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せいイシュトヴァーンだい聖堂せいどう

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せいイシュトヴァーンだい聖堂せいどう

座標ざひょう: 北緯ほくい4730ふん03びょう 東経とうけい1903ふん14びょう / 北緯ほくい47.500833 東経とうけい19.053889 / 47.500833; 19.053889

せいイシュトヴァーンだい聖堂せいどう(せいイシュトヴァーンだいせいどう、ハンガリー: Szent István-bazilika)は、ハンガリー首都しゅとブダペストにあるカトリック教会きょうかいバシリカ[1]である。

せい遺物いぶつはこおさめられている右手みぎてミイラおもハンガリー王国おうこく初代しょだい国王こくおうイシュトヴァーン1せいにちなんでづけられた。

概要がいよう

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ハンガリー国会こっかい議事堂ぎじどうならんで、ブダペストでもっとたか建造けんぞうぶつである。建物たてものだか96m、はば55m、奥行おくゆき87.4m。 1851ねん着工ちゃっこうし、54ねん1905ねん完成かんせいした。この遅滞ちたい大半たいはんは、完成かんせいしたにもかかわらずがつけられないほど崩壊ほうかいし、いちからつくなおすことになった1868ねんのドーム倒壊とうかい起因きいんしている。

建築けんちくは、はじめヒルド・ヨージェフ、その死後しごイブル・ミクローシュ英語えいごばんさらにその、カウゼル・ヨージェフががけた[2]

建築けんちく様式ようしきしん古典こてん主義しゅぎ様式ようしきであり、平面へいめんギリシャ十字じゅうじしている。正面しょうめんには2つのおおきな鐘楼しゅろうがある。みなみ鐘楼しゅろうにあるかね重量じゅうりょう9トン以上いじょうあり、ハンガリーでもっとおおきなかねである。現在げんざいものは2代目だいめであり、初代しょだいものはほぼ8トンちかくあったが、だい世界せかい大戦たいせんさい鋳潰いつぶされて軍用ぐんよう使つかわれた。

観光かんこうきゃくは、エレベーターまたは364だんある階段かいだんでドームにのぼることができ、ブダペストがいを360見渡みわたすことができる。

せいなる右手みぎて

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1083ねん列聖れっせいされたイシュトヴァーン1せい右手みぎてのミイラが、せい遺物いぶつとして保管ほかんされている[3]遺体いたいからうしなわれていた右手みぎてトランシルヴァニア発見はっけんされてから各地かくち転々てんてんとし、1771ねんマリア・テレジアによってブダにもどされたものである。

ギャラリー

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ ここでの「バシリカ」は建築けんちく種別しゅべつとしてではなく、カトリック教会きょうかいにおいて「バシリカ」としての特権とっけん付与ふよされた聖堂せいどうであることしめ語義ごぎである。
  2. ^ 沼野ぬまの 1996, p. 123.
  3. ^ 『ウィーン プラハ・ブダペスト 2016 まっぷるマガジン 海外かいがい昭文社しょうぶんしゃ、2016ねん、105ぺーじISBN 978-4-398-28119-7 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 伊東いとう孝之たかゆき萩原はぎはらただししばむべひろしほかちょ東欧とうおう事典じてん』、平凡社へいぼんしゃISBN 4582126308
  • 沼野ぬまのたかしよし監修かんしゅうちゅうおう ポーランド・チェコ・スロヴァキア・ハンガリー』新潮社しんちょうしゃ世界せかい歴史れきし文化ぶんか〉、1996ねん2がつ20日はつかISBN 4-10-601843-8 

外部がいぶリンク

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