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永泉寺 (多治見市) - Wikipedia コンテンツにスキップ

えいいずみてら (多治見たじみ)

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えいいずみてら
所在地しょざいち 岐阜ぎふけん多治見たじみ池田いけだまち7-3
位置いち 北緯ほくい3519ふん55.8びょう 東経とうけい13706ふん16.0びょう / 北緯ほくい35.332167 東経とうけい137.104444 / 35.332167; 137.104444座標ざひょう: 北緯ほくい3519ふん55.8びょう 東経とうけい13706ふん16.0びょう / 北緯ほくい35.332167 東経とうけい137.104444 / 35.332167; 137.104444
山号さんごう 石堂山いしどうざん
宗派しゅうは 曹洞宗そうとうしゅう
本尊ほんぞん 聖観音しょうかんのん菩薩ぼさつ
創建そうけんねん 奈良なら時代じだい
開基かいき つて行基ぎょうき
中興ちゅうこうねん 寛永かんえい年間ねんかん
中興ちゅうこう ゆうわし
札所ふだしょとう 土岐ときぐんさんじゅうさんしょ巡礼じゅんれいじゅうばん
文化財ぶんかざい くに指定してい:木造もくぞう聖観音しょうかんのん菩薩ぼさつ立像りつぞう
指定してい:じゅういちめん観音かんのん坐像ざぞうせんせん観世音菩薩かんぜおんぼさつ立像りつぞう愛染明王あいぜんみょうおう坐像ざぞう
法人ほうじん番号ばんごう 6200005008203
永泉寺の位置(岐阜県内)
永泉寺
えいいずみてら
えいいずみてら (岐阜ぎふけん)
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えいいずみてら(えいせんじ)は岐阜ぎふけん多治見たじみ池田いけだまちにある聖観音しょうかんのん菩薩ぼさつ本尊ほんぞんとする曹洞宗そうとうしゅう寺院じいん山号さんごう石堂山いしどうざん

歴史れきし[編集へんしゅう]

伝承でんしょうでは奈良なら時代じだい光明皇后こうみょうこうごう御願ごがんにて天皇てんのうみことのりせんにより行基ぎょうき華厳宗けごんしゅう寺院じいんとして開山かいさんし、一山ひとやま箇寺の寺院じいん配置はいち仏道ぶつどう修行しゅぎょう道場どうじょうとしたのがはじまりとつたわる。

行基ぎょうきせんせん観世音菩薩かんぜおんぼさつ立像りつぞう彫刻ちょうこくして本尊ほんぞんとして安置あんち可児かに道場どうじょう名付なづけた。

これにぞくする一山ひとやま箇寺は、明圓みょうえんてら地蔵じぞういん蓮華れんげいんふつこういん観音かんのんいんいつつの寺院じいんなら池田いけだ五山ごさんしょうしててらうん隆盛りゅうせいしていた。

このころゆめまどうとせき明圓みょうえんてらに3年間ねんかん寄寓きぐうし、虎渓山こけいざん発見はっけんしてえいたもつてらてたとつたわる。

その庇護ひごしゃうしな衰微すいびしたが、鎌倉かまくら時代ときよそうそうけん明圓みょうえんてら地蔵じぞういん合併がっぺい真言宗しんごんしゅう密教みっきょう改宗かいしゅう可児かに道場どうじょう主宰しゅさいした。

江戸えど時代じだいはいっててら次第しだい衰退すいたいしていったが、

蓮華れんげいんは、寛永かんえい年間ねんかん曹洞宗そうとうしゅうそうしゅう呑が住持じゅうじとなり、三河みかわ武士たけし小池こいけみちそらともちからわせて復興ふっこうして曹洞宗そうとうしゅうあらた住吉すみよし神社じんじゃひがしにあった蓮華れんげいん移転いてん再興さいこう石動山せきどうさん なが泉寺いずみでら改名かいめいし、開山かいさん名古屋なごや善篤寺ぜんとくじろくせいゆうわしむかえられた。

寛文ひろふみ年間ねんかん名古屋なごや善篤寺ぜんとくじ雲山くもやまによって中興ちゅうこうされ曹洞宗そうとうしゅう寺院じいんとなったというせつもある。

ふつこういん観音かんのんいんは、えいいずみてら改宗かいしゅう合併がっぺい再興さいこうしてふつこう観音寺かんおんじとなりなが泉寺いずみでら末寺まつじとして明治めいじ初年しょねんまで存在そんざいしていた。

明圓みょうえんてら地蔵じぞういん吸収きゅうしゅうして明圓みょうえんてらとしたとてらでんにあるが、その年代ねんだいについてはあきらかではない。神仏しんぶつ習合しゅうごう真言宗しんごんしゅう寺院じいんであったが、慶応けいおう4ねん(1868ねん)の神仏しんぶつ分離ぶんりときに、一切いっさい仏像ぶつぞうとうえいいずみてらわたして廃寺はいじのやむなきにいたった。

天保てんぽう14ねん(1843ねん)、総門そうもん建立こんりゅうされている。

指定してい文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

廃絶はいぜつした池田いけだ五山ごさんのの本尊ほんぞんとしてまつられていた仏像ぶつぞうえいいずみてらうつされ現在げんざいつたえられている。

聖観音しょうかんのん菩薩ぼさつぞうは、えいいずみてら本尊ほんぞんであるよせ木造もくぞうだま嵌入かんにゅう半金はんきんしょくぞうで、すなわ身体しんたい金色きんいろ袈裟けさまといころも彩色さいしき南北なんぼくあさ時代じだいまたは室町むろまち時代ときよ初期しょき作風さくふうで、かつてはふつこういん本尊ほんぞんであった。

大正たいしょう3ねん1915ねん)に国宝こくほう指定していされ、昭和しょうわ25ねん(1950ねん)5がつ公布こうふされた文化財ぶんかざい保護ほごほうによって重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされた。

昭和しょうわ33ねん1958ねん)、以下いか仏像ぶつぞう多治見たじみ文化財ぶんかざい指定していされた。

文化財ぶんかざいには指定していされていない仏像ぶつぞうについては以下いかのとおりである。

  • せい観世音菩薩かんぜおんぼさつ(えいいずみ寺本てらもとたかし)
  • じゅういちめん観世音菩薩かんぜおんぼさつ(もと明圓みょうえんてら本尊ほんぞん)

境内けいだい[編集へんしゅう]

山門さんもんもぐって本堂ほんどうのぞむと、そのみぎ前方ぜんぽうに、さんかかえもある天然記念物てんねんきねんぶつだいイチョウがえだばしてんそびえているのにおどろかされる。多治見たじみ天然記念物てんねんきねんぶつ指定していされている。

境内けいだいのあちこちにすうおおくのふる石仏いしぼとけく。本堂ほんどう西北せいほくには「可児かに古道ふるみちじょう」のがくかかげた御堂みどう印象いんしょうてきである。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 多治見たじみ 通史つうしへん 上巻じょうかん』 だいしょう  古代こだい だいろくせつ 古代こだい宗教しゅうきょう ()真言宗しんごんしゅう 可児かに道場どうじょう p226~p227 多治見たじみ 1980ねん
  • 多治見たじみ 通史つうしへん 上巻じょうかん 』だいななしょう  宗教しゅうきょう寺社じしゃ だいさんせつ 寺院じいん えいいずみてら  p753~p754 多治見たじみ 1980ねん
  • 岐阜ぎふけんひゃくてらえいいずみてら p170~p171 郷土きょうど出版しゅっぱんしゃ 1987ねん