だいきょう宣布せんぷ

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宣布せんぷだいきょうみことのり[1]
日本国政府国章(準)
日本にっぽん法令ほうれい
通称つうしょう略称りゃくしょう だいきょう宣布せんぷみことのり
法令ほうれい番号ばんごう 明治めいじ3ねん正月しょうがつ3にち
種類しゅるい 憲法けんぽう
公布こうふ 1870ねん2がつ3にち
条文じょうぶんリンク 法令ほうれい全書ぜんしょ 明治めいじ3ねんだい4】
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だいきょう宣布せんぷみことのり(たいきょうせんぷのみことのり)は、1870ねん2がつ3にち明治めいじ3ねん1がつ3にち)に明治天皇めいじてんのうによりされた詔書しょうしょ[2][3]天皇てんのう神格しんかくあたえ、神道しんとう国教こっきょうさだめて、日本にっぽん大日本帝国だいにっぽんていこく)を「祭政さいせい一致いっち国家こっか」とする国家こっか方針ほうしんしめした。

解説かいせつ[編集へんしゅう]

明治維新めいじいしん復古ふっこ神道しんとうほうじる平田ひらた国学こくがくしゃ中心ちゅうしん祭政さいせい一致いっちろんたかまり、明治めいじ2ねん7がつ8にち神祇官じんぎかんうち宣教せんきょう使設置せっちされ、宣教せんきょう長官ちょうかん中山なかやま忠能ただやすどう次官じかんぶく美静よししず任命にんめいされた。ぶく神祇官じんぎかん神祇じんぎしょうあらためられたのちには事実じじつじょう最高さいこう責任せきにんしゃである神祇じんぎ大輔だいすけつとめている。

つづいて、とき明治天皇めいじてんのうによりこの詔書しょうしょされ、「きょうあきらかにして惟神かんながらみち宣揚せんようすべし」という理念りねんされた。直接的ちょくせつてきにはキリスト教きりすときょう排撃はいげきし、宣教せんきょう使による神道しんとう振興しんこう国家こっかてき保護ほごしている。

だが、廃仏毀釈はいぶつきしゃくによる混乱こんらんいま地方ちほう政府せいふとしての機能きのうゆうしていたはん儒教じゅきょう仏教ぶっきょう重視じゅうし理念りねんとの対立たいりつ神祇じんぎ省内しょうない国学こくがくしゃあいだ路線ろせん対立たいりつさら欧米おうべいからのキリスト教きりすときょう弾圧だんあつ停止ていし要求ようきゅうかさなって神道しんとう国教こっきょううごきは不振ふしんつづき、明治めいじ5ねん3月14にち1872ねん4がつ21にち)のきょうしょう設置せっち宮中きゅうちゅう祭祀さいしはなし、宣教せんきょう使廃止はいしによってだいきょう宣布せんぷ見直みなおしをせまられることとなり、だいきょう宣布せんぷ路線ろせん再建さいけん強化きょうか目指めざしただいきょういん翌年よくねん設置せっちされることとなる。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 日本法令にほんほうれい索引さくいん
  2. ^ 安丸やすまる良夫よしお宮地みやじ正人まさとへん日本にっぽん近代きんだい思想しそう大系たいけい5 宗教しゅうきょう国家こっか』431ページ
  3. ^ 歴代れきだい詔勅しょうちょく』 p.66 河野こうの省三しょうぞう 内閣ないかく印刷いんさつきょく、1940ねん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん