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はやし海峰みほ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
 はやし海峰みほ  名誉めいよ天元てんげん
名前なまえ はやし海峰みほ
生年月日せいねんがっぴ (1942-05-06) 1942ねん5月6にち(82さい
プロねん 1955ねん
出身しゅっしん 中華民国の旗 中華民国ちゅうかみんこく 上海しゃんはい特別とくべつ
所属しょぞく 日本棋院にほんきいん東京とうきょうほんいん
師匠ししょう 藤田ふじた梧郎呉清源ごせいげん
名誉めいよ称号しょうごう 名誉めいよ天元てんげん
概要がいよう
タイトル獲得かくとく合計ごうけい 35
ななだいタイトル
棋聖きせい 挑戦ちょうせんしゃ (1980・82・84)
名人めいじん 8 (1965-67・69・71-73・77)
本因坊ほんいんぼう 5 (1968-70・83-84)
王座おうざ 1 (1973)
天元てんげん 5 (1989-93)
碁聖ごせい 1 (1994)
じゅうだん 1 (1975)
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はやし 海峰みほみね
プロフィール
出生しゅっしょう 1942ねん5月6にち
職業しょくぎょう 囲碁いご棋士きし
せきぬき 浙江せっこうしょう鎮海けん
各種かくしゅ表記ひょうき
繁体字はんたいじ はやし 海峰みほ
簡体字かんたいじ はやし 海峰みほ
拼音 Lín Hăifēng
和名わみょう表記ひょうき りん かいほう
発音はつおん転記てんき リン ハイフォン
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はやし 海峰みほ(りん かいほう、リン ハイフォン 、1942ねんみんこく31ねん5月6にち - )は、中華民国ちゅうかみんこく台湾たいわん)の囲碁いご棋士きし名誉めいよ天元てんげん上海しゃんはい出身しゅっしん日本棋院にほんきいん東京とうきょうほんいん所属しょぞく藤田ふじた梧郎ななだん呉清源ごせいげんきゅうだん門下もんか中華ちゅうか職業しょくぎょうかこえ協会きょうかい理事りじうみみね棋院設立せつりつしゃもと全日本ぜんにほん学生がくせい囲碁いご連盟れんめいふく会長かいちょう特別とくべつ顧問こもん

名人めいじん8本因坊ほんいんぼう5世界せかい囲碁いご選手権せんしゅけん富士通ふじつうはい優勝ゆうしょうなど獲得かくとくタイトルは35で、囲碁いご棋士きし獲得かくとくタイトルすうランキング歴代れきだい9史上しじょう2にん1400しょう達成たっせい

名人めいじんせん挑戦ちょうせん手合てあいに10ねん連続れんぞく出場しゅつじょう名人めいじんせんリーグに最長さいちょう記録きろくとなる35連続れんぞく在籍ざいせき

わかころにはからねばりのある棋風きふうで「まいこし」とばれたが、壮年そうねん以後いご戦闘せんとうてき棋風きふうとなった。どう世代せだいのライバルである大竹おおたけ英雄ひでおとともに「竹林ちくりん」ともしょうされる。はやしうみみね表記ひょうきおお使つかわれている。

2017ねんあき旭日きょくじつちゅう綬章じゅしょう受賞じゅしょう[1][2]

現在げんざい存命ぞんめい名誉めいよ称号しょうごう資格しかくしゃさんだいタイトル獲得かくとく経験けいけんしゃ碁聖ごせい獲得かくとくしゃじゅう段位だんい獲得かくとくしゃでは大竹おおたけ英雄ひでお名誉めいよ碁聖ごせいなら最年長さいねんちょうである[3]

経歴けいれき

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呉清源ごせいげんみぎ)と。

東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく留学りゅうがく経験けいけんのある中華民国ちゅうかみんこく外交がいこう官林かんばやしこく珪の9にん兄弟きょうだいすえとして、1942ねん上海しゃんはいまれた。国民こくみん政府せいふ官吏かんりいえだった林家はやしやは、1946ねん国共こっきょう内戦ないせん蔣介せきひきいる中国ちゅうごく国民党こくみんとう政権せいけんやぶれたときに台湾たいわんうつった。かれちち無類むるいきで、あにあねと、全員ぜんいん家族かぞくだった。いえには毎日まいにちのようにちにるおきゃくさんがいて、はやしちち友人ゆうじんたちつのを自然しぜん囲碁いごおぼえた。プロ棋士きしとしてはおそめの8さいまえだったが、めきめきと上達じょうたつ台湾たいわん少年しょうねん囲碁いご大会たいかい優勝ゆうしょうして、天才てんさい少年しょうねんとして注目ちゅうもくされた。

1952ねん10さいときに、台湾たいわんおとずれていた呉清源ごせいげんろく指導しどうってもらう機会きかいめぐまれ、結果けっか一目いちもくけとなったが、才能さいのうみとめられ来日らいにちした。

来日らいにちして京都きょうと父親ちちおや知人ちじんたくみ、藤田ふじた梧郎門下もんかとなる。半年はんとし東京とうきょううつり、1953ねん東京とうきょうほんいん院生いんせいいちねん再度さいど京都きょうともどり、1954ねん関西かんさい総本部そうほんぶ院生いんせいとなり藤田ふじた梧郎もんまなぶ。1955ねん12さいにゅうだん関西かんさい総本部そうほんぶにゅうだんリーグせんとなる。その当時とうじ関西かんさい総本部そうほんぶは、毎年まいとしいちのみにゅうだんだったが、特別とくべつさんまでにゅうだんみとめられた)。

1961ねん3がつ~4がつはやしろくだん大竹おおたけ英雄ひでおよんだんとで、朝日新聞あさひしんぶんにより「新鋭しんえいさんばん」が企画きかくされ、大竹おおたけ先番せんばん大竹おおたけしょういちジゴとなった。このころから「竹林ちくりんコンビ」とばれるようになる。工藤くどう紀夫のりおふくめた3めいで「三羽烏さんばがらす」ともよばれたこともある[4]

ろくだんどう1961ねん東京とうきょうほんいんうつる。1962ねん木谷きたに一門いちもんひゃくだん突破とっぱ記念きねん大会たいかいちょう治勲ちくん当時とうじ6さい、のちに最多さいたタイトルを獲得かくとくし、はやし最多さいた勝利しょうり更新こうしんすることとなる)にのハンデをあたやぶれる。

1963ねんはつ名人めいじんリーグり。同年どうねん囲碁いご選手権せんしゅけんせんじゅん優勝ゆうしょう高松宮たかまつのみやしょう獲得かくとく1965ねん坂田さかた栄男さかお名人めいじん本因坊ほんいんぼうを4-2でやぶり、23さい史上しじょう最年少さいねんしょう当時とうじ)で名人めいじん獲得かくとく名人めいじんせんでは高川たかがわかく藤沢ふじさわ秀行ひでゆき石田いしだ芳夫よしおらと死闘しとうひろげた。1967ねんきゅうだん1968ねんには坂田さかた栄男さかお本因坊ほんいんぼうやぶり、選手権せんしゅけん史上しじょう2にん名人めいじん本因坊ほんいんぼうになるなど、はやくから才能さいのう発揮はっきして活躍かつやくした。

1973ねんには石田いしだ芳夫よしお挑戦ちょうせんしゃとの名人めいじんせんで、ななばん勝負しょうぶはつの3連敗れんぱいの4連勝れんしょう記録きろく。1983ねん本因坊ほんいんぼうせんでもちょう治勲ちくん本因坊ほんいんぼう相手あいて再度さいどの3連敗れんぱい4連勝れんしょうで12ねんりの本因坊ほんいんぼう復位ふくいたし、驚異きょういねばこし発揮はっきした。

1977ねんには大竹おおたけ英雄ひでおやぶ名人めいじん復位ふくい富士通ふじつうはいでは1988ねん、89ねん連続れんぞくじゅん優勝ゆうしょうのち、90ねん決勝けっしょう聶衛ひらたやぶ優勝ゆうしょう1989ねんより5連続れんぞくして天元てんげん獲得かくとくして、名誉めいよ天元てんげん名乗なのる。1994ねん碁聖ごせい獲得かくとく棋聖きせいくらいへの挑戦ちょうせんは3かい。2001ねん名人めいじんせんで59さい挑戦ちょうせんしゃとなり、坂田さかた栄男さかおなら最年長さいねんちょう記録きろくとなった。

2015ねん8がつ6にち通算つうさん1400しょう達成たっせい(889はい1持碁じご2勝負しょうぶ)。じゅうせい本因坊ほんいんぼう治勲ちくん史上しじょう2にん記録きろく[5]

2017ねん11月3にち日本にっぽん囲碁いごかい発展はってん日本にっぽんにおける台湾たいわん出身しゅっしん棋士きし草分くさわてき存在そんざい張栩ちょううきゅうだん有望ゆうぼう後進こうしん台湾たいわんからそだてるなど日本にっぽん台湾たいわんあいだ友好ゆうこう 親善しんぜん寄与きよしたことから旭日きょくじつちゅう綬章じゅしょう受賞じゅしょう[2]師匠ししょう呉清源ごせいげんおなしょう受賞じゅしょうした[1]

2002ねん中国ちゅうごくかこえ棋甲きゅうリーグせん昌鎬しょうこう韓国かんこくじん棋士きしくわえたチームに対抗たいこうして日本にっぽん棋士きしくわえたいとするしゅう衛視えいしチーム主将しゅしょうの聶衛たいらつよ要望ようぼう[6]け、リーグはつ日本にっぽんからの参加さんかしゃとしてしゅう衛視えいしチームで出場しゅつじょうした[7][8]CSKはい囲碁いごアジア対抗たいこうせんでは、2002ねんから05ねんまで中華ちゅうか台北たいぺいチームとして出場しゅつじょう名人めいじんリーグに35ねん連続れんぞくふくむ39在籍ざいせき実績じっせきがあり、これは囲碁いごかいにおいて今後こんごやぶられそうにない記録きろくのひとつとされる。通算つうさん成績せいせきは2010ねんちょう治勲ちくんやぶられるまで通算つうさん最多さいたしょう記録きろく保持ほじしゃだった。

門下もんかに、台湾たいわんからまねいて内弟子うちでしにした張栩ちょううきゅうだん林子りんこふちななだんはやしかんすぐるななだんとみ紅梅こうばい初段しょだんら。一男かずお二女じじょ父親ちちおやでもあり、長女ちょうじょNHK教育きょういくTV囲碁いご講座こうざ囲碁いご将棋しょうぎジャーナルひとし司会しかいつとめたはやし芳美よしみ次女じじょおなじくNHK囲碁いご講座こうざ司会しかいなどをつとめたはやし浩美ひろみ

エピソード

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  • はやし海峰みほ日本にっぽんにきて2ヶ月かげつたったころ、京都きょうと大学だいがくのキャプテンとっていたのをたまたま高川たかがわかくが「えらいもんがたな!」と藤田ふじたはなしたという[9]
  • さけ苦手にがてまない[10]

記録きろく

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  • 史上しじょうはつ名誉めいよ天元てんげん獲得かくとく(5連覇れんぱ
  • 史上しじょう2にんの1000しょう達成たっせい
  • 史上しじょう2にんの1100しょう達成たっせい
  • 史上しじょう2にんの1200しょう達成たっせい
  • 史上しじょうはつの1300しょう達成たっせい
  • 史上しじょう2にんの1400しょう達成たっせい

おも成績せいせき

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おもなタイトル

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棋士きしとの比較ひかくは、囲碁いごのタイトル在位ざいいしゃ一覧いちらん参照さんしょう

タイトル ばん勝負しょうぶ 獲得かくとく年度ねんど 登場とうじょう 獲得かくとくすう 連覇れんぱ 名誉めいよ称号しょうごう
棋聖きせい ななばん勝負しょうぶ
1-3がつ
3
名人めいじん ななばん勝負しょうぶ
9-11月
1965-67, 1969
1971-73, 77ねん
16 8
歴代れきだい2タイ)
3連覇れんぱ
本因坊ほんいんぼう ななばん勝負しょうぶ
5-7がつ
1968-70, 1983-84ねん 11 5 3連覇れんぱ
王座おうざ ばん勝負しょうぶ
10-12月
1973ねん 4 1
天元てんげん ばん勝負しょうぶ
10-12月
1989-93ねん 7 5
歴代れきだい2
5連覇れんぱ
歴代れきだい1
名誉めいよ天元てんげん
碁聖ごせい ばん勝負しょうぶ
6-8がつ
1994ねん 3 1
じゅうだん ばん勝負しょうぶ
3-4がつ
1975ねん 4 1
獲得かくとく合計ごうけい21歴代れきだい6タイ
囲碁いごななだいタイトル獲得かくとく記録きろく
順位じゅんい 獲得かくとく回数かいすう 棋士きしめい
1 61 じゅうろくせい本因坊ほんいんぼう文裕ふみひろ*
2 42 ちょう治勲ちくん名誉めいよかん*
3 35 小林こばやし光一こういち名誉めいよさんかん*
4 31 加藤かとう正夫まさお名誉めいよ王座おうざ
5 24 張栩ちょううきゅうだん*
6タイ 21 じゅうさんせい本因坊ほんいんぼう栄寿えいじゅ | はやし海峰みほ名誉めいよ天元てんげん*
8 17 大竹おおたけ英雄ひでお名誉めいよ碁聖ごせい
9タイ 14 藤沢ふじさわ秀行ひでゆき名誉めいよ棋聖きせい| 山下やました敬吾けいごきゅうだん*
*は現役げんえき棋士きし
2024ねん4がつ30にち時点じてん
タイトル獲得かくとくすうランキング
順位じゅんい 獲得かくとく回数かいすう 棋士きしめい
1 76 ちょう治勲ちくん名誉めいよかん*
1 76 じゅうろくせい本因坊ほんいんぼう文裕ふみひろ*
3 64 じゅうさんせい本因坊ほんいんぼう栄寿えいじゅ
4 60 小林こばやし光一こういち名誉めいよさんかん*
5 48 大竹おおたけ英雄ひでお名誉めいよ碁聖ごせい
6 47 加藤かとう正夫まさお名誉めいよ王座おうざ
7 41 張栩ちょううきゅうだん*
8 36 依田よだきのはじめきゅうだん*
9 35 はやし海峰みほ名誉めいよ天元てんげん*
10タイ 24 じゅうよんせい本因坊ほんいんぼうしゅうかおる* | たけみや正樹まさききゅうだん*
*は現役げんえき棋士きし
2024ねん4がつ30にち時点じてん[11]

の棋歴

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国際こくさい棋戦きせん

国内こくない棋戦きせん

  • 囲碁いご選手権せんしゅけんせん じゅん優勝ゆうしょう 1963、67ねん
  • 棋聖きせいせん 挑戦ちょうせんしゃ 1980、82、84ねん
    • 全段ぜんだん争覇そうはせん優勝ゆうしょう 1977ねん
    • きゅうだんせん優勝ゆうしょう 1977、79、83、89ねん
  • 名人めいじんせん 挑戦ちょうせんしゃ 1987、91、94、2001ねん
  • 本因坊ほんいんぼうせん 挑戦ちょうせんしゃ 1967、72、73、79ねん
  • 王座おうざせん 挑戦ちょうせんしゃ 1986ねん
  • じゅうだんせん 挑戦ちょうせんしゃ 1988ねん
  • 碁聖ごせいせん 挑戦ちょうせんしゃ 1993ねん
  • 天元てんげんせん 挑戦ちょうせんしゃ 1996ねん
  • NHKはいテレビ囲碁いごトーナメント じゅん優勝ゆうしょう 1987ねん
  • NECカップ囲碁いごトーナメントせん じゅん優勝ゆうしょう 1987、96ねん
  • 早碁はやご選手権せんしゅけんせん じゅん優勝ゆうしょう 1990、95ねん
  • だい手合てあいだい一部いちぶ優勝ゆうしょう 1962、66ねん

その

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海峰みほ棋院

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1997ねんみんこく86ねん)に台湾たいわん海峰みほかこえ基金ききんかい創設そうせつし、アマチュアの大会たいかい主催しゅさいなど囲碁いご普及ふきゅうや、棋士きし育成いくせいにもちからそそぐ。2008ねん海峰みほ棋院改名かいめいし、プロ棋士きし棋戦きせん棋王きおうせん台湾たいわん棋院などとともに創設そうせつおよ日本にっぽん台湾たいわん若手わかて棋士きしによるにちたい精鋭せいえいプロ選手権せんしゅけん中日ちゅうにち精鋭せいえい職業しょくぎょうかこえ棋賽)を創設そうせつした。

著名ちょめいきょく

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「3連敗れんぱい4連勝れんしょうだい12名人めいじんせん挑戦ちょうせん手合てあいだい4きょく 1973ねん9がつ25-26にち はやし海峰みほ-石田いしだ芳夫よしお(先番せんばん)

この名人めいじんせん挑戦ちょうせんしゃ石田いしだ芳夫よしおに3連敗れんぱいし、前年ぜんねんとこのとし本因坊ほんいんぼうせんふくめると石田いしだに9連敗れんぱいちゅうだったはやしだが、しろ2(62)のつよしゅ成立せいりつし、上辺うわべくろおおきくんで優勢ゆうせいとなった。そのくろ逆転ぎゃくてんするが、しろさい逆転ぎゃくてんし、盤面ばんめんで5もくしろばんジゴちで1しょうかえした。こののちさらにはやしは3連勝れんしょうして、ななばん勝負しょうぶ史上しじょうはつの3連敗れんぱい4連勝れんしょう記録きろく名人めいじん防衛ぼうえいした。

著作ちょさく

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しゅう

  • 名人めいじんせんいちいち研究けんきゅう実力じつりょく囲碁いご新書しんしょ)』東京とうきょうそうもとしゃ 1969ねん
  • 激闘げきとうななばん勝負しょうぶ りん石田いしだ だいじゅう名人めいじんせん日本棋院にほんきいん 1974ねん
  • はやしかいみねしゅう わが名人めいじんせんでのたたかい』(ぜん3かん大泉おおいずみ書店しょてん 1974ねん
  • はやし海峰みほ』(現代げんだい花形はながた棋士きしめいきょくせん5)日本棋院にほんきいん 1975ねん
  • はやしうみみねうえ)(した)』(現代げんだい囲碁いご大系たいけい33,34)講談社こうだんしゃ 1980ねん
  • はやしかいみね めいきょくほそかい すごくやすい』(ぜん12かんまことぶんどう新光しんこうしゃ 1983-85ねん
  • はやしかいみね 現代げんだい囲碁いごめい勝負しょうぶシリーズ10 』講談社こうだんしゃ 1988ねん
  • はやし海峰みほ 鑑賞かんしょうシリーズ〈4〉 (囲碁いご文庫ぶんこ) 』日本棋院にほんきいん 2004ねん
  • はやし海峰みほ めいきょくほそかいまことぶんどう新光しんこうしゃ 2004ねん

その

  • はやしうみみね囲碁いご読本とくほん-最新さいしんがた定石じょうせき置碁おきご実戦じっせん』棋苑図書としょ 1966ねん
  • はやしかいみね囲碁いご講座こうざ』(ぜん6かん平凡社へいぼんしゃ 1969ねん
  • 基本きほん布石ふせき事典じてんうえ)(した)』日本棋院にほんきいん 1978ねん
  • 『コウの魔力まりょく日本棋院にほんきいん 1989ねん
  • しゅうはじめ』(日本にっぽん囲碁いご大系たいけい16)筑摩書房ちくましょぼう 1976ねん
  • 闘将とうしょう はやし海峰みほまことぶんどう新光しんこうしゃ 2004ねん
  • 簡明かんめい定石じょうせきだけで方法ほうほう毎日まいにちコミュニケーションズ 2008ねん
多数たすう

年表ねんぴょう

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  • タイトルせんらん氏名しめい対戦たいせん相手あいて。うち、色付いろづのマス獲得かくとく奪取だっしゅまたは防衛ぼうえい)。。色付いろづ名誉めいよ称号しょうごう獲得かくとく青色あおいろ挑戦ちょうせんしゃまたはしつかんむり黄色おうしょくはリーグ成績せいせき
  • 棋道しょうは、さい : 最優秀さいゆうしゅう棋士きししょう、 ゆう : 優秀ゆうしゅう棋士きししょう、 特別とくべつ : 特別とくべつしょう
    りつ : 勝率しょうりついちしょう、 かち : 最多さいた勝利しょうりしょう、 たい : 最多さいた対局たいきょくしょう、 れん : 連勝れんしょうしょう
    国際こくさい : 国際こくさいしょう、 新人しんじん : 新人しんじんしょう、 哉 : 秀哉ひでやしょう
  • 賞金しょうきん&対局たいきょくりょうは、区切くぎりではなく1がつ - 12月の集計しゅうけい単位たんいまんえん色付いろづのはぜん棋士きしちゅう1
棋聖きせい じゅうだん 本因坊ほんいんぼう 碁聖ごせい 名人めいじん 王座おうざ 天元てんげん 其他棋戦きせん 棋道しょう 備考びこう
棋聖きせいせん
1-3がつ
じゅうだんせん
3-4がつ
本因坊ほんいんぼうせん
5-7がつ
碁聖ごせいせん
6-8がつ
名人めいじんせん
9-11月
王座おうざせん
10-12月
天元てんげんせん
10-12月
プロりは
1955
1964 5
1965 坂田さかた栄男さかお
xoooxo
1966 坂田さかた栄男さかお
ooxoo
坂田さかた栄男さかおoxx プロじゅうすぐる
1967 坂田さかた栄男さかお
xxxox
坂田さかた栄男さかお
oooxo
かち
1968 坂田さかた栄男さかお
xooxoxo
高川たかがわかく
xoxxx
史上しじょう2にん名人めいじん本因坊ほんいんぼう
1969 加藤かとう正夫まさおoxooxo 高川たかがわかく
oxxooo
さい
1970 坂田さかた栄男さかおoooo 藤沢ふじさわ秀行ひでゆき
2-4
NHK
1971 石田いしだ芳夫よしお
2-4
藤沢ふじさわ秀行ひでゆき
4-2
1972 石田いしだ芳夫よしお
3-4
藤沢ふじさわ秀行ひでゆき
4-2
1973 石田いしだ芳夫よしおxxxx 石田いしだ芳夫よしお
4-3
坂田さかた栄男さかお
2-1
プロじゅうすぐる さい
1974 石田いしだ芳夫よしお
3-4
石田いしだ芳夫よしお
1-2
NHK

プロじゅうすぐる

1975 橋本はしもと昌二しょうじ
3-0
5 棋戦きせん創設そうせつ
1976 加藤かとう正夫まさお
2-3
棋戦きせん創設そうせつ 2 早碁はやご
1977 棋戦きせん創設そうせつ 大竹おおたけ英雄ひでお
oooo
かち りつ れん
1978 加藤かとう正夫まさお
1-3
大竹おおたけ英雄ひでお
oxxxox
NHK
1979 加藤かとう正夫まさお
1-4
4 つるきよし かち
1980 藤沢ふじさわ秀行ひでゆき
xxoxx
4
1981 3
1982 藤沢ふじさわ秀行ひでゆき
oxxooxx
2
1983 ちょう治勲ちくん
xxxoooo
2 さい かち
1984 ちょう治勲ちくん
xxxoox
淡路あわじ修三しゅうぞう
oxooo
5
1985 たけみや正樹まさき
xxoxx
5 早碁はやご
1986 5 加藤かとう正夫まさお
1-3
1987 陥落かんらく 加藤かとう正夫まさお
xxxx
早碁はやご
1988 プレーオフ
1989 ちょう治勲ちくん
0-3
プレーオフ ちょう治勲ちくん
3-2
1990 5 小林こばやし光一こういち
3-1
NEC

富士通ふじつうはい

国際こくさい
1991 小林こばやし光一こういちxoxxx 加藤かとう正夫まさお
3-1
1992 6 山城やましろひろし
3-1
つるきよし
1993 小林こばやし光一こういち
0-3
5 片岡かたおかさとし
3-1
名誉めいよ天元てんげん
史上しじょうはつ名誉めいよ天元てんげん
1994 陥落かんらく 小林こばやし光一こういち
3-1
小林こばやし光一こういち
xxxx
やなぎ
1-3
1995 小林こばやしさとし
2-3
6
1996 6 やなぎ
xooxx
1997 陥落かんらく 陥落かんらく リーグ最長さいちょう連続れんぞく在籍ざいせき記録きろく
1998 陥落かんらく つるきよし
1999
2000 陥落かんらく
2001 依田よだきのはじめ
xxooxx
ゆう
2002 5
2003 陥落かんらく 2
2004 陥落かんらく

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b 旭日きょくじつちゅう綬章じゅしょう囲碁いご棋士きしはやし海峰みほ名誉めいよ天元てんげん JIJI.COM
  2. ^ a b 平成へいせい29ねんあき外国がいこくじん叙勲じょくん受章じゅしょうしゃ  在日ざいにち受章じゅしょうしゃ 内閣ないかく
  3. ^ ななだいタイトルでは工藤くどう紀夫のりおきゅうだん
  4. ^ 小堀こぼりあきらなんじ現代げんだい棋士きし12にん世界せかい』(日本棋院にほんきいん)P.54
  5. ^ 囲碁いごはやし海峰みほ通算つうさん1400しょう 史上しじょうにん 琉球新報りゅうきゅうしんぽう
  6. ^ “聶衛たいらわが就覺とくはやし海峰みほ厲害”. 東方とうほうもう. (2002ねん1がつ22にち). http://news.eastday.com/epublish/big5/paper148/20020122/class014800010/hwz584983.htm 2018ねん1がつ5にち閲覧えつらん 
  7. ^ “围甲“哈日”ぞく--日本にっぽん棋手とう陆围かぶと联赛わが见”. 人民じんみんもう. (2002ねん3がつ7にち). http://japan.people.com.cn/2002/03/07/riben20020307_17488.html 2018ねん1がつ5にち閲覧えつらん 
  8. ^ “贵州卫视队出征しゅっせい围甲标不变”. 中国ちゅうごく中央ちゅうおうでんだい. (2003ねん4がつ5にち). http://www.cctv.com/news/sports/boards_cards/20030405/100343.shtml 2018ねん1がつ5にち閲覧えつらん 
  9. ^ 内藤ないとう由起子ゆきこ『「囲碁いごライバル物語ものがたり木谷きだにもん平成へいせい四天王してんのう井山いやまいちきょういどしん世代せだい~」p.20』マイナビ出版しゅっぱん、2020ねん 
  10. ^ 中平なかひら邦彦くにひこ棋士きし・その世界せかい』(講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ)P.106
  11. ^ 公式こうしきせんのみ。女流じょりゅう棋戦きせん地方ちほう棋戦きせん王冠おうかんせん関西棋院かんさいきいんだいいち決定けっていせんなど)はのぞく。

参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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