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宇都宮うつのみやただしけん

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宇都宮うつのみや ただしけん(うつのみや なおかた、1898ねん明治めいじ31ねん)1がつ9にち[1][2] - 1997ねん平成へいせい9ねん)6がつ26にち[1])は、日本にっぽん陸軍りくぐん軍人ぐんじん最終さいしゅう階級かいきゅう陸軍りくぐん少将しょうしょう

経歴けいれき

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本籍ほんせき鹿児島かごしまけん[1][2][3]東京とうきょう鉄道てつどうしょう技師ぎし宇都宮うつのみやしん二男じなんとしてまれる[1]加治木かじき中学校ちゅうがっこうげん鹿児島かごしま県立けんりつ加治木かじき高等こうとう学校がっこう)をて、1920ねん大正たいしょう9ねん)5がつ陸軍りくぐん士官しかん学校がっこう(32)を卒業そつぎょう[1][2][4]同年どうねん12がつ歩兵ほへい少尉しょうい任官にんかん近衛このえあゆみへいだい4連隊れんたいづけとなる[1][4]。1925ねん大正たいしょう14ねん)4がつから1926ねん大正たいしょう15ねん)3がつまで東京とうきょう外国がいこく学校がっこう英語えいご委託いたく学生がくせいとしてまなんだ[1]。 1930ねん昭和しょうわ5ねん)11月、陸軍りくぐんだい学校がっこう(42)を卒業そつぎょうした[1][2][3]

1930ねん12月、近衛このえあゆみへいだい4連隊れんたい中隊ちゅうたいちょう就任しゅうにん[1]。1931ねん昭和しょうわ6ねん)9がつ参謀さんぼう本部ほんぶづけ勤務きんむとなり、参謀さんぼう本部ほんぶいんべいはん)、参謀さんぼう本部ほんぶづけささえ研究けんきゅういん上海しゃんはい香港ほんこん駐在ちゅうざい)、参謀さんぼう本部ほんぶづけ上海しゃんはい武官ぶかん補佐ほさかん)、陸軍りくぐんしょう兵務へいむきょくづけ防諜ぼうちょう班長はんちょう)をつとめ、1938ねん昭和しょうわ13ねん)3がつ歩兵ほへい中佐ちゅうさ昇進しょうしん[1][3]

1939ねん昭和しょうわ14ねん)3がつちゅうささえ派遣はけんぐん参謀さんぼう渉外しょうがい部長ぶちょう)に発令はつれいされにちちゅう戦争せんそう出征しゅっせい[1][2][3]同年どうねん9がつささえ派遣はけんぐん参謀さんぼう渉外しょうがい部長ぶちょう)にてんじ、1941ねん昭和しょうわ16ねん)3がつ陸軍りくぐん大佐たいさ昇進しょうしん[1][3]同年どうねん7がつブラジル大使館たいしかんづけ武官ぶかん発令はつれいされ、1942ねん昭和しょうわ17ねん)8がつ帰国きこく[1][3]同年どうねん9がつだい14ぐん軍政ぐんせいかん総務そうむ部長ぶちょうけん同軍どうぐん参謀さんぼう発令はつれいされ、太平洋戦争たいへいようせんそう出征しゅっせい[1][2][3]だい14ぐん参謀さんぼう副長ふくちょうけんフィリピン大使館たいしかんづけ武官ぶかん南方なんぽうぐん参謀さんぼうて、1944ねん昭和しょうわ19ねん)10がつだい14方面ほうめんぐん参謀さんぼう副長ふくちょうてんじ、1945ねん昭和しょうわ20ねん)3がつ陸軍りくぐん少将しょうしょう昇進しょうしんした[1][2][3]フィリピンのたたか遂行すいこう終戦しゅうせんむかえた[2]。 1946ねん昭和しょうわ21ねん)12月に復員ふくいんした[1]1947ねん昭和しょうわ22ねん)11月28にち公職こうしょく追放ついほうかり指定していけた[5]

戦後せんご、1949ねん昭和しょうわ24ねん)3がつから1968ねん昭和しょうわ43ねん)4がつまでざい日米にちべいぐんかたり学校がっこう教官きょうかんつとめた[1]

著作ちょさく

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  • 回想かいそう山下やました裁判さいばん白金しろがね書房しょぼう、1975ねん
  • 南十字星みなみじゅうじせいのぞみつつ : ブラジル・フィリピン勤務きんむおも宇都宮うつのみやただしけん、1982ねん
  • 黄河こうが揚子江ようすこう珠江たまえ宇都宮うつのみやただしけん、1980ねん
  • 『アメリカ"S"派遣はけんたい芙蓉ふよう書房しょぼう、1983ねん
監修かんしゅう
  • 大日本帝国だいにっぽんていこく陸海りくかいぐん : 軍装ぐんそう装備そうびしお書房しょぼう、1973ねん
訳書やくしょ
  • ケン・ヘクラーちょ『レイマーゲン鉄橋てっきょう : ライン河渡橋かとばし作戦さくせん』〈ハヤカワ・ノンフィクション〉早川書房はやかわしょぼう、1969ねん
  • ジョン・ベダーちょ空戦くうせん : 山本やまもと長官ちょうかんソロモンにる』〈だい世界せかい大戦たいせんブックス 6〉サンケイ新聞しんぶんしゃ出版しゅっぱんきょく、1971ねん
  • ヘンリー・I.ショーちょ『タラワ : べい海兵かいへいたい恐怖きょうふしま』〈だい世界せかい大戦たいせんブックス 7〉サンケイ新聞しんぶんしゃ出版しゅっぱんきょく、1971ねん
  • アーサー・スウィンスンちょ『シンガポール : 山下やました兵団へいだんマレー電撃でんげきせん』〈だい世界せかい大戦たいせんブックス 12〉サンケイ新聞しんぶんしゃ出版しゅっぱんきょく、1971ねん
  • ドン・コンドンへん『コンバット : だい世界せかい大戦たいせん・ヨーロッパ戦域せんいき白金しろがね書房しょぼう、1974ねん
  • ドン・コンドンへん『コンバット2 : だい世界せかい大戦たいせん・ヨーロッパ戦域せんいき白金しろがね書房しょぼう、1975ねん
  • ジョン・ウィリアムズちょ『フランス : ダンケルクへの敗走はいそう』〈だい世界せかい大戦たいせんブックス 14〉サンケイ新聞しんぶんしゃ出版しゅっぱんきょく、1978ねん

親族しんぞく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 日本にっぽん陸海りくかいぐん総合そうごう事典じてんだい2はん、25ぺーじ
  2. ^ a b c d e f g h 日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん』128ぺーじ
  3. ^ a b c d e f g h 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』440ぺーじ
  4. ^ a b 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』437、440ぺーじ
  5. ^ 総理そうりちょう官房かんぼう監査かんさへん公職こうしょく追放ついほうかんする覚書おぼえがき該当がいとうしゃ名簿めいぼ日比谷ひびや政経せいけいかい、1949ねん、「昭和しょうわじゅうねんじゅういちがつじゅうはちにち かり指定していしゃ」185ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • はたいく彦編『日本にっぽん陸海りくかいぐん総合そうごう事典じてんだい2はん東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい、2005ねん
  • 福川ふくかわ秀樹ひでき日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、2001ねん
  • 外山とやまみさおへん陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、1981ねん