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国際こくさい政治せいじ経済けいざいがく

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国際こくさい政治せいじ経済けいざいがく(こくさいせいじけいざいがく、international political economy, IPE)とは、政治せいじ経済けいざい現象げんしょうとのわせで国際こくさい関係かんけい分析ぶんせきする社会しゃかい科学かがくにおける学問がくもんである。政治せいじがく経済けいざいがくだけでなく、社会しゃかいがく歴史れきしがく文化ぶんか研究けんきゅうなどの学問がくもん分野ぶんやおおくにっている学際がくさいてき分野ぶんやである。

認識にんしきろんじょう論争ろんそうがあるものの、政治せいじ勢力せいりょく国家こっか制度せいど個別こべつアクターなど)が経済けいざいてき相互そうご作用さよう表明ひょうめいするシステムや、それとは反対はんたいに(集合しゅうごうてき市場いちばやその内外ないがい活動かつどうする個人こじんちからふくんだ)経済けいざいてき相互そうご作用さよう政治せいじ構造こうぞう結果けっかあたえる効果こうか形成けいせいするうごきについてIPEは究極きゅうきょくてき関心かんしんっているとおおくの研究けんきゅうしゃている。

IPE研究けんきゅうしゃは、学界がっかいのみならず一般いっぱんてきなメディアにおいても、グローバリゼーションをめぐる論争ろんそう研究けんきゅう中心ちゅうしん存在そんざいする。IPE研究けんきゅうしゃ多大ただい関心かんしんけるほかの話題わだいとしては、国際こくさい貿易ぼうえき開発かいはつ民主みんしゅ主義しゅぎ市場いちば関係かんけいせい国際こくさい金融きんゆう、グローバル市場いちば国籍こくせき企業きぎょう、そして国家こっかしょ制度せいどあいだ構造こうぞうてきちから関係かんけいなどである。伝統でんとうてき国際こくさい関係かんけいろんとはちがって、パワーは複雑ふくざつからった経済けいざいてきかつ政治せいじてきなものとして理解りかいされている。

学問がくもん起源きげん

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IPEは、1973ねんオイルショックブレトン・ウッズ協定きょうてい崩壊ほうかいがとくに米国べいこく世界せかい秩序ちつじょ経済けいざいてき基盤きばん重要じゅうようせい偶発ぐうはつせい脆弱ぜいじゃくせいたいして研究けんきゅうしゃたちの注意ちゅうい喚起かんきした、1970年代ねんだい国際こくさい関係かんけい混交こんこうてきアプローチとして登場とうじょうしてきた。ユージン・ロウのようなIPEの研究けんきゅうしゃは、国際こくさい関係かんけいかんする当初とうしょ研究けんきゅう法律ほうりつ政治せいじ外交がいこう過大かだい力点りきてんいてきたと主張しゅちょうした。おなじく、しん古典こてん経済けいざいがく抽象ちゅうしょうてき歴史れきしてきだと批判ひはんされた。歴史れきし社会しゃかいがく経済けいざい業績ぎょうせきいつつ、IPE研究けんきゅうしゃは、経済けいざい政治せいじ分析ぶんせきわせることを提案ていあんした。この意味いみで、マルキシズムもリベラリズムも分析ぶんせき単位たんいとして領域りょういき国家こっか重視じゅうしする既存きそん社会しゃかい科学かがく異議いぎもうてており、国際こくさいシステムを重視じゅうししている。

IPEのアプローチ

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学問がくもん先駆せんくてき教科書きょうかしょのひとつで提示ていじされた先例せんれいならうならば[1]特定とくてい政策せいさく推進すいしんすることに関与かんよしている個人こじん組織そしきは、IPEが学問がくもんとして定着ていちゃくするよりもずっと以前いぜんから存在そんざいしている3つの世界せかいかん一般いっぱんてき区分くぶんされる。それらのカテゴリーは、リベラリズム(自由じゆう主義しゅぎ)、リアリズム(現実げんじつ主義しゅぎ)、マルキシズム(マルクス主義まるくすしゅぎ)である。また、コンストラクテヴィズム(構成こうせい主義しゅぎ)は一部いちぶ研究けんきゅうしゃによってマルキシズムの下位かい区分くぶん位置いちづけられるが、だい4の世界せかいかん分類ぶんるいされる。リベラリズムのカテゴリーは比較的ひかくてき統一とういつせいがあるが、リアリズムとマルキシズムの見方みかたきわめて広範こうはん外観がいかんっていて、高度こうど抽象ちゅうしょうてき次元じげんでのみひろ共有きょうゆうされた見方みかたがある。

リベラリズムの見方みかた公的こうてき権力けんりょく政府せいふ)を犠牲ぎせいにした私的してき権力けんりょく自由じゆうしんじている。政府せいふ統制とうせい規制きせいこすゆがみから自由じゆう市場いちばは、希少きしょう資源しげん需要じゅよう供給きょうきゅう自生じせいてき調和ちょうわさせる。

リアリズムの見方みかた(かつては「ナショナリズム」とづけられていた)は、このましい結果けっか配分はいぶんするために自由じゆう市場いちばのパワーをれる。しかし、最適さいてき条件じょうけん規制きせいコントロールを行使こうしする穏健おんけんつよ公的こうてき権力けんりょくをもって一般いっぱん獲得かくとくできると主張しゅちょうする。

マルキシズムの見方みかたは、強力きょうりょく公的こうてき権力けんりょく適用てきようのみが私的してき権力けんりょく人々ひとびと犠牲ぎせいにして、エリートをする傾向けいこうめることができるとしんじている。

構成こうせい主義しゅぎ見方みかたは、国際こくさい経済けいざい相互そうご作用さよう領域りょういき価値かち中立ちゅうりつてきではなく、また、市場いちば利益りえきくわえて、経済けいざいおよ政治せいじてきなアイデンティティが経済けいざい行為こうい重要じゅうよう決定けってい要因よういんだと仮定かていする。

リベラリズム(自由じゆう主義しゅぎ

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経済けいざいがく用語ようごでは、リベラリズムは、古典こてん経済けいざいがくしん古典こてん経済けいざいがくオーストリア学派がくはシカゴ学派がくは関連かんれんしたアプローチである。

推奨すいしょうされる政策せいさく 貿易ぼうえきたいする国家こっか統制とうせい規制きせい最小限さいしょうげんあるいは撤廃てっぱいする。輸出ゆしゅつ品目ひんもく生産せいさんする組織そしき民営みんえい要求ようきゅうする。

歴史れきし リベラリズムのアプローチは、アダム・スミス業績ぎょうせき、つまり、じゅうしょう主義しゅぎたいするスミス主義しゅぎ革命かくめい黎明れいめいにおける経済けいざいがくとされるものにさかのぼることができる[2]。スミスは、もっと効率こうりつてき方法ほうほう希少きしょう資源しげん付加ふか価値かちのある商品しょうひんやサービスにえるうえで、競争きょうそう恩恵おんけい分業ぶんぎょう奨励しょうれいした。自由じゆう市場いちば仕組しくみがどのように個々ここのアクターによる利己りこてき行動こうどう社会しゃかい全体ぜんたいにとって最大さいだい利益りえきへとえるのかについてのシンボルである、えざるについて言及げんきゅうした。リベラリズムへの貢献こうけんは、デイヴィッド・リカードによってなされ、かれ比較ひかく優位ゆういせつは、ことなる国家こっかあいだ貿易ぼうえきが、たとえ他国たこく犠牲ぎせいにすることで利益りえきると直感ちょっかんてきかんじている状況じょうきょうであっても、双方そうほうにとって利益りえきとなるとろんじた。リベラリズムの見方みかたは、18世紀せいきにスミスによって提起ていきされて以来いらい西欧せいおう学界がっかいつよい。代替だいたいシステムであるケインズ主義しゅぎ大学だいがくなどで広範こうはん支持しじ獲得かくとくしたのは1940年代ねんだいから1970年代ねんだいはじめのあいだである。ジョン・メイナード・ケインズは、国内こくないのマクロ経済けいざい政策せいさくおも関心かんしんっていたが、しかし、IPEにおいて、かれ成熟せいじゅくした見解けんかい公的こうてきパワーと私的してきパワーのなかあいだもとめ、グローバルな金融きんゆう管理かんり体制たいせいこのんだてんでリアリズムの範疇はんちゅう合致がっちする。ケインズ主義しゅぎてき合意ごういは。1950年代ねんだいにすでに、フリードリヒ・ハイエクのオーストリア学派がくはミルトン・フリードマンのシカゴ学派がくは批判ひはんによってのち挑戦ちょうせんけ、1970年代ねんだいには、支配しはいてき影響えいきょうりょくうばうことになった。戦争せんそう経済けいざいてき帰結きけつ平和へいわ促進そくしん経済けいざいてき手段しゅだんについてのかんがえをふく国際こくさい関係かんけいへのケインズのアプローチは、2008ねん以降いこうのグローバルな金融きんゆう危機ききおよびきょう到来とうらいによって、とくにドナルド・マークウェルの研究けんきゅうつうじて[3][2]注目ちゅうもくされている。

政策せいさく立案りつあん領域りょういきでは、西欧せいおう諸国しょこくは、リベラリズムとリアリズム双方そうほう見方みかたった混合こんごうてき課題かだい追求ついきゅうしてきた。これは、一時いちじてきにほかの学派がくは優勢ゆうせいだった時期じきがあるけれども、近代きんだい商業しょうぎょう時代じだいから現代げんだいまでてはまる。1914ねんにいたる時期じきは、実際じっさいのところ諸国しょこくじゅうしょう主義しゅぎイデオロギーに部分ぶぶんてき影響えいきょうされていたといっても、古典こてん経済けいざいがく黄金おうごんであるととき描写びょうしゃされる。だい大戦たいせん、ブレトン・ウッズ体制たいせい創設そうせつされたが、それは、民間みんかん商業しょうぎょう行動こうどう自由じゆうみとめる一方いっぽうで、政府せいふ国際こくさい金融きんゆう管理かんりすることを許容きょようするてん本質ほんしつてきにリアリズムてき構築こうちくぶつである。1971ねんリチャード・ニクソン大統領だいとうりょうは、ブレトン・ウッズ協定きょうてい反転はんてん開始かいしし、2008ねんまで、国際こくさい貿易ぼうえき金融きんゆうのいっそうの自由じゆうなみつづいた。国内こくないてきには、1970年代ねんだい以上いじょう大西おおにしひろし諸国しょこくや、1990年代ねんだい以降いこう中国ちゅうごくインドなどのアジア大国たいこくもまたリアリズムとリベラリズムの政策せいさくわせを追求ついきゅうした。アメリカ財務省ざいむしょうIMFによって強制きょうせいてき全面ぜんめんてき自由じゆう実行じっこうせまられた中小ちゅうしょうこくはさまざまな危機きき直面ちょくめんした[4]。2008ねん、リベラリズムの影響えいきょうは、ケインズ主義しゅぎさい登場とうじょう衰退すいたいしていった。2008ねん後半こうはんからは、世界せかい各国かっこく指導しどうしゃたちは、あらたなブレトン・ウッズ体制たいせいをますますもとめている[5]

リアリズム(現実げんじつ主義しゅぎ

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IPEでは、リアリズムのアプローチは、21世紀せいき初頭しょとうまでナショナリズムと一般いっぱんばれてきた。歴史れきしてきには、この範疇はんちゅう当初とうしょさいった学派がくはじゅうしょう主義しゅぎであった。リアリズムのアプローチの現代げんだいれい国家こっか主義しゅぎ開発かいはつ主義しゅぎである。

推奨すいしょうされる政策せいさく 歴史れきしてき攻撃こうげきてき貿易ぼうえき関税かんぜいは、海外かいがい競争きょうそうしゃ犠牲ぎせいにして国内こくない産業さんぎょう育成いくせいするためにもちいられてきた。植民しょくみんとの貿易ぼうえきもまた奨励しょうれいされた。現代げんだい主唱しゅしょうしゃたちは、途上とじょうこくおさな産業さんぎょう特定とくてい部門ぶもん農業のうぎょうなど)を保護ほごする関税かんぜい利用りようこの傾向けいこうにある。このアプローチの主唱しゅしょうしゃにはリベラリズムの見方みかたちかかんがえをものもいて、一定いってい開発かいはつ水準すいじゅんえたうえ市場いちば統制とうせい撤廃てっぱいされるべきだと明言めいげんしている(この主張しゅちょうは、フリードリヒ・リストアレクサンダー・ハミルトンなどの研究けんきゅうにさかのぼれる)。

歴史れきし じゅうしょう主義しゅぎてき見方みかたは、15世紀せいき近代きんだい経済けいざい誕生たんじょうから20世紀せいきなかばまで国家こっかアクターの追求ついきゅうする政策せいさく特徴付とくちょうづけている。主権しゅけん国家こっかは、貿易ぼうえき余剰よじょう達成たっせいするか、征服せいふくによってとみ蓄積ちくせきするためにたがいに競争きょうそうしている。このとみは、社会しゃかい基盤きばん投資とうししたり、軍事ぐんじりょく強化きょうかするために使つかわれる。

リアリズムの現代げんだいてき見方みかたは、企業きぎょう市場いちばして強調きょうちょうしたり競争きょうそうしたりすることがゆるされているプラスサム現象げんしょうであると国際こくさい貿易ぼうえきてんでリベラリズムに同意どういしている。リベラリズムとの論争ろんそう主要しゅよう争点そうてんは、世界せかい市場いちばきょうする能力のうりょくつまではこう関税かんぜい海外かいがいとの競争きょうそうから新興しんこう産業さんぎょう保護ほごすることが国益こくえきにかなうとリアリズムが主張しゅちょうしていることである。この見方みかた具体ぐたいてき表明ひょうめいのひとつは、1791ねんアメリカ政府せいふのために執筆しっぴつしたアレクサンダー・ハミルトンの『製造せいぞうぎょうかんする報告ほうこくしょ』である。

だい大戦たいせん開発かいはつ主義しゅぎアプローチの顕著けんちょ成功せいこうは、プレビッシュとかれおしたちに起源きげん政策せいさく結果けっかとして、たか成長せいちょうりつ部分ぶぶんてき達成たっせいされた南米なんべい諸国しょこくしょうじた。1970年代ねんだいにリベラリズムの見方みかたふたた優勢ゆうせいになって以降いこうたか成長せいちょうりつは、リアリズムの政策せいさくよりも一般いっぱんこのましい国際こくさい条件じょうけん結果けっかであると主張しゅちょうされている。

リアリズムの見方みかた現代げんだいてき主張しゅちょうは、戦略せんりゃくてき貿易ぼうえき理論りろんであり、それが提案ていあんする政策せいさくが、グローバル南北なんぼく格差かくさのような論点ろんてん解決かいけつするために効果こうかてきかどうかをめぐって論争ろんそうがある。

マルキシズム(マルクス主義まるくすしゅぎ

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この範疇はんちゅうは、階級かいきゅうへのマルクスの注目ちゅうもくとほとんど共通きょうつうてんたないことなるアプローチの一群いちぐんいちくくりにして使つかわれている。この範疇はんちゅうふくまれるアプローチには、フェミニズム急進きゅうしん主義しゅぎ構造こうぞう主義しゅぎ批判ひはん理論りろんてい開発かいはつろん世界せかいシステムろんがある。

推奨すいしょうされる政策せいさく こう関税かんぜいその統制とうせい手段しゅだんによる市場いちばちからからの保護ほご極端きょくたん場合ばあいには、市場いちば対立たいりつする指令しれい経済けいざいこのまれる。

歴史れきし マルクスの『資本しほんろん』は1867ねん出版しゅっぱんされ、かれかんがえにもとづく経済けいざい体制たいせいは1917ねんロシア革命かくめいのちつくられた。1991ねんソ連それんおよびコメコン貿易ぼうえきブロックの崩壊ほうかい以降いこう、マルキシズムの路線ろせんしたがった貿易ぼうえきあるいは経済けいざいこくはない。マルキシズムてき指令しれい経済けいざい問題もんだいてんは、資源しげん効率こうりつてき配置はいちにとって必要ひつようとなる高度こうど情報じょうほう需要じゅよう、その過程かてい統治とうちする必要ひつようがある高度こうど公的こうてき権力けんりょく腐敗ふはい傾向けいこうである。

古典こてんてきなマルキシズムの見方みかた現在げんざい推奨すいしょうする研究けんきゅうしゃは、ヨーロッパでの例外れいがいがいる程度ていどで、とくにアメリカでは皆無かいむである。フェミニズムや、環境かんきょう主義しゅぎ急進きゅうしんてき開発かいはつろんなどが人気にんきのある視座しざである。構成こうせい主義しゅぎ時々ときどきこの範疇はんちゅうふくまれることがある。構成こうせい主義しゅぎは、資源しげん技術ぎじゅつ社会しゃかい基盤きばん分配ぶんぱいのような、貿易ぼうえき影響えいきょうのある伝統でんとうてき要因よういん焦点しょうてんてるよりも、国際こくさい貿易ぼうえきやグローバルにおける将来しょうらい展開てんかい決定けっていするさい対話たいわ論争ろんそう役割やくわり強調きょうちょうしている。

従来じゅうらいの3類型るいけい(リベラリズム、リアリズム、マルキシズム)への批判ひはん

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上記じょうきの3類型るいけいおさまりきれないほど、IPEの見方みかたには、相互そうごことなる見解けんかい幅広はばひろいバリエーションがあり、とくにリアリズム(ナショナリズム)とマルキシズムの名前なまえ一括いっかつされている見方みかたたいして批判ひはんがある[6]。また一般いっぱん人々ひとびと誤解ごかい助長じょちょうしかねないといわれる。ナショナリズムやマルキシズムというレッテルには否定ひていてき意味いみひそんでいて、またマルキシズムてきとされる研究けんきゅう大半たいはん伝統でんとうてきなマルキシズムの立場たちばとはほとんど関係かんけいがないのである。自分じぶんたちをナショナリズムの伝統でんとう位置いちづける主唱しゅしょうしゃにしても、一般いっぱん理解りかいされているようなファシストてきあるいは人種じんしゅ差別さべつてき意味いみでのナショナリズムに反対はんたい立場たちばにある。したがって、一部いちぶ論者ろんしゃは、最近さいきんでは、ナショナリストにえてリアリストの使つかっている[7]

コンストラクティヴィズム(構成こうせい主義しゅぎ

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コンストラクティヴィズム国際こくさい政治せいじ経済けいざいがくにおいて新興しんこう分野ぶんやである。一般いっぱんに、コンストラクティヴィズムの見方みかたは、リベラリズム、リアリズム、マルキシズムの見方みかた中心ちゅうしんにある物質ぶっしつ主義しゅぎてき利益りえき経済けいざいてき相互そうご作用さようあるいは政策せいさくのパターンを説明せつめいするじょう十分じゅうぶんではなく、経済けいざいおよび政治せいじてきなアイデンティティが経済けいざい行動こうどう重要じゅうよう決定けってい要因よういんであると主張しゅちょうする。

IPEのアメリカてき見方みかたとイギリスてき見方みかた

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ベンジャミン・コーヘンは、IPEの詳細しょうさい学説がくせつ提供ていきょうし、アメリカ学派がくはとイギリス学派がくはの2つの陣営じんえい同定どうていした。実証じっしょう主義しゅぎてきで、定量ていりょうてき証拠しょうこかたち支持しじされるなか範囲はんい理論りろん発展はってんさせようとするアメリカ学派がくはたいして、イギリスてきなIPEは、解釈かいしゃく主義しゅぎてきで、一般いっぱん理論りろんもとめようとしている。経験けいけん主義しゅぎてき研究けんきゅうかんしてことなる基準きじゅん使つかてんでも対照たいしょうてきである。コーヘンは、どちらのアプローチにも利点りてんている[8]。『ニュー・ポリティカル・エコノミー』は、IPEの「イギリス学派がくは」にかんする特集とくしゅう[9]、また『レビュー・オブ・インターナショナル・ポリティカル・エコノミー』もアメリカ学派がくはかんする特集とくしゅうごうした[10]

このIPEの性格せいかくけは、活発かっぱつ論争ろんそうんだ。コーヘン、マーク・ブライス、リチャード・ヒゴット、マシュー・ワトソンが、『レビュー・オブ・インターナショナル・ポリティカル・エコノミー』の「2008ねんウォーリック論争ろんそう」で議論ぎろんわした。ヒゴットとワトソンは、コーヘンの範疇はんちゅう適切てきせつさにかんしてとくに異議いぎとなえた[11]

著名ちょめい研究けんきゅうしゃ

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出典しゅってん

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  1. ^ ロバート・ギルピン『世界せかいシステムの政治せいじ経済けいざいがく――国際こくさい関係かんけいしん段階だんかい』(東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ, 1990ねん
  2. ^ editor John Woods , author Prof. Harry Johson , "Milton Friedman: Critical Assessments", vol 2, page 73, Routledge, 1970.
  3. ^ Donald Markwell, John Maynard Keynes and International Relations, Oxford University Press, 2006. Donald Markwell, Keynes and International Economic and Political Relations, Trinity Paper 33, Trinity College, University of Melbourne, 2009. [1]
  4. ^ Naomi Klein, The Shock Doctrine, Metropolitan Books, New York, NY 2007.
  5. ^ “European call for 'Bretton Woods II'”. Financial Times. (2008ねん10がつ16にち). http://www.ft.com/cms/s/0/7cc16b54-9b19-11dd-a653-000077b07658.html 2009ねん3がつ17にち閲覧えつらん 
  6. ^ for example John Ravenhill, in chapter 1 of his 2005 book Global Political Economy
  7. ^ E.g. compare John Ravenhill's 2005 edition of Global Political Economy with the edition published in December 2007.
  8. ^ Cohen, Benjamin J. (2008). International Political Economy: An Intellectual History. Princeton University Press.
  9. ^ New Political Economy Symposium: The ‘British School' of International Political Economy Volume 14, Issue 3, September 2009
  10. ^ "Not So Quiet on the Western Front: The American School of IPE". Review of International Political Economy, Volume 16 Issue 1 2009
  11. ^ http://www2.warwick.ac.uk/fac/soc/pais/research/ipe/ripedebates/2008 The 2008 Warwick RIPE Debate: ‘American’ versus ‘British’ IPE

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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