陳ちん 穉(ちん ち、生なま没年ぼつねん不ふ詳しょう)は、春秋しゅんじゅう時代じだいの斉ひとしの大夫たいふで、斉ひとしの陳ちん氏しの宗主そうしゅ。姓せいは嬀、氏しは陳ひね、あるいは田た、諱いみなは穉、字じは孟はじめ夷えびす[1]。
陳ちん完かん(敬けい仲なか)の子ことして生うまれた。陳ちん完かんが死去しきょすると、陳ちん穉は後ごを嗣ついで斉ひとしの陳ちん氏しの宗主そうしゅとなった。陳ひね穉が死去しきょすると、子この陳ちん湣(孟はじめ荘そう)が後こうを嗣ついだ。
紀元前きげんぜん670年ねん、陳ひねの公子こうし完かんが斉ひとしに亡命ぼうめい、陳ちん氏し(田た氏し)が成立せいりつする
紀元前きげんぜん386年ねん、田た氏しが正式せいしきに諸侯しょこうとして認みとめられる
紀元前きげんぜん209年ねん、陳ちん勝まさる・呉ご広ひろの乱らんに際さいして田た儋が斉ひとし王おうを称しょうする
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