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敵前てきぜん逃亡とうぼう

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敵前てきぜん逃亡とうぼう(てきぜんとうぼう)とは、兵士へいしなどが軍事ぐんじ遂行すいこう命令めいれいけず、戦闘せんとう継続けいぞく可能かのう状態じょうたいにもかかわらず、たたかわずに逃亡とうぼうすること。この行為こうい重大じゅうだい軍規ぐんき違反いはんであり、重刑じゅうけいになる可能かのうせいがある。

おおくのくに軍隊ぐんたいでは、戦闘せんとう放棄ほうきし、した部下ぶか上官じょうかんがその射殺しゃさつする即決そっけつ銃殺じゅうさつけいを、部隊ぶたい規律きりつ秩序ちつじょ維持いじするためにみとめている。ものつづいてしたらその戦線せんせん総崩そうくずれとなり、てき突破とっぱされるためである。ただし、みとめられているくにでも実際じっさい執行しっこうされるかどうかは地域ちいき部隊ぶたいによっておおきながある。

また敵前てきぜん逃亡とうぼうしたものが、交戦こうせん相手あいて降伏ごうぶく捕獲ほかく保護ほごなど身柄みがら拘束こうそくされた場合ばあい当然とうぜん状況じょうきょう尋問じんもんされ、いわゆるスパイとしておくんだものでなければ自軍じぐんにとってだい打撃だげきあたえる存在そんざいとなることが、敵前てきぜん逃亡とうぼうたいする重刑じゅうけい根拠こんきょである。

部隊ぶたいから逃亡とうぼうした軍人ぐんじんを、一般いっぱんてきには「脱走だっそうへい」とぶ。脱走だっそうへい平時へいじでは軍法ぐんぽう会議かいぎにかけられ、懲役ちょうえきけいなどをせられてさい教育きょういくけることがおおい。戦時せんじ戦線せんせん後方こうほう部隊ぶたい逃亡とうぼうした軍人ぐんじんは、懲罰ちょうばつ部隊ぶたい転属てんぞくさせられることがおおい。人命じんめい軽視けいしする傾向けいこうつよくに軍隊ぐんたい敗色はいしょく濃厚のうこう軍隊ぐんたいでは、死刑しけいしょせられる場合ばあいがある。

日本にっぽん事例じれい[編集へんしゅう]

日本にっぽん自衛隊じえいたいでは、敵前てきぜん逃亡とうぼう自衛隊じえいたいほうだい122じょうによりねん以下いか懲役ちょうえきまたは禁錮きんことなり、防衛ぼうえい出動しゅつどう命令めいれいまたは治安ちあん出動しゅつどう命令めいれいけたのち、3にち以上いじょう逃亡とうぼうしあるいは任務にんむかない場合ばあい処罰しょばつ対象たいしょうになる。なお、平時へいじ休暇きゅうか満了まんりょうたいせず音信いんしん不通ふつう、また災害さいがい派遣はけんさきから逃走とうそうした場合ばあい懲戒ちょうかい免職めんしょくとなる。自衛隊じえいたい車両しゃりょう利用りようして任務にんむから逃亡とうぼうした場合ばあい窃盗せっとうざい併合へいごうされることがある。

だい世界せかい大戦たいせん[編集へんしゅう]

だい世界せかい大戦たいせん末期まっき日本にっぽんぐんでは、指揮しきかん無責任むせきにん戦域せんいき離脱りだつなん発生はっせいし、敵前てきぜん逃亡とうぼう非難ひなんされている。ビルマ戦線せんせんでの木村きむら兵太郎へいたろう大将たいしょう逃亡とうぼう南方なんぽうぐん無断むだん逃亡とうぼうちゅう大将たいしょう昇進しょうしん)を筆頭ひっとうに、フィリピン戦線せんせんでの富永とみなが恭次きょうじ中将ちゅうじょうによる指揮しき部隊ぶたいりにしての敵前てきぜん逃亡とうぼうや、インパール作戦さくせんでの牟田むたくちれん中将ちゅうじょうによる作戦さくせん指揮しき放棄ほうきしての戦域せんいき離脱りだつ本人ほんにんぬまで「後方こうほう確保かくほため行動こうどう」として逃亡とうぼう事実じじつみとめなかった)などである。また、インパール作戦さくせんにおいて牟田むたくち対立たいりつした佐藤さとう幸徳ゆきのり中将ちゅうじょうこう独断どくだん撤退てったいする事件じけんこういのち事件じけんこういのち撤退てったい)も発生はっせいした。

しかしいずれも左遷させん程度ていどかる処分しょぶんまされ、(たとえば富永とみなが満州まんしゅう異動いどう軍法ぐんぽう会議かいぎになった事案じあんほとんどない。ソ連それんたいにち参戦さんせんどき満州まんしゅう戦線せんせんでも同様どうよう高級こうきゅう将校しょうこうによる逃亡とうぼう多発たはつしたとされているが、敗戦はいせん混乱こんらんのためくわしい状況じょうきょうつたわっていない。

2012ねん8がつ放送ほうそうNHKスペシャル戦場せんじょう軍法ぐんぽう会議かいぎ ―処刑しょけいされた日本にっぽんへい―」ではきた博昭ひろあき大阪経済法科大学おおさかけいざいほうかだいがく客員きゃくいん教授きょうじゅ)が入手にゅうしゅしたある資料しりょう紹介しょうかいされた。これはもと海軍かいぐん法務ほうむかん文官ぶんかん)でほう改正かいせいにより1942ねん昭和しょうわ17ねん)4がつ1にち武官ぶかん任用にんようされ法務ほうむ中佐ちゅうさだった馬場ばば東作とうさく戦後せんご弁護士べんごし転身てんしん日本にっぽん弁護士べんごし連合れんごうかいもとふく会長かいちょう)が戦場せんじょうからげるさいしたもので、これによると戦地せんちでの軍法ぐんぽう会議かいぎで、海軍かいぐん刑法けいほう[1]戦時せんじ逃亡とうぼう懲役ちょうえき6ヶ月かげつ以上いじょう禁固きんこ7ねん以下いか刑罰けいばつなのを、奔敵未遂みすいてきたたかわず捕虜ほりょるのを目的もくてき逃亡とうぼう)として死刑しけいとした。戦況せんきょう悪化あっかともない、食糧しょくりょう補給ほきゅういので食料しょくりょうさがしに部隊ぶたい無断むだんはなれる兵士へいしおおくなり、上官じょうかん殺人さつじん軍紀ぐんきみだれがり、軍法ぐんぽう会議かいぎにかけず処刑しょけいされた兵士へいしおおく、変死へんしひら病死びょうし特攻とっこうとしていやられた。

軍法ぐんぽう会議かいぎ記録きろくは1945ねん昭和しょうわ20ねん)8がつ15にち終戦しゅうせんときぐん焼却しょうきゃく処分しょぶんしているので、ほとんどの記録きろくいが、1950から1960年代ねんだいにかけて軍人ぐんじん恩給おんきゅう手続てつづきをしていたきゅう厚生省こうせいしょうぐん裁判官さいばんかん法務ほうむかんの20にんにききと調査ちょうさおこな変死へんしひら病死びょうし特攻とっこうなどの不審ふしんたいしては正当せいとう裁判さいばんけずに処刑しょけいされた調査ちょうさ結果けっか国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん資料しりょうのこっているが、遺族いぞくには調査ちょうさおこなわれたこと結果けっからされていないために、不当ふとう処刑しょけいであっても県庁けんちょう社会しゃかい福祉ふくしのこぐん記録きろくには敵前てきぜん逃亡とうぼう処刑しょけいとされ名誉めいよ回復かいふくされていない。

処刑しょけいされた兵士へいし遺族いぞくは、戦争せんそうちゅう国賊こくぞくあつかいのしろられ、隣組となりぐみ発達はったつしていた時代じだいには戸籍こせきうつして生活せいかつ基盤きばんうしない、戦後せんご遺族いぞく年金ねんきんを1970ねん昭和しょうわ45ねん)のほう改正かいせいまでれなかった。

戊辰戦争ぼしんせんそう事例じれい[編集へんしゅう]

戊辰戦争ぼしんせんそうでは、幕府ばくふぐんそう大将たいしょうであった徳川とくがわ慶喜よしのぶ薩長さっちょうぐんまえ部下ぶかりにして江戸えどげた事例じれいられる。将軍しょうぐんであった慶喜よしのぶ慶応けいおう3ねん1867ねん)10がつ14にち大政奉還たいせいほうかんおこな大坂おおさかじょう退却たいきゃく慶応けいおう4ねん1868ねん)1がつには京都きょうとにおいて鳥羽とば伏見ふしみたたか勃発ぼっぱつし、慶喜よしのぶ幕府ばくふ軍艦ぐんかん江戸えど退却たいきゃくした。

アメリカの事例じれい[編集へんしゅう]

英語えいごけんにおいては、敵前てきぜん逃亡とうぼう desertionと、許可きょかはなれたい Unauthorized AbsenceUA)や無届むとどけはなれたい Absence Without LeaveAWOLないしAWL)との区別くべつがあり、後者こうしゃのUA・AWOL・AWLは許可きょかないまま一時いちじてき不在ふざいとなることを意味いみする。

ソビエトぐん事例じれい[編集へんしゅう]

1942ねん7がつ28にちヨシフ・スターリンによる命令めいれいソ連それん国防こくぼう人民じんみん委員いいんれいだい227ごう(原文げんぶん)」によると、「命令めいれいなくみずからの位置いち離脱りだつした将兵しょうへい銃撃じゅうげきする」とされていた。

海戦かいせんでの事例じれい[編集へんしゅう]

海戦かいせんでの敵前てきぜん逃亡とうぼうは、かくかんでの艦長かんちょうまたは艦長かんちょうから指揮しきけん継承けいしょうしたものによる「総員そういん退すさかんとう命令めいれいはっせられていないにもかかわらず、戦闘せんとうちゅうかんからうみとう方法ほうほうによって各個かっこ将兵しょうへい逃亡とうぼうするもののほか戦闘せんとう継続けいぞく可能かのうにもかかわらず、艦長かんちょうという責任せきにんあるもの意思いしによって現場げんば最高さいこう指揮しきかん命令めいれいしたがわずにかんもろとも戦闘せんとう海域かいいきはなれる行為こういす。

最高さいこう指揮しきかん命令めいれいによらない、あきらかな艦長かんちょう意思いしによるかんもろとも戦闘せんとう放棄ほうきしての敵前てきぜん逃亡とうぼうとしては、にちしん戦争せんそう黄海こうかい海戦かいせんにおける「すみとお」と「こうかぶと」によるものが発生はっせいしている。

その[編集へんしゅう]

比喩ひゆとして、競争きょうそう相手あいて仕事しごと内容ないようて、意欲いよく喪失そうしつして試合しあい仕事しごとめる・ほうすことをこのようにう。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 海軍かいぐん刑法けいほうだいななじゅうさんじょう ナクしょくやくはなれまたしょくやくニ就カサルしゃひだり区別くべつしたがえ処断しょだん
    いち 敵前てきぜんナルトキハ死刑しけい無期むきわかねん以上いじょう懲役ちょうえきまた禁錮きんこしょ
     戦時せんじざいリテさんにちキタルトキハろくがつ以上いじょうななねん以下いか懲役ちょうえきまた禁錮きんこしょ
    さん 其ノほか場合ばあいニ於テろくにちキタルトキハねん以下いか懲役ちょうえきまた禁錮きんこしょ

文献ぶんけん情報じょうほう[編集へんしゅう]

だい東亜とうあ戦争せんそう日本にっぽん陸軍りくぐんにおける犯罪はんざいおよ非行ひこうかんするいち考察こうさつ 戦史せんし研究けんきゅう年報ねんぽう (10), 42-62, 2007-03 防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]