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小林こばやし光一こういち

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
 小林こばやし光一こういち  名誉めいよさんかん
名前なまえ 小林こばやし光一こういち
生年月日せいねんがっぴ (1952-09-10) 1952ねん9がつ10日とおか(71さい
プロねん 1967ねん
出身しゅっしん 北海道ほっかいどう旭川あさひかわ
所属しょぞく 日本棋院にほんきいん東京とうきょうほんいん
師匠ししょう 木谷きたにみのる
名誉めいよ称号しょうごう 名誉めいよさんかん
名誉めいよ称号しょうごう 名誉めいよ棋聖きせい名誉めいよ名人めいじん名誉めいよ碁聖ごせい
概要がいよう
タイトル獲得かくとく合計ごうけい 60(歴代れきだい4
ななだいタイトル合計ごうけい 35(歴代れきだい3
ななだいタイトル
棋聖きせい 8 (1986-93)
名人めいじん 8 (1985・88-94)
本因坊ほんいんぼう 挑戦ちょうせんしゃ (1982・90-92)
王座おうざ 挑戦ちょうせんしゃ (1985・92)
天元てんげん 5 (1976・85-86・98-99)
碁聖ごせい 9 (1988-93・99・01-02)
じゅうだん 5 (1984-86・99-00)
世界せかいタイトル
富士通ふじつうはい 優勝ゆうしょう (1997)
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小林こばやし 光一こういち(こばやし こういち、1952ねん9がつ10日とおか - )は、囲碁いごのプロ棋士きし名誉めいよ棋聖きせい名誉めいよ名人めいじん名誉めいよ碁聖ごせい北海道ほっかいどう旭川あさひかわ出身しゅっしん東京とうきょう小金井こがねい在住ざいじゅう木谷きたにみのるきゅうだん門下もんか日本棋院にほんきいん東京とうきょうほんいん所属しょぞく前妻ぜんさい小林こばやし禮子あやこ1996ねん逝去せいきょ)とのあいだいちなんいちじょ後妻ごさいとのあいだにもどもがいる。長女ちょうじょ小林こばやし泉美いずみむすめ婿むこ張栩ちょううまごちょうこころきよしちょうしんもプロの囲碁いご棋士きし門下もんか河野こうの大矢おおや浩一こういち酒井さかい真樹まさき大木おおき啓司けいじ金澤かなざわ秀男ひでお桑原くわばら陽子ようこ穂坂ほさかまゆがいる。

タイトル獲得かくとくすう歴代れきだい4棋聖きせい8連覇れんぱ名人めいじん7連覇れんぱ碁聖ごせい6連覇れんぱなど、数々かずかずのタイトル連覇れんぱ記録きろく樹立じゅりつし、3つの名誉めいよ称号しょうごうつ。棋道しょう最優秀さいゆうしゅう棋士きししょう」7かい(歴代れきだい2タイ記録たいきろく)、秀哉ひでやしょう7かい。6ねん連続れんぞく賞金しょうきんランキング1(1988-1993)。史上しじょう3にん通算つうさん1400しょう達成たっせい

2006ねんから2007ねん5がつまで、日本棋院にほんきいんふく理事りじちょうつとめた。

来歴らいれき

[編集へんしゅう]

1963ねん木谷きたにみのる弟子でし加藤かとう正夫まさおげん名誉めいよ王座おうざ、このとき初段しょだん)・佐藤さとう昌晴まさはる宮沢みやざわ吾朗ごろうともげんきゅうだん)・伊藤いとう明雄あきおれて旭川あさひかわ指導しどう巡業じゅんぎょうさい旭川あさひかわ囲碁いご会館かいかん経営けいえいしていた地方ちほう棋士きし早勢はやせ勝美かつみ紹介しょうかいされ木谷きたに[1]。このころ小林こばやし道内どうない大会たいかい優勝ゆうしょうし、天才てんさい少年しょうねん新聞しんぶんなどにとりあげられていた。宮沢みやざわに4伊藤いとうに2ってもらい木谷きたに道場どうじょうへの入門にゅうもんゆるされた。しかしこのすうヶ月かげつ木谷きたに度目どめ脳溢血のういっけつたおれた。脳溢血のういっけつは2かい回復かいふくしない場合ばあいおお危険きけん状態じょうたいだった。こんなちゅうでなぜ弟子でしにしてくれたのか木谷きたにの4じょ後年こうねんくと、自分じぶん具合ぐあいわる現役げんえき棋士きしとしてはもう無理むりなので最後さいごのひと頑張がんばりで弟子でしそだてようとしたという。

1965ねん 四谷よつや木谷きだに道場どうじょう入門にゅうもん内弟子うちでしになった最初さいしょに、こしにおもちゃのピストルをぶらげた子供こども部屋へや廊下ろうかあたりをはしまわっていた。小林こばやし近所きんじょまぎんだとおもっていたが、これが当時とうじ8さいでのちにタイトルせんでライバルとなるちょう治勲ちくんじゅうせい本因坊ほんいんぼう治勲ちくん)だった[2]すで旭川あさひかわ代表だいひょうになるまでの実力じつりょくだった小林こばやしだが、入門にゅうもんしてすぐ佐藤さとう昌晴まさはるに3かされ、天狗てんぐはなられた。さらにじょうさきくらいの手合てあいで1、2さい年上としうえ小林こばやしより8さいちょう治勲ちくんのほうがつよいことに小林こばやしはショックをうけた。道場どうじょうではちょう治勲ちくんおな部屋へやんだ。内弟子うちでし時代じだいには加藤かとう正夫まさおげん名誉めいよ王座おうざ)によくってもらった[3]

1967ねん プロ試験しけん合格ごうかくにゅうだん同年どうねんだん昇段しょうだん1968ねん さんだん昇段しょうだん1969ねん よんだん昇段しょうだん1970ねん だん昇段しょうだん1971ねん ろくだん昇段しょうだん1973ねん ななだん昇段しょうだん

1974ねん 13さい年上としうえ女流じょりゅう棋士きし 木谷きたに禮子あやこ師匠ししょう木谷きだにさんじょ)と結婚けっこん

1976ねん はちだん昇段しょうだん

1977ねん だい2天元てんげんせん杉内すぎうち雅男まさおきゅうだんを3-1でくだはつのビッグタイトル天元てんげんせん優勝ゆうしょう長女ちょうじょ泉美いずみ誕生たんじょう。このころ弟子でしはじめる。木谷きたに師匠ししょう婿むこであるため木谷きたに道場どうじょう入門にゅうもん希望きぼうしていたどもたちをまかされるながれになった[3]1978ねん (26さい) きゅうだん昇段しょうだん

1982ねん 本因坊ほんいんぼうせん挑戦ちょうせん

1984ねん だい22じゅうだんせん兄弟子あにでし加藤かとう正夫まさおじゅうだんを3-2でやぶはつじゅう段位だんい度目どめ公式こうしきタイトルにく(以降いこうさん連覇れんぱ)。

1985ねん だい10名人めいじんせんでライバルちょう治勲ちくん名人めいじん挑戦ちょうせんし4―3でやぶはつ名人めいじんく。同年どうねんだい11天元てんげんせん兄弟子あにでし石田いしだ芳夫よしお天元てんげんを3-0でやぶりタイトル奪取だっしゅだい23じゅうだんせん兄弟子あにでし大竹おおたけ英雄ひでおきゅうだんを3-0でやぶ防衛ぼうえい賞金しょうきんランキング1

1986ねん だい10棋聖きせいせんちょう治勲ちくん棋聖きせいを4-2でやぶ棋聖きせい奪取だっしゅちょう治勲ちくん棋聖きせいよん連覇れんぱ阻止そし一気いっきよんかんおうとなる。だい24じゅうだんせんたけみや正樹まさききゅうだんを3-0でやぶ防衛ぼうえいだい33NHKはい優勝ゆうしょう賞金しょうきんランキング1

1987ねん だい11棋聖きせいせんたけみや正樹まさき本因坊ほんいんぼうを4-1でやぶ防衛ぼうえい

1988ねん だい12棋聖きせいせん加藤かとう正夫まさお名人めいじんを4-1でやぶ防衛ぼうえいだい13碁聖ごせいせん加藤かとう正夫まさおきゅうだんを3-0でやぶりタイトル奪取だっしゅだい13名人めいじんせん加藤かとう正夫まさお名人めいじんを4-1でやぶりタイトル奪取だっしゅ。この時期じきにちちゅう名人めいじんせんなどで対戦たいせんした中国ちゅうごく棋士きしをことごとくくだし、中国ちゅうごくでは「おに小林こばやし」とばれおそれられた。賞金しょうきんランキング1

1989ねん だい13棋聖きせいせんたけみや正樹まさき本因坊ほんいんぼうを4-1でやぶ防衛ぼうえいだい14碁聖ごせいせん今村いまむら俊也としやはちだんを3-1でやぶりタイトル防衛ぼうえいだい14名人めいじんせん淡路あわじ修三しゅうぞうきゅうだんを4-1でやぶりタイトル防衛ぼうえい

1990ねん だい14棋聖きせいせん大竹おおたけ英雄ひでおIBMはいを4-1でやぶ防衛ぼうえい。5連覇れんぱ名誉めいよ棋聖きせい資格しかくだい15碁聖ごせいせん小林こばやしさとしきゅうだんを3-0でやぶりタイトル防衛ぼうえいだい15名人めいじんせん大竹おおたけ英雄ひでおきゅうだんを4-2でやぶりタイトル防衛ぼうえい賞金しょうきんランキング1

1991ねん だい15棋聖きせいせん加藤かとう正夫まさお王座おうざを4-3でやぶ防衛ぼうえいだい16碁聖ごせいせん小林こばやしさとしきゅうだんを3-2でやぶりタイトル防衛ぼうえいだい16名人めいじんせんはやしうみみね天元てんげんを4-1でやぶりタイトル防衛ぼうえい賞金しょうきんランキング1

1992ねん だい16棋聖きせいせん山城やましろひろしきゅうだんを4-3でやぶ防衛ぼうえいだい17碁聖ごせいせん小林こばやしさとしきゅうだんを3-1でやぶりタイトル防衛ぼうえいだい17名人めいじんせん大竹おおたけ英雄ひでおきゅうだんを4-3でやぶりタイトル防衛ぼうえいかく連覇れんぱにより名誉めいよ名人めいじん名誉めいよ碁聖ごせい資格しかくる。本因坊ほんいんぼうせん王座おうざせん挑戦ちょうせん賞金しょうきんランキング1

1993ねん だい17棋聖きせいせん加藤かとう正夫まさおきゅうだんを4-3でやぶ防衛ぼうえい。8連覇れんぱ達成たっせいだい18名人めいじんせん大竹おおたけ英雄ひでおきゅうだんを4-1でやぶ防衛ぼうえい。6連覇れんぱ達成たっせいだい18碁聖ごせいせんはやしうみみねきゅうだんを3-0でやぶ防衛ぼうえい。6連覇れんぱ達成たっせい賞金しょうきんランキング6ねん連続れんぞく1[4]

1994ねん だい19名人めいじんせんはやしかいみね天元てんげんを4-0でやぶ防衛ぼうえい名人めいじんなな連覇れんぱ1995ねん NECはい優勝ゆうしょう

1996ねん 4がつ16にちつま禮子あやこ死別しべつ

1997ねん 世界せかい囲碁いご選手権せんしゅけん富士通ふじつうはい優勝ゆうしょう同年どうねんりゅうほしせん優勝ゆうしょう名人めいじんせん挑戦ちょうせん1998ねん 15さい年下としした女性じょせい再婚さいこん天元てんげん奪取だっしゅ

1999ねん だい37じゅうだんせん彦坂ひこさか直人なおとじゅうだんを3-0でやぶじゅう段位だんい奪取だっしゅ、さらにだい24碁聖ごせいせん依田よだきのはじめ碁聖ごせい3-2でやぶ碁聖ごせい奪取だっしゅだい25天元てんげんせん工藤くどう紀夫のりおきゅうだんを3-0でやぶ天元てんげん防衛ぼうえい同年どうねんおもね含・桐山きりやまはい優勝ゆうしょう棋聖きせいせん挑戦ちょうせん

2000ねん だい38じゅうだんせん中野なかのひろしきゅうだんを3-0でやぶじゅう段位だんい防衛ぼうえい

2001ねんだい26碁聖ごせいせん山下やました敬吾けいご碁聖ごせいを3-2でやぶ碁聖ごせい奪取だっしゅ2002ねん (50さい) 碁聖ごせい防衛ぼうえいだい11りゅうほしせん優勝ゆうしょう本因坊ほんいんぼうリーグり。

2003ねん だい12りゅうほしせん優勝ゆうしょう長女ちょうじょ泉美いずみ張栩ちょうう結婚けっこん2004ねん だい51NHKはい優勝ゆうしょう。NECはい優勝ゆうしょう史上しじょうはつちちむすめ対決たいけつこう掲)2006ねん 日本棋院にほんきいんふく理事りじちょう(-2007ねん

2011ねん だい36棋聖きせいせんリーグり。だい1かい囲碁いごマスターズカップじゅん優勝ゆうしょう

2012ねん 9がつ10日とおかまん60さい誕生たんじょうむかえ、名誉めいよ棋聖きせい名誉めいよ名人めいじん名誉めいよ碁聖ごせい名乗なのる(普段ふだん序列じょれつうえ名誉めいよ棋聖きせい記載きさいされる。メディアなどでは名誉めいよさんかんとも記載きさいされている[5])。名誉めいよ名人めいじん名乗なのるのは、囲碁いごかいはつであった。

2016ねん だい6かい囲碁いごマスターズカップ優勝ゆうしょう

2018ねんはる褒章ほうしょう紫綬褒章しじゅほうしょう受章じゅしょう[6]

略歴りゃくれき

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  • 1965ねん 旭川あさひかわ市立しりつ正和しょうわ小学校しょうがっこう卒業そつぎょう
  • 1965ねん(13さい四谷よつや木谷きだに道場どうじょう入門にゅうもん
  • 1967ねん(14さい)プロ試験しけん合格ごうかくにゅうだん同年どうねんだん昇段しょうだん
  • 1968ねん 東京とうきょう都立とりつ赤城台あかぎだい高等こうとう学校がっこう中退ちゅうたい
  • 1968ねん(16さいさんだん昇段しょうだん
  • 1969ねん(17さいよんだん昇段しょうだん
  • 1970ねん(18さいだん昇段しょうだん
  • 1971ねん(19さいろくだん昇段しょうだん
  • 1973ねん(21さいななだん昇段しょうだん
  • 1974ねん(22さい木谷きたに禮子あやこ結婚けっこん
  • 1976ねん(24さいはちだん昇段しょうだん
  • 1977ねん(25さいだい2天元てんげんせん優勝ゆうしょう長女ちょうじょ泉美いずみ誕生たんじょう
  • 1978ねん(26さいきゅうだん昇段しょうだん
  • 1982ねん(30さい本因坊ほんいんぼうせん挑戦ちょうせん
  • 1984ねん(32さいじゅうだん
  • 1985ねん(33さい名人めいじん天元てんげんじゅうだん防衛ぼうえい賞金しょうきんランキング1
  • 1986ねん(34さい棋聖きせい奪取だっしゅよんかんおう。NHKはい優勝ゆうしょう賞金しょうきんランキング1
  • 1987ねん(35さい棋聖きせい防衛ぼうえい
  • 1988ねん(36さい棋聖きせい防衛ぼうえい碁聖ごせい奪取だっしゅ名人めいじん奪取だっしゅ賞金しょうきんランキング1
  • 1989ねん(37さい棋聖きせい防衛ぼうえい碁聖ごせい防衛ぼうえい名人めいじん防衛ぼうえい
  • 1990ねん(38さい棋聖きせい防衛ぼうえい、5連覇れんぱ名誉めいよ棋聖きせい資格しかくる。碁聖ごせい防衛ぼうえい名人めいじん防衛ぼうえい賞金しょうきんランキング1
  • 1991ねん(39さい棋聖きせい防衛ぼうえい碁聖ごせい防衛ぼうえい名人めいじん防衛ぼうえい賞金しょうきんランキング1
  • 1992ねん(40さい棋聖きせい防衛ぼうえい碁聖ごせい防衛ぼうえい名人めいじん防衛ぼうえいかく5連覇れんぱにより名誉めいよ名人めいじん名誉めいよ碁聖ごせい資格しかくる。本因坊ほんいんぼうせん王座おうざせん挑戦ちょうせん賞金しょうきんランキング1
  • 1993ねん(41さい棋聖きせい8連覇れんぱ名人めいじん防衛ぼうえい碁聖ごせい6連覇れんぱ賞金しょうきんランキング6ねん連続れんぞく1
  • 1994ねん(42さい名人めいじん7連覇れんぱ
  • 1995ねん(43さい)NECはい優勝ゆうしょう
  • 1997ねん(45さい世界せかい囲碁いご選手権せんしゅけん富士通ふじつうはい優勝ゆうしょう同年どうねんりゅうほしせん優勝ゆうしょう名人めいじんせん挑戦ちょうせん
  • 1998ねん(46さい天元てんげん奪取だっしゅ
  • 1999ねん(47さいじゅう段位だんい奪取だっしゅ碁聖ごせい奪取だっしゅ天元てんげん防衛ぼうえいおもね含・桐山きりやまはい優勝ゆうしょう棋聖きせいせん挑戦ちょうせん
  • 2000ねん(48さいじゅう段位だんい防衛ぼうえい
  • 2001ねん(49さい碁聖ごせい奪取だっしゅ
  • 2002ねん(50さい碁聖ごせい防衛ぼうえいりゅうほしせん優勝ゆうしょう本因坊ほんいんぼうリーグり。
  • 2003ねん(51さいりゅうほしせん優勝ゆうしょう長女ちょうじょ泉美いずみ張栩ちょうう結婚けっこん
  • 2004ねん(52さい)NHKはい優勝ゆうしょう。NECはい優勝ゆうしょう史上しじょうはつちちむすめ対決たいけつ
  • 2006ねん(54さい日本棋院にほんきいんふく理事りじちょう(-2007ねん
  • 2011ねん(59さい棋聖きせいせんリーグり。囲碁いごマスターズカップじゅん優勝ゆうしょう
  • 2012ねん(60さい)9がつ10日とおかまん60さい誕生たんじょうむかえ、名誉めいよ棋聖きせい名誉めいよ名人めいじん名誉めいよ碁聖ごせい名乗なのる。
  • 2016ねん(64さいだい6かい囲碁いごマスターズカップ優勝ゆうしょう
  • 2018ねん(66さいはる褒章ほうしょう紫綬褒章しじゅほうしょう受章じゅしょう公式こうしきせん通算つうさん1400しょう達成たっせい

記録きろく

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  • 棋聖きせい8連覇れんぱ歴代れきだい2
  • 碁聖ごせい9獲得かくとく歴代れきだい1
  • 名人めいじん7連覇れんぱ歴代れきだい2
  • 棋聖きせい8連覇れんぱ歴代れきだい2
  • タイトル獲得かくとくすう 60(歴代れきだい3) 2016ねん現在げんざい
  • 通算つうさん700しょう達成たっせい 史上しじょう5にん 達成たっせい勝率しょうりつだい1.708 1989ねん3がつ23にち達成たっせい
  • 通算つうさん1000しょう達成たっせい 史上しじょう4にん 達成たっせい勝率しょうりつだい1.680 1998ねん11月28にち達成たっせい
  • 通算つうさん1200しょう達成たっせい 史上しじょう4にん 2005ねん9がつ1にち達成たっせい
  • 通算つうさん1400しょう達成たっせい 史上しじょう3にん 2018ねん12月6にち達成たっせい
  • 1990ねん 囲碁いごかい史上しじょうはつ年間ねんかん獲得かくとく賞金しょうきん1おくえん突破とっぱ

獲得かくとくタイトル

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タイトルすう60(歴代れきだい3

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棋戦きせん
さんだいタイトル
ななだいタイトル
国際こくさいタイトル
大会たいかい
タイトル とし
優勝ゆうしょう 1 新鋭しんえいトーナメントせん 1972
優勝ゆうしょう 2 首相しゅしょうはい争奪そうだつせん 1972
優勝ゆうしょう 3 早碁はやご選手権せんしゅけんせん 1973
優勝ゆうしょう 4 首相しゅしょう争奪そうだつはい 1974
優勝ゆうしょう 5 新鋭しんえいトーナメントせん 1975
優勝ゆうしょう 6 首相しゅしょう争奪そうだつはい 1976
優勝ゆうしょう 7 新人しんじんおうせん 1976
優勝ゆうしょう 8 新人しんじんおうせん 1977
奪取だっしゅ 9 天元てんげん 1977
優勝ゆうしょう 10 早碁はやご選手権せんしゅけんせん 1982
奪取だっしゅ 11 じゅうだん 1984
防衛ぼうえい 12 じゅうだん 1985
奪取だっしゅ 13 名人めいじん 1985
奪取だっしゅ 14 天元てんげん 1985
奪取だっしゅ 15 棋聖きせい 1986
優勝ゆうしょう 16 NHKはい 1986
防衛ぼうえい 17 じゅうだん 1986
防衛ぼうえい 18 天元てんげん 1986
防衛ぼうえい 19 棋聖きせい 1987
優勝ゆうしょう 20 早碁はやご選手権せんしゅけんせん 1987
防衛ぼうえい 21 棋聖きせい 1988
奪取だっしゅ 22 碁聖ごせい 1988
奪取だっしゅ 23 名人めいじん 1988
防衛ぼうえい 24 棋聖きせい 1989
防衛ぼうえい 25 碁聖ごせい 1989
防衛ぼうえい 26 名人めいじん 1989
防衛ぼうえい 27 棋聖きせい 1990
防衛ぼうえい 28 碁聖ごせい 1990
防衛ぼうえい 29 名人めいじん 1990
防衛ぼうえい 30 棋聖きせい 1991
防衛ぼうえい 31 碁聖ごせい 1991
防衛ぼうえい 32 名人めいじん 1991
防衛ぼうえい 33 棋聖きせい 1992
防衛ぼうえい 34 碁聖ごせい 1992
防衛ぼうえい 35 名人めいじん 1992
防衛ぼうえい 36 棋聖きせい 1993
防衛ぼうえい 37 碁聖ごせい 1993
防衛ぼうえい 38 名人めいじん 1993
優勝ゆうしょう 39 つる聖戦せいせん 1994
防衛ぼうえい 40 名人めいじん 1994
優勝ゆうしょう 41 NECカップ 1995
優勝ゆうしょう 42 富士通ふじつうはい 1997
優勝ゆうしょう 43 つる聖戦せいせん 1997
優勝ゆうしょう 44 りゅうほしはい 1997
優勝ゆうしょう 45 早碁はやご選手権せんしゅけんせん 1997
奪取だっしゅ 46 天元てんげん 1998
優勝ゆうしょう 47 NECはい 1999
奪取だっしゅ 48 じゅうだん 1999
奪取だっしゅ 49 碁聖ごせい 1999
優勝ゆうしょう 50 おもね含桐やまはい 1999
防衛ぼうえい 51 天元てんげん 1999
防衛ぼうえい 52 じゅうだん 2000
優勝ゆうしょう 53 つる聖戦せいせん 2001
奪取だっしゅ 54 碁聖ごせい 2001
防衛ぼうえい 55 碁聖ごせい 2002
優勝ゆうしょう 56 りゅうほしはい 2002
優勝ゆうしょう 57 りゅうほしはい 2003
優勝ゆうしょう 58 NECはい 2004
優勝ゆうしょう 59 NHKはい 2004
優勝ゆうしょう 60 マスターズせん 2016
囲碁いごななだいタイトル獲得かくとく記録きろく
順位じゅんい 獲得かくとく回数かいすう 棋士きしめい
1 61 じゅうろくせい本因坊ほんいんぼう文裕ふみひろ*
2 42 ちょう治勲ちくん名誉めいよかん*
3 35 小林こばやし光一こういち名誉めいよさんかん*
4 31 加藤かとう正夫まさお名誉めいよ王座おうざ
5 24 張栩ちょううきゅうだん*
6タイ 21 じゅうさんせい本因坊ほんいんぼう栄寿えいじゅ | はやし海峰みほ名誉めいよ天元てんげん*
8 17 大竹おおたけ英雄ひでお名誉めいよ碁聖ごせい
9タイ 14 藤沢ふじさわ秀行ひでゆき名誉めいよ棋聖きせい| 山下やました敬吾けいごきゅうだん*
*は現役げんえき棋士きし
2024ねん4がつ30にち時点じてん
タイトル獲得かくとくすうランキング
順位じゅんい 獲得かくとく回数かいすう 棋士きしめい
1 76 ちょう治勲ちくん名誉めいよかん*
1 76 じゅうろくせい本因坊ほんいんぼう文裕ふみひろ*
3 64 じゅうさんせい本因坊ほんいんぼう栄寿えいじゅ
4 60 小林こばやし光一こういち名誉めいよさんかん*
5 48 大竹おおたけ英雄ひでお名誉めいよ碁聖ごせい
6 47 加藤かとう正夫まさお名誉めいよ王座おうざ
7 41 張栩ちょううきゅうだん*
8 36 依田よだきのはじめきゅうだん*
9 35 はやし海峰みほ名誉めいよ天元てんげん*
10タイ 24 じゅうよんせい本因坊ほんいんぼうしゅうかおる* | たけみや正樹まさききゅうだん*
*は現役げんえき棋士きし
2024ねん4がつ30にち時点じてん[7]

顕彰けんしょう

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  • 1985ねん12月29にち 旭川あさひかわ市民しみん栄誉えいよしょう
  • 1986ねん1がつ27にち 北海道ほっかいどう栄誉えいよしょう
  • 1993ねん1がつ28にち 都民とみん文化ぶんか栄誉えいよあきら

棋風きふう

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足早あしばやかせぎ、ヨセ勝負しょうぶ実利じつり

全盛ぜんせい時代じだい多用たようした小林こばやしりゅう布石ふせき好成績こうせいせきげ、世界せかい流行りゅうこう布石ふせきとなった。あじふくみをのこさず、早々そうそう部分ぶぶん部分ぶぶんかたちめてつ「ち」は有名ゆうめい

家系かけい

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木谷きたにみのるきゅうだん
 
 
 
 
禮子あやこ
もと女流じょりゅう名人めいじん
 
小林こばやし光一こういち
名誉めいよさんかん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小林こばやし泉美いずみ
もと女流じょりゅうかん
 
張栩ちょうう もとかん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ちょうこころきよしちょうしん
 

ちょう治勲ちくんとの角逐かくちく

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ちょう治勲ちくんとは1980年代ねんだいから90年代ねんだいにかけて幾度いくどとなくタイトルせん激突げきとつし、囲碁いごかいにおいて「小林こばやしちょう時代ときよ」をつくった。対局たいきょくは129きょく(2011ねん現在げんざい)におよび、どういちカードとしては史上しじょう最多さいた対戦たいせん成績せいせきはほぼふん(2011ねん現在げんざい小林こばやしの63しょう66はい)で、現代げんだいかいきってのライバル関係かんけいにある。なお、若手わかて時代じだい石田いしだ加藤かとうたけみやの「黄金おうごんトリオ」にたいして、ちょう小林こばやしは「シルバーコンビ」とばれた[8]

本因坊ほんいんぼうせんには過去かこ4かい登場とうじょうしているが、すべてちょうやぶれ、いまだ獲得かくとくいたっていない。とくに1990ねんからさんねん連続れんぞく挑戦ちょうせんは、ことごとくちょうだい逆転ぎゃくてん勝利しょうりわり、だいさんかん達成たっせいはばまれた(それぞれ2-0、3-1、3-0からの逆転ぎゃくてんけ)。「だい一番いちばんこうきょくなし」という言葉ことばくつがえしたこのドラマチックなななばん勝負しょうぶは、現代げんだい日本にっぽん囲碁いごかいのハイライトともいわれている。

エピソード

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  • からく、ふくみをのこさずにちするスタイルのため、同門どうもんたけみや正樹まさきに「地下鉄ちかてつみたいな」と揶揄やゆされたことがあった。が、小林こばやしは「地下鉄ちかてつとはうまいことをいう。つためには真理しんりだけをればよく、れる必要ひつようがない」とながし、直後ちょくごのタイトルせんたけみやにみごと完勝かんしょうした。いっぽうたけみやは1995ねん名人めいじんせん登場とうじょうにあたり、小林こばやし揶揄やゆしたことをびたうえ対戦たいせんし、小林こばやしから名人めいじん奪取だっしゅした。
  • 感想かんそうせんではおもったことを率直そっちょくくちにするところがあり、かつてはたけみや正樹まさきちょう治勲ちくんともめたこともある。囲碁いごライター・小堀こぼりあきらなんじは、「純粋じゅんすい正直しょうじきひとなのだけど、その純粋じゅんすいさがときにひときずつける」と、小林こばやし性格せいかく描写びょうしゃしている[9]
  • 前妻ぜんさい禮子あやこ小林こばやしより13さい年上としうえだったうえ師匠ししょう木谷きたにみのる令嬢れいじょうにして、はやくから女流じょりゅう実力じつりょくしゃであった。部屋住へやずみの若手わかて棋士きしとの結婚けっこんはつりいがとれないという周囲しゅうい反発はんぱつえ、二人ふたりさんねんしで結婚けっこんにこぎつけた[10]同門どうもんちょう治勲ちくんは、「マドンナだった禮子あやこさんとちした光一こういちさんに復讐ふくしゅうしようと、門下生もんかせいでたくらんでいた」と冗談じょうだんをこめてかたっている[11]
  • 1996ねん禮子あやこにゅうがんにより他界たかいするまで、小林こばやしつま病気びょうきのことを周囲しゅうい一切いっさいもらさなかった[12]。そのあいだ棋聖きせい名人めいじんなど長期ちょうき連覇れんぱしてきたタイトルを次々つぎつぎしつかんしていくことになる。
  • かねていだった15さい年下としした女性じょせい再婚さいこんしたさい、『週刊しゅうかん朝日あさひ』は「『ねえさん』うしなった小林こばやしきゅうだん再婚さいこん相手あいては『いもうと』」という見出みだしの記事きじせた。実際じっさい再婚さいこん相手あいて実弟じっていつまいもうとすなわち義妹ぎまいいもうとであり、また実弟じってい義妹ぎまい結婚けっこんするえんつくったのは禮子あやこ夫人ふじんであった。
  • 2004ねん7がつ29にちむすめ小林こばやし泉美いずみじゅうだんせん本戦ほんせん敗者はいしゃ復活ふっかつせん1回戦かいせん史上しじょうはつちちむすめ対決たいけつ[13]おこない、しろばん中押なかおちで勝利しょうりした。
  • 全盛期ぜんせいきには眼鏡めがねをかけていたが、視力しりょく矯正きょうせい手術しゅじゅつけて眼鏡めがねはずした。
  • かおこえ萩本はぎもと欽一きんいち非常ひじょうており、インターネットじょう一時いちじ話題わだいになった。
  • 愛読あいどくしょ大藪おおやぶ春彦はるひこハードボイルド。ストーリーと結末けつまつ明快めいかいさが自分じぶん気質きしつっているから、という[14]

著作ちょさく

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  • 現代げんだい花形はながた棋士きしめいきょくせん別巻べっかん1)小林こばやし光一こういち日本棋院にほんきいん 1977ねん
  • 小林こばやし光一こういち』(現代げんだい囲碁いご大系たいけい42)講談社こうだんしゃ 1984ねん
  • 小林こばやし光一こういち現代げんだい囲碁いごめい勝負しょうぶシリーズ)』講談社こうだんしゃ 1986ねん
  • はやわかりだいはすむらただしだいナダレ 』まことぶんどう新光しんこうしゃ 1986ねん
  • 小林こばやし光一こういち必勝ひっしょう囲碁いご講座こうざ』(ぜん3かん日本棋院にほんきいん 1989ねん
  • 囲碁いご定石じょうせき事典じてんすじかたちつよくなる』学研がっけん 1997ねん
  • 棋士きしふたり つまからの手紙てがみNHK出版しゅっぱん 1997ねん
  • 小林こばやし光一こういち囲碁いご上達じょうたつじゅくぜん3さつ (進化しんかする布石ふせき構想こうそう勝負しょうぶどころの感性かんせい勝負しょうぶめる形勢けいせい判断はんだん) 』フローラル出版しゅっぱん 2003ねん
  • 飛翔ひしょう名誉めいよさんかんへの軌跡きせき〜』マイナビ 2012ねん
  • 名誉めいよさんかん小林こばやし光一こういち 布石ふせき神髄しんずい』NHK出版しゅっぱん 2017ねん

年表ねんぴょう

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  • タイトルせんらん氏名しめい対戦たいせん相手あいて。うち、色付いろづのマス獲得かくとく奪取だっしゅまたは防衛ぼうえい)。色付いろづ名誉めいよ称号しょうごう獲得かくとく青色あおいろ挑戦ちょうせんしゃまたはしつかんむり黄色おうしょくはリーグ成績せいせき
  • 棋道しょうは、さい : 最優秀さいゆうしゅう棋士きししょう、 ゆう : 優秀ゆうしゅう棋士きししょう、 特別とくべつ : 特別とくべつしょう
    りつ : 勝率しょうりついちしょう、 かち : 最多さいた勝利しょうりしょう、 たい : 最多さいた対局たいきょくしょう、 れん : 連勝れんしょうしょう
    国際こくさい : 国際こくさいしょう、 新人しんじん : 新人しんじんしょう、  : 秀哉ひでやしょう
  • 賞金しょうきん&対局たいきょくりょうは、年度ねんど区切くぎりではなく1がつ - 12月の集計しゅうけい単位たんいまんえん色付いろづとしぜん棋士きしちゅう1
棋聖きせい じゅうだん 本因坊ほんいんぼう 碁聖ごせい 名人めいじん 王座おうざ 天元てんげん 棋戦きせん 棋道しょう 備考びこう
棋聖きせいせん
1-3がつ
じゅうだんせん
3-4がつ
本因坊ほんいんぼうせん
5-7がつ
碁聖ごせいせん
6-8がつ
名人めいじんせん
9-11月
王座おうざせん
10-12月
天元てんげんせん
10-12月
1972ねん 新銳しんえい首相しゅしょうはい 新人しんじん
1973ねん 早碁はやご 殊勲しゅくん
1974ねん 首相しゅしょうはい 敢闘かんとう
1975ねん 新銳しんえい れん
1976ねん 杉内すぎうち雅男まさお3-1 新人しんじんおう首相しゅしょうはい 敢闘かんとう
1977ねん 新人しんじんおう 殊勲しゅくん
1978ねん
1979ねん リーグ
1980ねん 5
1981ねん 5 加藤かとう正夫まさお2-3 技能ぎのう
1982ねん ちょう治勲ちくんoxoxxx 3 早碁はやご かち
1983ねん 4
1984ねん 加藤かとう正夫まさお3-2 プレーオフ かち 殊勲しゅくん 4
1985ねん 大竹おおたけ英雄ひでお3-0 ちょう治勲ちくんoxooxxo 加藤かとう正夫まさお0-3 石田いしだ芳夫よしお3-0 さい かち

1 (06190)
1986ねん ちょう治勲ちくんoxxooo たけみや正樹まさき3-0 加藤かとう正夫まさおxxxx えんでん勇一ゆういち3-1 NHKはい 1 (07020)
1987ねん たけみや正樹まさきoooxo 加藤かとう正夫まさお1-3 2 ちょう治勲ちくん
2-3
早碁はやご 2
1988ねん 加藤かとう正夫まさおoooxo 加藤かとう正夫まさお3-0 加藤かとう正夫まさおxoooo さい れん

1 (08861)
1989ねん たけみや正樹まさきxoooo 今村いまむら俊也としや3-1 淡路あわじ修三しゅうぞうxoooo さい 1 (08688)
1990ねん 大竹おおたけ英雄ひでお
oxooo
名誉めいよ棋聖きせい
ちょう治勲ちくんxoooxxx 小林こばやしさとし
3-0-
大竹おおたけ英雄ひでおoxxooo はやし海峰みほ
1-3
さい 1 (10604)
1991ねん 加藤かとう正夫まさおxooxoxo ちょう治勲ちくん
ooxxxx
小林こばやしさとし
3-2
はやし海峰みほ
oxooo
さい 1 (10130)
1992ねん 山城やましろひろし
xxooxoo
たけみや正樹まさき1-3 ちょう治勲ちくん
oooxxxx
小林こばやしさとし
3-1
名誉めいよ碁聖ごせい
大竹おおたけ英雄ひでお
oxoxoxo
名誉めいよ名人めいじん
藤沢ふじさわ秀行ひでゆき2-3 さい おお

1 (11199) 史上しじょうはつななだいタイトル
名誉めいよ称号しょうごうかんさんかん
1993ねん 加藤かとう正夫まさおxxoxooo はやし海峰みほ
3-0
大竹おおたけ英雄ひでおooxoo さい 1 (08884)
1994ねん ちょう治勲ちくん
oxxxox
大竹おおたけ英雄ひでお2-3 はやし海峰みほ
1-3
はやし海峰みほ
oooo
つるきよし 2
1995ねん たけみや正樹まさきxxxox やなぎ
2-3
NECはい 4
1996ねん 4
1997ねん ちょう治勲ちくん
oxoxxx
つるきよし

りゅうぼし富士通ふじつうはい早碁はやご||

3
1998ねん 4 工藤くどう紀夫のりおxooxo 5
1999ねん ちょう治勲ちくん
xxoxox
彦坂ひこさか直人なおとooo 依田よだきのはじめxxooo プレーオフ 工藤くどう紀夫のりおooo NECはい

桐山きりやまはい

ゆう 2
2000ねん 中野なかのひろしooo 山下やました敬吾けいごxxoox 陥落かんらく やなぎ
xxx
4
2001ねん 王立誠おうりつせい
>oxoxx
山下やました敬吾けいごoxoxo つるきよし 8
2002ねん 結城ゆうきさとし
ooxo
りゅうぼし 10
2003ねん 依田よだきのはじめxxoox りゅうぼし 12
2004ねん NHKはい

NECはい

5

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ かた人生じんせいおくりもの)小林こばやし光一こういち:3 小6しょうろく卒業そつぎょう目前もくぜん決断けつだん 木谷きたに道場どうじょうへ:朝日新聞あさひしんぶんデジタル”. 朝日新聞あさひしんぶんデジタル (2022ねん6がつ16にち). 2024ねん7がつ16にち閲覧えつらん
  2. ^ NHKテキストview
  3. ^ a b 内藤ないとう由起子ゆきこ囲碁いご観戦かんせん記者きしゃ)『それもいちきょく 弟子でしたちがかたる「木谷きたに道場どうじょう」のおしえ』水曜すいようしゃ、1969ねん、61-70ぺーじISBN 978-4-88065-396-9 
  4. ^ 囲碁いご年鑑ねんかん 1994ねんごう
  5. ^ じゅうせい本因坊ほんいんぼう治勲ちくん畏怖いふした小林こばやし光一こういち名誉めいよさんかん姿すがたとは
  6. ^ 紫綬褒章しじゅほうしょう受章じゅしょうしゃ 時事じじドットコム、2018ねん4がつ28にち アーカイブ 2018ねん6がつ24にち - ウェイバックマシン
  7. ^ 公式こうしきせんのみ。女流じょりゅう棋戦きせん地方ちほう棋戦きせん王冠おうかんせん関西棋院かんさいきいんだいいち決定けっていせんなど)はのぞく。
  8. ^ 坂田さかた栄男さかお現代げんだい強豪きょうごう20にん』(まことぶんどう新光しんこうしゃ)P.188
  9. ^ 小堀こぼりあきらなんじひと荒野あらのをめざせ ちょう治勲ちくん物語ものがたり』(毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ)、37ページ。
  10. ^ 荒谷あらや一成いっせい囲碁いごめい棋士きしたちのあたまなか』(ちゅうけい出版しゅっぱん)、92-93ページ
  11. ^ 小林こばやしきゅうだん名誉めいよさんかん」の偉業いぎょういわう」産経新聞さんけいしんぶん2012ねん9がつ20にちづけ同年どうねん10がつ3にち閲覧えつらん
  12. ^ 荒谷あらや前掲ぜんけいしょ、93ページ。
  13. ^ ちち息子むすこ対決たいけつ」は羽根はね泰正やすまさ直樹なおき泉谷いずみや政憲まさのり英雄えいゆうの2れいがあり、いずれも息子むすこ後者こうしゃ)が勝利しょうりしている。かいニュース参照さんしょう。この対決たいけつはいずれも予選よせんのものであり、さらにトーナメント方式ほうしき場合ばあいは1回戦かいせん父子ふし師弟していたらないように配慮はいりょしているという(asahi.com2004ねん7がつ22にちづけ報道ほうどうによる)。
  14. ^ 荒谷あらや前掲ぜんけいしょ、99ページ。

外部がいぶリンク

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