塚田 茂
つかだ しげる | |
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1926 | |
2008 | |
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来歴 ・人物
[1946
1950
1955
このほか、
1990
2008
夜 のヒットスタジオの構成 を引 き受 ける
[スタッフ東京 設立
[1970
「スタッフ
主 な出演 番組
[- 600 こちら
情報 部 (NHK、子供 からの相談 の回答 者 ) - オールスター
家族 対抗 歌合戦 (フジテレビ、一時期 審査 員 を務 めていた) 夜 のゴールデンショー(フジテレビ、司会 ・構成 )独身 のスキャット(TBS、第 2話 ゲスト)歌謡 曲 ニッポン戦前 戦後 人気 歌謡 投票 (ニッポン放送 )塚田 茂 ヤングショー→サタデーニッポン(ニッポン放送 )- コント55
号 と水前寺 清子 のワン・ツー・パンチ三 百 六 十 五 歩 のマーチ(映画 、幕 引 き役 ) - ビッグスペシャル(NET
系 、1974年 5月 27日 &6月3日 、いずれも審判 長 として出演 )
主 な構成 演出 番組
[轟 先生 (日本 テレビ)- お
昼 の演芸 (日本 テレビ) 美女 と野獣 たち(TBS)- ロッテ
歌 のアルバム(TBS) 人生 ご案内 (TBS)- シャボン
玉 ホリデー(日本 テレビ) - ホイホイミュージックスクール(
日本 テレビ) 夜 のヒットスタジオ(フジテレビ) -初期 には番組 本編 にもコメディリリーフとして出演 していた。- FNS
歌謡 祭 (フジテレビ) 小川 宏 ショー(フジテレビ)家族 そろって歌合戦 (TBS)- TBS
歌謡 曲 ベストテン → TBS歌 のグランプリ(TBS) 今週 のヒット速報 (フジテレビ)- お
昼 のゴールデンショー(フジテレビ) - オールスター
家族 対抗 歌合戦 (フジテレビ) 歌 のグランド・ショー(NHK)- スターどっきり(
秘 )報告 (フジテレビ) - ひらけ!ポンキッキ(フジテレビ)
- カックラキン
大 放送 (日本 テレビ) - ラブラブショー(フジテレビ)
- クイズ・ドレミファドン!(フジテレビ)
三波 伸介 の凸凹 大 学校 (テレビ東京 )- 8
時 だョ!全員 集合 (TBS) - お
笑 いオンステージ(NHK) 紅白 歌 のベストテン → ザ・トップテン(日本 テレビ)- ザ・ベストテン(TBS)
悪友 親友 (TBS)- サンデーモーニング(TBS)
- NHK
歌謡 ホール(NHK) - ゲーム ホントにホント?(NHK)
第 1回 -第 15回 初詣 !爆笑 ヒットパレード (フジテレビ)新春 かくし芸 大会 (フジテレビ)- ビッグベストテン(フジテレビ)
- Audition House(フジテレビ)
- おめでとう
郷 ひろみ・二谷 友里恵 結婚 披露宴 (フジテレビ) 大 爆笑 !テレビ30年 夢 のオールスター大 集合 (生 ) スペシャル(テレビ朝日 )- アイドル
共和 国 (テレビ朝日 ) 郷 ひろみの宴 ターテイメント(テレビ朝日 )- NHK
紅白 歌合戦 (NHK)、ほか
主 な作詞
[- 「めんどうみたヨ」(ハナ
肇 とクレージーキャッツ) - 「
馬鹿 は死 んでも直 らない」(ハナ肇 とクレージーキャッツ) - 「
無責任 数 え唄 」(ハナ肇 とクレージーキャッツ) - 「
銀色 の道 」(ダークダックス、ザ・ピーナッツ) - 「
涙 のかわくまで」(西田 佐知子 )
著書
[- 『どんどんクジラの
笑劇 人生 ―人気 番組 で綴 るテレビバラエティ史 』河出書房新社 、1991年 3月 。ISBN 978-4309006796。
関連 人物
[三橋 美 智也 - 1956
年 、塚田 は三 橋 を日 劇 のワンマンショーの看板 として抜擢 。当時 の日 劇 のワンマンショーといえば戦前 ・戦中 から活躍 している大物 のベテラン歌手 の独擅場 で、当時 既 に別格 の存在 として扱 われていた美空 ひばりを除 き、総 じて戦後 派 の歌手 が入 り込 む余地 がなかったところに、当時 、歌謡 曲 歌手 としてデビューしてまだ2年 足 らずの三 橋 を起用 したことは、日 劇 の歴史 上 でも、また戦前 派 から戦後 派 へと歌謡 界 の主役 の世代 交代 が急速 に加速 する契機 を与 えたという意味 において、歌謡 史上 においても画期的 な出来事 であった。
小柳 ルミ子 塚田 がタレントとしても活動 していた頃 、東京 12チャンネルのボウリング番組 の司会 に抜擢 されたことがあり、その時 に、渡辺 プロから歌手 デビュー前 のある新人 をアシスタントとしてキャスティングされた。しかし、そのアシスタントは強度 の近眼 とキャリア不足 のため、フロアディレクターのサインを解読 できず、番組 がスタートして早々 に降板 させられた。その後 、とある歌謡 番組 の打 ち合 わせで渡辺 プロの関係 者 から「今度 デビューする新人 です。よろしくお願 いします」とあいさつされた際 、その紹介 された新人 歌手 がその時 のアシスタントであったことに気 づく。その新人 歌手 は小柳 ルミ子 であった。その際 、彼女 のデビュー曲 わたしの城下町 のデモテープを渡 され、後 に試聴 したところ、小柳 のあまりの新人 離 れした歌唱 力 に塚田 は圧倒 されたという。
玉置 宏 文化放送 退職 後 、程 なくのときに上記 の三橋 美 智也 ショーの司会 進行 に抜擢 される。このときの司会 ぶりから、1958年 からは塚田 が主要 ブレーンを務 める『ロッテ歌 のアルバム』の司会 にも起用 されることとなった。
前田 武彦 - 『シャボン
玉 ホリデー』などテレビ創成 期 の名 番組 の多 くに、共 に主要 な番組 ブレーンの一員 として参加 。その中 で堅 い盟友 関係 を築 き、その縁 で『お昼 のゴールデンショー』や『夜 のヒットスタジオ』の初代 司会 に抜擢 された。
芳村 真理 - 1966
年 、塚田 は『小川 宏 ショー』の2代目 ホステス役 に当時 女優 として活動 していた芳村 を起用 。これを機 に芳村 は女優 業 を完全 に廃業 し、以後 は司会 ・放送 タレント業 一 本 に絞 って芸能 活動 を展開 することとなった。その後 も夜 ヒットを初 め、『ラブラブショー』『新春 かくし芸 大会 』『FNS歌謡 祭 』など塚田 の代表 作 の多 くで司会 に起用 された。
- ハナ
肇 とクレージーキャッツ - 『シャボン
玉 ホリデー』『8時 だョ!出発 進行 』などのメインキャスト。彼 らとの出会 いがきっかけとなり、塚田 は後 に渡辺 プロと強 いパイプを築 くこととなった。
- ザ・ドリフターズ
- 『8
時 だョ!全員 集合 』のメインキャスト。とりわけリーダー・いかりや長介 とは兄弟分 のような間柄 であり、コントの内容 や番組 の演出 手法 で幾 たびも塚田 といかりやは衝突 を繰 り返 しながらも、その度 に強固 な信頼 関係 を確立 。視聴 率 50%を超 えるお化 け番組 への発展 の土壌 構築 に大 きく貢献 した。
三波 伸介 無名 時代 から塚田 は三 波 率 いる「てんぷくトリオ」を、演芸 界 の次世代 を担 いうる逸材 として高 く評価 し、自身 の担当 する番組 に彼 らを積極 的 に起用 し、人気 上昇 の道筋 を作 った。この縁 からソロ活動 が主 となった後 も三 波 は、夜 ヒットや『スターどっきり(秘 )報告 』などの塚田 の代表 的 な担当 番組 の多 くに司会 として抜擢 されている。
- コント55
号 (萩本 欽一 ・坂上 二郎 ) - 1968
年 2月 の日 劇 公演 「西田 佐知子 ショー」での好演 ぶりを買 って、金曜 の担当 プロデューサーだった常田 久仁子 へ塚田 が推薦 するという形 で『お昼 のゴールデンショー』レギュラーに起用 したところ、瞬 く間 に人気 沸騰 。「てんぷくトリオ」と同様 、コント55号 にとっても塚田 は「恩人 」ともいえる存在 であった。後 に萩本 は『オールスター家族 対抗 歌合戦 』の司会 に単独 で抜擢 され、この番組 でのゲストの家族 とのやり取 りを通 じて、後 の自身 の主演 番組 の多 くで見 られた「素人 いじり」の技術 を身 に付 けていった。
疋田 拓 塚田 は、夜 のヒットスタジオを始 め『ラブラブショー』、『FNS歌謡 祭 』、『ビッグベストテン』、『オールスター水泳 大会 』、『スターどっきり(秘 )報告 』などフジテレビ制作 時代 からテレビ朝日 制作 時代 の『アイドル共和 国 』、『郷 ひろみの宴 ターテイメント』などの疋田 担当 の音楽 、バラエティー番組 、特別 番組 の構成 ・監修 を長年 に渡 って担当 した。
脚注
[注釈
[出典
[参考 文献
[志賀 信夫 『映像 の先駆 者 125人 の肖像 』日本 放送 出版 協会 、2003年 3月 。ISBN 978-4140807590。