特殊とくしゅプロダクションカー

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シルエットフォーミュラを代表だいひょうする車種しゃしゅである、ポルシェ・935

特殊とくしゅプロダクションカー (とくしゅプロダクションカー、ふつ: Voiture de Production Spéciales, えい: Special Production Car) は、かつてモータースポーツよう規定きていされていた競技きょうぎよう自動車じどうしゃ一類いちるいがたである。量産りょうさん乗用車じょうようしゃ基本きほん設計せっけいもと競技きょうぎ専用せんよう特別とくべつ製造せいぞうされていた。量産りょうさんしゃ基本きほん輪郭りんかくのみのこしたも同然どうぜん規定きていであることから、シルエットフォーミュラスーパーシルエット)の異名いみょうつ。

ポルシェに対抗たいこうするために開発かいはつされたBMW・M1

概要がいよう[編集へんしゅう]

国際こくさい自動車じどうしゃ連盟れんめい国際こくさいモータースポーツ競技きょうぎ規則きそく付則ふそくJこうに1976ねんから1981ねんまで規定きていされていた[1]公認こうにん生産せいさんしゃのカテゴリーAにグループ5としてぞくしているが、カテゴリーAの公認こうにん車両しゃりょうである量産りょうさんツーリングカー (グループ1) からグランドツーリングカー (グループ4) をもとにしていれば生産せいさん台数だいすう要件ようけんはない。

市販しはん乗用車じょうようしゃ車体しゃたいをベースとしているが、大幅おおはば改造かいぞうのうえにエンジンとうはレース専用せんよう設計せっけい製作せいさくされたものを使用しようし、「フォーミュラカー」のようなじゅんレーシングカーに、市販しはん乗用車じょうようしゃシルエットだけのこるということから「シルエットフォーミュラ」とばれるようになった[2]現在げんざいではこのようなレーシングカーの形態けいたい一般いっぱんてきであるが、当時とうじはまだめずらしく、レース業界ぎょうかい衝撃しょうげきあたえた。

歴史れきし[編集へんしゅう]

1976ねん昭和しょうわ51ねん国際こくさい自動車じどうしゃ連盟れんめい (以下いか、FIA) は、それまでスポーツカー (1975ねんまでの試験しけんてき競技きょうぎしゃカテゴリーBグループ5) できそわれていたメイクス世界せかい選手権せんしゅけんを、特殊とくしゅプロダクションカー (以下いか、シルエットフォーミュラ) できそうことに変更へんこうした[3]連続れんぞく24がつあいだないに400だい製造せいぞう最低さいてい要件ようけんとされた市販しはんしゃのイメージをのこすシルエットフォーミュラで、よりおおくのメーカーの参加さんか目論もくろんだFIAだったが、はんポルシェのワンサイドゲームとなり、けっして成功せいこうしたカテゴリーとはならなかった[4]

ル・マン24あいだレースにも参戦さんせんできたが、基本きほんてきには座席ざせきレーシングカー (1976ねんからのレーシングカーカテゴリーBグループ6[注釈ちゅうしゃく 1])の後塵こうじんはいしていた。しかし1979ねんにグループ6ぜいのトラブルによる脱落だつらくもあって、グループ5のポルシェが表彰台ひょうしょうだい独占どくせんでの総合そうごう優勝ゆうしょうたした。

メイクス世界せかい選手権せんしゅけんは1981ねんから世界せかい耐久たいきゅう選手権せんしゅけんとなり、対象たいしょう車両しゃりょうもかつてのスポーツカーの後継こうけい類型るいけいといえる座席ざせきレーシングカーに変更へんこうされ、よく1982ねんには競技きょうぎ車両しゃりょう規定きてい全面ぜんめん改編かいへんされ、それと同時どうじにシルエットフォーミュラは廃止はいしされた[5]

日本にっぽんにおけるシルエットフォーミュラ[編集へんしゅう]

ニチラ シルビア スーパーシルエット S110がたをベースにS12がた外装がいそう
トミカ スカイライン RSターボ (KDR30)

1979ねん昭和しょうわ54ねん)から富士ふじグランチャンピオンレース富士ふじGC)のサポートレースとして「富士ふじスーパーシルエットシリーズ」(富士ふじSS)が開始かいしされた[6]当初とうしょはTS(特殊とくしゅツーリングカー)クラスのマツダ・サバンナRX-3と、GTクラスの日産にっさん・フェアレディZがそのまま参戦さんせんしていたが、ほどなくして日産にっさんから710/PA10がたバイオレットターボ参戦さんせんし、トヨタはトムスシュニッツァーチューンのRA20けいセリカLBターボ輸入ゆにゅうして参戦さんせんした。その日産にっさんはS110がたシルビアガゼールターボを、トヨタは童夢どうむ製作せいさくのRA40けいセリカターボをそれぞれ投入とうにゅうした。

1982ねん昭和しょうわ57ねん)には、日産にっさんはR30がたスカイライン(長谷見はせみ昌弘まさひろ)、S110がたシルビア(星野ほしの一義かずよし)、910がたブルーバード(柳田やなぎだはるじん)を投入とうにゅう[6]。これら「日産にっさんターボ軍団ぐんだん」とBMW・M1激突げきとつで、富士ふじ筑波つくばサーキット開催かいさいされたスーパーシルエットレースはおおいに人気にんきはくした。これがきっかけとなり、日産にっさん1984ねん昭和しょうわ59ねん)にニッサン・モータースポーツ・インターナショナル(ニスモ)を設立せつりつするなど、本格ほんかくてきワークス活動かつどう再開さいかいすることになる。

国際こくさいてきには1982ねん昭和しょうわ57ねん)を最後さいごにカテゴリが消滅しょうめつしたため、日本にっぽんにおけるスーパーシルエットレースも段階だんかいてき縮小しゅくしょうし、シリーズせん1983ねん昭和しょうわ58ねんかぎりで終了しゅうりょう[7]WEC-JAPANには特認とくにんで「GT-JAPAN」クラスがもうけられた)。1984ねん昭和しょうわ59ねん)には2せんだけが開催かいさいされ、これをもって完全かんぜん終焉しゅうえんとなった。

その1999ねん平成へいせい11ねん)に全日本ぜんにほんツーリングカー選手権せんしゅけん後継こうけいレースとして「Super Silhouette Car Championship」(SSCC)なるレースが企画きかくされたが、このレースで使つかわれる予定よていだった「スーパーシルエット」は市販しはんしゃとはべつパイプフレームシャシつなど、むしろストックカーちかく、1980年代ねんだいのスーパーシルエットとはまったことなっていた。最終さいしゅうてきにシリーズ開催かいさい実現じつげんせず、マシンもトヨタ・チェイサーベースのプロトタイプしゃ製作せいさくされるのみにとどまった。

玩具おもちゃとう[編集へんしゅう]

日本にっぽんでは1970年代ねんだい後半こうはんから1980年代ねんだい前半ぜんはんにかけて、当時とうじスーパーカーブームにかたち田宮たみや模型もけいげんタミヤ)から多数たすうのシルエットフォーミュラがプラモデルされたこともあり、当時とうじ年少ねんしょうファンを中心ちゅうしん人気にんきがあった。田宮たみや模型もけいからはポルシェ・935のほか、BMW・320i turbo、ランチア・ストラトスターボ、フォード・カプリ、そして西にしドイツのトヨタディーラーがシュニッツァー・モータースポーツにエンジンの製作せいさくとチューンを依頼いらいし、ドイツレーシングカー選手権せんしゅけんたたかっていたRA20けいトヨタ・セリカLBターボがモデルされた。わったところでは、ランボルギーニ・カウンタックトヨタ・2000GTをそれぞれ架空かくうのシルエットフォーミュラした車両しゃりょう製品せいひん前者ぜんしゃフジミ模型もけい後者こうしゃ青島文化教材社あおしまぶんかきょうざいしゃ)されており、トヨタ・2000GTは漫画まんがサーキットのおおかみ』にも登場とうじょうしている。

代表だいひょうてきなベース車両しゃりょう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 試験しけんてき競技きょうぎしゃは1975ねんをもって廃止はいしされたため、それまでカテゴリーCであったレーシングカーが1976ねんからカテゴリーBとなった

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ RoA 2019, pp. 8, 11, 13–15.
  2. ^ RoA 2019, pp. 8, 106.
  3. ^ RoA 2019, p. 11-13.
  4. ^ RoA 2019, pp. 13, 106.
  5. ^ RoA 2019, p. 15.
  6. ^ a b RoA 2019, p. 86.
  7. ^ RoA 2019, p. 106.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]