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坂本さかもとたねかおる

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坂本さかもと たねかおる
(さかもと たねよし)
創作そうさく奇術きじゅつ香炉こうろひも」をえんじる坂本さかもとたねかおる
(『奇術きじゅつ世界せかい』1955ねん新装しんそうばん
生誕せいたん (1898-12-26) 1898ねん12月26にち
岩手いわてけん上閉伊かみへいぐん綾織あやおりむら
死没しぼつ 1988ねん(89さいぼつ
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
教育きょういく 米沢よねざわ高等こうとう工業こうぎょう学校がっこう
業績ぎょうせき
専門せんもん分野ぶんや えき港湾こうわん工場こうじょうなどの荷役にやく機械きかい設計せっけい製作せいさく可動かどうきょう可動かどう設計せっけい
勤務きんむさき 石川いしかわとう造船ぞうせんしょ鉄道てつどうしょう
設計せっけい 筑後川ちくごがわのぼりひらくきょう青函せいかん連絡れんらくせん桟橋さんばし可動かどうきょうなど
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坂本さかもと たねかおる
べつ名義めいぎ 天城あまぎ 勝彦かつひこ(あまぎ かつひこ)
職業しょくぎょう 奇術きじゅつ奇術きじゅつ研究けんきゅう
ジャンル 奇術きじゅつ
活動かつどう期間きかん 1932ねん - 1982ねん
所属しょぞく劇団げきだん 東京とうきょうアマチュア・マジシャンズ・クラブ
おも作品さくひん
香炉こうろひも
 
受賞じゅしょう
スフィンクスしょう(アメリカ、1938ねん
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坂本さかもと たねかおる(さかもと たねよし、1898ねん明治めいじ31ねん12月26にち[1] - 1988ねん昭和しょうわ63ねん[2][3])は、日本にっぽん技師ぎし、アマチュア奇術きじゅつ奇術きじゅつ研究けんきゅう[4][5]筆名ひつめい天城あまぎ 勝彦かつひこ(あまぎ かつひこ[6][7]技師ぎしとしては、九州きゅうしゅう筑後川ちくごがわのぼりひらくきょうはじめとする、おおくの可動かどうきょう設計せっけいした[2]奇術きじゅつとしては、日本にっぽんはつのアマチュア奇術きじゅつ団体だんたいである「東京とうきょうアマチュア・マジシャンズ・クラブ(Tokyo Amateur Magicians Club、以下いかTAMCとりゃく[8]」で中心ちゅうしんてき人物じんぶつとして活躍かつやくした[9][10]。また、アメリカ奇術きじゅつ雑誌ざっしスフィンクス英語えいごばん」から奇術きじゅつ優秀ゆうしゅう作品さくひんおくられる「スフィンクスしょう[* 1]」を、日本人にっぽんじんとしてはじめて受賞じゅしょうした[7][11]

経歴けいれき

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岩手いわてけん上閉伊かみへいぐん綾織あやおりむら遠野とおの出身しゅっしん[12]じゅうだい前半ぜんはんころに、「印度いんど蝦蟇がま妖術ようじゅつ」という記事きじみ、奇術きじゅつ興味きょうみいた[13]

米沢よねざわ高等こうとう工業こうぎょう学校がっこう山形大学やまがただいがく)で、機械きかい工学こうがく専攻せんこうした[12]卒業そつぎょう石川いしかわとう造船ぞうせんしょ石川島播磨いしかわじまはりま重工じゅうこうIHI)での機械きかい設計せっけい[12]鉄道てつどうしょう入省にゅうしょう[7]工作こうさくきょく技師ぎしとして[14]えき港湾こうわん工場こうじょうなどの荷役にやく機械きかい設計せっけい製作せいさく従事じゅうじした[2]。その一方いっぽうで、当時とうじ娯楽ごらくとして映画えいが全盛期ぜんせいきであり、映画えいが合間あいまおな小屋こや奇術きじゅつおこなわれており、このんでていた[12]

結婚けっこんにもうけた長男ちょうなん早世そうせいし、悲嘆ひたんれていたところへ[12]、それを気遣きづかった友人ゆうじんすすめで、1932ねん昭和しょうわ7ねん)から奇術きじゅつはじめて[15]昭和しょうわ初期しょき奇術きじゅつである阿部あべ徳蔵とくぞう1889ねん明治めいじ22ねん〉 - 1944ねん昭和しょうわ19ねん[16])に師事しじした[7]1934ねん昭和しょうわ9ねん)に、きゅう国鉄こくてつもうけられていた奇術きじゅつグループからのさそいで、緒方おがた知三郎ともさぶろうらの医師いしグループとともにTAMCを結成けっせいした[12]坂本さかもとはこのクラブで5代目だいめと7代目だいめ会長かいちょうつと[10]のち名誉めいよ会長かいちょう就任しゅうにんした[1]本職ほんしょく技師ぎしとしては、筑後川ちくごがわのぼりひらくきょう当時とうじは「筑後川ちくごがわ橋梁きょうりょう[14])や、青函せいかん連絡れんらくせん桟橋さんばし可動かどうきょうなど、おおくの可動かどうきょう設計せっけいした[2]

戦中せんちゅうに、戦争せんそう激化げきかしたことで鉄道てつどうしょう退しりぞき、飛行機ひこうき製作せいさく専門せんもんメーカーをこした[17]。そのかたわら、一時いちじ遠野とおの帰郷ききょうし、戦争せんそう疲弊ひへいした人々ひとびと慰問いもんで、劇場げきじょうまわりやドサまわりをおおった[17]戦後せんごふたた上京じょうきょう[17]実業じつぎょう専念せんねん[7]神奈川大学かながわだいがく工学部こうがくぶ講師こうしつとめた[15][17]

1988ねん昭和しょうわ63ねん)、89さい死去しきょした[3][18]墓碑ぼひ奇術きじゅつ阿部あべ徳蔵とくぞうおなじく、東京とうきょう文京ぶんきょう吉祥寺きちじょうじにある[9]

技師ぎしとして

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青函せいかん連絡れんらくせん桟橋さんばし可動かどうきょうなど、おおくの可動かどうきょう設計せっけいした[2]坂本さかもとにとっては、技術ぎじゅつ奇術きじゅつ表裏一体ひょうりいったいであり、坂本さかもと設計せっけいしたおおくの可動かどうきょうには、奇術きじゅつのアイディアがかされた[2][19]

筑後川ちくごがわのぼりひらくきょう

現存げんそんするのぼりひらくしき可動かどうきょうとしては日本にっぽん最古さいこ日本にっぽん最大さいだい筑後川ちくごがわのぼりひらくきょうも、坂本さかもと可動かどう設計せっけい手掛てがけた[2][20]坂本さかもとがこのはし使用しようした「片側かたがわまき上方かみがたしき」は、従来じゅうらい可動かどうきょうられなかったあらたな考案こうあんであった[21]完成かんせい当時とうじ、このはし可動かどうする光景こうけいは、地元民じもとみんにとってはまさに魔法まほうたようなおどろきであった[22]1937ねんにはこの模型もけいパリ万国博覧会ばんこくはくらんかい出品しゅっぴんされて、好評こうひょうはくした[21][22]坂本さかもと後年こうねんに、「あたらしいトリックでひとおどろかすことがきで、そんな心理しんりのぼりひらくきょう設計せっけいにはたらいた[* 2]」とかえっており[2]三男さんなん坂本さかもと圭史けいし(アマチュア奇術きじゅつ[4][13]、1982ねん著作ちょさく『たのしいマジック』などの共著きょうちょしゃ)も「のぼりひらくきょう可動かどう装置そうちが、イリュージョン人体じんたい浮揚ふようじゅつ』の仕掛しかけと力学りきがくてき共通きょうつうし、ちち趣味しゅみ手品てじなからられた知恵ちえ仕事しごとにもかしていた[* 3]」とかたっている[20]

坂本さかもとにとって、のぼりひらくきょうみずからの技術ぎじゅつ集大成しゅうたいせいともいえ[2]坂本さかもとのぼりひらくきょうみずからの代表だいひょうさくとして「息子むすこ」「よんなんぼう」とも公言こうげんしていた[3][18]1987ねん昭和しょうわ62ねん)にきゅう国鉄こくてつ民営みんえいされ、佐賀さがせん廃止はいしされたのちは、佐賀さがせん鉄道てつどう橋梁きょうりょうとして建設けんせつされた筑後川ちくごがわのぼりひらくきょう閉鎖へいさされたことで[23]、「筑後川ちくごがわのぼりひらくきょうこわされる」と危惧きぐし、のぼりひらくきょうかる福岡ふくおかけん大川おおかわおとずれた[3]。「歴史れきしてき遺産いさんとしてぜひのこしてほしい」とねがっていたが[18]のぼりひらくきょう保存ほぞん決定けってい1992ねん平成へいせい4ねん)であり[24]坂本さかもと生前せいぜんにその決定けっていることはなかった[3]

没後ぼつご1996ねん平成へいせい8ねん)に、のぼりひらくきょう遊歩道ゆうほどうとして再生さいせいされたのちは、同年どうねん4がつ29にち開通かいつう記念きねん式典しきてんで、坂本さかもと圭史けいし遺族いぞく出席しゅっせきした[18][25]2011ねん平成へいせい23ねん)ののぼりひらくきょう改装かいそう記念きねん式典しきてんでは、のぼりひらくきょうがデザインされたトランプが記念きねんひんとして出席しゅっせきしゃたちに配布はいふされ、坂本さかもとのことが「可動かどう装置そうち原理げんり考案こうあんした鉄道てつどうしょう技手ぎしゅ世界せかいてきしょう『スフィンクスしょう』を受賞じゅしょうするなどアマチュア手品てじなとしても有名ゆうめいです。坂本さかもと功績こうせきがきらめく筑後川ちくごがわのぼりひらくきょうがデザインされたトランプでマジックはいかが[* 4]』 と記載きさいされた[2][26]

奇術きじゅつとして

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奇術きじゅつとして舞台ぶたいさいは、とく新作しんさく奇術きじゅつ考案こうあん創作そうさくこのんだ[7]技師ぎしとしての経験けいけんから、機械きかい仕掛しかけのトリックを得意とくいとした[15]1937ねん昭和しょうわ12ねん)に東京とうきょう日本にっぽん劇場げきじょうで「魔術まじゅつあき」を開催かいさい[27]紙幣しへい印刷いんさつ応用おうようで、機械きかいれたものがなんでもおおきくなる「物品ぶっぴんばしじゅつ」を披露ひろうした[27]おりしも戦時せんじによる物資ぶっし不足ふそく時代じだいもあり、大変たいへん好評こうひょうはくした[27]1952ねん昭和しょうわ27ねん[5])、無類むるい奇術きじゅつきである帝国ていこく劇場げきじょう社長しゃちょうはた豊吉とよきちにより、帝劇ていげきで「てんいち天勝てんかつ」とだいした舞台ぶたい開催かいさいされたさいには、30種類しゅるい以上いじょう仕掛しかけをすべて坂田さかた手掛てがけた[28]

奇術きじゅつかたわらで、ちょうつね現象げんしょう心霊しんれい現象げんしょう科学かがくてき解明かいめいにもあたっていた[7]1946ねん昭和しょうわ21ねん)の著書ちょしょ魔術まじゅつ』においては、「真正しんせい心霊しんれい現象げんしょう実存じつぞんしないものとはもうしません。またありないこととでありますまい[* 5]」と譲歩じょうほする一方いっぽうで、「すくなくとも現代げんだい心霊しんれいじゅつしゃだい部分ぶぶんが、あるひは鑑札かんさつ奇術きじゅつ一人ひとりづつではないか[* 6]」とし、奇術きじゅつはただ1失敗しっぱい致命ちめいてきになることから、「(心霊しんれいじゅつしゃが)きゅう失敗しっぱいいち成功せいこうはれるといふ重宝ちょうほう事実じじつを、よく心得こころえ[* 6]」「心霊しんれい現象げんしょうてき奇術きじゅつてなければ奇術きじゅつになりませんが、奇術きじゅつてき心霊しんれい現象げんしょうたらなくともささえ[* 6]」ないと主張しゅちょうした[29]

雑誌ざっししん青年せいねん誌上しじょうでも「天城あまぎ勝彦かつひこ」の名義めいぎで、「魔術まじゅつがく」とだいした連載れんさい記事きじ掲載けいさいし、心霊しんれい現象げんしょう解明かいめいについての解説かいせつ展開てんかいした[7]筆名ひつめいの「天城あまぎ勝彦かつひこ」は、奇術きじゅつ初代しょだい松旭斎天勝しょうきょくさいてんかつの「天勝てんかつ」をもじったもので[5]国家こっか公務員こうむいんであったため実名じつめい使つかえず、筆名ひつめいとして名乗なのったである[30]。「魔術まじゅつがく」においては、ハンガリーの「脱出だっしゅつおう」とされる奇術きじゅつハリー・フーディーニ[7][31]アメリカ霊媒れいばいとされるフォックス姉妹しまい[31]日本にっぽん明治めいじ時代じだい透視とうし能力のうりょく実験じっけんられる御船みふね千鶴子ちづこ長尾ながお郁子いくこらも研究けんきゅう対象たいしょうげていた[32]評論ひょうろん中島なかじま河太郎かわたろう奇術きじゅつによる心霊しんれい現象げんしょう解明かいめいという手法しゅほうについて、「奇術きじゅつでありながら、一辺倒いっぺんとうてき態度たいどらぬ厳正げんせいさには好感こうかんがもてる[* 7]」と評価ひょうかしている[33]

奇術きじゅつ関係かんけい書作しょさくぶつおお[1][4]とく1943ねん昭和しょうわ18ねん)に刊行かんこうした本格ほんかくてき著作ちょさく奇術きじゅつ世界せかい[9]』は、戦時せんじ物資ぶっし不足ふそくにより刊行かんこうすうすくなかったものの、戦後せんご1955ねん昭和しょうわ30ねん)に再版さいはんされ、その日本にっぽん奇術きじゅつかい多大ただい影響えいきょうあたえた[34]。これに先駆さきがけてTAMCの会報かいほうでは、アメリカの奇術きじゅつであるハワード・サーストン英語えいごばん提唱ていしょうした、奇術きじゅつ心構こころがまえをしめす「サーストンのさん原則げんそく」(あらかじめ奇術きじゅつ経過けいかはなさない、おな奇術きじゅつを2かえさない、種明たねあかしをしない[9])を日本語にほんご翻訳ほんやくして、1937ねん12がつごう紹介しょうかいし、この心得こころえ日本にっぽん奇術きじゅつあいだひろまるきっかけをつくった[9]1956ねん昭和しょうわ31ねん)に創刊そうかんされた奇術きじゅつ専門せんもん雑誌ざっし奇術きじゅつ研究けんきゅう」の発刊はっかんにも尽力じんりょくし、日本にっぽん初期しょき奇術きじゅつかい発展はってんのために貢献こうけんした[9]

日本にっぽん国外こくがいでの評価ひょうかたか[29]1935ねんに、インドのロープの奇術きじゅつヒンズーロープ)を舞台ぶたいした創作そうさく奇術きじゅつ香炉こうろひも[28]」により、世界せかいアマチュア奇術きじゅつ選手権せんしゅけん優勝ゆうしょうした[13]1937ねんには、アメリカの著名ちょめい奇術きじゅつ雑誌ざっしである「スフィンクス」の8がつごうで、同誌どうし主筆しゅひつであるジョン・マルホランド英語えいごばん知己ちきである阿部あべ徳蔵とくぞう石田いしだ天海てんかいらとともに、坂本さかもと作品さくひん掲載けいさいされた[9]よく1938ねんには「香炉こうろひも」により、雑誌ざっし「スフィンクス」の主催しゅさいによるスフィンクスしょう受賞じゅしょうした[7][35]日本人にっぽんじんでのどうしょう受賞じゅしょうは、坂本さかもとはじめてである[11]。この受賞じゅしょうについて、奇術きじゅつ初代しょだい引田ひきたたかしいさおは「あれくらいになりますとまさにひとつの芸術げいじゅつですよ[* 8][28]石田いしだ天海てんかいは「奇術きじゅつ国境こっきょう人種じんしゅてき差別さべつもなく、いものはいと率直そっちょくみとめるアメリカ本来ほんらい精神せいしん発揮はっきされた[* 9]」とひょうした[35]

著作ちょさく

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技師ぎし関連かんれん

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  • ものあげ運搬うんぱん機械きかい鉄道てつどう時報じほうきょく、1931ねんNCID BA45415283 
  • 坂本さかもとたねよし「ダム建設けんせつようセメントのバラせき輸送ゆそうはじまる」『荷役にやく機械きかいだい2かんだい10ごう通運つううん荷役にやく研究所けんきゅうじょ、1951ねん10がつ、9-11ぺーじNAID 40018384500 論文ろんぶん
  • 最新さいしん荷役にやく機械きかい知識ちしき理工りこう図書としょ、1956ねんNCID BN10233157 
  • 近代きんだいてき建物たてもの機械きかい設備せつび エレベーター・エスカレーター・煖房だんぼう換氣かんき冷房れいぼう給水きゅうすい其他』鐵道てつどう圖書としょきょく、1934ねん4がつNCID BN14589339 共著きょうちょ
  • 荷役にやくおよ運搬うんぱんゆうぞうどう出版しゅっぱん、1939ねん4がつNCID BN15642867 共著きょうちょ
  • 天井てんじょうクレーンの計画けいかく設計せっけい理工りこう図書としょ、1982ねん1がつISBN 978-4-8446-0222-4 共著きょうちょ

奇術きじゅつ関連かんれん

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 「スフィンクス」掲載けいさいされた奇術きじゅつ作品さくひんうち、プロとアマチュアそれぞれ1にんずつ、最優秀さいゆうしゅう作品さくひん表彰ひょうしょうするもの[9]
  2. ^ いけもり 2020, p. 16より引用いんよう
  3. ^ 大川おおかわ 2015より引用いんよう
  4. ^ いけもり 2020, p. 17より引用いんよう
  5. ^ みなみ 1981, p. 28より引用いんよう
  6. ^ a b c みなみ 1981, p. 27より引用いんよう
  7. ^ 中島なかじま 1991, p. 429より引用いんよう
  8. ^ 労働ろうどう文化ぶんか 1970, p. 6より引用いんよう
  9. ^ みなみ 1981, p. 35より引用いんよう

出典しゅってん

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  10. ^ a b 歴代れきだい会長かいちょう”. 東京とうきょうアマチュア・マジシャンズ・クラブ. 2021ねん4がつ25にち閲覧えつらん
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参考さんこう文献ぶんけん

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