岐阜ぎふけん中部ちゅうぶ地震じしん

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岐阜ぎふけん中部ちゅうぶ地震じしん
岐阜県中部地震の位置(日本内)
岐阜県中部地震
地震じしん震央しんおう位置いちしめした地図ちず
本震ほんしん
発生はっせい 1969ねん昭和しょうわ44ねん9月9にち
発生はっせい時刻じこく 午後ごご0215ふん34びょうJST
震央しんおう 日本の旗 日本にっぽん 岐阜ぎふけんおく明方みょうがたむら付近ふきん
北緯ほくい3547.0ふん
東経とうけい1374.0ふん北緯ほくい3547.0ふん 東経とうけい1374.0ふん / 北緯ほくい35.7833 東経とうけい137.0667 / 35.7833; 137.0667
震源しんげんふか 0 km
規模きぼ    マグニチュード(M)6.6
最大さいだい震度しんど    震度しんど5:長野ながのけん三岳みたけむら[1]
地震じしん種類しゅるい 直下ちょっかがた地震じしん
余震よしん
回数かいすう 震度しんど以上いじょう54かい
被害ひがい
死傷ししょうしゃすう 死者ししゃ:1人ひとり 負傷ふしょうしゃ:10にん
被害ひがい地域ちいき 岐阜ぎふけん長良川ながらがわ上流じょうりゅう東岸とうがん
出典しゅってんとく注記ちゅうきがない場合ばあい東京大学とうきょうだいがく地震じしん研究所けんきゅうじょ彙報いほう. だい48さつだい6ごうによる。
プロジェクト:地球ちきゅう科学かがく
プロジェクト:災害さいがい
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岐阜ぎふけん中部ちゅうぶ地震じしん(ぎふけんちゅうぶじしん)は、1969ねん昭和しょうわ44ねん9月9にち1415ふんごろ岐阜ぎふけん郡上こおりかみぐんおく明方みょうがたむら震央しんおうとして発生はっせいした地震じしん美濃みの中部ちゅうぶ地震じしん奥美濃おくみの地震じしんともいう[ちゅう 1][2]

概要がいよう[編集へんしゅう]

震央しんおう北緯ほくい3547ふん東経とうけい1374ぶん岐阜ぎふけん郡上こおりかみぐんおき明方みょうがたむら震源しんげんふかさ0km、地震じしん規模きぼM=6.6[1][3]地震じしん発生はっせい当日とうじつ現地げんち調査ちょうさでは震源しんげん断層だんそう発見はっけんされなかったが[3]余震よしん分布ぶんぷもとにした東京大学とうきょうだいがく地震じしん研究所けんきゅうじょ地質ちしつ移動いどう観測かんそくはんによる調査ちょうさ結果けっか震源しんげん断層だんそうとされるN25°W のはしむこうと80°Wの傾斜けいしゃをもつながさ17kmのひだりずれ断層だんそう発見はっけんされ、「畑佐はたさ断層だんそう」と命名めいめいされている[4]

被害ひがい[編集へんしゅう]

山崩やまくずれ、崖崩がけくずれにより死者ししゃ1めい負傷ふしょうしゃ10めい全壊ぜんかい家屋かおく1半壊はんかい家屋かおく52した。また郡上ぐじょう八幡やはたじょう石垣いしがきくずれ、天守閣てんしゅかく一部いちぶ破損はそんし、大和やまと村立そんりつきた小学校しょうがっこう校舎こうしゃかたむき、使用しよう不可能ふかのうとなった。

家屋かおく被害ひがい岐阜ぎふけん郡上こおりかみぐん長良川ながらがわ上流じょうりゅう東岸とうがん集中しゅうちゅうした。おく明方みょうがたむら畑佐はたさ被害ひがい顕著けんちょで、おおくの民家みんかでタンスやテレビの転倒てんとう石垣いしがき土蔵どぞうかべ崩壊ほうかいがあったほか神社じんじゃ鳥居とりい狛犬こまいぬ転倒てんとう墓石はかいし転倒てんとう相次あいついだ[3]

被害ひがい特徴とくちょうとして、木造もくぞう家屋かおく倒壊とうかいすくなく石垣いしがき道路どうろ被害ひがい集中しゅうちゅうしたことがあげられる。東京大学とうきょうだいがく地震じしん研究所けんきゅうじょはく野元のもと彦によれば、被害ひがい地域ちいき木造もくぞう家屋かおく瓦葺かわらぶきがおおはしらはりふといものを使用しようしていること、筋違すじちがいをれている家屋かおくはほとんどなかったことから藁葺わらぶ家屋かおくくらあたま部分ぶぶんかる耐震たいしんてき構造こうぞうとなったと指摘してきされている[5]もっとおおくの被害ひがいした構造こうぞうぶつ石垣いしがきであり、この地震じしんたい石垣いしがき構造こうぞうよわかったことをしめしている[5]

道路どうろ被害ひがい石垣いしがきいでおおい。おも被害ひがい道路どうろ亀裂きれつ崩壊ほうかい落石らくせきによる通行止つうこうどめで、平地ひらち道路どうろ被害ひがいはほとんどなくつち部分ぶぶん被害ひがい集中しゅうちゅうしていた[5]

各地かくち震度しんど[編集へんしゅう]

直下ちょっかがた地震じしんであったため、震源しんげん周辺しゅうへんはげしくれた。現地げんち調査ちょうさ結果けっか郡上こおりかみぐん明方みょうがたむら和良わらむら益田ますだぐん馬瀬ませむら金山かなやままち萩原はぎはらまち震度しんど5を記録きろくした[2]れは中部ちゅうぶ地方ちほう西部せいぶ中心ちゅうしんに、ひがし東北とうほく地方ちほう南部なんぶ西にし中国ちゅうごく地方ちほう東部とうぶ四国しこく地方ちほう北部ほくぶまでのひろ範囲はんい観測かんそくされた。

気象庁きしょうちょう観測かんそくされた震度しんどつぎとおりである[1]

震度しんど 都道府県とどうふけん 観測かんそくしょ
5 長野ながのけん 三岳みたけむら
4 長野ながのけん 飯田いいだ
福井ふくいけん 福井ふくい
静岡しずおかけん 佐久間さくま通報つうほうしょ
愛知あいちけん 名古屋なごや
三重みえけん
大阪おおさか 大阪おおさか
3 長野ながのけん 長野ながの諏訪すわ三峰川みぶかわ通報つうほうしょ平岡ひらおか通報つうほうしょ
福井ふくいけん 敦賀つるが
静岡しずおかけん 三島みしま浜松はままつ
三重みえけん 四日市よっかいち上野うえの
東京とうきょう 東京とうきょう
富山とやまけん 富山とやま
石川いしかわけん 輪島わじま
山梨やまなしけん 甲府こうふ河口湖かわぐちこ
岐阜ぎふけん 高山たかやま岐阜ぎふ
滋賀しがけん 彦根ひこね
京都きょうと 京都きょうと
兵庫ひょうごけん 豊岡とよおか神戸こうべ
奈良ならけん 奈良なら

地震じしんとの関連かんれん[編集へんしゅう]

吉田よしだ明夫あきお青木あおきはじめらの研究けんきゅうによれば、1948ねん福井ふくい地震じしん(M7.1)、1961ねんきた美濃みの地震じしん(M7.0)、1984ねん長野ながのけん西部せいぶ地震じしん(M6.8)とつづいた一連いちれん地震じしんとの関連かんれんせい指摘してきされている[6]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 震源しんげんちか地域ちいきでは「明方みょうがた地震じしん」「畑佐はたさ地震じしん」とも呼称こしょうされていたが、現在げんざいはほとんど使用しようされていない。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 気象庁きしょうちょう: “震度しんどデータベース検索けんさく”. 2017ねん6がつ25にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 美濃みの中部ちゅうぶ地震じしん昭和しょうわ44ねん9がつ9にち 岐阜ぎふ県庁けんちょう
  3. ^ a b c 松田まつだ時彦ときひこ, つねせき幸正ゆきまさ岐阜ぎふけん中部ちゅうぶ地震じしん-1969ねん9がつ9にち-被害ひがい調査ちょうさ報告ほうこく 東京大学とうきょうだいがく地震じしん研究所けんきゅうじょ彙報いほう. だい48さつだい6ごう, 1971.2.27, pp. 1267-1279, hdl:2261/12571
  4. ^ 1969ねん岐阜ぎふけん中部ちゅうぶ地震じしんこした断層だんそう発見はっけん (PDF) 地震じしん予知よち連絡れんらくかい 会報かいほう だい15かん
  5. ^ a b c 岐阜ぎふけん中部ちゅうぶ地震じしん-1969ねん9がつ9にちによる被害ひがい調査ちょうさ報告ほうこく 東京大学とうきょうだいがく地震じしん研究所けんきゅうじょ彙報いほう. だい48さつだい6ごう, 1971.2.27, pp.1287-1294, hdl:2261/12573
  6. ^ 吉田よしだ明夫あきお青木あおきはじめ、「だい地震じしんまえ日本海にほんかい沿岸えんがん広域こういきあらわれた地震じしん活動かつどう静穏せいおん地学ちがく雑誌ざっし 2002ねん 111かん 2ごう p.212-221, doi:10.5026/jgeography.111.2_212

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]