せんおの

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せんおの現代げんだいてき複製ふくせいひん

せんおの(せんぷ、いくさおの、英語えいご: battle-axeバットルアックスバットラックス)は、むかしたたかいで武器ぶきとして使つかわれたったはばのひろいのついているおのである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

おのとしても使つかわれる片手かたておの両手りょうてあつかだいおの大別たいべつされる。

かつてのおのたきぎをとるなど日常にちじょう生活せいかつかせないものだった。それを武器ぶきもちいると発想はっそう至極しごく自然しぜんものだっただろう。あつかいにれたおのならばけんゆみのような専門せんもん教育きょういくけずともたたかことができるじょう武器ぶきとしても非常ひじょう優秀ゆうしゅうである。重心じゅうしん先端せんたんにあるためまわしにくせがある反面はんめん[1]めたかく運動うんどうエネルギーを短時間たんじかん放出ほうしゅつすることによっておもいちげき相手あいてあたえることができる[1]たと金属きんぞくせい防具ぼうぐはばまれたとしてもその衝撃しょうげき十分じゅうぶん打撃だげきダメージとなり[2]あつおおきいので刀剣とうけんよりも耐久たいきゅうせいがあり、多少たしょういたんでも実用じつようさわりなかった[1]。そして刀剣とうけんくらべて製造せいぞうコストがやすかった(さんぶんいちとも)ためひろ普及ふきゅうした[2]

1475ねんごろ騎士きしおの。これは騎士きし使用しようわせて調整ちょうせいされたせんおのれいである
バイユーのタペストリーえがかれたデンマークせんおの

使つかかた[編集へんしゅう]

たたかかたとしては力任ちからまかせにるほか、とっくずすなどがある。

また、きの状態じょうたいにすると、まるでちいさいたてているようになっているためけんやりこんぼうなどの攻撃こうげきふせぎ、ながすことが容易よういで、またおのかまじょうになっている部分ぶぶんける(くびうであし相手あいて武器ぶきたてなど)、なぐる、そしておのあたまるなどで素早すばやまわしていた。

戦闘せんとう以外いがいでは、ったりけずり、ハンマーわりに使つかって、障害しょうがいぶつなどの作成さくせい破壊はかいとびらとう)をおこなった。またはおのあたまつとつえわりに使つかえるなど、非常ひじょう広範こうはん使つかかたがあった。

また、農民のうみんってても違和感いわかんがないため、しばしば仕込しこみや暗殺あんさつようとしてつくられているものがある。日常にちじょう道具どうぐからより戦闘せんとうよう改良かいりょうされたせんおのてきよろいたて切断せつだんして身体しんたい攻撃こうげきするためちからいちてん集中しゅうちゅうできるように比較的ひかくてきまるく、なかにはより頑丈がんじょうよろいかぶと頭蓋骨ずがいこつをも貫通つらぬきとおしやすくするためせまおのとがったおのまわしをくするためながくしたもの、てきくび手足てあし武器ぶきけやすいようにひげ部分ぶぶんながくなったおの素早すばやるえるようにはばうすくするなど軽量けいりょうされているおのもあった。

そのわりにおの重心じゅうしん先端せんたんにあるため、鈍重どんじゅうである、はずすとすきおおきい、刀剣とうけんよりあつかいづらいめんもあるといった弱点じゃくてんがあった。[1][2][3]

しかし、10世紀せいき以降いこう中世ちゅうせいヨーロッパにおいてはよろい発達はったつもあり、メイスなどの打撃だげき武器ぶきとも騎士きし兵士へいしにはけんよりこのまれた武器ぶきでもあった。[2]

刀剣とうけん弓矢ゆみやちがい、あつかうのに技術ぎじゅつようさないという利点りてんもあった。[4]

たいていの騎士きしおのまたはメイスを徒歩とほ場合ばあいベルトすか、騎馬きば場合ばあいにはくら前輪ぜんりんからぶらげていたようである。[3]

戦史せんしなかでのせんおの[編集へんしゅう]

  • 青銅器せいどうき時代じだい古代こだいエジプトやりならんで角度かくどきゅう青銅せいどうせいおのとコピスという鉈が白兵戦はくへいせんでの主要しゅよう武器ぶきとして使用しようされていた。[5]
  • ヴァイキングケルトじんられるきたヨーロッパみんこのんで使用しよう[1], ヨーロッパ中世ちゅうせい戦場せんじょうでほとんどられる[2]. とくにヴァイキング独自どくじおのかた手斧ちょうなひげおのりょう手斧ちょうなはイングランドなどで猛威もういるった[6]当時とうじ鉄器てっき鍛造たんぞう技術ぎじゅつ未熟みじゅくけん高級こうきゅうひんであり、一般いっぱんひとにはおののほうが手軽てがるつことができた。このためテレマルクけんのように紋章もんしょうたたかえおのふくまれている自治体じちたいおおい。イングランドおうノルマンディーこうギヨーム2せいあらそったハロルド護衛ごえい傭兵ようへいハスカールは、おもおの武装ぶそうしていた。スイスじん傭兵ようへい考案こうあんしたやりかぎ一体化いったいかしたハルバードは、歩兵ほへい騎兵きへい対抗たいこうする手段しゅだんとして普及ふきゅうした[7]
  • 日本にっぽんせんおのおお使つかわれしたのは南北なんぼくあさからのことであり、文献ぶんけんでは『太平たいへい』で長山ながやま遠江とおとうみまもる赤松あかまつ氏範うじのりとのいちだい鉞を使用しようしている[8]基本きほんてきに、戦場せんじょうおの使用しようするのは兵站へいたん建設けんせつ、あるいは城門じょうもん破壊はかいのためだった[8]。また、形状けいじょうたものとして、修験しゅげんしゃ霊峰れいほう入山にゅうざんさい携帯けいたいする「いれほうおの[9]」がある。14世紀せいきには一般いっぱんてき武器ぶきであった鉞だが、薙刀なぎなたほうがより一般いっぱんてきであり、14世紀せいき後半こうはんにはやり戦場せんじょう武器ぶきとして威力いりょく発揮はっきし、すたれていった。[10]
  • インディアン白人はくじんとのたたかいのなかで、独特どくとく手斧ちょうなトマホーク」を使用しようした。げんアメリカぐんトマホークミサイル語源ごげんである。
  • 中国ちゅうごくではおのは「どう鉞」としていん時代じだいからあり、当初とうしょ歩兵ほへい武器ぶきとして使用しようされたが、戦車せんしゃせん発達はったつすると実戦じっせんではもちいられなくなり軍事ぐんじけん誇示こじするためのものになった。ふたた実戦じっせんたたかえおの使つかわれだすのはみなみそう時代じだいになってからだった。当時とうじきむじゅうそう騎兵きへい対抗たいこうするために威力いりょくたか打物うちもの兵器へいきもとめられ、だいおの使つかわれだした。かねかんがお兀述はそうぐんすぐれた武器ぶきとしてかみひじゆみいしゆみ一種いっしゅ)とともだいおのげている。小説しょうせつ世界せかいでは『せつから演義えんぎ』のほど咬金だいおの使つかとしてえがかれている[11]

代表だいひょうてきせんおの[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e 大波おおなみ篤司あつし. 図解ずかい 近接きんせつ武器ぶき. しん紀元きげんしゃ 
  2. ^ a b c d e マーティン・J・ドアティ. 図説ずせつ 中世ちゅうせいヨーロッパ武器ぶき防具ぼうぐ戦術せんじゅつ百科ひゃっか. はら書房しょぼう 
  3. ^ a b 長田ながた竜太りゅうた. 中世ちゅうせいヨーロッパの武術ぶじゅつ. しん紀元きげんしゃ 
  4. ^ 武器ぶき世界せかい地図ちず. 文春ぶんしゅん新書しんしょ 
  5. ^ ハーピー・S・ウィザーズ. 世界せかい刀剣とうけん歴史れきし図鑑ずかん. はら書房しょぼう 
  6. ^ 武器ぶき. しん紀元きげん文庫ぶんこ 
  7. ^ 市川いちかわじょうはる. 武器ぶき防具ぼうぐ 西洋せいようへん. しん紀元きげん文庫ぶんこ 
  8. ^ a b 騎兵きへい歩兵ほへい中世ちゅうせい』129ぺーじ
  9. ^ 重要じゅうよう文化財ぶんかざい | 奈良なら国立こくりつ博物館はくぶつかん | 奈良なら国立こくりつ博物館はくぶつかん
  10. ^ トマス・D・コンラン. 図説ずせつ 戦国せんごく時代じだい武器ぶき防具ぼうぐ戦術せんじゅつ百科ひゃっか. はら書房しょぼう 
  11. ^ 武器ぶき防具ぼうぐ 中国ちゅうごくへん』69ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 騎兵きへい歩兵ほへい中世ちゅうせい』 近藤こんどう好和よしかずちょ 株式会社かぶしきがいしゃ吉川弘文館よしかわこうぶんかん 2005ねん
  • 武器ぶき防具ぼうぐ 中国ちゅうごくへん』 篠田しのだ耕一こういちちょ 株式会社かぶしきがいしゃ紀元きげんしゃ 1992ねん