかい民主党みんしゅとうみどりとうなど左派さはしょとう提出ていしゅつしたほう改正かいせいによって国家こっか人民じんみんぐんへの従軍じゅうぐんを「連邦れんぽうぐん海外かいがい勤務きんむ」としてあつかうことがみとめられ、ようやく軍人ぐんじん恩給おんきゅう支給しきゅうおこなわれた。ただし、退役たいえき軍人ぐんじん名乗なのることはドイツキリスト教きりすときょう民主みんしゅ同盟どうめい自由民主党じゆうみんしゅとうなど右派うはしょとう反対はんたいみとめられなかった[6]

組織そしき[編集へんしゅう]

国家こっか人民じんみんぐん組織そしき(1985ねん

国家こっか人民じんみんぐん以下いかの3つのぐんしゅから構成こうせいされていた。

また、国境警備隊こっきょうけいびたい1961ねんには内務省ないむしょうから国防省こくぼうしょう移管いかんされたが、1973ねんにはふたた国家こっか人民じんみんぐんから分離ぶんりされている。

地上ちじょうぐん[編集へんしゅう]

海軍かいぐん[編集へんしゅう]

航空こうくうぐん[編集へんしゅう]

歴代れきだい指導しどう[編集へんしゅう]

国防こくぼう評議ひょうぎかい議長ぎちょうVorsitzender des Nationalen Verteidigungsrates[編集へんしゅう]

  1. ヴァルター・ウルブリヒト(1960ねん - 1971ねん) ドイツ社会しゃかい主義しゅぎ統一とういつとう書記しょきちょう国家こっか評議ひょうぎかい議長ぎちょう兼務けんむ
  2. エーリッヒ・ホーネッカー(1971ねん - 1989ねん) ドイツ社会しゃかい主義しゅぎ統一とういつとう書記しょきちょう国家こっか評議ひょうぎかい議長ぎちょう(1976ねん - )と兼務けんむ
  3. エゴン・クレンツ(1989ねん) ドイツ社会しゃかい主義しゅぎ統一とういつとう書記しょきちょう国家こっか評議ひょうぎかい議長ぎちょう兼務けんむ

国防こくぼうしょうMinister für Nationale Verteidigung[編集へんしゅう]

  1. ヴィリー・シュトフ(1956ねん - 1960ねん
  2. カール=ハインツ・ホフマン(1960ねん - 1986ねん
  3. ハインツ・ケスラー(1986ねん - 1989ねん
  4. テオドール・ホフマン(1989ねん - 1990ねん
  5. ライナー・エッペルマン(1990ねん

ライナー・エッペルマン以外いがい社会しゃかい主義しゅぎ統一とういつとう所属しょぞく。エッペルマンは「民主みんしゅ主義しゅぎ目覚めざ所属しょぞく。また、エッペルマンの官職かんしょくめいは「軍縮ぐんしゅくおよ防衛ぼうえいしょう」(Minister für Abrüstung und Verteidigung)。

国家こっか人民じんみんぐんにおけるきゅうドイツ国防こくぼうぐん出身しゅっしん将兵しょうへい[編集へんしゅう]

ひがしドイツでは西にしドイツくらべると、ナチナチとう関係かんけいしゃ公職こうしょく追放ついほう)がきびしくおこなわれたが、国家こっか人民じんみんぐんにおいては徹底てっていされず、きゅう国防こくぼうぐん時代じだいしんナチてき態度たいどしめしていたもの将官しょうかん抜擢ばってきされるれいすらあった。

1958ねん1がつ1にち時点じてん国家こっか人民じんみんぐんはおよそ20399にん戦力せんりょくゆうし、そのうちおよそ2600にん将校しょうこうだった。さらに将校しょうこううち、およそ1600にんもと国防こくぼうぐん下士官かしかん、およそ400にんもと国防こくぼうぐん将校しょうこうであった[7]かれらはおも国防こくぼう省内しょうない教育きょういく機関きかんかくぐん管区かんくない前哨ぜんしょう地点ちてんなどに配置はいちされた。国家こっか人民じんみんぐんぜんぐんで82箇所かしょ設置せっちされていた前哨ぜんしょう地点ちてんのうち、61箇所かしょもと国防こくぼうぐん将校しょうこう配置はいちされていた。

1957ねん2がつ15にち社会しゃかい主義しゅぎ統一とういつとう政治せいじきょくくだした決定けっていもとづき、1950年代ねんだい後半こうはんつうじておおくのもと国防こくぼうぐん将校しょうこう退役たいえきいられた。これはアルノ・フォン・レンスキーヴィンツェンツ・ミューラーハンス・ヴルツなどの退役たいえき想定そうていしたものであった[8]。それにもかかわらず、1960ねん1がつ1にち段階だんかいでも、もと国防こくぼうぐん将校しょうこうのうち654にん将校しょうこうとして、338にんへい下士官かしかんとして国家こっか人民じんみんぐん残留ざんりゅうしていた[9]

以下いか列挙れっきょする国家こっか人民じんみんぐん将官しょうかんらは、だい世界せかい大戦たいせんちゅうきゅうドイツ国防こくぼうぐん軍人ぐんじんとしててつじゅうあきら受勲じゅくんしている[10]

以下いかおなじく騎士きしてつじゅうあきらきゅう軍人ぐんじんとして受勲じゅくんした将官しょうかん一覧いちらんである[11]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ しん太一たいち『ニセドイツ〈1〉 ≒ひがしドイツせい工業こうぎょうひん社会しゃかい評論ひょうろんしゃ、2009ねん P149
  2. ^ 1966ねんにはプロイセンゲアハルト・フォン・シャルンホルストかんした勲章くんしょう (de:Scharnhorst-Orden) が制定せいていされている。
  3. ^ 仲井なかいあきら『もうひとつのドイツ』朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1983ねん
  4. ^ 市川いちかわひろみ武器ぶきたない兵士へいしたち」『三省堂さんせいどうぶっくれっと』No,120、September,1996所載しょさい参照さんしょう徴兵ちょうへい制度せいど項目こうもくもあわせて参照さんしょうのこと。
  5. ^ Andrew Bickford, "Soldiers, Citizens, and the State: East German Army Officers in Post-Unification Germany." Comparative Studies in Society and History 2009; 51(2):260-287. doi:10.1017/S0010417509000127
  6. ^ [dip.bundestag.de/btd/15/049/1504949.pdf Beschlussempfehlung und Bericht des Verteidigungsausschusses] (PDF)
  7. ^ Daniel Niemetz: Das feldgraue Erbe. Wehrmachtseinflüsse im Militär der SBZ/DDR. S. 274
  8. ^ Hans Ehlert, Armin Wagner: Genosse General! Die Militärelite der DDR in biografischen Skizzen, Ch Links Verlag, Berlin, 2003
  9. ^ Daniel Niemetz: Das feldgraue Erbe. Wehrmachtseinflüsse im Militär der SBZ/DDR. S. 275
  10. ^ Generals & Admirals who were awarded the Knight's Cross in the Axis History Factbook
  11. ^ Generals & Admirals who were awarded the German Cross in the Axis History Factbook

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]