在 フィリピン日本国 大使館
Embahada ng Hapon sa Pilipinas Embassy of Japan in the Philippines | |
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フィリピン | |
2627 Roxas Blvd., Pasay City, Metro Manila 1300 | |
1889 1919 1943 | |
ウェブサイト | www |
沿革 [編集 ]
- 1565
年 、スペインのミゲル・ロペス・デ・レガスピ総 司令 官 がフィリピン遠征 隊 を率 いてセブ島 を占領 し、セブ島 を拠点 に植民 地 支配 を開始 [1] - 1571
年 、レガスピがマニラを占領 し[1]、スペインによるフィリピン全体 に対 する植民 地 支配 が始 まる[2] - 1624
年 、日本 を統治 する江戸 幕府 がスペイン船 の来航 を禁止 してスペインと断交 [3] - 1868
年 11月12日 、明治 政府 とスペインの間 で日 西 修好 通商 航海 条約 が締結 され、日本 とスペインの国交 が樹立 [3] - 1888
年 11月16日 、在 マニラ日本 帝国 領事館 の開設 が定 められ、初代 領事 に谷田部 梅吉 が任命 される[4] - 1889
年 1月 25日 、谷田部 領事 により在 マニラ日本 帝国 領事館 が開設 される[4] - 1893
年 11月、在 マニラ日本 帝国 領事館 が閉鎖 される[4] - 1896
年 9月、在 マニラ日本 帝国 領事館 が再開 される[4] - 1898
年 6月12日 、フィリピンの革命 家 エミリオ・アギナルドがスペインからの独立 を宣言 [2] - 1898
年 12月 10日 、米 西 戦争 でスペインに勝利 したアメリカ合衆国 がフィリピンの独立 を認 めず自国 による統治 を開始 したが[2]、マニラの帝国 領事館 は存続 [4] - 1899
年 1月 、フィリピンの初代 大統領 に就任 したアギナルドがマロロス憲法 を公布 してフィリピン第 一 共和 国 の成立 を宣言 したが、フィリピンの独立 を認 めないアメリカ合衆国 がフィリピンに対 して戦争 を仕掛 ける - 1901
年 4月 1日 、アギナルド大統領 が米 軍 に降伏 し、フィリピン第 一 共和 国 が崩壊 - 1919
年 5月28日 、マニラの帝国 領事館 が在 マニラ日本 帝国 総領事館 に昇格 [4] - 1942
年 1月 2日 、大日本帝国 が在 フィリピン米 軍 を駆逐 してマニラを占領 [5] - 1942
年 1月 3日 、帝国 陸軍 第 14軍 がフィリピン軍政 を開始 [5] - 1943
年 10月14日 、ホセ・ラウレル大統領 がフィリピンの独立 を宣言 してフィリピン第 二 共和 国 が成立 [6] - 1943
年 10月 14日 、日比 同盟 条約 が締結 される[7] - 1943
年 、在 フィリピン日本 帝国 大使館 の開設 が定 められ、初代 大使 に村田 省 蔵 が任命 される[8] - 1943
年 10月 15日 、日米 開戦 に伴 い閉鎖 されていた在 マニラ日本 帝国 総領事館 が再開 される[9] - 1945
年 1月 9日 、米 軍 を筆頭 とする連合 軍 がルソン島 の奪回 を目標 とする侵攻 を開始 し、上陸 後 、マニラ市民 を巻 き込 んだ市街 戦 を経 て3月 に米 軍 がマニラを占領 [10] - 1945
年 3月 末 、ラウレル大統領 がフィリピンを脱出 。その後 は日本 の奈良 で亡命 生活 を送 る[11] - 1945
年 8月 15日 、第 二 次 世界 大戦 の敗戦 により大日本帝国 が崩壊 [12]、この時 までにマニラの帝国 大使館 と帝国 総領事館 も閉鎖 されている - 1945
年 8月 17日 、ラウレル大統領 がフィリピン第 二 共和 国 の解散 を宣言 [11] - 1946
年 7月 4日 、マニュエル・ロハス大統領 がフィリピンの独立 を宣言 してフィリピン第 三 共和 国 が成立 - 1952
年 4月 12日 、来 たる日本 国 の独立 に先駆 けて「在外 公館 の名称 及 び位置 を定 める法律 」が制定 され、マニラに在 フィリピン日本国 大使館 を設置 することが定 められる[13] - 1952
年 4月 28日 、サンフランシスコ平和 条約 の発効 により日本 国 が独立 、フィリピンも同 条約 締結 国 のうちの一 国 [14] - 1956
年 7月 23日 、日本 国 とフィリピン共和 国 との間 の賠償 協定 (日比 賠償 協定 )が発効 したことにより、日本 とフィリピンの国交 が再開 され[15]、マニラの日本国 大使館 がフィリピンで正式 に承認 される - 1960
年 1月 8日 、大使館 と並立 して在 マニラ日本国 総領事館 を開設 することが定 められる[16] - 2011
年 4月 27日 、それまで領事 業務 を扱 っていた在 マニラ日本国 総領事館 が閉鎖 され、大使館 が領事 業務 を引 き継 ぐ形 で総領事館 を吸収 する[17]
住所 [編集 ]
所在地 : 2627 Roxas Blvd., Pasay City, Metro Manila 1300[18]私書箱 : P.O. Box 414, Pasay Central Office, Pasay City, Metro Manila[18]
出典 [編集 ]
- ^ a b c フィリピン
基礎 データ |外務省 - ^ a b 150
年 前 のできごと |在 スペイン日本国 大使館 - ^ a b c d e f
在 マニラ領事館 |アジ歴 グロッサリー - ^ a b
早瀬 晋 三 「日本 占領 ・勢力 下 の東南 アジアで発行 された新聞 」『アジア太平洋 討究 』第 27巻 、早稲田大学 アジア太平洋 研究 センター、2016年 10月 、61-100頁 、ISSN 1347-149X、NAID 120005856466。 - ^ 『
写真 週報 』 にみる昭和 の世相 _年表 解説 - ^ コラムNo.2【
外務省 の機能 と機構 】|公文書 に見 る戦時 と戦後 -統治 機構 の変転 - - ^
村田 省 蔵 |近代 日本人 の肖像 - ^ 『
官報 昭和 18年 12月27日 第 5087号 』p.495、大 東亜 省 告示 第 67号 「フィリピン」國 「マニラ」ニ帝國 總領事館 ヲ設置 - ^ 1945
年 1月 9日 米 軍 、ルソン島 上陸 自活 自 戦 ・永久 抗戦 終戦 まで続 いた極限 の持久 戦 |太平洋戦争 ヒストリーマップ | NHK戦争 証言 アーカイブス - ^ a b Pichori フィリピンの
歴史 - ^
山田 朗 「日本 の敗戦 と大本営 命令 」『駿台 史学 』第 94号 、明治大学 史学 地理 学会 、1995年 3月 、132-168頁 、ISSN 05625955、NAID 120001439091。 - ^
法律 第 八 十 五 号 (昭二 七 ・四 ・一 二 ) ◎在外 公館 の名称 及 び位置 を定 める法律 |衆議院 - ^ VI
平和 条約 の批准 ・発効 - ^
日比 関係 の50年 を振 り返 る~人 流 のさらなる進展 に向 けて | ヒューライツ大阪 (一般 財団 法人 アジア・太平洋 人権 情報 センター) - ^
法律 第 二 号 (昭 三 五 ・一 ・八 ) ◎在外 公館 の名称 及 び位置 を定 める法律 等 の一部 を改正 する法律 |衆議院 - ^
法律 第 二 十 二 号 (平 二 三 ・四 ・二 七 ) ◎在外 公館 の名称 及 び位置 並 びに在外 公館 に勤務 する外務 公務員 の給与 に関 する法律 の一部 を改正 する法律 |衆議院 - ^ a b
在 フィリピン日本国 大使館 所在地 、電話 ・FAX番号 、窓口 受付 時間 等 の御 案内 |在 フィリピン日本国 大使館
関連 項目 [編集 ]
外部 リンク[編集 ]
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