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渋柿しぶがき

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
渋柿しぶがき
刊行かんこう頻度ひんど 月刊げっかん
発売はつばいこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
出版しゅっぱんしゃ 渋柿しぶがきしゃ
刊行かんこう期間きかん 1915ねん現在げんざい
テンプレートを表示ひょうじ

渋柿しぶがき』(しぶがき)は、渋柿しぶがきしゃによる俳誌はいし夏目なつめ漱石そうせき弟子でし松根東洋城まつねとうようじょう1915ねん大正天皇たいしょうてんのう侍従じじゅうとして式部しきぶかん在任ざいにんちゅう主宰しゅさい創刊そうかん松尾まつお芭蕉ばしょう俳諧はいかい理念りねん(わび・さび・しをり)を探究たんきゅう、「芭蕉ばしょう直結ちょっけつ芭蕉ばしょうかえれ」をかかげて心境しんきょう境涯きょうがい俳句はいく創作そうさくつとめる。夏目なつめ漱石そうせき門下もんか小宮こみや豊隆とよたか寺田てらだ寅彦とらひこ安倍あべ能成よしなり鈴木すずき三重吉みえきち戸川とがわ幸夫ゆきお吉田よしだ洋一よういち投稿とうこうしている。現在げんざい安原やすはら谿游主宰しゅさい

沿革えんかく[編集へんしゅう]

名称めいしょう由来ゆらい[編集へんしゅう]

1914ねん大正たいしょう3ねん)、東洋とうようじょうみや内省ないせい式部しきぶかんのとき、大正天皇たいしょうてんのうから俳句はいくについてかれ「渋柿しぶがきのごときものにてはこうへど」とこたえたことが有名ゆうめいとなったことから。なお「渋柿しぶがき平成へいせい29ねんがつごう谷本たにもときよしりゅう文章ぶんしょうによれば、もう一説いっせつあり、かつての漱石そうせきの〈のうもなき渋柿しぶがきどももんうち〉というして、東洋とうようじょうが、〈のうもなき渋柿しぶがきどもまことかな〉というつくっていたことから「渋柿しぶがき」にまったとわれている。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]