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眞理 ヨシコ(まり ヨシコ、1938年〈昭和13年〉12月4日 - )は、日本の童謡歌手、声優、女優、東洋英和女学院大学名誉教授。本名、佐藤 美子(さとう よしこ)。旧芸名は真理ヨシコ。
岐阜県で生まれ、間もなく親の転勤で東京都へ転居。東京都立駒場高等学校芸術科(後に東京都立芸術高等学校として分離独立するも閉校)在学中より、東京芸術大学の講師だった酒井弘に師事。その後、深緑夏代にシャンソンの指導を受ける。東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業。1961年、東京芸大2年の時NHKのオーディションに合格し、NHK『歌の広場』のニュー・ボイスとなる。
その後、『おかあさんといっしょ』(当時はうたのえほん)の初代うたのおねえさんに就任。当時は「真理ヨシコ」の芸名で出演していた。
1961年4月 - 1962年9月までの1年半うたのおねえさんを務め、うたのおねえさん退任後も『おかあさんといっしょ』のコーナー、「おはなしのもり」・「うたいっぱい」・「らっぽんぽん」・「ほあほあどん」・「ヤンヤンムウくん」にてレギュラー出演。合計13年9か月に及んで、番組に出演した。
1963年、NHK『うたのえほん』で使われた童謡「おもちゃのチャチャチャ」が1か月で4万枚のレコードを売り上げるなどヒットし、第5回日本レコード大賞童謡賞を受賞[1]。
1970年代から1980年代にかけてはNHK総合テレビ18時台に放送されていた児童向け人形劇番組の幾つかで声優として重要な役を演じ、同時に劇中歌の歌唱を担当。『新諸国物語』系の『笛吹童子』、『紅孔雀』ではメインストーリーに寄り添うサブストーリーにおける悲劇のヒロインの美少女役を担当していたが、これらに続いて1979年から1982年まで放送された人形劇『プリンプリン物語』では役柄を一転し、主人公たちの旅を阻む云わば悪役側でコメディリリーフを演じる怪女ヘドロを担当した。その後、女優として活躍。
1983年、第13回日本童謡賞を受賞。
2002年、「眞理ヨシコさんを囲む会」を母体として生まれた“音符たち”が発足。
2018年、70代最後、80歳を目前に終活を始めたことを告白し、現在も行っている。
彼女を中心に、童謡をはじめ様々な音楽を楽しむ会で、「レクチャーコンサート」や「眞理ヨシコとともに」コンサートなど、毎年堅実な活動を行っている。[2]
東洋英和女学院大学人間科学部の教授を務め、2009年に定年退職し、名誉教授となった。
- 真理ヨシコ歌のプレゼント -ぼくのたからもの-(1974年、日本コロムビア、LP、KKS4102)※ レコードレーベルの表記は「歌のプレゼント」だが、ジャケット表面では「うたのプレゼント」と表記。
- うたつむぎ(2011年6月1日、日本コロムビア、CD2枚組)※ 眞理ヨシコ歌手生活50周年アルバム。全63曲収録。
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初代:真理ヨシコ(1961年4月3日 - 1962年9月22日)2代目:中野慶子(1961年4月10日 - 1964年10月3日) 3代目:竹前文子(1962年10月1日 - 1964年4月4日)4代目:水谷玲子(1964年4月13日 - 1967年3月25日) 5代目:中川順子(1964年10月12日 - 1967年7月31日)6代目:片桐和子(1967年4月3日 - 1970年3月11日) 7代目:瀬端優美子(1967年8月1日 - 1970年4月4日)8代目:斉藤昌子(1970年4月6日 - 1972年3月31日) 9代目:森晴美(1970年4月7日 - 1971年10月30日)10代目:小鳩くるみ(1972年4月3日 - 1974年3月29日) 11代目:斉藤伸子(1974年4月1日 - 1979年3月16日)12代目:松熊由紀(1974年4月1日 - 1979年3月16日) 13代目:奈々瀬ひとみ(1979年4月2日 - 1981年4月3日)14代目:しゅうさえこ(1981年4月6日 - 1983年4月2日) 15代目:森みゆき(1983年4月4日 - 1987年4月4日)16代目:神崎ゆう子(1987年4月6日 - 1993年4月5日) 17代目:茂森あゆみ(1993年4月5日 - 1999年4月3日)18代目:つのだりょうこ(1999年4月5日 - 2003年4月5日) 19代目:はいだしょうこ(2003年4月7日 - 2008年3月28日)20代目:三谷たくみ(2008年3月31日 - 2016年4月2日) 21代目:小野あつこ(2016年4月4日 - 2022年4月2日)22代目:ながたまや(2022年4月4日 - )
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