蘭らん癖へき

蘭らん癖へき（らんぺき）は、江戸えど時代じだい、蘭学らんがくに傾注けいちゅうしたり、オランダ式しき（或あるいは西洋せいよう式しき）の習俗しゅうぞくを憧憬どうけい・模倣もほうしたりするような人ひとを指さした呼よび名なである。

蘭らん癖へきの出現しゅつげん

徳川とくがわ吉宗よしむねの享とおる保ほの改革かいかくにより洋書ようしょ輸入ゆにゅうが一部いちぶ解禁かいきんされたことから、江戸えど中期ちゅうき以降いこうに最先端さいせんたんの技術ぎじゅつ知識ちしきとして蘭学らんがく研究けんきゅうが盛さかんになった。同時どうじに学問がくもん的てきな興味きょうみだけではなく、生活せいかつ様式ようしきや風俗ふうぞく・身みなりに至いたるまで、オランダ流りゅう（洋式ようしき）のものを憧憬どうけいし、模倣もほうする者ものが現あらわれるようになり、蘭らん語ご名めいを名乗なのる者ものまで現あらわれた。

但ただし、江戸えど時代じだい中期ちゅうきから後期こうきにかけての史料しりょうにおいては「蘭らん癖へき」という語かたりの使用しよう例れいはいまだ多おおくない。幕末ばくまつ期きに水戸みと藩はん等ひとしの攘夷じょうい派はから「西洋せいようかぶれ」の意いでいわゆる蔑称べっしょうとして用もちいられる例れいが多おおくなり、明治めいじ時代じだい以降いこうに普及ふきゅうした語かたりといえる。すなわち「鎖国さこく」等とうと同様どうように、明治めいじ以降いこうになって普及ふきゅうした後のちに、それ以前いぜんの「蘭らん癖へき」的てき人物じんぶつもこの語かたりで形容けいようされるようになったものであろうと推測すいそくされる。前述ぜんじゅつした通とおり、江戸えど末期まっきにおいては学問がくもんの対象たいしょうとなる国くにはオランダとは限かぎらないが、それも含ふくめて「蘭らん癖へき」と呼よばれた。

オランダ商館しょうかんとの関かかわり

吉雄よしお耕こう牛うし・大槻おおつき玄沢げんたくらは1795年ねん正月しょうがつにオランダ正月しょうがつと呼よばれる太陽暦たいようれきで祝いわう正月しょうがつ行事ぎょうじ等とうの西洋せいよう式しき習俗しゅうぞくを恒例こうれい行事ぎょうじとしてスタートした。

蘭らん癖へきの学者がくしゃや武士ぶしは結託けったくし、オランダ商館しょうかん側がわとともに”自主じしゅ的てき独立どくりつ国家こっかとしてのオランダ”が存在そんざいしない事ことを日本にっぽん国内こくないで隠かくし続つづけた。滅亡めつぼうしていたはずのオランダ国旗こっきをアメリカ船せんに掲かかげさせて入港にゅうこうさせるなど、1815年ねんにネーデルラント連合れんごう王国おうこくが建国けんこくするまでの、オランダ国こくが存在そんざいしない20年ねんほどの期間きかん、他たの日本人にっぽんじんを欺あざむいて日にち蘭らん貿易ぼうえきを偽装ぎそうした（詳くわしくは黒船くろふね来航らいこうを参照さんしょう）。ただしこの間あいだの1808年ねん（文化ぶんか5年ねん）、フェートン号ごう事件じけんが起おきている。

このような蘭らん癖へきの存続そんぞくと拡大かくだいは、日本にっぽん国内こくないの諸しょ藩はんおよび庶民しょみん階級かいきゅうに至いたるまでの技術ぎじゅつ・学術がくじゅつ（蘭方らんぽう医学いがくなど）・文化ぶんか（洋風ようふう画が、秋田あきた蘭らん画が、長崎ながさき派はなど）に各種かくしゅの影響えいきょうを与あたえた。政治せいじ面めんでもたとえばオランダ商館しょうかん長ちょうと最もっとも密接みっせつな関係かんけいにあった薩摩さつま藩はん主あるじ島津しまつ重豪しげひでの政治せいじ的てき画策かくさくを助たすけた。オランダ商館しょうかん長ちょうであったヘンドリック・ドゥーフ著ちょ『日本にっぽん回想かいそう録ろく』によると、娘むすめを将軍しょうぐん徳川とくがわ家斉いえなりの正室せいしつとして嫁とつがせることで幕府ばくふと薩摩さつま藩はんを結合けつごうさせ、諸侯しょこうを服従ふくじゅうさせようというものであったとされる。

身分みぶん・経済けいざい力りょく

蘭書らんしょやオランダの文物ぶんぶつ・珍品ちんぴんは非常ひじょうに高価こうかであり、購入こうにゅうには莫大ばくだいな経済けいざい力りょくが必要ひつようだったため、「蘭らん癖へき」と称しょうされる人物じんぶつには、学者がくしゃよりも大だい商人しょうにんや大名だいみょう、上級じょうきゅう武士ぶしなどが多おおい。特とくに藩主はんしゅの場合ばあいは「蘭らん癖へき大名だいみょう」等とうと呼よばれる。殿様とのさま趣味しゅみの枠わくを超こえて、自みずから蘭学らんがく研究けんきゅうを行おこなったり、学問がくもんの奨励しょうれいなど、文化ぶんか的てきな評価ひょうかは高たかい反面はんめん、島津しまつ重豪しげひでを代表だいひょうとして蘭学らんがく趣味しゅみが高こうじて藩はん財政ざいせいを窮地きゅうちに陥おとしいれるなどの傾向けいこうも見みられる（勿論もちろん例外れいがいもある）。

蘭らん癖へき大名だいみょうの分布ぶんぷとしては、主おもに九州きゅうしゅうの外様とざま大名だいみょうが多おおい。これはオランダに開ひらかれた港みなと・長崎ながさきが近ちかく、蘭書らんしょや輸入ゆにゅう品ひんの入手にゅうしゅが容易よういだったことと無縁むえんではないだろう。その点てん、関東かんとうに所領しょりょうを持もつ譜代ふだい大名だいみょうの堀田ほった正睦まさとしや出羽でわ（秋田あきた県けん）久保田くぼた藩はん主あるじ佐竹さたけ義よし敦あつしなどはかなり例外れいがい的てきである。

このような蘭らん癖へき大名だいみょうの典型てんけい例れいとして知しられる代表だいひょう的てきな人物じんぶつとして、シーボルトと直接ちょくせつ交流こうりゅうのあった長崎ながさき警固けいごを勤つとめた福岡ふくおか藩はん主おもの黒田くろだ斉清なりきよや薩摩さつま藩はん主おも・島津しまつ重豪しげひでが挙あげられる。重豪しげひでの子こである奥平おくだいら昌あきら高だか・黒田くろだ長ちょう溥や、曾孫そうそんの島津しまつ斉彬なりあきらもまた、重豪しげひでの影響えいきょうを受うけたためかそれぞれ蘭らん癖へき大名だいみょうと称しょうされるほどであった。

その後ご

明治維新めいじいしんおよび文明開化ぶんめいかいか以降いこうは、「西洋せいようかぶれ」も珍めずらしい物ものではなくなりむしろ推奨すいしょうされた。よって特殊とくしゅな趣味しゅみ「蘭らん癖へき」と称しょうされることもなくなった。

主おもな蘭らん癖へきの例れい

著名ちょめいな蘭らん癖へき大名だいみょう

• 細川ほそかわ重賢しげかた（熊本くまもと藩はん主おも、1721年ねん - 1785年ねん）
• 島津しまつ重豪しげひで（薩摩さつま藩はん主おも、1745年ねん - 1833年ねん）
• 佐竹さたけ義よし敦あつし（久保田くぼた藩はん主おも、1748年ねん - 1785年ねん、曙山しょざん）
• 朽木くちき昌あきら綱つな（福知山ふくちやま藩はん主おも、1750年ねん - 1802年ねん）
• 松浦まつうら静しず山さん（平戸ひらど藩はん主おも、1760年ねん - 1841年ねん）
• 奥平おくだいら昌あきら高だか（中津なかつ藩はん主おも、1781年ねん - 1855年ねん、島津しまつ重豪しげひでの次男じなん）
• 黒田くろだ斉清なりきよ（福岡ふくおか藩はん主おも、1795年ねん - 1851年ねん）
• 島津しまつ斉彬なりあきら（薩摩さつま藩はん主おも、1809年ねん - 1858年ねん、島津しまつ重豪しげひでの曾孫そうそん）
• 堀田ほった正睦まさとし（老中ろうじゅう・佐倉さくら藩はん主おも、1810年ねん - 1864年ねん）
• 黒田くろだ長ちょう溥（福岡ふくおか藩はん主おも、1811年ねん - 1887年ねん、島津しまつ重豪しげひでの九きゅう男なん、黒田くろだ斉清なりきよの養子ようし）
• 鍋島なべしま直正なおまさ（佐賀さが藩はん主おも、1815年ねん - 1871年ねん）
• 伊達だて宗城むねなり（宇和島うわじま藩はん主おも、1818年ねん - 1892年ねん）

大名だいみょう以外いがい

• 司馬しば江漢こうかん（絵師えし。1747年ねん - 1818年ねん）
• 熊谷くまがい義よし比ひ（4代だい熊谷くまがい五右衛門ごえもん。長州ちょうしゅう藩はん御用ごよう商人しょうにん、1795年ねん - 1860年ねん）
• 山片やまがた重芳しげよし（4代だい升ます屋平やひら右みぎ衛門えもん。大坂おおさか商人しょうにん、仙台せんだい藩はん御用ごよう、山片やまがた蟠わだかま桃ももの主人しゅじん、1764年ねん - 1836年ねん）
• 渡辺わたなべ崋山かざん（三河みかわ田原たはら藩はん家老がろう、1793年ねん - 1841年ねん）
• 三宅みやけ友信とものぶ（三河みかわ田原たはら藩はん主あるじ三宅みやけ康やすし保ほの父ちち、1806年ねん - 1886年ねん）
• 江川えがわ英龍ひでたつ（幕臣ばくしん。伊豆いず韮山にらやま代官だいかん、1801年ねん - 1855年ねん）
• 村田むらた政まさし矩のり（佐賀さが藩はん家老がろう、1812年ねん - 1872年ねん）

参考さんこう文献ぶんけん

• ヴォルフガング・ミヒェル「中津なかつ藩主はんしゅ奥平おくだいら昌あきら高だかと西洋せいよう人じんとの交流こうりゅうについて」第だい5巻かん、中津なかつ市し歴史れきし民俗みんぞく資料しりょう館かん、2006年ねん、hdl:2324/2852。 

関連かんれん項目こうもく

• 蘭学らんがく
• 蘭学らんがく者しゃ
• オランダ正月しょうがつ