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大竹おおたけ英雄ひでお

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 大竹おおたけ英雄ひでお  名誉めいよ碁聖ごせい
名前なまえ 大竹おおたけ英雄ひでお
生年月日せいねんがっぴ (1942-05-12) 1942ねん5月12にち(82さい
プロねん 1956ねん
出身しゅっしん 福岡ふくおかけん北九州きたきゅうしゅう
所属しょぞく 日本棋院にほんきいん東京とうきょうほんいん
師匠ししょう 木谷きたにみのる
名誉めいよ称号しょうごう 名誉めいよ碁聖ごせい
概要がいよう
タイトル獲得かくとく合計ごうけい 48
通算つうさん成績せいせき 1319しょう846はい5持碁じご1勝負しょうぶ
ななだいタイトル
棋聖きせい 挑戦ちょうせんしゃ (1981・90)
名人めいじん 4 (1975-76・78-79)
本因坊ほんいんぼう 挑戦ちょうせんしゃ (1988)
王座おうざ 1 (1975)
碁聖ごせい 7 (1978・80-85)
じゅうだん 5 (1969・80-81・93-94)
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大竹おおたけ 英雄ひでお(おおたけ ひでお、1942ねん昭和しょうわ17ねん5月12にち - )は、2021ねん引退いんたいした囲碁いご棋士きし名誉めいよ碁聖ごせい福岡ふくおかけん北九州きたきゅうしゅう出身しゅっしん日本棋院にほんきいんところ東京とうきょうほんいん所属しょぞく木谷きたにみのるきゅうだん門下もんかきゅうだん

碁聖ごせいくらい6連覇れんぱ名人めいじんくらい4世界せかい囲碁いご選手権せんしゅけん富士通ふじつうはい優勝ゆうしょうなど。

あつあじのよいかたちこの本格ほんかくてき棋風きふう大器たいき大竹おおたけ美学びがくばれる。布石ふせきでは小目こもくこのむ。またNHKはい優勝ゆうしょう5かいなど早碁はやご得意とくいとし「早碁はやご神様かみさま」、名人めいじんせんでは挑戦ちょうせん手合てあい通算つうさん12かい出場しゅつじょうなどで「名人めいじんせんおとこ」などのニックネームをつ。同年どうねん同月どうげつまれでライバルでもあるはやし海峰みほならんで"竹林ちくりん"ともしょうされる。

通算つうさんタイトル獲得かくとくすうは48[1]で、囲碁いご棋士きし獲得かくとくタイトルすうランキング歴代れきだい5門下もんか西村にしむらけいはちだん木谷きたに門下もんか塾頭じゅくとうかくとして、後輩こうはい指導しどうなどでも評価ひょうかたかい。

2008ねん12月9にち - 2012ねん6がつ26にち日本棋院にほんきいん理事りじちょう同日どうじつから2020ねん6がつ22にち日本棋院にほんきいん顧問こもん。2010ねんから全日本ぜんにほん囲碁いご連合れんごう会長かいちょうつとめた。日本棋院にほんきいん新旧しんきゅうタイトル保持ほじしゃつくめい棋会の会長かいちょうでもある。

現在げんざい存命ぞんめい名誉めいよ称号しょうごう資格しかくしゃさんだいタイトル獲得かくとく経験けいけんしゃ碁聖ごせい獲得かくとくしゃじゅう段位だんい獲得かくとくしゃでははやし海峰みほ名誉めいよ天元てんげんなら最年長さいねんちょうである[2]

経歴けいれき

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1942ねん昭和しょうわ17ねん)5がつ12にち福岡ふくおかけん八幡やはた現在げんざい北九州きたきゅうしゅう八幡東やはたひがし)に7にん兄弟きょうだいの4番目ばんめとしてまれる。ちち八幡やはた製鐵せいてつしょつとめていた。3さいとき八幡やはた空襲くうしゅうう。いえけてしまったのでとなり戸畑とばたす。喧嘩けんかばかりしていた腕白わんばく坊主ぼうずであだなが「まめ雷電らいでん」だった。アマさんだん父親ちちおや製鉄せいてつしょ囲碁いごクラブの幹事かんじをしており、そのえん小学しょうがく2ねんとき八幡やはた会所かいしょかよいだす。けるとだいきしていたが日々ひびつよくなり、10かげつほどでアマさんよんだんとなる。このころ会所かいしょ先生せんせい手製てせいつめカードをつくってもらっていた[3]。9さいときにはすでに大竹おおたけつよさが評判ひょうばんとなり西日本にしにほん新聞しんぶんげられるほどだった[4]

1951ねん12月6にち、9さいのときに、福岡ふくおかけん柳川やないごおこなわれた呉清源ごせいげん藤沢ふじさわ庫之助くらのすけ対局たいきょくじんとしてていた木谷きたにみのる懇意こんいにしていた高田たかだ工業こうぎょう社長しゃちょう高田たかだ寿夫としお紹介しょうかいきゅう試験しけん[4]大敗たいはいしたもののみとめられ、そのつきの17にち兄弟子あにでし筒井つつい勝美かつみげんろくだん)とともに上京じょうきょう木谷きたに門下もんか入門にゅうもん戸沢とざわあきらせんげんきゅうだん)につづ内弟子うちでしごうだった。翌年よくねん日本棋院にほんきいん院生いんせいとなる。当時とうじ院生いんせい師範しはん杉内すぎうち雅男まさおだった。1956ねんいれだん同期どうき戸沢とざわあきらせん木谷きたに禮子あやこ本田ほんだ光子みつこげんせいくすのき)。はつ対局たいきょくあね弟子でし本田ほんだ幸子さちこ。デビューから5連敗れんぱいするも徐々じょじょ成績せいせきげていく。[3]

1957ねん早碁はやごトーナメントせんはつ優勝ゆうしょうするなど、若手わかて棋戦きせん活躍かつやく。1960ねん10がつ、『囲碁いごクラブ』の企画きかく内弟子うちでし指導しどうシリーズと銘打めいうち、木谷きたにみのる二子ふたご対局たいきょくして勝利しょうり[5]。1961ねん3がつから4がつにかけて、朝日新聞社あさひしんぶんしゃ企画きかくはやし海峰みほとの新鋭しんえいさんばんつ。これが宿命しゅくめいのライバルとなるはやしとのはつ対局たいきょくだった[3]はやしろくだん大竹おおたけよんだんだったため、大竹おおたけ先番せんばんでの対局たいきょく大竹おおたけしょういちジゴとなり、このころから「竹林ちくりんコンビ」とばれるようになる。工藤くどう紀夫のりおふくめた3めいで「三羽烏さんばがらす」ともよばれたこともある[6]内弟子うちでし生活せいかつから独立どくりつする。

1962ねんに「木谷きたに一門いちもんひゃくだん突破とっぱ記念きねん祝賀しゅくがかい」を企画きかくし3,000にんあつめた[4]同年どうねんには新鋭しんえい選抜せんばつトーナメント優勝ゆうしょうし、はつタイトルを獲得かくとく[7]。1967ねんだい6日本棋院にほんきいんだいいち決定けっていせん坂田さかた栄男さかお挑戦ちょうせんし、2しょう1はいでタイトルを奪取だっしゅする。日本棋院にほんきいんだいいち決定けっていせんで2連覇れんぱ、これが発展はってんした全日本ぜんにほんだいいち決定けっていせんでは碁聖ごせいせん発展はってん終了しゅうりょうするまでの5すべてで防衛ぼうえいしタイトルをゆずらなかった。1970ねんきゅうだん

1975ねん木谷きだにもん弟弟子おとうとでしであった石田いしだ芳夫よしお名人めいじんせん挑戦ちょうせんし、4しょう3はい奪取だっしゅする。翌年よくねんから朝日新聞あさひしんぶん主催しゅさいとなった名人めいじんせんでの3在位ざいいふくめ、1980ねんちょう治勲ちくんやぶれるまで6ねん連続れんぞくななばん勝負しょうぶ出場しゅつじょう。1982〜84ねんにはちょう治勲ちくんに3ねん連続れんぞく挑戦ちょうせん、1984ねんは3連勝れんしょう4連敗れんぱいきっする。新旧しんきゅうリーグ在籍ざいせき24のうち12挑戦ちょうせんしゃとなり、「名人めいじんせんおとこ」とばれる。

全日本ぜんにほんだいいち決定けっていせん後継こうけい棋戦きせんである碁聖ごせいせんでは、だい1(1976ねん)は加藤かとう正夫まさお挑戦ちょうせんやぶれるが、1980ねんから5連覇れんぱして名誉めいよ碁聖ごせい資格しかく連覇れんぱ記録きろくは1985ねんまでの6連覇れんぱばした。

名人めいじんせんくらべて不思議ふしぎ本因坊ほんいんぼうせんにはえんうすいとわれていたが、1988ねんたけみや正樹まさき本因坊ほんいんぼう挑戦ちょうせん、3-4でやぶれる。棋聖きせいせんにも2挑戦ちょうせんしたが、1981ねん藤沢ふじさわ秀行ひでゆきに0-4、1990ねんには小林こばやし光一こういちに1-4でやぶれる。

1992ねんには富士通ふじつうはい優勝ゆうしょう、1993ねんにはおうあきらはい世界せかいプロ囲碁いご選手権せんしゅけんせん決勝けっしょうすすむがじょたてまつに2しょう3はいやぶじゅん優勝ゆうしょう、1994ねんにはテレビ囲碁いごアジア選手権せんしゅけんせん優勝ゆうしょうにちちゅうスーパー囲碁いごでは、だい2・7・10・11かい日本にっぽん主将しゅしょうつとめ、だい10かいには5にんきしたつねひろしめてみずからも4にんきをたすがうまあきらはるやぶれ、だい11かいにはつねひろしやぶれ6にんきをゆるした。

2000ねんには「木谷きたに一門いちもんひゃくだん突破とっぱ記念きねんかい」を開催かいさい

2007ねん6がつから日本棋院にほんきいんふく理事りじちょうつとめたのち、2008ねん12月から2012ねんまで棋士きしとしては6にんとなる理事りじちょう就任しゅうにんした。2010ねん3がつ全日本ぜんにほん囲碁いご連合れんごう設立せつりつされると会長かいちょうとなる。2010ねんアジア競技きょうぎ大会たいかい囲碁いごチームの監督かんとくつとめた。

2011ねん3がつ28にち通算つうさん1200しょう達成たっせい史上しじょう5にん。68さい10かげつにゅうだんから54ねん11かげつでの到達とうたつ[8]。2019ねん4がつ25にちには史上しじょう4にんとなる通算つうさん1300しょう(820はい5持碁じご1勝負しょうぶ)を達成たっせい[7]

2021ねん12月15にちづけ引退いんたい引退いんたい理由りゆうについては「あたまかんでくるが、自分じぶんおもっているものよりも貧相ひんそうになってきた」とかたり、はやし海峰みほについても「かれがいなかったら、いまわたしはない」とおもいをかたった[9]現役げんえき最終さいしゅうねんとなった2021ねん成績せいせきは8しょう9はい通算つうさん成績せいせきは1319しょう846はい5持碁じご1勝負しょうぶ[10]

履歴りれき

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  • 1942ねん5がつ12にち福岡ふくおかけん八幡やはたに7にん兄弟きょうだい姉妹しまい次男じなんまれる。
  • 1950ねん(8さい) 八幡やはた会所かいしょかよはじめる。
  • 1951ねん(9さい) 12月、木谷きたにみのる試験しけんけ、神奈川かながわけん平塚ひらつか木谷きたに道場どうじょうみ、内弟子うちでし生活せいかつはじめる。
  • 1956ねん(13さい) 3月、にゅうだん
  • 1957ねん(15さい) だん
  • 1958ねん(16さい) さんだんだい2早碁はやごトーナメント優勝ゆうしょう
  • 1959ねん(17さい) よんだん
  • 1961ねん(19さい) だんだい1かい青年せいねん選手権せんしゅけん優勝ゆうしょうはやし海峰みほろくだんとのさんばんで2しょう1持碁じご木谷きたに道場どうじょうから独立どくりつ
  • 1962ねん(20さい) 新鋭しんえい選抜せんばつトーナメント優勝ゆうしょう呉清源ごせいげんとの記念きねん実施じっし
  • 1963ねん(21さい) ろくだんだい1プロじゅうすぐるせんファン投票とうひょう9
  • 1965ねん(23さい) ななだん大手おおてあいだい1優勝ゆうしょうだい9首相しゅしょうはい争奪そうだつせん優勝ゆうしょう
  • 1967ねん(25さい) だい6日本棋院にほんきいんだいいちせんタイトル奪取だっしゅ
  • 1968ねん(26さい) だい15かいNHKはい優勝ゆうしょう日本棋院にほんきいんだいいちせん防衛ぼうえい名人めいじんせんリーグり。
  • 1969ねん(27さい) だい8じゅうだんくらい獲得かくとく王座おうざせん挑戦ちょうせん棋道しょう殊勲賞しゅくんしょう
  • 1970ねん きゅうだんだい1全日本ぜんにほんだいいち決定けっていせん防衛ぼうえい。棋道しょう最優秀さいゆうしゅう棋士きししょう受賞じゅしょう
  • 1971ねん じゅうだんしつかんむり。NHKはい優勝ゆうしょう全日本ぜんにほんだいいち決定けっていせん防衛ぼうえい
  • 1972ねん(30さい) NHKはいじゅん優勝ゆうしょう
  • 1973ねん NHKはい優勝ゆうしょう全日本ぜんにほんだいいち決定けっていせん防衛ぼうえい
  • 1974ねん 早碁はやご選手権せんしゅけん優勝ゆうしょう。「早碁はやご神様かみさま」とばれはじめる。全日本ぜんにほんだいいち決定けっていせん防衛ぼうえい
  • 1975ねん NHKはい4度目どめ優勝ゆうしょうだい14名人めいじんくらい獲得かくとく全日本ぜんにほんだいいち決定けっていせん5連覇れんぱ[11]だい23王座おうざ獲得かくとく。棋道しょう最優秀さいゆうしゅう棋士きししょう秀哉ひでやしょう受賞じゅしょう
  • 1976ねん 名人めいじん防衛ぼうえい碁聖ごせいせん挑戦ちょうせん王座おうざしつかんむり
  • 1977ねん(35さい) 早碁はやご選手権せんしゅけん優勝ゆうしょう名人めいじんしつかんむり
  • 1978ねん 名人めいじんせん復位ふくい碁聖ごせい獲得かくとく棋聖きせいせんきゅうだん優勝ゆうしょう棋道しょう最多さいた勝利しょうりしょう(39しょう16はい)・連勝れんしょうしょう(13連勝れんしょう受賞じゅしょう
  • 1979ねん 名人めいじん防衛ぼうえい碁聖ごせいしつかんむり
  • 1980ねん 名人めいじんしつかんむりじゅう段位だんい獲得かくとく碁聖ごせい獲得かくとくさんかんとなる。
  • 1981ねん 棋聖きせいせん挑戦ちょうせんじゅう段位だんい防衛ぼうえい碁聖ごせい防衛ぼうえいつる聖戦せいせん優勝ゆうしょうだい3アジア航空こうくうはい優勝ゆうしょう
  • 1982ねん(40さい) 名人めいじんしつかんむりじゅう段位だんいしつかんむり碁聖ごせい防衛ぼうえい
  • 1983ねん つる聖戦せいせん優勝ゆうしょう碁聖ごせい防衛ぼうえい名人めいじん挑戦ちょうせん
  • 1984ねん つる聖戦せいせん優勝ゆうしょう碁聖ごせいせん5連覇れんぱ達成たっせいし「名誉めいよ碁聖ごせい」の称号しょうごうける。
  • 1985ねん じゅうだんせん挑戦ちょうせん碁聖ごせいせん6連覇れんぱ
  • 1986ねん 碁聖ごせいしつかんむり
  • 1987ねん(45さい) つる聖戦せいせん優勝ゆうしょうだい6NECカップ優勝ゆうしょう
  • 1988ねん 本因坊ほんいんぼうせん挑戦ちょうせん
  • 1989ねん 棋聖きせいせん挑戦ちょうせん
  • 1990ねん 名人めいじんせん挑戦ちょうせん
  • 1992ねん(50さい) 名人めいじんせん挑戦ちょうせん
  • 1993ねん 名人めいじんせん挑戦ちょうせんじゅう段位だんい獲得かくとく
  • 1994ねん NHKはいトーナメント5度目どめ優勝ゆうしょうじゅう段位だんい防衛ぼうえい
  • 1995ねん じゅう段位だんいしつかんむり。NECカップ優勝ゆうしょう
  • 1998ねん JTはい優勝ゆうしょう
  • 1999ねん 通算つうさん1000しょう達成たっせい
  • 2003ねん 北九州きたきゅうしゅう市民しみん文化ぶんかしょう受賞じゅしょう
  • 2004ねん(62さい) 紫綬褒章しじゅほうしょう通算つうさん1100達成たっせい
  • 2011ねん 通算つうさん1200しょう達成たっせい
  • 2012ねん(70さい) 大倉おおくら喜七郎きしちろうしょう受賞じゅしょう
  • 2019ねん 通算つうさん1300しょう達成たっせい
  • 2021ねん(79さい) 引退いんたい

タイトルれき

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タイトル獲得かくとくすう48は歴代れきだい5ななだいタイトル獲得かくとくすう17は歴代れきだい8

国際こくさい棋戦きせん

国内こくない棋戦きせん

囲碁いごななだいタイトル獲得かくとく記録きろく
順位じゅんい 獲得かくとく回数かいすう 棋士きしめい
1 61 じゅうろくせい本因坊ほんいんぼう文裕ふみひろ*
2 42 ちょう治勲ちくん名誉めいよかん*
3 35 小林こばやし光一こういち名誉めいよさんかん*
4 31 加藤かとう正夫まさお名誉めいよ王座おうざ
5 24 張栩ちょううきゅうだん*
6タイ 21 じゅうさんせい本因坊ほんいんぼう栄寿えいじゅ | はやし海峰みほ名誉めいよ天元てんげん*
8 17 大竹おおたけ英雄ひでお名誉めいよ碁聖ごせい
9タイ 14 藤沢ふじさわ秀行ひでゆき名誉めいよ棋聖きせい| 山下やました敬吾けいごきゅうだん*
*は現役げんえき棋士きし
2024ねん4がつ30にち時点じてん
タイトル獲得かくとくすうランキング
順位じゅんい 獲得かくとく回数かいすう 棋士きしめい
1 76 ちょう治勲ちくん名誉めいよかん*
1 76 じゅうろくせい本因坊ほんいんぼう文裕ふみひろ*
3 64 じゅうさんせい本因坊ほんいんぼう栄寿えいじゅ
4 60 小林こばやし光一こういち名誉めいよさんかん*
5 48 大竹おおたけ英雄ひでお名誉めいよ碁聖ごせい
6 47 加藤かとう正夫まさお名誉めいよ王座おうざ
7 41 張栩ちょううきゅうだん*
8 36 依田よだきのはじめきゅうだん*
9 35 はやし海峰みほ名誉めいよ天元てんげん*
10タイ 24 じゅうよんせい本因坊ほんいんぼうしゅうかおる* | たけみや正樹まさききゅうだん*
*は現役げんえき棋士きし
2024ねん4がつ30にち時点じてん[12]

そのの棋歴

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表彰ひょうしょう

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竹林ちくりんはい

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囲碁いごクラブ」および「ワールド誌上しじょうにて1999ねんから2001ねんまで、はやし海峰みほとともに竹林ちくりんはいせん企画きかく実施じっし主催しゅさいは1999ねんは「囲碁いごクラブ」「ワールド」、2000-2001ねんは「ワールド」

1999ねん、2000ねんは、精鋭せいえいはちきょうせんとして、若手わかて選抜せんばつ棋士きし8めいによるトーナメント、2001ねんはチームべつよん世代せだい対抗たいこうせん。この2001ねんだい3かいには大竹おおたけはやし選手せんしゅとして参加さんかし、大竹おおたけ決勝けっしょう羽根はね直樹なおきやぶれてじゅん優勝ゆうしょうとなった。

有名ゆうめいきょく

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1978ねんだい3名人めいじんせんにて大竹おおたけはやしかいみね名人めいじん挑戦ちょうせんしたシリーズのだい3きょくくろ1のヒラキたいし、しろ大竹おおたけは1あいだ29ぶん長考ちょうこううえ、2から4とカケめずらしい手段しゅだんえらんだ。

以下いかしろ12までとシボリくろ13にたいしてはしろ14,16とだんバネしてくろ辛抱しんぼうさせ、サバキ成功せいこう

さらに局面きょくめんすすみ、くろ1のカケをむかえた場面ばめんしろaからgと下辺かへんきるようでは、くろhのめをけて形勢けいせいそんじる。

ここで大竹おおたけしろ2とみ、△の3てる作戦さくせんった。しろ4,6をかしてあつくしたうえしろ8からてて左上ひだりうえ模様もよう拡大かくだい主導しゅどうけんにぎって、快勝かいしょうした。本局ほんきょく大竹おおたけきょくとされ、おおくの書籍しょせき紹介しょうかいされている[15]

著作ちょさく

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  • 現代げんだい花形はながた棋士きしめいきょくせん〈3〉大竹おおたけ英雄ひでお日本棋院にほんきいん 1975ねん
  • おやせんとく大仙だいせん (日本にっぽん囲碁いご大系たいけい7)』 筑摩書房ちくましょぼう 1977ねん
  • 明解めいかい 大竹おおたけ囲碁いご講座こうざ』(ぜん5かん日本棋院にほんきいん 1977ねん
  • 定石じょうせき全科ぜんか』(ぜん6かん平凡社へいぼんしゃ 1979ねん
  • 大竹おおたけ英雄ひでおうえ)(した)』(現代げんだい囲碁いご大系たいけい35,36)講談社こうだんしゃ 1980ねん
  • 大竹おおたけ英雄ひでお選集せんしゅう (ぜん5かん)』朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1984ねん
  • 基本きほん置碁おきご事典じてん うえした日本棋院にほんきいん 1986ねん
  • 大竹おおたけ英雄ひでお (現代げんだい囲碁いごめい勝負しょうぶシリーズ5かん)』講談社こうだんしゃ 1986ねん
  • 大竹おおたけ囲碁いご直伝じきでんシリーズ』(ぜん5かん日本棋院にほんきいん 1988ねん
  • 大竹おおたけ兵法ひょうほう極意ごくい (しん発見はっけんシリーズ) 』日本棋院にほんきいん 2001ねん

エピソード

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  • 川端かわばた康成やすなり小説しょうせつ名人めいじん』で本因坊ほんいんぼう秀哉ひでや名人めいじん対戦たいせんするだいたけななだんとは英雄えいゆうのことではなく英雄えいゆう師匠ししょう木谷きたにみのるのことある。木谷きたに弟子でしである大竹おおたけ同姓どうせいなのは偶然ぐうぜんおもわれる(川端かわばたが『名人めいじん』をはじめたのが1942ねんごろはつ掲載けいさいが1951ねん8がつごう英雄えいゆう木谷きたに道場どうじょう入門にゅうもんしたのが1951ねんの12月なため)。なぜ「大竹おおたけななだん」なのかは英雄えいゆう自身じしん疑問ぎもんおもっており、そこで川端かわばた本人ほんにん真意しんいたずねようと食事しょくじかいもう約束やくそくもしていたが、直前ちょくぜん川端かわばたくなってしまった[4]ぎゃく木谷きたにがこの作品さくひん意識いしきして大竹おおたけせい少年しょうねんさがしたというせつもある[16]。いずれにしろこのとき9さい大竹おおたけ少年しょうねんがまさか名人めいじんるとは予想よそうできなかっただろう)。
  • 木谷きたに地方ちほうしゅうとき大竹おおたけ一番いちばんともをしていた[17]
  • 15さいプロ初段しょだんのときに木谷きたにとともに名古屋なごやき、当時とうじ8さい石田いしだ芳夫よしおげんじゅうよんせい本因坊ほんいんぼうしゅうかおる)と対局たいきょくしている。この対局たいきょくにより石田いしだ木谷きたに道場どうじょうへの入門にゅうもんゆるされた[17]
  • はらハードボイルド小説しょうせつ登場とうじょうする私立しりつ探偵たんてい沢崎さわざき大竹おおたけのファンであり、などの時間じかんつぶように、つね大竹おおたけの棋書をあるいている。これはげん自身じしん大竹おおたけファンであることによる。
  • 戦後せんご生産せいさんてきでないとなされていたころ大竹おおたけ大事だいじにされてないと複雑ふくざつ心境しんきょうだった。八幡やはたにいた子供こどもころ大竹おおたけぞうはいって書物しょもつあさ独学どくがくかさね、将来しょうらい医者いしゃになろうともおもっていた[4]

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 特集とくしゅう 天才てんさい大竹おおたけ英雄ひでおのすべて」(『囲碁いごクラブ』1979ねん1がつごう
  • いししん 囲碁いご棋士きし大竹おおたけ英雄ひでお評伝ひょうでん井口いぐち幸久ゆきひさ 石風社せきふうしゃ 2013ねん

年表ねんぴょう

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  • タイトルせんらん氏名しめい対戦たいせん相手あいて。うち、色付いろづのマス獲得かくとく奪取だっしゅまたは防衛ぼうえい)。色付いろづ名誉めいよ称号しょうごう獲得かくとく青色あおいろ挑戦ちょうせんしゃまたはしつかんむり黄色おうしょくはリーグ成績せいせき
  • 棋道しょうは、さい : 最優秀さいゆうしゅう棋士きししょう、 ゆう : 優秀ゆうしゅう棋士きししょう、 特別とくべつ : 特別とくべつしょう
    りつ : 勝率しょうりついちしょう、 かち : 最多さいた勝利しょうりしょう、 たい : 最多さいた対局たいきょくしょう、 れん : 連勝れんしょうしょう
    国際こくさい : 国際こくさいしょう、 新人しんじん : 新人しんじんしょう、 哉 : 秀哉ひでやしょう
  • 賞金しょうきん&対局たいきょくりょうは、区切くぎりではなく1がつ - 12月の集計しゅうけい単位たんいまんえん色付いろづのはぜん棋士きしちゅう1
棋聖きせい じゅうだん 本因坊ほんいんぼう 碁聖ごせい 名人めいじん 王座おうざ 天元てんげん 棋道しょう 備考びこう
棋聖きせいせん
1-3がつ
じゅうだんせん
3-4がつ
本因坊ほんいんぼうせん
5-7がつ
碁聖ごせいせん
6-8がつ
名人めいじんせん
9-11月
王座おうざせん
10-12月
天元てんげんせん
10-12月
プロりは
1956
1966
1967
1968
1969 坂田さかた栄男さかお
3-0
藤沢ふじさわ秀行ひでゆき
0-2
こと
1970 橋本はしもと宇太郎うたろう
2-3
さい
1971
1972
1973
1974
1975 石田いしだ芳夫よしお
4-3
石田いしだ芳夫よしお
2-0
棋戦きせん創設そうせつ さい
1976 棋戦きせん創設そうせつ 石田いしだ芳夫よしお
oooxo
ちょう治勲ちくん
1-2
1977 棋戦きせん創設そうせつ はやし海峰みほ
xxxx
1978 加藤かとう正夫まさお
3-1
はやし海峰みほ
xoooxo
ゆう れん
1979 ちょう治勲ちくん
3-0
坂田さかた栄男さかお
ooxoo
1980 加藤かとう正夫まさお
3-0
ちょう治勲ちくん
3-1
ちょう治勲ちくん
oox-oo
1981 藤沢ふじさわ秀行ひでゆき
xxxx
橋本はしもと昌二しょうじ
3-2
加藤かとう正夫まさお
3-1
プレーオフ
1982 ちょう治勲ちくん
1-3
ちょう治勲ちくん
3-2
ちょう治勲ちくん
xxxox
1983 淡路あわじ修三しゅうぞう
3-2
ちょう治勲ちくん
xxoxx
加藤かとう正夫まさお
0-2
1984 加藤かとう正夫まさお
3-1
名誉めいよ碁聖ごせい
ちょう治勲ちくんoooxxxx 史上しじょうはつ名誉めいよ碁聖ごせい
1985 小林こばやし光一こういち
0-3
工藤くどう紀夫のりお
3-1
1986 ちょう治勲ちくん
3-0
1987
1988 たけみや正樹まさき
oxxoxox
1989
1990 小林こばやし光一こういち
xoxxx
小林こばやし光一こういち
xooxxx
1991
1992 小林こばやし光一こういち
xoxoxox
1993 たけみや正樹まさき
3-1
小林こばやし光一こういち
xxoxx
1994 小林こばやし光一こういち
3-2
1995 依田よだきのはじめ
xxx

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ タイトル通算つうさん48大竹おおたけ英雄ひでお名誉めいよ碁聖ごせい引退いんたい会見かいけん 囲碁いご普及ふきゅうへ「黄門こうもんやくを」”. 日刊にっかんスポーツ (2021ねん12月15にち). 2021ねん12月15にち閲覧えつらん
  2. ^ ななだいタイトルでは工藤くどう紀夫のりおきゅうだん
  3. ^ a b c いしこころ 囲碁いご棋士きし大竹おおたけ英雄ひでお小伝しょうでん石風社せきふうしゃ 2013ねん
  4. ^ a b c d e 内藤ないとう由起子ゆきこ囲碁いご観戦かんせん記者きしゃ)『それもいちきょく 弟子でしたちがかたる「木谷きたに道場どうじょう」のおしえ』水曜すいようしゃ、1969ねん、9–22ぺーじISBN 978-4-88065-396-9 
  5. ^ 柳田やなぎだ邦夫くにお木谷きたに一門いちもん秘密ひみつ」(現代げんだいしんしゃ)P.54
  6. ^ 小堀こぼりあきらなんじ現代げんだい棋士きし12にん世界せかい』(日本棋院にほんきいん)P.54
  7. ^ a b 大竹おおたけ英雄ひでお名誉めいよ碁聖ごせい通算つうさん1300しょう達成たっせい!【史上しじょう4にん”. 日本棋院にほんきいん (2019ねん4がつ25にち). 2021ねん12月15にち閲覧えつらん
  8. ^ 参考さんこう : 1200しょう達成たっせい棋士きし 日本棋院にほんきいん
  9. ^ 大竹おおたけ英雄ひでお名誉めいよ碁聖ごせい現役げんえき引退いんたい手厚てあつあじのいいがたこの棋風きふうはやし名誉めいよ天元てんげん戦後せんご囲碁いごかい先導せんどう : 囲碁いご将棋しょうぎ : ニュース”. 読売新聞よみうりしんぶんオンライン (2021ねん12月15にち). 2021ねん12月15にち閲覧えつらん
  10. ^ 囲碁いご大竹おおたけ英雄ひでお名誉めいよ碁聖ごせい引退いんたい 名人めいじん4、ライバルとのチクリン対決たいけつ朝日新聞あさひしんぶんデジタル”. 朝日新聞あさひしんぶんデジタル (2021ねん12月15にち). 2021ねん12月15にち閲覧えつらん
  11. ^ 日本棋院にほんきいんだいいちせんふくめれば7連続れんぞく
  12. ^ 公式こうしきせんのみ。女流じょりゅう棋戦きせん地方ちほう棋戦きせん王冠おうかんせん関西棋院かんさいきいんだいいち決定けっていせんなど)はのぞく。
  13. ^ a b c 大竹おおたけ英雄ひでお名誉めいよ碁聖ごせい日本棋院にほんきいん顧問こもん)の「旭日きょくじつちゅう綬章じゅしょう授章じゅしょうについて”. 日本棋院にほんきいん (2015ねん4がつ29にち). 2023ねん7がつ4にち閲覧えつらん
  14. ^ はる叙勲じょくん 4087にん受章じゅしょう”. NHK NEWS WEB (2015ねん4がつ29にち). 2015ねん4がつ29にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2023ねん1がつ30にち閲覧えつらん
  15. ^ ふうをさぐる 大竹おおたけ英雄ひでお あつみの美学びがく成美せいびどう出版しゅっぱん p. 222
  16. ^ 内藤ないとう由起子ゆきこ囲碁いご観戦かんせん記者きしゃ)『それもいちきょく 弟子でしたちがかたる「木谷きたに道場どうじょう」のおしえ』水曜すいようしゃ、1969ねんISBN 978-4-88065-396-9 p.46
  17. ^ a b 内藤ないとう由起子ゆきこ囲碁いご観戦かんせん記者きしゃ)『それもいちきょく 弟子でしたちがかたる「木谷きたに道場どうじょう」のおしえ』水曜すいようしゃ、1969ねんISBN 978-4-88065-396-9 

外部がいぶリンク

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