庄内しょうない地震じしん

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庄内しょうない地震じしん
庄内しょうない地震じしんこわれた神社じんじゃ
庄内地震の位置(山形県内)
庄内地震
震央しんおう位置いち
本震ほんしん
発生はっせい 1894ねん10がつ22にち
発生はっせい時刻じこく 午後ごご535ふん
震央しんおう 山形やまがたけん庄内しょうない地方ちほう
座標ざひょう 北緯ほくい3854ふん 東経とうけい13954ふん / 北緯ほくい38.9 東経とうけい139.9 / 38.9; 139.9座標ざひょう: 北緯ほくい3854ふん 東経とうけい13954ふん / 北緯ほくい38.9 東経とうけい139.9 / 38.9; 139.9[1]
規模きぼ    M7.0
最大さいだい震度しんど    震度しんど7:山形やまがたけん庄内しょうない地方ちほう推定すいてい
地震じしん種類しゅるい 内陸ないりく直下ちょっかがた地震じしん
被害ひがい
死傷ししょうしゃすう 死者ししゃ726にん 負傷ふしょうしゃ8403にん
被害ひがい地域ちいき 日本にっぽん山形やまがたけんなど)
プロジェクト:地球ちきゅう科学かがく
プロジェクト:災害さいがい
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庄内しょうない地震じしん(しょうないじしん)は、1894ねん明治めいじ27ねん10月22にち1735ふん35びょう山形やまがたけん庄内平野しょうないへいや北部ほくぶ北緯ほくい38.9東経とうけい139.9)を震源しんげんとして発生はっせいしたM 7.0 の内陸ないりく直下ちょっかがた地震じしんである。

概説がいせつ[編集へんしゅう]

震源しんげんごくあさく、最大さいだい震度しんど烈震れっしん記録きろくしている。余震よしん数多かずおお発生はっせいした。震源しんげん現在げんざい山形やまがたけん酒田さかた中心ちゅうしんであり、庄内しょうない平野東ひらのひがしえん断層だんそうたい発生はっせいしたと推定すいていされている[2][3]最大さいだい震度しんど当時とうじ震度しんど階級かいきゅう微震びしん弱震じゃくしん強震きょうしん烈震れっしんの4段階だんかい)において最大さいだいのものである。

また、地震じしん発生はっせい日本にっぽんにおいて本格ほんかくてき地震じしん観測かんそくはじめる直前ちょくぜんであったということもあり正確せいかく記録きろくとぼしく、地震じしん規模きぼはM7.3、最大さいだい震度しんど現在げんざいの7 相当そうとうではないかともわれており、また震源しんげんについても正確せいかく位置いち特定とくていはできていない。あつ軟弱なんじゃく堆積たいせきそうによって地下ちか断層だんそうによる変位へんい地表ちひょうにまで到達とうたつせず、明瞭めいりょう地表ちひょう断層だんそう出現しゅつげんしなかった地点ちてんもある[4][2]。また、地表ちひょうには地震じしん断層だんそう地表ちひょう変位へんいによる断層だんそう)としてりゅうさわ断層だんそう出現しゅつげんしたとされるが、地質ちしつ構造こうぞうとはことなった方向ほうこう断層だんそうであること、トレンチ調査ちょうさ結果けっかからはりゅうさわ断層だんそう存在そんざい否定ひていされている[5]

被害ひがい[編集へんしゅう]

この地震じしんによって庄内平野しょうないへいやとく酒田さかた中心ちゅうしん局地きょくち集中しゅうちゅうてきおおきな被害ひがいした。そのため、酒田さかた地震じしんともばれる。家屋かおく損壊そんかい本荘ほんじょう山形やまがたまでおよび、酒田さかたではだい火災かさい発生はっせいそう戸数こすうの8わり焼失しょうしつした(酒田さかた地震じしん大火たいか)。

  • 死者ししゃ:726にん
  • 負傷ふしょうしゃ:8,403にん
  • 全壊ぜんかい家屋かおく:3,858山形やまがた県内けんない
  • 半壊はんかい家屋かおく:2,397山形やまがた県内けんない
  • 焼失しょうしつ家屋かおく:2,148山形やまがた県内けんない
  • 破損はそん家屋かおく:7,863山形やまがた県内けんない

庄内平野しょうないへいや全域ぜんいきにおいて地盤じばん亀裂きれつ陥没かんぼつ噴水ふんすい噴砂ふんさおお発生はっせいした。たとえば、そで浦村うらむら大字だいじ黒森くろもりげん酒田さかた黒森くろもり)の砂丘さきゅうでははば1まちやく110m)にわたふかさ30しゃくやく10m)も沈下ちんかし、そで浦村うらむら大字だいじ浜中はまなかげん酒田さかた浜中はまなか)ではたかさ1たけやく3m)の小山こやま出現しゅつげんした。

この地震じしんによって当時とうじ木造もくぞう建築けんちく大半たいはんであった家屋かおく破損はそん相次あいつぎ、木造もくぞう建築けんちく耐震たいしんせいあらためてうきっかけになった。このことにより、地震じしん契機けいき設置せっちされた震災しんさい予防よぼう調査ちょうさかい木造もくぞう建築けんちく改良かいりょう仕様しようしょ発表はっぴょうした。

再来さいらい周期しゅうき[編集へんしゅう]

歴史れきし資料しりょうとぼしく、また農耕のうこう経済けいざい活動かつどうともな土地とち人為じんいてき改変かいへん気象きしょう条件じょうけんによる攪乱かくらんなどにより地層ちそう痕跡こんせきのこりにくい内陸ないりく地震じしんのため不明ふめいてんおおい。トレンチ調査ちょうさにより、やく2500ねんまえから1894ねんまでの期間きかんに、すくなくとも1かい地表ちひょう変位へんいともな地震じしん発生はっせいしている。歴史れきし資料しりょうによれば前回ぜんかい発生はっせいは850ねんごろかんがえられており、再来さいらい周期しゅうきやく1000ねんとされる。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Result”. iisee.kenken.go.jp. 2021ねん4がつ30にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 鈴木すずき康弘やすひろ,いけ田安たやすたかし ほか、「1987ねん庄内しょうない平野東ひらのひがしえん観音寺かんおんじ断層だんそう(北境きたざかい地区ちく)トレンチ調査ちょうさ 日本にっぽんかつ断層だんそう発掘はっくつ調査ちょうさ[27]」 『かつ断層だんそう研究けんきゅう』 1988ねん 1988かん 5ごう p.77-81, doi:10.11462/afr1985.1988.5_77
  3. ^ 庄内しょうない平野東ひらのひがしえん断層だんそうたい活動かつどうせいおよび活動かつどう履歴りれき調査ちょうさ (PDF) 地震じしん本部ほんぶ
  4. ^ 遠田えんだすすむ,吾妻あづまたかし,小俣おまた雅志まさし,ぐんたにじゅんえい,岩崎いわさき孝明たかあき庄内しょうない平野東ひらのひがしえん断層だんそうたい地震じしん調査ちょうさ (PDF) 産業さんぎょう技術ぎじゅつ総合そうごう研究所けんきゅうじょ かつ断層だんそう地震じしん研究けんきゅうセンター かつ断層だんそう地震じしん研究けんきゅう報告ほうこく だい8ごう(2008ねん
  5. ^ 鈴木すずき康弘やすひろ,いけ田安たやすたかし,渡辺わたなべみつるひさ ほか、「庄内しょうない平野東ひらのひがしえんにおけるかんしん断層だんそう活動かつどうと1894ねん (明治めいじ27ねん) 庄内しょうない地震じしん」 『地震じしん だい2輯』 1989ねん 42かん 2ごう p.151-159, doi:10.4294/zisin1948.42.2_151

出典しゅってん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]