日野ひの吉夫よしお

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日野ひの 吉夫よしお(ひの よしお、1901ねん明治めいじ34ねん11月10にち - 1978ねん昭和しょうわ53ねん5月27にち)は、日本にっぽん政治せいじ社会しゃかい運動うんどう衆議院しゅうぎいん議員ぎいん日本にっぽん社会党しゃかいとうふく委員いいんちょう宮城みやぎけん桃生ものうぐん二俣ふたまたむら河北かほくまち現在げんざい石巻いしのまき出身しゅっしんだい1橋本はしもと内閣ないかく郵政ゆうせい大臣だいじんつとめた日野ひの市朗いちろう長男ちょうなん

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

小学校しょうがっこう卒業そつぎょうはたらきながら検定けんてい試験しけん受験じゅけんし、小学校しょうがっこう教員きょういん資格しかく故郷こきょう河北かほくまち二俣ふたまた教師きょうしをする。大正たいしょう14ねん(1925ねん上京じょうきょうし、小学校しょうがっこう教鞭きょうべんをとりながら日本にっぽん大学だいがく夜学やがくかよってどう大学だいがく高等こうとう師範しはん卒業そつぎょうする。このあいだ社会しゃかい運動うんどう参加さんかするようになり、日本にっぽんどくがく青年せいねん同盟どうめい全国ぜんこく労農ろうのう青年せいねん同盟どうめい参加さんかする。昭和しょうわ4ねん1929ねん郷里きょうりもどり、宮城みやぎ大衆たいしゅうとう結成けっせい参加さんかする。昭和しょうわ5ねん1930ねん東北とうほく農村のうそん窮乏きゅうぼう一層いっそう深刻しんこくすると、農民のうみん運動うんどう参加さんかし、日本にっぽん農民のうみん組合くみあい連合れんごうかい、ついで全農ぜんのうけん連合れんごうかい組織そしき書記しょきちょう選出せんしゅつされる。日野ひの各地かくち小作こさく争議そうぎ指導しどうたった。さらに社会しゃかい大衆たいしゅうとう全国ぜんこく委員いいんとなり、昭和しょうわ12ねん1937ねん社会しゃかい大衆たいしゅうとうから仙台せんだい会議かいぎいん当選とうせんし、昭和しょうわ20ねん1945ねん)の終戦しゅうせんまでつとめた。

戦後せんご日本にっぽん社会党しゃかいとう日本にっぽん農民のうみん組合くみあいにちのう結成けっせい参加さんかする。昭和しょうわ22ねん1947ねんだい23かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょきゅう宮城みやぎ2から社会党しゃかいとう公認こうにん立候補りっこうほ当選とうせんしたが、GHQによって公職こうしょく追放ついほうとなる。追放ついほう解除かいじょ昭和しょうわ27ねん1952ねんだい25かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ当選とうせん国政こくせい復帰ふっきする。当選とうせん回数かいすう通算つうさん9かい社会党しゃかいとうではふく委員いいんちょうなどを歴任れきにんした。また大沼おおぬまやすし宮城みやぎ県知事けんちじ島野しまのたけし仙台せんだい市長しちょう当選とうせんさせ、革新かくしん県政けんせい革新かくしん市政しせい実現じつげんさせるのに一役ひとやくった。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

議会ぎかい
先代せんだい
だてけん次郎じろう
日本の旗 衆議院しゅうぎいん災害さいがい対策たいさく特別とくべつ委員いいんちょう 次代じだい
廃止はいし