山口 村 (長野 県 )
やまぐちむら | |
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2005 | |
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20431-5 | |
24.67 km2 | |
2,044 ( | |
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ツバキ | |
ムラサキツツジ | |
〒399-5192 | |
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ウィキプロジェクト |
2005
大字 ・小字
[大字 :山口 小字 :なし
大字 :神坂 (旧 神坂 村 馬籠 )小字 :なし
地理
[山 :賤母山 、高土幾山 河川 :木曽川
歴史
[沿革
[- 1871
年 (明治 4年 ) - 1874
年 (明治 7年 )9月7日 -田立 村 と合併 して、山田 村 が発足 (一旦 廃止 )。 - 1876
年 (明治 9年 )8月 21日 -筑摩 県 の信濃 国分 が長野 県 に編入 されたため同 県 に属 する。 - 1879
年 (明治 12年 )1月 4日 -郡 区 町村 編制 法 の長野 県 での施行 により、筑摩 郡 の区域 に東筑摩 郡 および西 筑摩 郡 が発足 。山田 村 は西 筑摩 郡 所属 となる。 - 1881
年 (明治 14年 )2月 24日 -山田 村 が分割 され、田立 村 および山口 村 が発足 。 - 1889
年 (明治 22年 )4月 1日 -町村 制 施行 により、山口 村 が単独 で自治体 を形成 。田立 村 と組合 村 を結成 [1]。 - 1897
年 (明治 30年 ) -田立 村 との組合 を解消 。 - 1958
年 (昭和 33年 )10月14日 -自治 庁 (現在 の総務 省 )の裁定 により、神坂 村 のうち、旧 馬籠 村 の区域 である峠 ・馬籠 ・荒 町 の区域 を編入 し、編入 地域 に大字 として神坂 を設置 [2]。 - 1968
年 (昭和 43年 )5月1日 -西 筑摩 郡 が木曽 郡 に改称 したため、木曽 郡 山口 村 となる。 - 2005
年 (平成 17年 )2月 13日 -岐阜 県 中津川 市 に編入 。
越 県 合併 に伴 う変更
[郵便 番号
[長野 県 木曽 郡 山口 村 山口 →岐阜 県 中津川 市 山口 郵便 番号 :399-5101 → 508-0501市外 局番 :0573(60 - 89)(従来 通 り変更 なし)
長野 県 木曽 郡 山口 村 神坂 →岐阜 県 中津川 市 馬籠 郵便 番号 :399-5102 → 508-0502市外 局番 :0264(20 - 59)(従来 通 り変更 なし)
また、
山口 郵便 局 (集配 特定 局 )は郵便 番号 が「399-5199」から「508-0599」に、取扱 局 番号 が「11234」から「24371」に変更 された。馬籠 郵便 局 (無 集配 特定 局 )は郵便 番号 が「399-5102」から「508-0502」に、取扱 局 番号 が「11097」から「24372」に変更 された。
教育
[小学校 は山口 小学校 と神坂 小学校 が存在 していた。神坂 小学校 は分村 時 に中津川 市立 神坂 小学校 と山口 村 立神 坂 小学校 に分立 されたが、中津川 市 に編入 後 、神坂 小学校 に統合 され、合併 前 の学区 に復 した。中学校 は村立 の山口 中学校 が一旦 中津川 市立 になった後 に廃校 となった。廃校 後 は旧 神坂 村 域 が合併 前 の神坂 中学校 区 に復 し、残 りは木曽川 の対岸 の市立 坂下 中学校 の学区 になった。
放送
[NHK
なお、2011
その他
[アマチュア
一般 のアマチュア無線 の呼出 符号 (コールサイン)の第 三 字 は、総合 通信 局 を表 す数字 であり、信越 総合 通信 局 は「0」、東海 総合 通信 局 は「2」であることから、変更 が生 ずることになるが、アマチュア局 側 の都合 によるものではないため、特例 として、合併 時 に山口 村 を設置 場所 または常置 場所 とするアマチュア局 の無線 局 免許 状 は、免許 人 の希望 により、次 の選択 が認 められた(合併 時 、約 30局 が該当 した)。
現在 の「0」の呼出 符号 をそのまま使用 。東海 総合 通信 局 より「2」の新 たな呼出 符号 を指定 。
姉妹 都市
[交通
[道路
[一般 国道 都道府県 道
道 の駅
[名所 ・旧跡 ・観光 スポット・祭事 ・催事
[神社
[寺院
[山口
馬籠