ごくしんどう貴裕たかひろ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ごくしんどう 貴裕たかひろ
基礎きそ情報じょうほう
四股しこめい 福島ふくしまごくしんどう福島ふくしまごくしんどう
本名ほんみょう 福島ふくしま 貴裕たかひろ
愛称あいしょう ミスター2ふん
生年月日せいねんがっぴ (1996-06-06) 1996ねん6月6にち(27さい
出身しゅっしん 兵庫ひょうごけん尼崎あまがさき
身長しんちょう 181.5cm
体重たいじゅう 164.2kg
BMI 49.8
所属しょぞく部屋へや 錦戸にしきど部屋へや
成績せいせき
現在げんざい番付ばんづけ 引退いんたい
最高さいこう 西にしじゅうりょう13まい
生涯しょうがい戦歴せんれき 211しょう149はい68きゅう(61場所ばしょ
優勝ゆうしょう 幕下まくした優勝ゆうしょう1かい
データ
はつ土俵どひょう 2012ねん3がつ場所ばしょ
引退いんたい 2022ねん5月場所ばしょ
備考びこう
2022ねん5月22にち現在げんざい

ごくしんどう 貴裕たかひろ(ごくしんどう たかひろ、1996ねん6月6にち - )は、兵庫ひょうごけん尼崎あまがさき出身しゅっしん錦戸にしきど部屋へや所属しょぞくしたもと大相撲おおずもう力士りきし本名ほんみょう福島ふくしま 貴裕たかひろ(ふくしま たかひろ)。身長しんちょう181.5cm、体重たいじゅう159.8kg、血液けつえきがたはBがた最高さいこう西にしじゅうりょう13まい2018ねん11月場所ばしょ)。好物こうぶつ焼肉やきにく[1][2]

来歴らいれき[編集へんしゅう]

小学しょうがく2年生ねんせいときおやすすめでわんぱく相撲すもう予選よせん大会たいかい出場しゅつじょうし、けたくやしさがわすれられずに地域ちいき関西かんさい奄美あまみ相撲すもう連盟れんめいかよはじめた。しゅう2かいかよっていた稽古けいこは、道場どうじょうまえにいつも腹痛はらいたがするほどいかめしかった。佐藤さとう貴信たかのぶ大関おおぜき景勝けいしょう)はおな稽古けいこじょうむねわせた間柄あいだがらである。尼崎あまがさき市立しりつ園田そのだ東中ひがしなか学校がっこう進学しんがくしてからは報徳ほうとく学園がくえん出稽古でげいこするようになり、稽古けいこはさらにきびしくなった。学校がっこう友達ともだちあそ時間じかんもなくなったことから相撲すもうへの情熱じょうねつうすれ、中学ちゅうがく2年生ねんせい途中とちゅうからは稽古けいこじょうかおすこともなくなったばかりか学校がっこうもサボりがちになった。そんななか関西かんさい奄美あまみ相撲すもう連盟れんめい野島のじまみのる由希ゆき監督かんとくから叱咤しったされ、女手おんなでひとつでそだててくれたははかなしませていたことにづき、改心かいしんして稽古けいこんだ。その結果けっか中学ちゅうがく3年生ねんせいときにははくほうはい差別さべつきゅう3実績じっせきのこし、全国ぜんこくレベルの実力じつりょくつけいた。素養そよう開花かいかしかけた福島ふくしまたいして野島のじま兵庫ひょうご県内けんない強豪きょうごうこうへの進学しんがくすすめたが、自身じしん角界かくかいりをかんがえていたため進路しんろまよっていた。後押あとおしとなったのは「高校こうこうからでもけるし、相撲すもうをやりながらでも通信つうしん資格しかくれる」という母親ははおや言葉ことばであった。複数ふくすう部屋へやから勧誘かんゆうていたが「親孝行おやこうこうしたいのなら、相撲すもう部屋へやはいりなさい」と一番いちばん熱心ねっしんさそってくれていた錦戸にしきど部屋へやへの入門にゅうもんめた[3]

2012ねん3がつ場所ばしょはつ土俵どひょう同年どうねん11がつ場所ばしょさんだん昇進しょうしんするも、その場所ばしょ怪我けが全休ぜんきゅうし、そのさんだん停滞ていたいしていたため野島のじますすめで2015ねん5がつ場所ばしょ本名ほんみょうからごくしんどう改名かいめい。これは、野島のじま関西かんさい奄美あまみ相撲すもう連盟れんめいから独立どくりつして設立せつりつした相撲すもう道場どうじょうそうしんどう」に由来ゆらいしている。人間にんげんとしてのしんをしっかりちながら相撲すもうどうきわめろという野島のじまおもいがまっている。改名かいめいの2016ねん3がつ場所ばしょしん幕下まくしたで6しょう1はい好成績こうせいせきのこしたが、直後ちょくごおもうところがあって引退いんたいするつもりでいた。すで実家じっかもどっていたが、野島のじまから慰留いりゅうされて続投ぞくとうえらんだ。自宅じたく一室いっしつ改造かいぞうしてトレーニングルームをつくり、自費じひの7まんえんをはたいて購入こうにゅうしたバーベルやベンチを使用しようしたウエイトトレーニングでからだきたえ、部屋へやもどそなえた。復帰ふっきした7がつ場所ばしょから2場所ばしょ連続れんぞくし、同年どうねん11がつ場所ばしょからはつるりゅうびとつとはじめた。つるりゅうびととして巡業じゅんぎょうにも帯同たいどうし、巡業じゅんぎょう土俵どひょう様々さまざまなタイプの力士りきし稽古けいこするようになり、錣山部屋へや力士りきしびとつとめていた関係かんけいどう部屋へやにもしばしば出稽古でげいこくようになった。そうしたことからもちからをつけ、2018ねん3がつ場所ばしょにはひがし幕下まくした4まいと、せば関取せきとり昇進しょうしんえる位置いちまで番付ばんづけばした[3]。7がつ場所ばしょひがし幕下まくした2まいまで番付ばんづけげ、この場所ばしょは7ばん相撲すもうを3しょう3はいむかてば関取せきとり昇進しょうしんという場面ばめんであったが、けて3しょう4はいになり関取せきとり昇進しょうしんのがした[4]。9月場所ばしょひがし幕下まくした5まい全勝ぜんしょう優勝ゆうしょうたし、場所ばしょしんじゅうりょう昇進しょうしん確実かくじつにした [5]錦戸にしきど部屋へやからははつとなる日本にっぽん出身しゅっしん関取せきとりしん関取せきとりとなる11月場所ばしょは、場所ばしょちゅうったみぎひざ外側そとがわがわふく靭帯じんたい損傷そんしょう影響えいきょう精彩せいさいき、4しょう11はいおおきくした[6]よく2019ねん1がつ場所ばしょ幕下まくした陥落かんらくしたが、怪我けが影響えいきょう途中とちゅう休場きゅうじょうとなった[6]。3月場所ばしょ出場しゅつじょうしてしたが、よく5がつ場所ばしょふたた全休ぜんきゅう。そのは4場所ばしょ連続れんぞくしたものの、2020ねん1がつ場所ばしょみぎひざふたたいためたためよく3がつ場所ばしょから休場きゅうじょうし、同年どうねん5がつ手術しゅじゅつけた[7]手術しゅじゅつ直後ちょくごの7がつ場所ばしょ全休ぜんきゅうしたが、場所ばしょちゅう不祥事ふしょうじ後述こうじゅつ)をこしたため、同年どうねん8がつ6にち日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい理事りじかいで2場所ばしょ出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶんけた。

出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶんちゅうの2020ねん11月場所ばしょから四股しこめいを「福島ふくしま」にもどし、処分しょぶんけの2021ねん1がつ場所ばしょ土俵どひょう復帰ふっきじょだんまで番付ばんづけげていたどう場所ばしょは6しょう1はい好成績こうせいせきえると、つづく3、5月場所ばしょと3場所ばしょ連続れんぞくしでさんだんを2場所ばしょ通過つうかして、7がつ場所ばしょで1ねんぶりの幕下まくした復帰ふっきたすが、どう場所ばしょは3しょう1はいから3連敗れんぱいふたたさんだん陥落かんらく。しかし9がつ場所ばしょ再度さいど幕下まくした復帰ふっきすると、11月場所ばしょでも5しょう2はいで、2022ねん1がつ場所ばしょは37まいまで番付ばんづけもどすがどう場所ばしょ新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしゃ濃厚のうこう接触せっしょくした可能かのうせいがあるため全休ぜんきゅう(2にちの1ばん相撲すもう不戦敗ふせんぱい)で番付ばんづけき、つづく3がつ場所ばしょは2しょう5はいし、55まいのぞんだ5がつ場所ばしょふたたごくしんどう改名かいめいしたものの全休ぜんきゅうとなり、どう場所ばしょ千秋楽せんしゅうらくに25さい現役げんえき引退いんたい表明ひょうめいした[8]

8がつ21にち大阪おおさか断髪だんぱつしきおこなわれ[9]今後こんご親戚しんせき電気でんき工事こうじもとはたらきながら自身じしん所属しょぞくしていたそうしんどうでコーチとして後輩こうはいたちの指導しどうにもあたるという[10]

くち[編集へんしゅう]

得意とくいしゅし。相撲すもうにもかかわらず相撲すもうおそく、勝機しょうき見出みいだすまでじっくりと相手あいて出方でかた見極みきわめる相撲すもうあじであった[11]。その相撲すもうおそさはインターネットじょうで「ミスター2ふん」と揶揄やゆされるほどであった。

新型しんがたコロナウイルス対応たいおうガイドライン違反いはん[編集へんしゅう]

2020ねん8がつ6にち協会きょうかい理事りじかいで、2019新型しんがたコロナウイルス感染かんせん拡大かくだいにおいて7がつ場所ばしょまえから場所ばしょちゅうにかけてふくすうかいにわたってキャバクラに出入でいりして協会きょうかいのガイドラインに違反いはんしたため、2場所ばしょ出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶんくだされた[12]当面とうめん稽古けいこおよ日常にちじょう生活せいかつ支障ししょうのある場合ばあいのぞき、外出がいしゅつ禁止きんしともされた[13]

この不祥事ふしょうじについて日本にっぽん相撲すもう協会きょうかいから調査ちょうさけたさいには、とも処分しょぶんけることになったおもねほのおから口裏くちうらわせを指示しじされていたとほうじられており[12]、8がつ3にちまでに師匠ししょうつうじて「進退伺しんたいうかがい」をもうていた[14]ごくしんどうみぎひざ負傷ふしょう手術しゅじゅつけたばかりという事情じじょうもあり、本来ほんらい大部屋おおべや生活せいかついられる幕下まくした立場たちばでありながらも、師匠ししょうの10代錦戸にしきど配慮はいりょ療養りょうようのため部屋へやでは個室こしつあたえられていたが、夜間やかん部屋へやして不要ふよう不急ふきゅう外出がいしゅつかえしていたことも調査ちょうさ過程かていかされている[7]

場所ばしょべつ成績せいせき[編集へんしゅう]

通算つうさん成績せいせき[編集へんしゅう]

  • 通算つうさん成績せいせき:211しょう149はい68きゅう(61場所ばしょ
  • じゅうりょう成績せいせき:4しょう11はい(1場所ばしょ

かくだん優勝ゆうしょう[編集へんしゅう]

  • 幕下まくした優勝ゆうしょう:1かい(2018ねん9がつ場所ばしょ

場所ばしょべつ成績せいせき[編集へんしゅう]

ごくしんどう 貴裕たかひろ
いちがつ場所ばしょ
初場所はつばしょ東京とうきょう
さんがつ場所ばしょ
春場所はるばしょ大阪おおさか
五月ごがつ場所ばしょ
夏場所なつばしょ東京とうきょう
なながつ場所ばしょ
名古屋なごや場所ばしょ愛知あいち
九月場所くがつばしょ
秋場所あきばしょ東京とうきょう
十一月じゅういちがつ場所ばしょ
九州きゅうしゅう場所ばしょ福岡ふくおか
2012ねん
平成へいせい24ねん
x ぜん相撲すもう ひがし序ノ口じょのくち8まい
4–3 
ひがしじょだん76まい
6–1 
西にしじょだん5まい
4–3 
西にしさんだん86まい
休場きゅうじょう
0–0–7
2013ねん
平成へいせい25ねん
ひがしじょだん47まい
5–2 
ひがしじょだん7まい
4–3 
ひがしさんだん88まい
4–3 
ひがしさんだん67まい
3–4 
ひがしさんだん84まい
4–3 
西にしさんだん69まい
5–2 
2014ねん
平成へいせい26ねん
西にしさんだん41まい
4–3 
ひがしさんだん26まい
1–6 
西にしさんだん64まい
休場きゅうじょう
1–2–4
西にしさんだん95まい
5–2 
西にしさんだん59まい
4–3 
西にしさんだん42まい
5–2 
2015ねん
平成へいせい27ねん
西にしさんだん16まい
1–6 
ひがしさんだん52まい
4–3 
西にしさんだん35まい
2–5 
西にしさんだん61まい
5–2 
ひがしさんだん35まい
5–2 
ひがしさんだん10まい
3–4 
2016ねん
平成へいせい28ねん
ひがしさんだん23まい
5–2 
ひがし幕下まくした59まい
6–1 
ひがし幕下まくした28まい
休場きゅうじょう
0–0–7
ひがしさんだん8まい
4–3 
西にし幕下まくした57まい
4–3 
ひがし幕下まくした51まい
3–4 
2017ねん
平成へいせい29ねん
西にし幕下まくした58まい
3–4 
西にしさんだん13まい
6–1 
ひがし幕下まくした38まい
6–1 
ひがし幕下まくした16まい
2–5 
西にし幕下まくした31まい
6–1 
西にし幕下まくした12まい
3–4 
2018ねん
平成へいせい30ねん
西にし幕下まくした17まい
6–1 
ひがし幕下まくした4まい
3–4 
西にし幕下まくした7まい
6–1 
ひがし幕下まくした2まい
3–4 
ひがし幕下まくした5まい
優勝ゆうしょう
7–0
西にしじゅうりょう13まい
4–11 
2019ねん
平成へいせい31ねん
/れい元年がんねん
ひがし幕下まくした4まい
1–4–2 
ひがし幕下まくした20まい
4–3 
西にし幕下まくした13まい
休場きゅうじょう
0–0–7
西にし幕下まくした53まい
5–2 
西にし幕下まくした39まい
6–1 
西にし幕下まくした14まい
4–3 
2020ねん
れい2ねん
西にし幕下まくした8まい
4–3 
西にし幕下まくした5まい
休場きゅうじょう
0–0–7
感染かんせんしょう拡大かくだい
により中止ちゅうし
西にし幕下まくした45まい
休場きゅうじょう
0–0–7
西にしさんだん25まい
出場しゅつじょう停止ていし
0–0–7
ひがしさんだん86まい
出場しゅつじょう停止ていし
0–0–7
2021ねん
れい3ねん
西にしじょだん46まい
6–1 
ひがしさんだん80まい
6–1 
ひがしさんだん22まい
5–2 
西にし幕下まくした57まい
3–4 
ひがしさんだん5まい
4–3 
西にし幕下まくした54まい
5–2 
2022ねん
れい4ねん
西にし幕下まくした37まい
0–1–6[15] 
西にし幕下まくした37まい
2–5 
ひがし幕下まくした55まい
引退いんたい
0–0–7
x x x
かくらん数字すうじは、「ち-け-休場きゅうじょう」をしめす。    優勝ゆうしょう 引退いんたい 休場きゅうじょう じゅうりょう 幕下まくした
さんしょう=敢闘かんとうしょうこと=殊勲賞しゅくんしょうわざ=技能ぎのうしょう     その=金星かなぼし
番付ばんづけ階級かいきゅう幕内まくうち - じゅうりょう - 幕下まくした - さんだん - じょだん - 序ノ口じょのくち
幕内まくうち序列じょれつ横綱よこづな - 大関おおぜき - 関脇せきわけ - 小結こむすび - 前頭まえがしら(「#数字すうじ」は各位かくいない序列じょれつ


改名かいめいれき[編集へんしゅう]

  • 福島ふくしま 貴裕たかひろ(ふくしま たかひろ)2012ねん3がつ場所ばしょ - 2015ねん3がつ場所ばしょ
  • ごくしんどう 貴裕たかひろ(ごくしんどう -)2015ねん5がつ場所ばしょ - 2020ねん9がつ場所ばしょ
  • 福島ふくしま 貴裕たかひろ(ふくしま -)2020ねん11月場所ばしょ - 2022ねん3がつ場所ばしょ
  • ごくしんどう 貴裕たかひろ(ごくしんどう -)2022ねん5がつ場所ばしょ

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 今日きょうおうあきら焼肉やきにくてます 佐世保させぼてるのに焼肉やきにくって(笑) 福島ふくしま貴裕たかひろごくしんどう 貴裕たかひろ)Twitter 2016ねん12月6にち(2018ねん3がつ6にち閲覧えつらん
  2. ^ 明日あしたから巡業じゅんぎょうくのでにくべてがんばります福島ふくしま貴裕たかひろごくしんどう 貴裕たかひろ)Twitter 2016ねん12月2にち(2018ねん3がつ6にち閲覧えつらん
  3. ^ a b 相撲すもう』2018ねん3がつごう p.48
  4. ^ この場所ばしょひがし幕下まくした5まいつねさいわいりゅう西にし幕下まくした5まいてん空海くうかい4しょう3はい場所ばしょ十両じゅうりょう昇進しょうしんつかんだため、それをかんがえるとかりごくしんどうしていれば関取せきとり昇進しょうしん確実かくじつであった。
  5. ^ ごくしんどう 7せん全勝ぜんしょうはつ優勝ゆうしょう九州きゅうしゅう場所ばしょしんじゅうりょう確実かくじつに」|2018ねん09がつ21にち 1516ふん|スポニチ
  6. ^ a b 相撲すもう部屋へやききじょう」『相撲すもう』2019ねん4がつごうスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、87ぺーじ 
  7. ^ a b おもねほのおとキャバクラ同行どうこうごくしんどう、2場所ばしょ出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶん」『日刊にっかんスポーツ』、2020ねん8がつ6にち2021ねん5がつ4にち閲覧えつらん
  8. ^ もとじゅうりょう2人ふたり引退いんたいとどけ ひがし幕下まくした55まい錦戸にしきど部屋へやきょくしんどう西にしさんだん18まい錣山のいろどり」『日刊にっかんスポーツ』、2022ねん5がつ22にち2022ねん5がつ22にち閲覧えつらん
  9. ^ 相撲すもう部屋へやききじょう」『相撲すもう』2022ねん9がつごうスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、80ぺーじ 
  10. ^ 相撲すもう部屋へやききじょう」『相撲すもう』2022ねん7がつごうスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、78ぺーじ 
  11. ^ ごくしんどうはつかくだんVでしんじゅうりょう昇進しょうしんめる相撲すもうを」
  12. ^ a b おもねほのお引退いんたいとどけ受理じゅりせず…今後こんご迷惑めいわくかけたらそく引退いんたい 日刊にっかんスポーツ 2020ねん8がつ6にち1748ふん(2020ねん8がつ6にち閲覧えつらん)
  13. ^ 月刊げっかん相撲すもう2020ねん9がつごう16~17ぺーじ(ベースボールマガジンしゃ)・記事きじちゅう日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい発表はっぴょうした「力士りきし年寄としよりによる外出がいしゅつ自粛じしゅくちゅう不適切ふてきせつ行動こうどうかんする処分しょぶんについて」という文書ぶんしょ全文ぜんぶん掲載けいさいあり。
  14. ^ おもねほのおとキャバクラった力士りきし進退伺しんたいうかがい 協会きょうかいにち審議しんぎ」『日刊にっかんスポーツ』、2020ねん8がつ4にち2020ねん8がつ6にち閲覧えつらん
  15. ^ 2019新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしゃ濃厚のうこう接触せっしょくした可能かのうせいがあるため初日しょにちから休場きゅうじょう

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]