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明石あかし (工作こうさくかん)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
明石あかし
1939年7月、佐世保沖で速力公試中と推定される明石。[1]
1939ねん7がつ佐世保させぼおき速力そくりょくこうためしちゅう推定すいていされる明石あかし[1]
基本きほん情報じょうほう
建造けんぞうしょ 佐世保させぼ海軍かいぐん工廠こうしょう[2]
運用うんようしゃ  大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん
かんしゅ 工作こうさくかん[2]
かんれき
計画けいかく 計画けいかく[3](昭和しょうわ9年度ねんど[4])
起工きこう 1937ねん1がつ18にち[2]
進水しんすい 1938ねん6月29にち[2]
竣工しゅんこう 1939ねん7がつ31にち[2]
最期さいご 1944ねん3月30にち大破たいはそこ[5]
除籍じょせき 1944ねん5がつ10日とおか[6]
その 1954ねん解体かいたい[5]
要目ようもく竣工しゅんこうまたは計画けいかく[注釈ちゅうしゃく 1]
基準きじゅん排水はいすいりょう 9,000えいトン[7]
おおやけためし排水はいすいりょう 10,500トン[8]
満載まんさい排水はいすいりょう 11,036トン[9]
全長ぜんちょう 158.50m[8]
水線すいせんちょう 154.66m[8]
垂線すいせんあいだちょう 146.60m[8]
最大さいだいはば 20.564m[8]
水線すいせんはば 20.50m[8]
ふか 14.00m[8]
吃水きっすい おおやけためし状態じょうたい前部ぜんぶ 6.29m[8]
ボイラー 補助ほじょかん:ロごうかん本式ほんしきかん2[10]
おも 三菱みつびし横浜よこはまマンしき60がたふくどうディーゼル機関きかん2[11]
推進すいしん 2じく[10]
出力しゅつりょく 計画けいかく 10,000hp[8]
おおやけためし成績せいせき 10,065hp[12]
速力そくりょく 計画けいかく 19.2ノット[8]
おおやけためし成績せいせき 19.24ノット[12]
燃料ねんりょう 重油じゅうゆ1,493トン[8]
航続こうぞく距離きょり 8,000カイリ / 14ノット[8]
乗員じょういん 計画けいかく乗員じょういん 299めい工作こうさく 433めいけい 732めい[13][14]
または計画けいかく乗員じょういん 336めい工作こうさく 433めいけい 769めい[15]
竣工しゅんこう定員ていいん 299めい[16]、その工作こうさく部長ぶちょう以下いか工作こうさく部員ぶいん 最大さいだい434めい[17]
へいそう 12.7cm連装れんそう高角こうかくほう 2(竣工しゅんこう)[18]
25mm連装れんそう機銃きじゅう 2[19]
搭載とうさいてい 竣工しゅんこう 11m内火艇ないかてい2、9m内火艇ないかてい1、12mうちランチ3、9mカッター2、12mどおりせん1、12m伝馬船てんません(潜水せんすい作業さぎょうよう)1、6mどおりせん1、30tせきうん貨船(はし)1のけい12せき[20][21][注釈ちゅうしゃく 2]
その 艦内かんない工場こうじょうゆか面積めんせき3,099平方へいほうm[11][22]
交流こうりゅう600KVA,450Vディーゼル発電はつでん8[23][注釈ちゅうしゃく 3]
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工作こうさくかん明石あかしかんがた

明石あかし(あかし)は、日本にっぽん海軍かいぐん唯一ゆいいつ新造しんぞう工作こうさくかん[24]かんめい兵庫ひょうごけん明石あかし名所めいしょ明石あかしうらにちなみ、明治めいじ中期ちゅうき防護ぼうご巡洋艦じゅんようかん明石あかしつづいて2代目だいめ[25]アメリカ海軍かいぐん工作こうさくかんメデューサ (USS Medusa, AR-1)』みの修理しゅうり能力のうりょく特務とくむかんとして建造けんぞうされた[26]艦内かんない神社じんじゃ柿本かきもと神社じんじゃ (明石あかし)およ明石あかし神社じんじゃ

計画けいかく[編集へんしゅう]

1924ねん商船しょうせん改造かいぞう工作こうさくかん関東かんとう沈没ちんぼつして以降いこうながらく新型しんがた工作こうさくかん建造けんぞう熱望ねつぼうされていたが、予算よさんなんからなか実現じつげんしなかった。当時とうじ日本にっぽん海軍かいぐん運用うんようする最大さいだい工作こうさくかんは、にち戦争せんそう活躍かつやくした敷島しきしまがた戦艦せんかん朝日あさひ改装かいそうしたものであった[27]。このような状況じょうきょう昭和しょうわ6年度ねんど(1931ねん)に10,000トンがた(計画けいかく番号ばんごうJ2)1せき整備せいび構想こうそう提出ていしゅつされ、新型しんがた工作こうさくかん(J2c)の建造けんぞうは1934ねん昭和しょうわ9ねん[28]の『②計画けいかく[3]でようやく承認しょうにんされた。

日本にっぽん海軍かいぐんでは本格ほんかくてき工作こうさくかん建造けんぞう経験けいけんがなかったので、アメリカ海軍かいぐんイギリス海軍かいぐん工作こうさくかんなどにかんする発表はっぴょう論文ろんぶんとう詳細しょうさい調しらべ、設計せっけいさいしての参考さんこうとしたという[29]。 1934ねんごろ商議しょうぎでの当初とうしょ要求ようきゅうは、基準きじゅん排水はいすいりょうやく10,000トン、速力そくりょく18ノット、12.7cm高角こうかくほう4もん対空たいくう機銃きじゅう4てい以上いじょう航続力こうぞくりょく14ノットで8,000カイリであった[29]工作こうさく能力のうりょくべい工作こうさくかん「メデューサ」程度ていど補給ほきゅうしで3カ月かげつあいだ活動かつどう可能かのう目途もくととし、1936ねん4がつかんがた決定けっていした[30]

かんがた[編集へんしゅう]

専従せんじゅうかんしゅとして建造けんぞうされたため、艦内かんないに17ある工場こうじょう[注釈ちゅうしゃく 4]には海軍かいぐん工廠こうしょうにすら配備はいびしていないドイツせい工作こうさく機械きかいなど最新さいしん[31]の114だい[注釈ちゅうしゃく 5]設置せっちされていた。そのため修理しゅうり能力のうりょく非常ひじょうすぐれ、連合れんごう艦隊かんたい平時へいじ年間ねんかん修理しゅうりりょう35まん工数こうすうやく40%を処理しょりできる計算けいさんであり[32]文字通もじどおり『移動いどうする海軍かいぐん工廠こうしょう』であった。小倉おぐらりゅうろう技術ぎじゅつ大尉たいい明石あかし造船ぞうせん主任しゅにん)は「あらゆる修理しゅうり工事こうじ可能かのうだった」と回想かいそうしている[26]

船体せんたいひら甲板かんぱんがたとして艦内かんない工場こうじょう面積めんせきかせぐとともに、うえ甲板かんぱん構造こうぞうぶつをなるべくかず、露天ろてん作業場さぎょうば面積めんせき確保かくほした[32]うえ甲板かんぱん設置せっちされた作業さぎょうよう電動でんどうデリック(クレーン)は、前部ぜんぶマストに10トン1だい艦橋かんきょうかべりょうふなばたに5トン1だいずつ、後部こうぶマストにあげていようねて10トン1だい中央ちゅうおう右舷うげんに23トン1だいけい5だい配置はいちした[20]。 また艦内かんない工場こうじょうにもだい1機械きかい工場こうじょうに3トン天井てんじょうクレーン、だい1鋳造ちゅうぞう工場こうじょうに5トン天井てんじょうクレーン、鍛冶かじおよび鈑金工場こうじょうに3トンジブクレーンがそれぞれ1だい設置せっちされた[33]煙突えんとつは2ほんあり、後部こうぶおもであるディーゼル機関きかん排気はいきよう消音しょうおん2ほん補助ほじょかん煙突えんとつ1ほんを1つにまとめたもの、前部ぜんぶ艦内かんないかく工場こうじょうからの排気はいきようだった[18][注釈ちゅうしゃく 6]

自衛じえいよう武装ぶそうとして、かん首尾しゅび甲板かんぱんに12.7cm連装れんそう高角こうかくほうかく1けい4もん装備そうび、その艦橋かんきょう直後ちょくごのシェルター甲板かんぱんじょうに25mm連装れんそう機銃きじゅう左右さゆう1ずつ装備そうびした[18][注釈ちゅうしゃく 7]

明石あかしにはかん自体じたい乗員じょういんのほか、工作こうさく従事じゅうじする工作こうさく部員ぶいん造船ぞうせんいん機関きかんいん海軍かいぐん技師ぎし[17])も乗艦じょうかんしていた。

かんれき[編集へんしゅう]

1936ねん昭和しょうわ11ねん)10がつ22にち明石あかし駆逐くちくかんあさくもやまくもの3せきにそれぞれかんめいあたえられた[24]1937ねん昭和しょうわ12ねん)1がつ18にち佐世保させぼ工廠こうしょうにて起工きこう1938ねん昭和しょうわ12ねん)6がつ29にち進水しんすい1939ねん昭和しょうわ13ねん7がつ31にち竣工しゅんこう[21]鎮守ちんじゅせき連合れんごう艦隊かんたい付属ふぞくとなった。

1940ねん昭和しょうわ15ねん)10がつ11にち紀元きげんせんろくひゃくねん特別とくべつ観艦式かんかんしき参加さんかしている。そのさいくれへの帰途きとかんめい由来ゆらいとなった兵庫ひょうごけん明石あかし停泊ていはくしており、当時とうじ明石あかし市長しちょうであった青木あおきかみなり三郎さぶろうらの表敬ひょうけいけている[34][35]

太平洋戦争たいへいようせんそう[編集へんしゅう]

太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせん同時どうじ南方なんぽう進出しんしゅつすると、工作こうさくかん朝日あさひとう艦艇かんてい修理しゅうり任務にんむ従事じゅうじする。当時とうじ日本にっぽん海軍かいぐん保有ほゆうしていた工作こうさくかんは、明石あかし朝日あさひおよび特設とくせつ工作こうさくかん松栄まつえまる山彦やまびこまるの4せきで、のちに特設とくせつ工作こうさくかん浦山うらやままるはちうみまるやましもまるしろすな就役しゅうえきした[26]パラオ諸島しょとうフィリピンダバオスラウェシとうのスターリングわん[36]モルッカ諸島しょとうアンボン[37]など、南洋なんよう各地かくちまわおおくのかん修理しゅうりした。だが、朝日あさひ1942ねん昭和しょうわ17ねん)5がつ26にちべい潜水せんすいかんサーモン雷撃らいげき沈没ちんぼつした。6がつ上旬じょうじゅんミッドウェー海戦かいせんでは、近藤こんどうしんちく中将ちゅうじょう指揮しき攻略こうりゃく部隊ぶたい旗艦きかん愛宕あたご)に所属しょぞくしていた[38]どう海戦かいせんでの大敗たいはい明石あかしはトラック泊地はくちにおいて大破たいはしたじゅうじゅん最上さいじょうかりかんくび装着そうちゃくする修理しゅうりをおこなう。8月5にち最上もがみ明石あかしだい16駆逐くちくたいゆきふう[よう出典しゅってん]時津風ときつかぜ)に護衛ごえいされて内地ないち帰投きとう、8がつ11にちくれ到着とうちゃくした[39]

8がつ18にち明石あかし豊後水道ぶんごすいどう通過つうか[40]日本にっぽん本土ほんどはな8がつ23にちトラックとう到着とうちゃくする。進出しんしゅつ直後ちょくご8がつ28にちには、だいソロモン海戦かいせんちゅうやぶしたけいじゅん神通じんずう修理しゅうりおこなった[41]以後いごどう泊地はくち拠点きょてんにして修理しゅうり工作こうさく従事じゅうじする。戦艦せんかん大和やまと空母くうぼ大鷹おおたかじゅうじゅん青葉あおばけいじゅん阿賀あが駆逐くちくかん春雨はるさめ秋月あきづき等々とうとう、あらゆるかんしゅ艦艇かんてい修理しゅうり従事じゅうじした。くわえてだいよん工作こうさくは3000トンのうわきドック所有しょゆうしており、小型こがたかん修理しゅうり役立やくだった[26]。これらの整備せいび補修ほしゅう能力のうりょくたかさから、明石あかしはアメリカ海軍かいぐんから『さい重要じゅうよう攻撃こうげき目標もくひょう』としてマークされるほどであった[26][注釈ちゅうしゃく 8]9月9にちあさ駆逐くちくかん秋風あきかぜがトラック泊地はくち接近せっきんする空母くうぼくもたかべい潜水せんすいかん誤認ごにんしてたいせん警報けいほう発令はつれい戦艦せんかん大和やまと練習れんしゅう巡洋艦じゅんようかん香取かとり以下いか、トラックざいはく艦艇かんてい一斉いっせい停泊ていはく変更へんこうする騒動そうどうきる[42][43]。この時点じてんで、明石あかしすでに3せき損傷そんしょうかん横抱よこだきにして修理しゅうりしていたという[43]

1944ねん昭和しょうわ19ねん2がつ17にち明石あかしべい機動きどう部隊ぶたいだい38任務にんむ部隊ぶたい)のトラックとう空襲くうしゅう遭遇そうぐうした。空襲くうしゅうばくだん1はつ命中めいちゅうしたが、不発ふはつだんのため損傷そんしょう軽微けいびであった[44][45]。ただし、どう空襲くうしゅう駆逐くちくかん追風おいかぜ撃沈げきちんされたさい追風おいかぜ収容しゅうようちゅうほんかん乗員じょういんすうじゅうめい(もとは内地ないち回航かいこうちゅうけいじゅん阿賀あが便乗びんじょうしていて同艦どうかん沈没ちんぼつ追風おいかぜ救助きゅうじょ)が戦死せんししている[44]。その明石あかし標的ひょうてきかんなみしょう駆逐くちくかん秋風あきかぜだいさん水雷すいらい戦隊せんたい)、藤波ふじなみだい水雷すいらい戦隊せんたい)に護衛ごえいされ19にち-20日はつかトラックを出港しゅっこう[46]、21にちにはトラックから脱出だっしゅつしていただい27駆逐くちくたい春雨はるさめ合流ごうりゅうした[47]明石あかし船団せんだんは24にちパラオ諸島しょとう到着とうちゃくした[48][49]同地どうちで、だいさん水雷すいらい戦隊せんたい駆逐くちくかんゆうがつ水無月みなづき[50]、トラックとう空襲くうしゅう損傷そんしょうした27時雨しぐれ、さらに空襲くうしゅう以前いぜんにトラックから退避たいひしていた連合れんごう艦隊かんたい戦艦せんかんじゅう巡洋艦じゅんようかん水雷すいらい戦隊せんたい部隊ぶたい合流ごうりゅうした。

1944ねん昭和しょうわ19ねん3月30にち、アメリカぐんだい58任務にんむ部隊ぶたいパラオだい空襲くうしゅう敢行かんこうした。連合れんごう艦隊かんたい主力しゅりょく戦艦せんかん武蔵むさしひとし)は事前じぜん退避たいひしており、泊地はくちのこされていた明石あかし以下いか多数たすう補助ほじょ艦艇かんてい商船しょうせん次々つぎつぎ撃沈げきちんされていった。マラカルとうウルクターブル諸島しょとうあいだに避泊する明石あかし周囲しゅういには、安宅あたかまる勝栄丸しょうえいまる吉備きびまるだい3たま圜丸、昭和しょうわまるといった特設とくせつ掃海そうかいてい駆潜艇くせんてい停泊ていはくしていた[51]当時とうじみの造船ぞうせんかん記憶きおくによると「あさからの空襲くうしゅうにより、ひるごろ高角こうかくほう故障こしょう、そのあいだに500ポンドばくだんおもわれる1はつ命中めいちゅうして火災かさい発生はっせい、その次々つぎつぎばくだん命中めいちゅうしたという[52]被弾ひだんした明石あかし夕刻ゆうこくになるとはげしく炎上えんじょう[53]闇夜やみよかびがっていた[54]周囲しゅうい掃海そうかいてい明石あかしせっふなばたして消火しょうか協力きょうりょくするが、重油じゅうゆタンクにも引火いんか消火しょうか見込みこみがなくなる[55]。ここにいたって明石あかし放棄ほうきされ、御真影ごしんえい生存せいぞんしゃ周囲しゅうい小型こがたてい収容しゅうようされた[53][56]。」

明石あかし喪失そうしつは、南方なんぽうにおける日本にっぽん海軍かいぐん艦艇かんてい修理しゅうりよううしなわれたこと意味いみした。海軍かいぐん特設とくせつ測量そくりょうかんしろすな(6,800トン)を改造かいぞう[57]、5月1にち特設とくせつ工作こうさくかんとする[58]しろすなシンガポール配備はいびされたが、その能力のうりょく明石あかしおとった。このため南方なんぽう損傷そんしょうしたかん修理しゅうりさいしては、設備せつびととのった内地ないちへの帰還きかん余儀よぎなくされる。

同年どうねん5がつ10日とおか明石あかし帝国ていこく特務とくむかんせきより除籍じょせきされた[6]1954ねん昭和しょうわ29ねん)、大破たいはそこした明石あかし解体かいたい処分しょぶん完了かんりょうした[5]

艦長かんちょう[編集へんしゅう]

艤装ぎそういんちょう
  1. もり良造りょうぞう 大佐たいさ:1938ねん12月15にち[59] - 1939ねん6がつ15にち[60]
特務とくむ艦長かんちょう
  1. もり良造りょうぞう 大佐たいさ:1939ねん6がつ15にち[60] - 1939ねん11月1にち[61]
  2. 宮里みやさと秀徳ひでのり 大佐たいさ:1939ねん11月1にち[61] - 1940ねん7がつ15にち[62]
  3. 伊藤いとう義一ぎいち 大佐たいさ:1940ねん7がつ15にち[62] - 1941ねん9がつ25にち[63]
  4. 福沢ふくさわ常吉つねきち 大佐たいさ:1941ねん9がつ25にち[63] - 1942ねん9がつ12にち[64]
  5. 江口えぐち松郎まつろう 大佐たいさ:1942ねん9がつ12にち[64] - 1943ねん10がつ21にち[65]
  6. 亀山かめやまみね五郎ごろう 大佐たいさ:1943ねん10がつ21にち[65] - 1944ねん4がつ15にち[66]

同型どうけいかん[編集へんしゅう]

太平洋戦争たいへいようせんそうちゅうあらため計画けいかくにて三原みはら(仮称かしょうかんめいだい5416ごうかん)と桃取ももとり(仮称かしょうかんめいだい5417ごうかん)が計画けいかくされ、三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう横浜よこはま造船ぞうせんしょでの建造けんぞう予定よていしていたが戦局せんきょく悪化あっかにより建造けんぞう中止ちゅうしになった[67]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 特務とくむかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」3ぺーじ備考びこうらん「註.上記じょうき計画けいかくハ(以下いか特記とっきそと同様どうよう昭和しょうわじゅうよんねんなながつろくにち官房かんぼう機密きみつだいよんろくはちごう基本きほん計画けいかくノモノヲだいいちかい改正かいせいセルモノヲしめせス」
  2. ^ 特務とくむかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」31ぺーじによると計画けいかくでは11m内火艇ないかてい2、9m内火艇ないかてい1、12mうちランチ1、9mカッター2、12mどおりせん1、12m伝馬船てんません1、6mどおりせん1、30tせきうん貨船1のけい10せき
  3. ^ 特務とくむかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」25ぺーじによると計画けいかくでは600KVA,450Vディーゼル発電はつでん3
  4. ^ #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう850ぺーじによると工具こうぐしつ青写真あおじゃしんしつふくめて17。
  5. ^ #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう846ぺーじでは「搭載とうさいセル工作こうさく機械きかい台数だいすうハ「メデューサ」109ニたいシ114デアッタ。」。また#日本にっぽん補助ほじょ艦艇かんてい物語ものがたり252ぺーじだい8ひょう工作こうさくかん明石あかし工場こうじょう設備せつび」でのおも工作こうさく機械きかいかず合計ごうけいすると160。
  6. ^ #日本にっぽん海軍かいぐんぜん艦艇かんてい852ぺーじによると「ほんかん煙突えんとつのうち前方ぜんぽう工場こうじょうよう後方こうほう推進すいしんようで、(後略こうりゃく)」。また、#日本にっぽん海軍かいぐん特務とくむ艦船かんせん11ぺーじによると「2ほん煙突えんとつのうち前部ぜんぶがロごうかんほんかん2排煙はいえんち、後部こうぶがディーゼルぬし排煙はいえんとう2ほん周囲しゅうい円筒えんとうもうけた構造こうぞうになっている。」
  7. ^ #かんひと190ぺーじには「かんくびりょうふなばたミリ機銃きじゅうく。」の記述きじゅつもある。
  8. ^ 福井ふくい静夫しずお#日本にっぽん補助ほじょ艦艇かんてい物語ものがたり249ぺーじでは「べい艦隊かんたい明石あかしをそのさい重要じゅうよう目標もくひょうとして緒戦しょせんよりつけねらっていたことはあきらかであった。」とされる。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ #日本にっぽん海軍かいぐんぜん艦艇かんてい852ぺーじ
  2. ^ a b c d e #昭和しょうわ15ねん12月25にち現在げんざい艦船かんせん要目ようもく公表こうひょう範囲はんい 画像がぞう7。
  3. ^ a b #昭和しょうわ造船ぞうせんだい1かん505ぺーじ
  4. ^ #日本にっぽん海軍かいぐん特務とくむ艦船かんせん10ぺーじ
  5. ^ a b c #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい13かん9ぺーじ写真しゃしん解説かいせつ
  6. ^ a b #うちれい昭和しょうわ19ねん5がつ(1)pp.44-45『うちれいだいろくひゃくじゅうななごう|横須賀よこすか鎮守ちんじゅ警備けいび驅逐くちくてい だいじゅうよんごう驅潜艇くせんてい/横須賀よこすか鎮守ちんじゅ警備けいび敷設ふせつてい 敷設ふせつてい 白神しらかみ/鎮守ちんじゅ警備けいび哨戒しょうかいてい だいさんじゅういちごう哨戒しょうかいてい みぎ役務えきむかいカル|舞鶴まいづる鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 軍艦ぐんかん 龍田たつた みぎ帝國ていこく軍艦ぐんかんせきヨリじょカル|鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 驅逐くちくかん 若竹わかたけ みぎ帝国ていこく驅逐くちくかんせきヨリじょカル|横須賀よこすか鎮守ちんじゅ在籍ざいせき だいじゅうよんごう驅潜艇くせんてい みぎ帝國ていこく驅潜艇くせんていせきヨリじょカル|横須賀よこすか鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 敷設ふせつてい 白神しらかみ みぎ帝国ていこく敷設ふせつていせきヨリじょカル|鎮守ちんじゅ在籍ざいせき だいさんじゅういちごう哨戒しょうかいてい みぎ帝国ていこく哨戒しょうかいていせきヨリじょカル|鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 特務とくむかん いしろう 特務とくむかん 明石あかし/佐世保させぼ鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 特務とくむかん 佐多さた/舞鶴まいづる鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 特務とくむかん 大瀬おおぜ みぎ帝国ていこく特務とくむかんせきヨリじょカル|昭和しょうわじゅうきゅうねんがつじゅうにち 海軍かいぐん大臣だいじん嶋田しまだ繁太郎しげたろう
  7. ^ #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう844ぺーじ
  8. ^ a b c d e f g h i j k l 特務とくむかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」3ぺーじ
  9. ^ 特務とくむかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」41ぺーじ
  10. ^ a b 特務とくむかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」25ぺーじ
  11. ^ a b #日本にっぽん海軍かいぐん特務とくむ艦船かんせん10ぺーじ
  12. ^ a b #軍艦ぐんかん基本きほん計画けいかく資料しりょうSheet114。
  13. ^ 特務とくむかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」28ぺーじ
  14. ^ #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう845ぺーじ
  15. ^ #日本にっぽん補助ほじょ艦艇かんてい物語ものがたり254ぺーじ
  16. ^ 海軍かいぐん定員ていいんれい 昭和しょうわ13ねん6がつ29にちづけ ないれいだい551ごう制定せいていぶんだい86ひょうノ4 工作こうさくかん定員ていいんひょう」。この数字すうじ特修とくしゅうへい工作こうさく部員ぶいんふくまない。
  17. ^ a b 海軍かいぐん定員ていいんれい 昭和しょうわ13ねん6がつ29にちづけ ないれいだい551ごう制定せいていぶんだい86ひょうノ4 工作こうさくかん定員ていいんひょう備考びこう5。
  18. ^ a b c #日本にっぽん海軍かいぐん艦艇かんてい図面ずめんしゅう図面ずめん番号ばんごう82-1、工作こうさくかん明石あかし一般いっぱん艤装ぎそう1/2(船内せんない側面そくめんうえ甲板かんぱん平面へいめん艦橋かんきょうしょ甲板かんぱん平面へいめん)による。
  19. ^ 特務とくむかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」6ぺーじ
  20. ^ a b #日本にっぽん補助ほじょ艦艇かんてい物語ものがたり253ぺーじ
  21. ^ a b #艦船かんせん要目ようもく公表こうひょう範囲はんい(昭和しょうわ15ねん6がつ25にち)p.4『明石あかし|工作こうさくかん|(かんしょもとりゃく)|短艇たんていすう12|佐世保させぼ工廠こうしょう|12-1-18|13-6-29|14-7-31|(へいそうりゃく)』
  22. ^ #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう847ぺーじ
  23. ^ #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう844ぺーじ
  24. ^ a b #たち昭和しょうわ11ねんp.11『いたるだいひゃくろくじゅうよんごう 艦艇かんてい製造せいぞうヲ以テ昭和しょうわじゅういち年度ねんどニ於テ建造けんぞう着手ちゃくしゅ驅逐くちくかんせき工作こうさくかんいちせきひだりつう命名めいめいス|昭和しょうわじゅういちねんじゅうがつじゅうにち 海軍かいぐん大臣だいじん永野ながの修身しゅうしん株式會社かぶしきがいしゃ川崎かわさき造船ぞうせんしょニ於テ建造けんぞう 驅逐くちくかん あさくも(アサグモ)|株式會社かぶしきがいしゃ藤永ふじなが造船ぞうせんしょニ於テ建造けんぞう 驅逐くちくかん やまくも(ヤマグモ)|佐世保させぼ海軍かいぐん工廠こうしょうニ於テ建造けんぞう 工作こうさくかん 明石あかし(アカシ)』
  25. ^ #聯合れんごう艦隊かんたい軍艦ぐんかん銘銘めいめいでん(ひろし)』p. 225。ただし日本にっぽん海軍かいぐん命名めいめい標準ひょうじゅんでは、特務とくむかんめいは「海峡かいきょう水道すいどう瀬戸せと港湾こうわんみさき半島はんとう」であり、入江いりえはまめい命名めいめい標準ひょうじゅんからはずれている。
  26. ^ a b c d e #かんひと186-187ぺーじ
  27. ^ #艦船かんせん要目ようもく公表こうひょう範囲はんい(昭和しょうわ15ねん6がつ25にち)p.4『朝日あさひ|工作こうさくかん|122.10|22.94|6.93|11441|18.2|短艇たんていすう8|英国えいこく「ジョン、ブラウン」しゃ|明治めいじ30-8-18|明治めいじ32-3-13|明治めいじ33-7-31|(へいそうりゃく)』
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  30. ^ #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう843-844ぺーじ
  31. ^ 小倉おぐらりゅうあきら明石あかし工作こうさくおも#造船ぞうせんかん記録きろく326ぺーじ
  32. ^ a b #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう846ぺーじ
  33. ^ #日本にっぽん補助ほじょ艦艇かんてい物語ものがたり252ぺーじ
  34. ^ #工作こうさくかん明石あかし追想ついそうろく回航かいこう途中とちゅう兵庫ひょうごけん明石あかしおき投錨とうびょう市長しちょう市会しかい議長ぎちょうがい多数たすうらいかん市民しみん海岸かいがんにてまる歓迎かんげい
  35. ^ #明石あかし下巻げかんじゅうがつじゅうにち軍艦ぐんかん明石あかし中崎なかざきおきにきたので、市内しないかく学校がっこう生徒せいと児童じどう各種かくしゅ教化きょうか団体だんたいは、これを中崎なかざきゆう園地えんち歓迎かんげいした』
  36. ^ #S1612連合れんごう艦隊かんたい日誌にっし(2)p.46『明石あかし|3月27にち スターリンクいれ/3月28にち どうだし|回航かいこう
  37. ^ #S1612連合れんごう艦隊かんたい日誌にっし(1)p.19『明石あかし|4がつ10にち アンボン/4がつ12にちアンボンいれ/空襲くうしゅう回避かいひ|4がつ23にちアンボン/4がつ30にちいれ|回航かいこう
  38. ^ #S1612連合れんごう艦隊かんたい日誌にっし(2)p.3『だいだんだい作戦さくせん附属ふぞく艦船かんせん配属はいぞく(17.5.21-7.6.20)』
  39. ^ #戦史せんし叢書そうしょ(62)74ぺーじ『MI作戦さくせん損傷そんしょうかん応急おうきゅう修理しゅうりえての内地ないち回航かいこう
  40. ^ #=S1707防備ぼうび戦隊せんたい日誌にっし(2)p.10『()8がつ18にち明石あかし豊後水道ぶんごすいどう出撃しゅつげき
  41. ^ #せんろく(1968)178ぺーじ
  42. ^ #戦史せんし叢書そうしょ(62)180ぺーじべいせん誤認ごにんされたくもたか
  43. ^ a b #せんろく(1968)186ぺーじ
  44. ^ a b 吉村よしむらちょう 『トラックだい空襲くうしゅう光人みつひとしゃ、1987ねん、75、152ぺーじ
  45. ^ #駆逐くちくかん戦隊せんたい216-219ぺーじ工作こうさくかん明石あかし
  46. ^ #S1812二水にすいせん日誌にっし(4)p.6『輸送ゆそう護衛ごえい(りゃく)2sd(鳥海とりうみ)「パラオ」ニざいリ25にちてきKdBユノほうはまはたはたうつりあげ出撃しゅつげきセルモ誤報ごほうナルニ帰投きとうス/24dg(満潮まんちょう)白露しらつゆ武蔵むさし護衛ごえい24にち横須賀よこすかはつ29にち「パラオ」ちゃく/ふじ波及はきゅう春雨はるさめ(途中とちゅうヨリ)明石あかし船団せんだん護衛ごえい24にち「パラオ」
  47. ^ #S1812二水にすいせん日誌にっし(4)p.10『藤波ふじなみ(りゃく)20にち明石あかし船団せんだん護衛ごえい「トラック」はつ2にち春雨はるさめ合同ごうどう24にち「パラオ」』-p.49『21にち(天候てんこうりゃく)しまふう日章丸にっしょうまるこくようまるあさひ栄丸さかえまる護衛ごえい「パラオ」ニこうケ「バリクパパン」はつ春雨はるさめ0800明石あかし船団せんだん合同ごうどう護衛ごえい任務にんむニ就ク』
  48. ^ #S1902三水さんずいせん日誌にっし(1)p.23『秋風あきかぜ|.いちきゅういたり.よん|「トラック」いたり「パラオ」あいだ明石あかしなみかち警戒けいかい|任務にんむ完遂かんすい
  49. ^ #S1812二水にすいせん日誌にっし(4)p.49『24にち(天候てんこうりゃく)春雨はるさめ藤波ふじなみ明石あかしなみかち護衛ごえい「パラオ」
  50. ^ #S1902三水さんずいせん日誌にっし(1)p.17『(ゆうがつ水無月みなづき)…24にち「パラオ」ちゃく同日どうじつ「トラック」ヨリ明石あかし護衛ごえい回航かいこうらいレル秋風あきかぜ合同ごうどう同地どうちざいリテ待機たいきス』
  51. ^ #だい3たま圜丸p.14『行動こうどう(合戦かっせん)』、#昭和しょうわまるp.8
  52. ^ 小倉おぐらりゅうあきら明石あかし工作こうさくおも#造船ぞうせんかん記録きろく349ぺーじ
  53. ^ a b #昭和しょうわまるp.3『なお1600ごろ工作こうさくかん明石あかしてきばくげき火災かさいほんかんなみ曳船えいせん負傷ふしょうしゃなみ戦闘せんとういん避難ひなんしゃひゃくななじゅうめい収容しゅうよう(うちさんじゅうめい安宅あたかまる移乗いじょう)さんひゃくひたぶる曳船えいせん明石あかし消火しょうかこうヘルヲ以テいち全員ぜんいんほんてい収容しゅうようセルモ収容しゅうよう困難こんなんナルため1900再度さいど移乗いじょう重傷じゅうしょうしゃ14めいほんてい繋留けいりゅうちゅう大発だいはつニテ集會しゅうかいしょおくハ31にち1800までほんてい収容しゅうようなお明石あかし放棄ほうきため30にち1800ヨリ31にち1800まで御真影ごしんえいなみみことのりさとしほんていうつりていちょううるし安置あんちたてまつしょ軍機ぐんき圖書としょどもごとキヲとくタリ』
  54. ^ #だい3たま圜丸p.10『.功績こうせき 避泊ニヨリ人員じんいん船体せんたい兵器へいき損傷そんしょうスルコトナクまたさんじゅうにち明石あかし遭難そうなん火災かさいぎわシテハ其ノ成果せいかシカラザリシモ暗夜あんや決然けつぜんなんニ赴キ消火しょうかりょくメタルハごくメテてきこうナル處置しょちうんとくベク…』
  55. ^ #だい3たま圜丸p.7『1905/明石あかし中部ちゅうぶ右舷うげんよこづけ完了かんりょうス|1910/派遣はけん防火ぼうかたい明石あかし乗艦じょうかん注水ちゅうすい防火ぼうか作業さぎょうはじめム|2120/火勢かせいえきハリ且ツ後部こうぶ残留ざんりゅうセル弾丸だんがん爆発ばくはつなみ重油じゅうゆ「タンク」ニ引火いんかセルヲ以テ消火しょうか見込みこみナキニいたり明石あかし火災かさい現場げんば指揮しきかんヨリだいさんたま圜丸ハはなれセトたちセラレタルヨリ防火ぼうかたいていセシメよこづけはなれ救援きゅうえん作業さぎょうとめム』
  56. ^ #安宅あたかまるp.4『2000|明石あかし乗組のりくみいんさんじゅうはちめい収容しゅうようス』
  57. ^ #かんひと190ぺーじ
  58. ^ #うちれい昭和しょうわ19ねん5がつ(1)p.2『うちれいだいろくひゃくじゅうごう 横須賀よこすか鎮守ちんじゅ府所ふどころかん 特設とくせつ測量そくりょうかん しろすな みぎ特設とくせつ工作こうさくかんあらためム|昭和しょうわじゅうきゅうねんがついちにち 海軍かいぐん大臣だいじん嶋田しまだ繁太郎しげたろう
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参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • アジア歴史れきし資料しりょうセンター(公式こうしき防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ
    • Ref.C13071989600『昭和しょうわ15ねん6がつ25にち現在げんざい10はんないれい提要ていよう追録ついろくだい7ごう原稿げんこう/ まき1追録ついろく/だい6るい機密きみつ保護ほご』。 
    • Ref.C12070100800『昭和しょうわ11ねんたち かん』。 
    • Ref.C12070195200『昭和しょうわ19ねん1がついたり昭和しょうわ19ねん7がつないれい/昭和しょうわ19ねん5がつ(1)』。 
    • Ref.C08030017800『昭和しょうわ16ねん12月1にち昭和しょうわ17ねん6がつ 連合れんごう艦隊かんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(1)』。 
    • Ref.C08030017900『昭和しょうわ16ねん12月1にち昭和しょうわ17ねん6がつ 連合れんごう艦隊かんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(2)』。 
    • Ref.C08030366500『昭和しょうわ17ねん7がつ1にち昭和しょうわ17ねん11月30にち 防備ぼうび戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(2)』。 
    • Ref.C08030107400『昭和しょうわ19ねん2がつ1にち昭和しょうわ19ねん4がつ29にち だい3水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(1)』。 
    • Ref.C08030102100『昭和しょうわ18ねん12月1にち昭和しょうわ19ねん2がつ29にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(4)』。 
    • Ref.C08030269600『昭和しょうわ19ねん3がつ30にち昭和しょうわ19ねん3がつ31にち 特別とくべつ掃海そうかいてい安宅あたかまる戦闘せんとう詳報しょうほう』。 
    • Ref.C08030269900『昭和しょうわ19ねん3がつ30にち昭和しょうわ19ねん3がつ31にち 特設とくせつ掃海そうかいていだい3たま圜丸戦闘せんとう詳報しょうほう』。 
    • Ref.C08030270100『昭和しょうわ19ねん3がつ30にち昭和しょうわ19ねん3がつ31にち 特別とくべつ駆潜艇くせんてい昭和しょうわまる戦闘せんとう詳報しょうほう』。 
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  • 帝国ていこく陸海りくかいぐん補助ほじょ艦艇かんていそう力戦りきせん必要ひつようとされた支援しえん艦艇かんていぐん全貌ぜんぼう』 37かん学習がくしゅう研究けんきゅうしゃ〈〈歴史れきしぐんぞう太平洋たいへいよう戦史せんしシリーズ〉。ISBN 9784056027808 
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  • (しゃ)日本にっぽん造船ぞうせん学会がっかい へん昭和しょうわ造船ぞうせん(だい1かん)』(3はんはら書房しょぼう明治めいじひゃくねん叢書そうしょ だい207かん〉、1981ねん原著げんちょ1977ねん)。ISBN 4-562-00302-2 
  • (しゃ)日本にっぽん造船ぞうせん学会がっかい へん昭和しょうわ造船ぞうせん 別冊べっさつ 日本にっぽん海軍かいぐん艦艇かんてい図面ずめんしゅう』(よんはんはら書房しょぼう明治めいじひゃくねん叢書そうしょ だい242かん〉、1978ねん原著げんちょ1975ねん)。 
  • 造船ぞうせんかい へん造船ぞうせんかん記録きろく今日きょう話題わだいしゃ、1991ねんISBN 4-87565-210-0 
    • 322-352ぺーじ小倉おぐらりゅうあきら明石あかし工作こうさくおも
  • 福田ふくだ啓二けいじ軍艦ぐんかん基本きほん計画けいかく資料しりょう今日きょう話題わだいしゃ、1989ねんISBN 4-87565-207-0 
  • 雑誌ざっしまる編集へんしゅう へん写真しゃしん 日本にっぽん軍艦ぐんかん だい13かん しょう艦艇かんていI光人みつひとしゃ、1990ねんISBN 4-7698-0463-6 
  • 特務とくむかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]