宇賀うがダム

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
宇賀うがダム
宇賀ダム
左岸さがん所在地しょざいち 広島ひろしまけん広島ひろしま安佐北あさきた安佐町久地あさちょうくち
位置いち
宇賀ダムの位置(日本内)
宇賀ダム
北緯ほくい3432ふん25びょう 東経とうけい13223ふん16びょう / 北緯ほくい34.54028 東経とうけい132.38778 / 34.54028; 132.38778
河川かせん 太田おおたがわ水系すいけい高山川こうやまがわ
ダムみずうみ 宇賀うが調整ちょうせい
ダムしょもと
ダム型式けいしき 重力じゅうりょくしきコンクリートダム
つつみだか 31.5 m
つつみいただきちょう 108.0 m
つつみ体積たいせき 30,000
流域りゅういき面積めんせき 489.5 km²
たたえ水面すいめんせき 8.0 ha
そう貯水ちょすい容量ようりょう 903,000 m³
有効ゆうこう貯水ちょすい容量ようりょう 410,000 m³
利用りよう目的もくてき 発電はつでん
事業じぎょう主体しゅたい 中国電力ちゅうごくでんりょく
電気でんき事業じぎょうしゃ 中国電力ちゅうごくでんりょく
発電はつでんしょめい
認可にんか出力しゅつりょく
あいだ野平のだい発電はつでんしょ (24,500kW)
施工しこう業者ぎょうしゃ 森本組もりもとぐみ
着手ちゃくしゅねん/竣工しゅんこうねん 1958ねん/1959ねん
出典しゅってん 『ダム便覧びんらん宇賀うがダム [1] [1]
テンプレートを表示ひょうじ

宇賀うがダム(うがダム)は、広島ひろしまけん広島ひろしま安佐北あさきた太田おおたがわ水系すいけい高山川こうやまがわ建設けんせつされたダムたかさ31.5メートルの重力じゅうりょくしきコンクリートダムで、中国電力ちゅうごくでんりょく発電はつでんようダムである。同社どうしゃ水力すいりょく発電はつでんところあいだ野平のだい発電はつでんしょおくみずし、最大さいだい2まん4,500キロワットの電力でんりょく発生はっせいする。

歴史れきし[編集へんしゅう]

戦前せんぜんあいだ野平のだい発電はつでんしょ

太田川おおたがわ水系すいけいにおける水力すいりょく発電はつでん1912ねん明治めいじ45ねん7がつ[2]広島ひろしま電灯でんとう亀山かめやま発電はつでんしょ運転うんてん開始かいしはじまる[3]。その照明しょうめい工場こうじょう機械きかい電化でんかともな電力でんりょく需要じゅよう増加ぞうか1916ねん大正たいしょう5ねん)には太田おおたがわ水不足みずぶそくもあいまって、亀山かめやま発電はつでんしょだけでは電力でんりょく需要じゅようをまかないきれない状況じょうきょうおちいっていた。広島ひろしま電灯でんとう水力すいりょく発電はつでんくわ火力かりょく発電はつでん併用へいようして電力でんりょく供給きょうきゅうつとめ、電力でんりょく会社かいしゃ吸収きゅうしゅう合併がっぺいするなどして勢力せいりょくばしていった。そのころ、おな電力でんりょく会社かいしゃとして広島ひろしまけんにおいて勢力せいりょくを2ふんしていたのが広島ひろしまくれ電力でんりょくである。だいいち世界せかい大戦たいせん影響えいきょう工場こうじょう電化でんかがいっそうすすんだことと、海軍かいぐんまちとして発展はってんしていたくれいとな電気でんき鉄道てつどう事業じぎょう市電しでん)が同社どうしゃ好調こうちょう経営けいえいささえていた。しかし、だいいち大戦たいせん終結しゅうけつにもたらされた不景気ふけいき両社りょうしゃ経営けいえい悪化あっかさせたことから、両社りょうしゃ1921ねん大正たいしょう10ねん8がつ12にち合併がっぺいし、広島ひろしま電気でんき設立せつりつされた。同社どうしゃ発電はつでんしょ新設しんせつならびに老朽ろうきゅうした発電はつでんしょ更新こうしんによって経営けいえい合理ごうりはかってゆくという方針ほうしんのもと、水力すいりょく発電はつでんしょとして最初さいしょ建設けんせつ着手ちゃくしゅされたのが太田おおたがわ発電はつでんしょ(のちにあいだ野平のだい発電はつでんしょ改名かいめい)であった。これは亀山かめやま発電はつでんしょ上流じょうりゅう建設けんせつするもので、日立製作所ひたちせいさくしょせい水車みずぐるま発電はつでんを3だい設置せっち太田川おおたがわから16.7立方りっぽうメートル毎秒まいびょうみずれ、47.3メートルの落差らくさ利用りようして最大さいだい6,000キロワット(のちに9,000キロワットに増強ぞうきょう)の電力でんりょく発生はっせいするものである。工事こうじ1923ねん大正たいしょう12ねん)7がつ着工ちゃっこう1925ねん大正たいしょう14ねん)6がつ運転うんてん開始かいしした。こうして完成かんせいしたあいだ野平のだい発電はつでんしょであるが、そのうらでは水利すいりけんをめぐるあらそいがあった。

1917ねん大正たいしょう6ねん)、広島ひろしま電灯でんとうあいだ野平のだい発電はつでんしょふく太田川おおたがわ上流じょうりゅう水利すいりけん出願しゅつがんした。そこで競合きょうごうしたのが日本にっぽん窒素肥料ちっそひりょうげんチッソ)である。同社どうしゃ社長しゃちょう野口のぐちは、広島ひろしま化学かがく工場こうじょう開設かいせつ計画けいかくし、その操業そうぎょう必要ひつよう電力でんりょくをまかなうため太田おおたがわみず資源しげん着目ちゃくもくしていた。広島ひろしま電灯でんとう取締役とりしまりやくでもあった野口のぐち遵は1919ねん大正たいしょう8ねん)、広島ひろしま電灯でんとう社長しゃちょうって水利すいりけん出願しゅつがんりやめさせ、2しゃ共同きょうどう出願しゅつがんというかたちにしてあらためて出願しゅつがんした。こうしてられた水利すいりけんであったが、発電はつでんしょはいっこうに建設けんせつされる気配けはいがない。水利すいりけんは2しゃ共同きょうどう出資しゅっしのもと設立せつりつされ、野口のぐち社長しゃちょうつとめる中国電力ちゅうごくでんりょく現在げんざい中国電力ちゅうごくでんりょくとはべつ)に移管いかんされていたため、開発かいはつすすめたくともせずにいた広島ひろしま電灯でんとうおよび広島ひろしま電気でんきは、次第しだい野口のぐちたいする不信ふしんかんつのらせていった。広島ひろしま電気でんきとの不和ふわ察知さっちしたのか、野口のぐち中国電力ちゅうごくでんりょく島根しまねけん電力でんりょく会社かいしゃ出雲いずも電気でんき合併がっぺいさせ、同社どうしゃ水利すいりけんわたした。広島ひろしま電気でんきは、出雲いずも電気でんき太田おおたがわ水力すいりょく発電はつでんしょ建設けんせつし、これをあしがかりにして広島ひろしまへと進出しんしゅつしてくることをおそれた。広島ひろしま電気でんき出雲いずも電気でんき交渉こうしょうし、高額こうがく料金りょうきんえにしてでも出雲いずも電気でんきから水利すいりけんけ、発電はつでんしょ運営うんえいすることを選択せんたくした。こうした状況じょうきょう1933ねん昭和しょうわ8ねん)、裁判さいばん両社りょうしゃあいだ和解わかい成立せいりつするまでつづいた。

その太田川おおたがわ水系すいけい上流じょうりゅうおうはくダム立岩たていわダム樽床たるとこダムといった人造湖じんぞうこ次々つぎつぎ建設けんせつされたことで、ながれきょう一変いっぺんあいだ野平のだい発電はつでんしょ地点ちてんでの太田おおたがわ年間ねんかん平均へいきん河川かせん流量りゅうりょうは19.2立方りっぽうメートル毎秒まいびょうで、発電はつでんしょ使用しよう水量すいりょう7.6立方りっぽうメートル毎秒まいびょうおおきく上回うわまわっていた。そこで1958ねん昭和しょうわ33ねん)3がつ中国電力ちゅうごくでんりょくみず資源しげんをより有効ゆうこう活用かつようすべく、あいだ野平のだい発電はつでんしょさい開発かいはつ工事こうじ着工ちゃっこうした。あらたに水路すいろ敷設ふせつし、20立方りっぽうメートル毎秒まいびょうみず上流じょうりゅうきち発電はつでんしょ放水ほうすいおよび太田おおたがわ支流しりゅう水内川みのちがわかられて発電はつでんしょまでみちびく。水路すいろ途中とちゅうには調整ちょうせいとして宇賀うがダムの建設けんせつ計画けいかくされた。みず一時いちじてきたくわえ、電気でんきおお消費しょうひされるときあいだたい集中しゅうちゅうして発電はつでんできるようにするためのものである。発電はつでんしょにはあらたに水車みずぐるま発電はつでんを1だい増設ぞうせつし、宇賀うがダムから最大さいだい33立方りっぽうメートル毎秒まいびょうみず最大さいだい1まん5,000キロワットの電力でんりょく発生はっせいさせる。工事こうじ1959ねん昭和しょうわ34ねん)10がつ完成かんせいした。これにより、あいだ野平のだい発電はつでんしょ全体ぜんたい出力しゅつりょくは2まん4,000キロワットとなった。なお、1986ねん昭和しょうわ61ねん6月25にちにはさらに500キロワット増強ぞうきょうし、現在げんざい出力しゅつりょくは2まん4,500キロワットとなっている。

周辺しゅうへん[編集へんしゅう]

広島ひろしま自動車じどうしゃどう広島ひろしまきたインターチェンジから太田川おおたがわ沿いの国道こくどう191ごう上流じょうりゅうかってすすむと、対岸たいがんあいだ野平のだい発電はつでんしょえてくる。水圧すいあつ鉄管てっかんが1ほんしかえないが、やま斜面しゃめんにはもう1ほん水圧すいあつ鉄管てっかん埋設まいせつされている。かつては露出ろしゅつ水圧すいあつ鉄管てっかんが3ほんあり、3だい小型こがた水車みずぐるま発電はつでんへとみずおくっていたが、さい開発かいはつにより水車みずぐるま発電はつでんが1だい大型おおがたにまとめられたことで、水圧すいあつ鉄管てっかんも1ほんのみとなったようである。

発電はつでんしょぎてあいだもなく、太田おおたがわ合流ごうりゅうする支流しりゅうこう山川やまかわ上流じょうりゅう宇賀うがダムがある。高山川こうやまがわ宇賀うがかいばれる峡谷きょうこく形成けいせいしており、宇賀うがダム上流じょうりゅうゆたかな自然しぜん環境かんきょうのこす。宇賀うがダムの下流かりゅうには水道橋すいどうばしかる。これは宇賀うがダム完成かんせい以前いぜんからあいだ野平のだい発電はつでんしょへとみずをつなげている水路すいろきょうである。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ ダムみずうみめいは『中国地方ちゅうごくちほう電気でんき事業じぎょう』による。着工ちゃっこうねんは『中国地方ちゅうごくちほう電気でんき事業じぎょう』より、あいだ野平のだい発電はつでんしょ増設ぞうせつさい開発かいはつ着工ちゃっこうねんとした。
  2. ^ 亀山かめやま地域ちいきのあゆみ 2011ねん3がつ閲覧えつらん
  3. ^ 太田川おおたがわ水系すいけい発電はつでんしょ工事こうじ朝鮮ちょうせんじん労働ろうどう” (PDF). 新潟にいがた国際こくさい情報じょうほう大学だいがく情報じょうほう文化ぶんか学部がくぶ紀要きよう. 2011ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  4. ^ 国土こくど交通省こうつうしょう 国土こくど地理ちりいん 地図ちず空中くうちゅう写真しゃしん閲覧えつらんサービス空中くうちゅう写真しゃしんもと作成さくせい(1974年度ねんど撮影さつえい

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 中国ちゅうごく地方ちほう電気でんき事業じぎょう編集へんしゅう委員いいんかいへん中国地方ちゅうごくちほう電気でんき事業じぎょう中国電力ちゅうごくでんりょく、1974ねん
  • 中国電力ちゅうごくでんりょく50ねんしゃ編集へんしゅうしょう委員いいんかいへん中国電力ちゅうごくでんりょく50ねん中国電力ちゅうごくでんりょく、2001ねん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]