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紀元前607年(きげんぜん607ねん)は、西暦(ローマ暦)による年。紀元前1世紀の共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元147年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前607年と表記されるのが一般的となった。
- 宋の華元率いる軍と鄭の子家(公子帰生)率いる軍とが大棘で会戦し、宋軍が敗れて華元が捕らえられた。
- 秦軍が晋に侵入し、焦を包囲した。趙盾が焦を救援した。
- 晋の趙盾が宋・衛・陳の諸侯の軍を率いて鄭に侵攻した。
- 晋の趙穿が霊公を殺害した。太史の董狐は「趙盾、その君を弑す」と記録した。