田た 剡(でん えん、生年せいねん不ふ詳しょう - 紀元前きげんぜん375年ねん)は、中国ちゅうごくの戦国せんごく時代じだいの斉ひとしの君主くんしゅ。かれの事跡じせきは『史記しき』に見みえず、わずかな記述きじゅつが『竹たけ書しょ紀年きねん』に見みえるのみである。田た氏しの斉ひとしの太ふとし公おおやけの子こ。紀元前きげんぜん385年ねん、太ふとし公こうが死去しきょすると、後ごを嗣ついで斉ひとし侯こうとなった。紀元前きげんぜん375年ねん、弟おとうとの田た午うまに殺害さつがいされた。在位ざいい10年ねん。
紀元前きげんぜん670年ねん、陳ひねの公子こうし完かんが斉ひとしに亡命ぼうめい、陳ちん氏し(田た氏し)が成立せいりつする
紀元前きげんぜん386年ねん、田た氏しが正式せいしきに諸侯しょこうとして認みとめられる
紀元前きげんぜん209年ねん、陳ちん勝まさる・呉ご広ひろの乱らんに際さいして田た儋が斉ひとし王おうを称しょうする
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