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大国たいこくぬしくにづくり

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

大国たいこくぬしくにづくり(おおくにぬしのくにづくり)とは、日本にっぽん神話しんわでのだい国主こくしゅだいおのれ貴命きめい)の葦原よしわら中国ちゅうごくくにづくりのこと。

古事記こじき

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だい国主こくしゅ出雲いずも美保みほみさきにいたとき、鵝(あやまりとされる)のかわまるぎにして衣服いふくとするちいさなかみが、うみ彼方かなたからてんせん(あめのかがみのふね)にってあらわれた。

大国たいこく主神しゅしん出雲いずも大社たいしゃ

大国たいこくぬしはそのちいさなかみたずねたが、こたえがなく、従者じゅうしゃもそのらなかった。そこにヒキガエルの邇具ひさしあらわれて、「これはひさのべ毘古(クエビコ)ならっているでしょう」とった。ひさのべ毘古にたずねると、「そのかみかみさんしん御子みこしょうめい毘古しんである」とこたえた。

ひさのべ毘古は山田やまだかかしで、歩行ほこうできないが、天下てんかのことはなにでもっているかみである。

かみさんしんしょうめい毘古自分じぶんみとめ、しょうめい毘古だい国主こくしゅ一緒いっしょくにづくりをするようにった。大国たいこくぬししょうめい毘古協力きょうりょくして葦原よしわら中国ちゅうごくくにづくりをおこなった。そのしょうめい毘古常世とこよった。

大国たいこくぬしは、「これから一人ひとりでどうやってくにつくればいのか」とった。そのときうみらしてやってかみがいた。

そのかみは、「なんじこうたましいたましい(さきみたまくしみたま)である。丁重ていちょうわたしまつれば、くにづくりに協力きょうりょくしよう」とった。どうまつるのかとうと、大和やまとこくひがしやまうえまつるようこたえた。このかみ現在げんざい諸山しょざん三輪山みわやま)に鎮座ちんざするかみ大物おおものぬし)である。

日本書紀にほんしょき

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日本書紀にほんしょきだいはちだん いちしょだいろくに、「だいおのれ貴命きめい(おおあなむち)としょう彦名ひこないのち(すくなひこな)は協力きょうりょくして天下てんか(あめのした)をいとなんだ。この人々ひとびと家畜かちくのために、やまい治療ちりょうほうさだめ、鳥獣ちょうじゅう昆虫こんちゅうがいを攘(はら)うために、きん(とど)めいや(はら)うほう禁厭きんえんのろい(まじな)い)をさだめた。以来いらい人々ひとびとはみなその恩恵おんけいこうむ(こうむ)っている」とあり、まず2かみ医薬いやくかみ農耕のうこうかみとして解説かいせつする。

つづいてだいおのれ貴命きめいしょう彦名ひこないのちに、「われらのつくりしくにせりとえるか」とかたった。しょう彦名ひこないのちは、「なりせるれば、らざるもり」とこたえ、この会話かいわのちしょう彦名ひこないのち熊野くまの碕(みさき)にて、「つい常世とこよきょう(とこよのくに)にてき(いでま)しき。」または、「あわしま(あわのしま)にき、あわくき(あわがら)にのぼったところ、たま(はじ)かれ常世とこよきょうわたいたともう」とあり、『古事記こじき』よりこまかい描写びょうしゃがなされる。なお、これ以降いこうだいおのれ貴命きめい」が「だいおのれかみ」と敬称けいしょうわる。

そのくになか未完成みかんせいところを、だいおのれかみ一人ひとりのう(よ)くめぐづくり、そして出雲いずもこくいたる。言葉ことばして、「そもそも葦原よしわら中国ちゅうごく最初さいしょより、あらすすき(あら)びたり。いわ草木くさきいたるまでことごとくのう(よ)くつよく暴(あら)し。しかしわたしが摧(くだ)きせ、かずじゅん(まつろ)わざる(したがわないもの)莫(な)し」とった。そしてつづけて、「いまこのくに(おさ)むるはわたし一身いっしん(ひとり)だけだ。わたしとともに天下てんかむべきしゃは、たしているか」とったとある。

古事記こじき』とはちがい、しょう彦名ひこないのち常世とこよきょうわたったのちに、だいおのれ貴命きめい単身たんしん葦原よしわら中国ちゅうごくくにづくりをおこなっている。そのは『古事記こじき』と同様どうように、かがやこうたましいたましい遭遇そうぐうする。そのかみだいさんりん(おおみわ)のかみなりとある。

最後さいごしょう彦名ひこないのち遭遇そうぐうするシーンとなり、はじだいおのれかみくにたいら出雲いずもこくじゅうせませま(いささ)のしょうなぎさ(おはま)で飲食いんしょくしようとしたとき海上かいじょうからひとこえがした。おどろいてさがしたが、どこにも姿すがたえない。しばらくして、「一人ひとり小男こおとこ(おぐな)がしろ斂(かがみ)のかわふねとし、鷦鷯みそさざい(さざき)のはねころもとして、潮水しおみず(うしお)のずい(まにま)にかんでやってた」とあり、『古事記こじき』とは描写びょうしゃことなる。

そして、だいおのれかみてのひらきて玩(もてあそ)ぶと、ねてそのほおいた(もしくはかじった)。そこでその物色ぶっしょく(かたち)を奇妙きみょうおもい、使つかいつかわし天神てんじん(あまつかみ)に報告ほうこくした。すると、こうすめらぎさんれいみこと(たかみむすひ)が、「わたしんだいちせんひゃくはしらもいるが、そのなか一人ひとりはとてもわるく(わがまま・やんちゃ)ておしえにしたがわなかった。ゆびあいだからちたのが、きっとかれだろう。よろしくでてこれをやしなえ(ひた)せ」とこたえたとあり、これがしょう彦名ひこないのちであるとある。

古事記こじき』とおおきくちがうのが、かみすめらぎさんれいみことでなくこうすめらぎさんれいみこととなることと、ひさのべ毘古は存在そんざいしないことである。


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