線引せんひ問題もんだい (科学かがく哲学てつがく)

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線引せんひ問題もんだい(せんびきもんだい、えい: demarcation problem)とは、科学かがく哲学てつがく世界せかい使つかわれる言葉ことばで、科学かがく科学かがくまたは疑似ぎじ科学かがくとのあいだ線引せんひきを「どこで」そして「どのようにするのか」という問題もんだいのことをす。歴史れきしてきに、科学かがくとそうでないもののあいだせんこうと、様々さまざま線引せんひきの基準きじゅん提出ていしゅつされてきたが、しかしそのどれもが成功せいこうしている状況じょうきょうではない。

意味いみ検証けんしょう可能かのうせいテーゼ[編集へんしゅう]

線引せんひきの基準きじゅんとして歴史れきしてきもっと有名ゆうめいなもののひとつに、20世紀せいき初頭しょとうから中盤ちゅうばんにかけて論理ろんり実証じっしょう主義しゅぎものたちが主張しゅちょうした「意味いみ検証けんしょう可能かのうせいテーゼ」がある。「意味いみ検証けんしょう可能かのうせいテーゼ」とは、「有意ゆういあじ命題めいだいはすべて経験けいけんてき検証けんしょう可能かのうでなければならない」[1]というものである。

論理ろんり実証じっしょう主義しゅぎものたちが攻撃こうげき対象たいしょうとし想定そうていしていたのは、哲学てつがくいち分野ぶんやである形而上学けいじじょうがくなどでられる主張しゅちょうである(たとえばマルティン・ハイデッガー文章ぶんしょうなど)。つまりハイデッガーのような形而上学けいじじょうがくしゃたちがおこな主張しゅちょうは、ただしいとかあいだちがってるとかではなく、そもそも真偽しんぎ確認かくにんする方法ほうほういのだから、なに意味いみい、つまり無意味むいみなのだ、とした。

こうして論理ろんり実証じっしょう主義しゅぎものたちは「検証けんしょう」という条件じょうけんもちいて、科学かがくとそうでないものの峻別しゅんべつおこなおうとした。しかしこの立場たちばはそのすうおおくの理論りろんてき困難こんなん出会であ頓挫とんざすることになった(たとえば「検証けんしょうできないぶん無意味むいみだ」というぶん真偽しんぎはどうやって検証けんしょうするのか、など)。

反証はんしょう可能かのうせい[編集へんしゅう]

また、もうひとつの有名ゆうめい線引せんひきの基準きじゅんとしてカール・ポパーによって提出ていしゅつされた反証はんしょう可能かのうせい概念がいねんがある。ポパーは、反証はんしょうができない理論りろん、つまりこの理論りろん間違まちがっているという証拠しょうこ提出ていしゅつすることができないような理論りろんは、そもそも科学かがくではないとした。ポパーがこの概念がいねんにより線引せんひきをおこなおうとしていたのは、科学かがく疑似ぎじ科学かがくであり、その疑似ぎじ科学かがくというのは、共産きょうさん主義しゅぎマルクス主義まるくすしゅぎ経済けいざいがく)、および当時とうじの(フロイトりゅうの)精神せいしん分析ぶんせきがくなどである。

[注釈ちゅうしゃく 1]

線引せんひ問題もんだい逝去せいきょ[編集へんしゅう]

ラリー・ラウダン英語えいごばんは「線引せんひ問題もんだい逝去せいきょ」という文章ぶんしょう[3]なかで、科学かがく必要ひつようじゅうふん条件じょうけん必要ひつよう条件じょうけんかつ十分じゅうぶん条件じょうけん)をあたえることは不可能ふかのうであり、科学かがく疑似ぎじ科学かがくあいだ線引せんひきなどできないとろんじている[4]。これは1983ねん論文ろんぶんであり、反証はんしょう可能かのうせい概念がいねんはあまり機能きのうしていないことがわかり、以降いこう科学かがく哲学てつがくでは線引せんひ問題もんだいはあまりろんじられなくなった[5]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

  1. ^ (なお、反証はんしょう可能かのうせいとそれなりに関連かんれんすることであるが) 井山いやま弘幸ひろゆき金森かなもりおさむらは、科学かがくかそうでないかの基準きじゅんとして、未来みらいかんする発言はつげん内容ないようが、ただしいかあやまっているか判明はんめいしたとき発言はつげんしゃ信頼しんらい影響えいきょうをうけるかどうか、ということをげた。 (あまり一般いっぱんてきではない発言はつげんではあるが)、井山いやま弘幸ひろゆき金森かなもりおさむらは、たとえば「れいのうしゃだい地震じしんきることを予言よげんするが予測よそくはしない」「科学かがくしゃだい地震じしんきることを予測よそくするが予言よげんはしない」とべつつ、「予言よげんとく終末しゅうまつてき予言よげん)ははずれることで信者しんじゃ信仰しんこうしん結束けっそくりょくがいっそうつよまる」と(歴史れきしてき事実じじつとはことなるが、井山いやま弘幸ひろゆき金森かなもりおさむらは)主張しゅちょうし、「予測よそくはずれることで科学かがくしゃ信頼しんらいうばう」と主張しゅちょうした。そして「線引せんひきのひとつの基準きじゅんとして、それが否定ひていされたときにうしなうもののおおきさがかんがえられる」と主張しゅちょうした[2]

出典しゅってん

  1. ^ 野家のや啓一けいいち現代げんだい思想しそう冒険ぼうけんしゃたち』 24かん講談社こうだんしゃ、1981ねん、98ぺーじISBN 4-06-265924-7 
  2. ^ 井山いやま金森かなもり(2000)p.115
  3. ^ Laudan, Larry (1983). “The demise of the demarcation problem”. In Cohen, R. S. (英語えいご). Physics, Philosophy and Psychoanalysis: Essays in Honour of Adolf Grünbaum. Boston Studies in the Philosophy of Science. Dordrecht: Springer Netherlands. pp. 111–127. doi:10.1007/978-94-009-7055-7_6. ISBN 978-94-009-7055-7. https://doi.org/10.1007/978-94-009-7055-7_6 
  4. ^ 井山いやま金森かなもり(2000)p.258
  5. ^ 伊勢田いせだ 哲治てつじ境界きょうかい設定せってい問題もんだいはどのように概念がいねんされるべきか」『科学かがく技術ぎじゅつ研究けんきゅうだい8かんだい1ごう、2019ねん、5–12ぺーじdoi:10.11425/sst.8.5 日本にっぽん科学かがく哲学てつがくかいだい43かい年次ねんじ大会たいかい、2010ねん11月27にち

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 伊勢田いせだ 哲治てつじしる, 『疑似ぎじ科学かがく科学かがく哲学てつがく名古屋大学出版会なごやだいがくしゅっぱんかい、2003ねんISBN 4-8158-0453-2
  • 井山いやま弘幸ひろゆき金森かなもりおさむ現代げんだい科学かがくろんしん曜社、2000ねん11月。ISBN 4-7885-0740-4 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]