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地下ちかかく実験じっけん制限せいげん条約じょうやく

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地下ちかかく実験じっけん制限せいげん条約じょうやく
通称つうしょう略称りゃくしょう TTBT
署名しょめい 1974ねん7がつ3にち
署名しょめい場所ばしょ モスクワ
発効はっこう 1990ねん12月11にち
締約ていやくこく アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくソビエト連邦れんぽう
おも内容ないよう 地下ちかかく実験じっけん制限せいげんおよびその検証けんしょう
関連かんれん条約じょうやく 部分ぶぶんてきかく実験じっけん禁止きんし条約じょうやく包括ほうかつてきかく実験じっけん禁止きんし条約じょうやく
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地下ちかかく実験じっけん制限せいげん条約じょうやく(ちかかくじっけんせいげんじょうやく、Threshold Test Ban Treaty, TTBT)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくソビエト連邦れんぽうとのあいだむすばれたかく実験じっけん制限せいげんかんする条約じょうやく

正式せいしき名称めいしょうは「地下ちか核兵器かくへいき実験じっけん制限せいげんかんするアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくとソビエト社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく連邦れんぽうとのあいだ条約じょうやく」(ロシア: Договор между Союзом Советских Социалистических Республик и Соединенными Штатами Америки об ограничении подземных испытаний ядерного оружия英語えいご: Treaty Between The United States of America and The Union of Soviet Socialist Republics on the Limitation of Underground Nuclear Weapon Tests )。地下ちかかく実験じっけんにおける最大さいだいかく出力しゅつりょくを150ktに制限せいげんし、その検証けんしょうまでを規定きていしている[1]1974ねん7がつ3にち署名しょめい、1990ねん12月11にち発効はっこう[2]

概要がいよう[編集へんしゅう]

1963ねん発効はっこうした部分ぶぶんてきかく実験じっけん禁止きんし条約じょうやく (PTBT) をすすめ、地下ちかかく実験じっけんにも制限せいげんくわえる条約じょうやくであり、核兵器かくへいき開発かいはつ制限せいげん目的もくてきにしている[1]。PTBTでは実験じっけんかく出力しゅつりょく制限せいげんいため、たとえばアメリカでは、1971ねんのアムチトカとうにおけるグロメット作戦さくせんカニキン実験じっけんのようにメガトンきゅう地下ちかかく実験じっけんおこなわれていた。ほん条約じょうやくではかく出力しゅつりょく最大さいだい150ktに制限せいげんしている(だい1じょう)。条約じょうやくは、1974ねん7がつ3にちモスクワにて、リチャード・ニクソンレオニード・ブレジネフ署名しょめいした。

条約じょうやく本文ほんぶんにおいて、最大さいだいかく出力しゅつりょく150ktの制限せいげんのほか、その検証けんしょうおこなうこと規定きていしている。条約じょうやく有効ゆうこう期間きかんは5年間ねんかんであり、自動じどう延長えんちょうされるが、「異常いじょう事態じたい自国じこく至高しこう利益りえきあやうくしているとみとめる場合ばあい」(NPTなどどう規定きていあり)には脱退だったいできるとされている。平和へいわてきかく爆発ばくはつ対象たいしょうがいだい3じょう)であり、こちらは1976ねん5がつ署名しょめいされた平和へいわ目的もくてき地下ちかかく爆発ばくはつ制限せいげん条約じょうやく (PNET) にてかく出力しゅつりょく制限せいげんされた。附属ふぞく議定ぎていしょにおいて、かく実験じっけんさい検証けんしょう方法ほうほう規定きていされており、かく実験じっけんじょう位置いち地学ちがくてき地球ちきゅう物理ぶつりがくてき情報じょうほう通報つうほうおよかく実験じっけん日時にちじ通報つうほうなどがさだめられている。これらは、地震じしんもちいた地下ちかかく実験じっけんかく出力しゅつりょく測定そくていおこなうために必要ひつよう情報じょうほうである。

平和へいわ目的もくてき地下ちかかく爆発ばくはつ制限せいげん条約じょうやく交渉こうしょうもあり、アメリカでは1976ねんまで議会ぎかい提出ていしゅつされなかった[2]冷戦れいせん影響えいきょうにより、検証けんしょう実験じっけんおこなわれず、批准ひじゅんおこなわれなかった。しかし、1976ねん両国りょうこくともかく実験じっけんにおける、この制限せいげん遵守じゅんしゅすると宣言せんげんしている[2]1980年代ねんだい後半こうはんはいり、べいソが接近せっきんすると、1987ねんから検証けんしょう実験じっけん協議きょうぎはい[3]、1988ねんには共同きょうどう検証けんしょう実験じっけんかんする条約じょうやく (The Agreement to Conduct a Joint Verification Experiment, JVE) を締結ていけつ批准ひじゅんし、ネバダかく実験じっけんじょうセミパラチンスクかく実験じっけんじょうにおいて共同きょうどう検証けんしょう実験じっけんおこない、かく出力しゅつりょく観測かんそくされる地震じしん関係かんけい較正こうせいかく実験じっけんかく出力しゅつりょく検証けんしょう体制たいせいととのえられた[1]。なお、技術ぎじゅつてき問題もんだいにより、意図いとしない軽微けいびかく出力しゅつりょく制限せいげん違反いはんは、しょうすうかいならば条約じょうやく違反いはんとはしないが協議きょうぎ対象たいしょうとはなりえることが合意ごういされていた[2]

冷戦れいせん終結しゅうけつもあり、批准ひじゅんの1990ねん12月11にちにPNETとともに発効はっこうした[2]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 包括ほうかつてきかく実験じっけん禁止きんし条約じょうやく(CTBT)と検証けんしょう制度せいどについて(2)- べい地下ちかかく実験じっけん制限せいげん条約じょうやく(TTBT)の発効はっこうけて ― 軍縮ぐんしゅく拡散かくさん促進そくしんセンター 小山こやま謹二きんじ 2006 ねん 9 がつ
  2. ^ a b c d e U.S. Department of State, Bureau of Arms Control オリジナル(リンクれ)よりアーカイブ
  3. ^ 外交がいこう青書せいしょ 1988ねん,日本国にっぽんこく外務省がいむしょう

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]