永遠えいえんの夫おっと

永遠えいえんの夫おっと Вечный муж
作者さくしゃ	フョードル・ドストエフスキー
国くに	ロシア帝国ていこく
言語げんご	ロシア語ご
ジャンル	中編ちゅうへん小説しょうせつ
発表はっぴょう形態けいたい	雑誌ざっし掲載けいさい
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつ	『朝あさやけ』1870年ねん1月がつ号ごう-2月がつ号ごう
日本語にほんご訳やく
訳者やくしゃ	原はら白光はっこう、米川よねかわ正夫まさお
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『永遠えいえんの夫おっと』（えいえんのおっと、ロシア語ご: Вечный муж）は、フョードル・ドストエフスキーの中編ちゅうへん小説しょうせつで、1870年ねん『あかつき』（『朝あさやけ』）誌しの1月がつ号ごう・2月がつ号ごうに発表はっぴょうされた。ドストエフスキーは、1868年ねんには「ロシア報知ほうち」誌し1月がつ号ごうから12月がつ号ごうに『白痴はくち』を連載れんさいし、さらに1871年ねんには同おなじく「ロシア報知ほうち」誌しの1月がつ号ごうから『悪霊あくりょう』の連載れんさいを始はじめている。従したがって、この作品さくひんはこの二ふたつの長編ちょうへんの間あいだに書かかれていることになる。当時とうじドストエフスキーは、ドイツのドレスデンにいて、次女じじょの出産しゅっさんもあり家庭かていの財政ざいせい状況じょうきょうは極度きょくどに逼迫ひっぱくしていた。そのため、彼かれはこの作品さくひんを短期間たんきかんで書かき上あげ、当座とうざの生活せいかつ資金しきんを賄まかなおうとしたようだ。急場きゅうばしのぎで仕上しあげたとはいえ、作品さくひんの質しつはかなり高たかい。

概要がいよう

この作品さくひんは、ドストエフスキーがアンナ・スニートキナとの再婚さいこん後ご、表向おもてむきは病気びょうき療養りょうよう、実際じっさいは借金取しゃっきんとりや親族しんぞくのしがらみから逃のがれるためにロシアを離はなれイタリア、ドイツなどのヨーロッパの都市としを転々てんてんとしていた時期じきに書かかれたものである。この時期じきドストエフスキーは『白痴はくち』、『悪霊あくりょう』という二ふたつの有名ゆうめいな長編ちょうへんを書かき上あげている。しかし、新婚しんこんのドストエフスキー家かの家計かけいは火ひの車くるまであった。ドストエフスキーは、再婚さいこん後ごも賭博とばく熱ねつが治おさまらず、おまけに長女ちょうじょ（誕生たんじょう後ご3カ月かげつで死亡しぼう）に続つづいて次女じじょの出産しゅっさんなどもあって出費しゅっぴが嵩かさみ、たびたび質屋しちやに駆かけ込こんだり、出版しゅっぱん社しゃに原稿げんこう料りょうを前借まえがりして執筆しっぴつ依頼いらいを引ひき受うけたりしている。この作品さくひんも当座とうざの窮状きゅうじょうをしのぐためにわずか3か月げつ（当初とうしょは1カ月かげつの予定よてい）で書かき上あげたものである。

この作品さくひんのタイトルである「永遠えいえんの夫おっと」はロシア語ごの原題げんだいВечный муж の日本語にほんご訳やくであるが、日本語にほんごの「永遠えいえん」は通常つうじょう肯定こうてい的てきな意味いみで使つかわれるので、「永遠えいえんの夫おっと」といえば「理想りそう的てきな夫おっと」という様ような意味いみにとられかねない。しかし、この作品さくひんでの「永遠えいえんの夫おっと」トルソツキーは、むしろそうした肯定こうてい的てきなイメージとはほど遠とおい。作品さくひんの中なかの表現ひょうげんを用もちいれば「ただただ夫おっとであることに終始しゅうしし、それ以上いじょうの何なにものでもなく・・（中略ちゅうりゃく）・・自分じぶんの細君さいくんのお供そなえもの」であり、「太陽たいようが輝かがやかずにはいられないように、妻つまに不貞ふていをされずにはすまない。それでいて当人とうにんはこのことをまったく知しらない」（同前どうぜん）という様ような滑稽こっけい極きわまりないといってもいい存在そんざいだ。確たしかに妻つまにとっては「都合つごうのいい夫おっと」であり、ある意味いみ「理想りそう的てきな夫おっと」であるのかもしれないが、日本語にほんごの「永遠えいえんの夫おっと」というイメージにそぐわないのも確たしかだ。千種ちくさ堅けんは「訳者やくしゃ解説かいせつ」で、「永遠えいえん」を意味いみするВечныйは「万年雪まんねんゆき」や「万年筆まんねんひつ」などにも使つかわれるし、またмужは「亭主ていしゅ」とも訳やくされるので「万まん年ねん亭主ていしゅ」くらいが適当てきとうなのかもしれない、と見解けんかいを述のべている。

ただし主人公しゅじんこうトルソツキーは、けっしてぼんくらで善良ぜんりょうという男おとこではない。妻つまの尻しりにはしかれるが、しかれ放ほうしでただ黙だまっているわけではない。寝取ねとった男おとこへの恨うらみとそれなりの意地いじは持もっているのである。トルソツキーの妻つまが産うんだ娘むすめリーザはヴェリチャーニノフとの間あいだにできた子こであったが、トルソツキーはそれを知しっても妻つまが亡なくなるまでは彼女かのじょを自分じぶんの娘むすめの様ように愛あいしていた。しかし、妻つまが亡なくなるとともに娘むすめへの虐待ぎゃくたいとその父親ちちおやヴェリチャーニノフに対たいする復讐ふくしゅう劇げきが始はじまるのである。結局けっきょく、トルソツキーのナイフはヴェリチャーニノフの左手ひだりてに傷きずを負おわせるだけで終おわるであるが、ここでは中途半端ちゅうとはんぱにしか目的もくてきを達たっせられず、いざというときに腰砕こしくだけで終おわる滑稽こっけいで小心しょうしんな男おとこの哀あい感かんと悲喜劇ひきげきが描えがかれている。

ところで、この作品さくひんのタイトルは『永遠えいえんの夫おっと』であるが、その「永遠えいえんの夫おっと」トルソツキーは主役しゅやくと言いうよりはむしろ脇役わきやくといってもよく、作品さくひんの中なかではどちらかと言いえばヴェリチャーニノフを中心ちゅうしんに話はなしが進すすんでいく。訳者やくしゃ千せん種しゅ堅けんは「ドストエフスキーは自分じぶんの分身ぶんしんたるヴェリチャーニノフを登場とうじょうさせることによって、この作品さくひんに自伝じでん的てき色彩しきさいを添そえたかったのではないか」と新潮しんちょう文庫ぶんこ版ばん『永遠えいえんの夫おっと』「解説かいせつ」で述のべている。また、小沼おぬま文彦ふみひこも、筑摩書房ちくましょぼう版ばん「全集ぜんしゅう」の訳者やくしゃあとがきで「『永遠えいえんの夫おっと』に『賭博とばく者しゃ』と同おなじように自伝じでん的てき要素ようそが含ふくまれていることも見みのがせない事実じじつ」であると述のべている。その裏付うらづけとして挙あげられるのが、二に番目ばんめの妻つまアンナの次つぎのような言葉ことばである。すなわち「この作品さくひんは自伝じでん的てき意味いみを持もっている。（中略ちゅうりゃく）ヴェリチャーニノフにもフョードル・ミハイロヴィッチ自身じしんの性格せいかくがみとめられるが、たとえば、別荘べっそう生活せいかつにやって来きて彼かれが思おもいつくいろいろな遊あそびの描写びょうしゃなどがそうだ」

このようにヴェリチャーニノフに作者さくしゃドストエフスキーの姿すがたを重かさねる見方みかたもあるが、他方たほうで、トルソツキーにこそ作者さくしゃドストエフスキーの姿すがたが投影とうえいされているという見方みかたもある。たとえば中村なかむら健之けんし介かいはその著ちょ『永遠えいえんのドストエフスキー』において、妻つまの死後しごほどなく娘むすめのような年齢ねんれいの15歳さいの少女しょうじょに求婚きゅうこんした「トルソツキーの“少女しょうじょ好このみ”」は「“死しせる生せい”に陥おちいった男おとこの“生いける生なま”への復帰ふっき願望がんぼうなのである」と述のべ、まさにドストエフスキー自身じしんが経験けいけんしたアンナやスースロワという年下とししたの女性じょせいへの恋愛れんあい劇げきにも「明あきらかにドストエフスキーの、これと同おなじ願望がんぼうがみてとれる」と述のべている。

さらに言いえば、「寝取ねとられ亭主ていしゅ」トルソツキーの姿すがたこそ最初さいしょの妻つまマリアの夫おっとドストエフスキーそのものであると述のべたのは、ドストエフスキーの実みの娘むすめリュボーフィЛюбовьである。リュボーフィは後のちに作家さっかとなり、晩年ばんねんにエーメ・ドストエフスキーの名なで伝記でんきを著あらわしている。その中なかで彼女かのじょは最初さいしょの妻つまマリアにはドストエフスキーの他ほかに情夫じょうふがいて、「結婚式けっこんしきの前日ぜんじつ、マーリヤ・ドミートリイェヴナはグズネッッツに着ついてからみつけて、永ながい間あいだひそかに愛あいしていた情夫じょうふ、いやらしい、つまらぬ教師きょうしのところで夜よるを過すごしたのだった」と述のべている。しかも、マリアとこの情夫じょうふとの関係かんけいはドストエフスキーとの結婚けっこん後ごも続つづいていたのだが、ドストエフスキーは「マーリヤ・ドミートリイェヴナを専心せんしん彼かれのために盡つくしてくれる貞節ていせつな女おんなだと考かんがえてゐた」ので「奴やつが自分じぶんの戀敵こいがたきかも知しれないなどと言げんふ考かんがえは彼かれの頭あたまを掠かすめさへしなかった」（同前どうぜん）と。しかしその後ごマリアの肺病はいびょうが悪化あっかし、その情夫じょうふにも逃にげられ、見捨みすてられた彼女かのじょは「夫おっとに當あたり散ちらした揚句あげく、彼女かのじょはなにもかも白状はくじょうして、若わかい教師きょうしに対たいする愛あいをとことん細大さいだい洩もらさず喋しゃべったのである」（同前どうぜん）と述のべている。そのうえで彼女かのじょは「彼かれはその後ごになって書かいた小説しょうせつ『永遠えいえんの夫おっと』のなかへ欺あざむかれた夫おっととしての憤いきどおりをすつかりたたき込こんだ」（同前どうぜん）と書かいているのである。

このエーメ（彼女かのじょは1913年ねんに病気びょうき療養りょうようのためにヨーロッパに渡わたり、そのまま二度にどと祖国そこくに戻もどらなかった。また名前なまえをロシア語ごの「愛あい」意味いみするリュボーフィЛюбовьからフランス風ふうのエーメAiméeに変かえている）の『ドストエフスキー傳でん』については事実じじつ誤認ごにんも多おおく、上記じょうきの点てんについても裏付うらづけとなる資料しりょうは明あきらかにされていない。ドストエフスキーの最初さいしょの結婚けっこん生活せいかつの詳細しょうさいを知しる手てがかりとなったであろうマリア宛あてのドストエフスキーの手紙てがみは結婚けっこん前まえのわずか一いち通つう（1855年ねん6月がつ4日にち付づけ手紙てがみ）しか残のこされていないため、夫婦ふうふの間あいだにどのような確執かくしつがあったのかを探さぐることは難むずかしい。いずれにしてもドストエフスキーは先妻せんさいマリアをめぐって当時とうじニコライ・ヴェルグーノフという二に十じゅう四よん歳さいの教師きょうしと奇妙きみょうな三角さんかく関係かんけいに陥おちいった末すえに、どうにか結婚けっこんにこぎつけたことは事実じじつ（この時期じきのドストエフスキーの様子ようすは、親友しんゆうのアレクサンドル・イェゴーロヴィッチ・ヴランゲリに宛あてた1856年ねん3月がつ～1857年ねん7月がつまでの数すう通つうの手紙てがみで詳細しょうさいに知しることができる）であり、またその結婚けっこん生活せいかつは必かならずしも幸福こうふくとはいえず、むしろ「不幸ふこうになればなるほどますます強つよくふたりは互たがいに愛着あいちゃくを感かんじるようになった」というねじれたものであった。ドストエフスキーに隠かくれて結婚けっこん後ごも若わかい教師きょうしとマリアの密通みっつうが続つづいていたのかどうかは定さだかではないが、ただ娘むすめのエーメが父親ちちおやの先妻せんさいマリア（エーメが産うまれた時ときにはすでに亡なくなっていたが）をこのような女性じょせいと考かんがえていたことは確たしかである。この最初さいしょの不幸ふこうな結婚けっこん生活せいかつがドストエフスキーの内面ないめんにも少すくなからぬ影響えいきょうを与あたえ、その後ごのドストエフスキーの多おおく作品さくひんにも影かげを落おとしている。

なお、この作品さくひんが発表はっぴょうされてから四よん年ねん後ごのことであるが、妻つまアンナに宛あてた手紙てがみの末尾まつびでドストエフスキーが「おまえの永遠えいえんの夫おっと」（1874年ねん6月がつ16日にち付づけ）と署名しょめいしているのを読よんだアンナは、「あなたが書かいた『おまえの永遠えいえんの夫おっと』ということばはとってもいやです。どうしてあなたが『永遠えいえんの夫おっと』なんですか。あなたは私わたしのなつかしい夫おっとで、未来永劫みらいえいごうの夫おっとですが、『永遠えいえんの夫おっと』なんかじゃありません！」（）と書かき送おくっている。このドストエフスキーの手紙てがみは、家族かぞくからひとり離はなれて温泉おんせん療養りょうように来きていたドイツのエムスという街まちから出だされたもので、彼かれはその中なかで妻つまアンナへの狂くるおしいばかりの愛情あいじょうを率直そっちょくに綴つづっている。そこから「おまえの永遠えいえんの夫おっと」という表現ひょうげんが素直すなおに出でてきたのだと思おもわれるが、もちろんアンナは「永遠えいえんの夫おっと」がドストエフスキーの作品さくひんの主人公しゅじんこうトルソツキーを意味いみし、それが女房にょうぼうの尻しりにしかれる「万まん年ねん寝取ねとられ亭主ていしゅ」であるということを十分じゅうぶん承知しょうちしていたので、自分じぶんは亭主ていしゅを尻しりにしくような女おんなではないし、不貞ふていをはたらくような女おんなでもない、と伝つたえたかったのであろう。

あらすじ

ヴェリチャーニノフは39歳さいのれっきとした上流じょうりゅう社会しゃかいの男おとこで、外見がいけん的てきには若々わかわかしく見みえたが精神せいしん的てきにはかなりの衰弱すいじゃくが始はじまっていた。若わかかかりし頃ころの様々さまざまな挫折ざせつや恥辱ちじょくが突然とつぜんよみがえり彼かれの精神せいしんを圧迫あっぱくすることも多おおかった。なかでも、9年ねん前まえにある街まちで人妻ひとづまに子供こどもを産うませ、そのまま別わかれてしまったことは彼かれの中なかで心しんの痛いたみとなっていた。そんな時期じきに彼かれは突然とつぜん、その夫おっとであったトルソーツキイの来訪らいほうを受うけ、彼かれの妻つまナターリヤ・ヴァシリーエヴナが3か月げつ程ほど前まえに亡なくなったことを知しらされる。トルソーツキイはひとかどの役人やくにんで猟官りょうかん運動うんどうのためペテルブルグにきていたのだが、後日ごじつヴェリチャーニノフが彼かれの宿泊しゅくはく先さきを尋たずねると、9歳さいになるという娘むすめリーザを紹介しょうかいされる。どうやらその娘むすめは父親ちちおやから虐待ぎゃくたいを受うけているようだった。ヴェリチャーニノフはトルソーツキイの言動げんどうからその娘むすめが自分じぶんと彼かれの妻つまと間あいだにできた子供こどもに間違まちがいないことを確信かくしんする。

トルソーツキイという男おとこはヴェリチャーニノフからみれば、ただただ夫おっとであるということに終始しゅうしし、妻つまの飾かざり物もの以上いじょうにはなろうとしないいわゆる「永遠えいえんの夫おっと」であったが、この9年ねんの間あいだに確たしかに何なにかが変かわっていた。ヴェリチャーニノフは、このまま娘むすめを彼かれのもとに置おいておいては危険きけんなので職場しょくば探さがしの間あいだだけでもと半なかば強引ごういんにリーザを自分じぶんの知しり合あいのところに引ひき取とった。しかし、引ひき取とってしばらくしてリーザは病やまいに倒たおれる。ヴェリチャーニノフはトルソーツキイを探さがし出だし、娘むすめが危篤きとくだと伝つたえるが、結局けっきょくトルソーツキイは娘むすめの前まえに現あらわれず、娘むすめはそのまま亡なくなってしまう。

リーザの葬式そうしきが済すみ、1か月げつも経たたない頃ころ、ヴェリチャーニノフはリーザの墓はかの近ちかくで偶然ぐうぜんトルソーツキイと会あう。彼かれはまもなく結婚けっこんするという。彼かれの結婚けっこん相手あいてというのは15歳さいの娘むすめで、どうやら親おやは結婚けっこんを承諾しょうだくしたようだが、娘むすめの方ほうはまったくその気きはないようだった。しかもボーイフレンドもいるらしい。トルソーツキイに懇願こんがんされて結婚けっこん相手あいての実家じっかをヴェリチャーニノフも一緒いっしょに訪たずねることになるのだが、それはかえって逆ぎゃく効果こうかで、結局けっきょくトルソーツキイは程ほどなくしてあなたにはすぐにでも私わたしとここから帰かえってもらわなくてはとい出いだす始末しまつだった。その後ご、娘むすめのボーイフレンドが、ヴェリチャーニノフの家いえにいたトルソーツキイを訪たずねて来きて、二人ふたりは愛あいし合あっているのだから年寄としよりが変へんな邪魔じゃまをしないでほしい、とトルソーツキイに迫せまる。もちろんトルソーツキイは、拒絶きょぜつしたが、ボーイフレンドは、結局けっきょくあなたが最後さいごはあきらめざるをえない事ことになりますよ、と言いって帰かえっていった。トルソーツキイは明日あしたにでも実家じっかに言いってあんな小僧こぞっ子このいうことなんか叩はたきつぶしてやる、といきまいた。その夜よる、トルソーツキイはヴェリチャーニノフの家いえに泊とまっていったが、夜中よなかに突然とつぜんヴェリチャーニノフはナイフの様ようなもので切きりつけられた。かろうじて相手あいてを組くみ抑おさえたが、左手ひだりてに傷きずを負おった。ヴェリチャーニノフはどうにかトルソーツキイを鍵かぎのかかった部屋へやに閉とじこめたが、自分じぶんは彼かれに殺ころされかけた、しかし彼かれはその直前ちょくぜんまで自分じぶんを殺ころそうとは思おもってもいなかったに違ちがいない、と確信かくしんした。翌朝よくあさ、トルソーツキイをそのまま帰かえした。ヴェリチャーニノフはなにかが吹ふっ切きれたようだった。しかし、やがて彼かれはトルソーツキイが首くびをつるのではないかと心配しんぱいになり、トルソーツキイのところへ向むかおうと通とおりに出でたが、そこであのボーイフレンドと出でくわした。その青年せいねんが言いうには、トルソーツキイはもう汽車きしゃに乗のって街まちを出でたと言いう。青年せいねんはトルソーツキイと酒さけを飲のみ、さんざん彼かれからあなたのこと聞きかされ、あなたへの手紙てがみを預あずかってきたと言いって手紙てがみを差さし出だした。その手紙てがみは、彼かれの妻つまが書かいた手紙てがみだった。ヴェリチャーニノフの所ところに届とどいた手紙てがみとは別べつのもので、別わかれの手紙てがみだったが、その中なかで彼女かのじょはいつか子供こどもを引ひき渡わたす機会きかいを見みつけようと書かいていた。結局けっきょく、この手紙てがみは出だされず別べつの手紙てがみをよこしたのだった。

それから丸まる2年ねんが過すぎ、ヴェリチャーニノフは自分じぶんがかかえていた訴訟そしょうにも勝かち、大金たいきんを手てに入いれた。そして人ひとが変かわったように精神せいしん的てきにもすっかり立たち直なおり、元気げんきになった。その日ひは友人ゆうじんに会あうために汽車きしゃに乗のってオデッサに向むかうところだったが、途中とちゅうの駅えきで彼かれは再ふたたびトルソーツキイの姿すがたを目めにすることになる。ヴェリチャーニノフは、汽車きしゃの待まち時間じかんにたまたまホームで起おこったトラブルに介入かいにゅうし、婦人ふじんとその親戚しんせきとみられる連つれの若わかい将校しょうこうを助たすけたのだが、その婦人ふじんがトルソーツキイの妻つまだったのである。トルソーツキイがちょうど用ようを足たしにいっている間あいだに起おこったトラブルだったため、彼かれが戻もどって来くると婦人ふじんはトルソーツキイにくってかかった。弁解べんかいするトルソーツキイ、他方たほう婦人ふじんから丁重ていちょうに礼れいを言いわれ自邸じていへの招待しょうたいを受うけるヴェリチャーニノフ。ヴェリチャーニノフは婦人ふじんの招待しょうたいを喜よろこんで受うけ入いれると返事へんじをしたが、もちろんそれは社交しゃこう辞令じれいだった。しかしトルソーツキイは真しんに受うけて、まさか本当ほんとうに家いえに来くるのですか、とヴェリチャーニノフに青あおくなって問といただす。ヴェリチャーニノフは、意地いじ悪わるく、あなたが私わたしを殺ころそうとなさった話はなしでもしに行いきましょうかと言いったが、もちろんそれは冗談じょうだんだった。ヴェリチャーニノフは、伺うかがいませんよと言いって手てのひらに傷きずのある左手ひだりてをトルソーツキイに差さし出だしながら、握手あくしゅを求もとめ、手てを引ひっ込こめようとしたトルソーツキイに向むかって、私わたしが手てを差さし出だしているんですから、あなただって手てを握にぎったらいいじゃないですか、と叫さけんだ。トルソーツキイは、リーザのことは？と口ぐちの中なかでもぐもぐ言いいい、唇くちびるをふるわせ、涙なみだをみせた。そして動うごき始はじめた汽車きしゃになんとか飛とび乗のりトルソーツキイは去さっていった。

登場とうじょう人物じんぶつ

パーヴェル・パーヴァロヴィッチ・トルソツキー

主人公しゅじんこう、44歳さい、T市しの役人やくにん。

ヴェリチャーニノフ

39歳さい、中年ちゅうねんの貴族きぞく。9年ねん前まえにトルソツキーの妻つまに子供こどもを産うませてしまうがすぐ別わかれる。

ナターリア・ヴァシーリエヴナ・トルソツカヤ

トルソツキーの妻つま、奔放ほんぽうな女性じょせい。ヴェリチャーニノフとの間あいだにできた子供こどもリーザを夫おっとに偽いつわり娘むすめとして育そだてる。

リーザ

ナターリア・ヴァシーリエヴナとヴェリチャーニノフの間あいだにできた娘むすめ、9歳さい。

クラウジヤ・ペトローヴナ・ポゴレーリツェヴァ

ヴェリチャーニノフの初恋はつこいの相手あいて。今いまは8人にんの子持こもちで、今いまも親友しんゆうとしてつきあっている。

スチェパン・ミハイロビッチ・パガートフ

ヴェリチャーニノフのあとナターリア・ヴァシーリエヴナ・トルソツカヤとの愛人あいじん関係かんけいを5年間ねんかんも続つづけた。

マリア・スイソーエヴナ

トルソツキーが宿泊しゅくはくしていた宿やどの女おんな主人しゅじん。リーザの虐待ぎゃくたいを心配しんぱいしていた。

フェドセイ・ペトローヴィッチ・ザフレビーニン

五ご等とう官かん、8人にんの娘むすめがいる。相当そうとうな家柄いえがらだが、窮乏きゅうぼうしている。

ナジェージダ・フェドセーエヴナ

フェドセイ・ペトローヴィッチ・ザフレビーニンの6番目ばんめの娘むすめ。トルソツキーが結婚けっこんを申もうし込こんだ相手あいて。

マリア・ニキーチシナ

23歳さい、ザフレビーニン家かに出入でいりしている近所きんじょの子供こども達たちの家庭かてい教師きょうし。ナジェージダ・フェドセーエヴナが慕したっている。

アレクサンドル・ロボフ

19歳さいの青年せいねん。ナジェージダ・フェドセーエヴナのボーイフレンド。

オリンピアーダ・セミョーノヴナ・トルソツカヤ

トルソツキーの再婚さいこん相手あいて。

主おもな日本語にほんご訳やく

• 『永遠えいえんの夫おっと』 千種ちくさ堅けん訳わけ、新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 『ドストエーフスキイ全集ぜんしゅう8 永遠えいえんの夫おっと』 千種ちくさ堅けん訳やく、新潮社しんちょうしゃ
• 『ドストエフスキー全集ぜんしゅう5 永遠えいえんの夫おっと』 小沼おぬま文彦ふみひこ訳わけ、筑摩書房ちくましょぼう
• 『ドストエーフスキイ全集ぜんしゅう10 永遠えいえんの夫おっと』 米川よねかわ正夫まさお訳わけ、河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ