(Translated by https://www.hiragana.jp/)
赤岩栄 - Wikipedia コンテンツにスキップ

赤岩あかいわさかえ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
1949ねん共産党きょうさんとう入党にゅうとう宣言せんげんをした日本にっぽん基督教きりすときょうだん牧師ぼくし赤岩あかいわさかえ

赤岩あかいわ さかえ(あかいわ さかえ、1903ねん4がつ6にち - 1966ねん11月28にち)は、日本にっぽん基督教きりすときょうだん牧師ぼくし牧師ぼくしをしながら共産党きょうさんとう入党にゅうとう宣言せんげんをしたことが教団きょうだんないおおきな問題もんだいになった。椎名しいな麟三りんぞう洗礼せんれいさづけた牧師ぼくしとしてもられる[1]

生涯しょうがい人物じんぶつ

[編集へんしゅう]

愛媛えひめけん喜多きたぐん肱川ひじかわむら牧師ぼくしいえまれた。広陵こうりょう中学ちゅうがく中退ちゅうたい神戸こうべ神学校しんがっこう入学にゅうがくする。その大阪おおさか神学しんがくいん転校てんこうしたが、キリストきょう懐疑かいぎいだ中退ちゅうたいする。

さらに、東京とうきょう神学しんがくしゃまな校長こうちょう高倉たかくら徳太郎とくたろう神学しんがく傾倒けいとうし、回心かいしん経験けいけんする。卒業そつぎょう日本基督教会にほんきりすときょうかい佐渡さど伝道でんどうしょ赴任ふにんする。

高倉たかくら要請ようせいで『福音ふくいん現代げんだい』の編集へんしゅうのために上京じょうきょうする。1931ねん昭和しょうわ6ねん中原なかはら伝道でんどうしょひらき、よく1932ねん上原うえはら教会きょうかいげん日本にっぽん基督教きりすときょうだん代々木上原よよぎうえはら教会きょうかい)を設立せつりつする。按手れい終生しゅうせい上原うえはら教会きょうかいまきかいする。

雑誌ざっしげん』・『ゆび』を発行はっこうだい世界せかい大戦たいせんまえカール・バルト傾倒けいとうする。戦後せんごは、戦争せんそうちゅうにキリスト教会きょうかいがとった態度たいどふか反省はんせいし、社会しゃかい実践じっせん必要ひつようかんじるようになった。最初さいしょ日本にっぽん社会党しゃかいとう期待きたいせたが、失望しつぼうして日本にっぽん共産党きょうさんとう傾倒けいとうしていった。

1949ねん昭和しょうわ24ねん)1がつそう選挙せんきょ日本にっぽん共産党きょうさんとう風早かざはやはちじゅう応援おうえんして、理論りろんてきにも実践じっせんてきにもキリスト教きりすときょう共産きょうさん主義しゅぎとが両立りょうりつしうると主張しゅちょう同年どうねん1がつ20日はつか日本にっぽん基督教きりすときょうだん牧師ぼくしのままで共産党きょうさんとう入党にゅうとう宣言せんげんおこな[2]。その結果けっか日本にっぽん基督教きりすときょうだん内外ないがい論議ろんぎこした。これは「赤岩あかいわさかえ問題もんだい」といわれる。教団きょうだん幹部かんぶたちは、キリストきょう共産きょうさん主義しゅぎ両立りょうりつしえないとして、入党にゅうとう断念だんねんするようにはたらきかけた。その結果けっか赤岩あかいわ入党にゅうとうひかえて外部がいぶから共産党きょうさんとう協力きょうりょくすることになった。

こうした赤岩あかいわ行動こうどうたいして、教団きょうだん指導しどうしゃたちは、特別とくべつ委員いいんかいもうけてこの問題もんだい解決かいけつたらせた。教団きょうだんは「信仰しんこうキリスト教きりすときょう実践じっせん共産きょうさん主義しゅぎ」という赤岩あかいわ主張しゅちょう容認ようにんできないという結論けつろんになり、キリスト新聞しんぶんにその声明せいめい発表はっぴょうした。その赤岩あかいわ立場たちば支持しじする勢力せいりょくと、支持しじしない勢力せいりょく分裂ぶんれつした。椎名しいな麟三りんぞう支持しじしないがわまわった。

また、晩年ばんねんにはバルト神学しんがくてて、ルドルフ・ブルトマン神話しんわろん神学しんがく影響えいきょうされて人間にんげんイエス探求たんきゅうし、イエスをみずか実践じっせんする方法ほうほうさぐった。1966ねんに『キリストきょう脱出だっしゅつ』を出版しゅっぱんし、正統せいとうてきキリスト教きりすときょう信仰しんこうはいして、内部ないぶからのするど問題もんだい提起ていきとキリストきょう批判ひはんとをおこなった。

社会しゃかいてき活動かつどうとしては、全国ぜんこく生活せいかつ健康けんこうまもかい連合れんごうかいぜんなまれんだい3だい会長かいちょうなどをつとめた。墓所はかしょ多磨たま霊園れいえん

評価ひょうか

[編集へんしゅう]

著書ちょしょ

[編集へんしゅう]
  • 聖書せいしょけるかみげん上原うえはらエクレシア 上原うえはらパンフレツト 1932ねん
  • かくれてゐましきゅうしん上原うえはらパンフレツト 1933ねん
  • 赤岩あかいわさかえ説教せっきょうしゅう だい1』上原うえはらエクレシア 1934ねん
  • かみげんとしてのイエス・キリスト』上原うえはらパンフレツト 1934ねん
  • 聖霊せいれい上原うえはらパンフレツト 1935ねん
  • 『イエス・キリストの教会きょうかい上原うえはらパンフレツト 1936ねん
  • 『キリストしゃ生活せいかつ長崎ながさき書店しょてん 上原うえはらパンフレツト 1937ねん
  • 微行びこうしゃイエス よん福音ふくいんしょけるキリスト』葡萄ぶどうえだ文庫ぶんこ 長崎ながさき書店しょてん 1937ねん
  • 新約しんやく聖書せいしょようかい だい2かん マルコでん福音ふくいんしょ長崎ながさき書店しょてん 1939ねん
  • 『イエスのたとえ どもかん福音ふくいんしょける』葡萄ぶどうえだ文庫ぶんこ 長崎ながさき書店しょてん 1940ねん
  • ほしみちびく』新教しんきょう出版しゅっぱんしゃ 現代げんだい説教せっきょうせん 1945ねん
  • 永遠えいえんしゃ探求たんきゅう新教しんきょう出版しゅっぱんしゃ 1948ねん
  • 人間にんげんこの逆説ぎゃくせつてきなるもの』沙羅さら書房しょぼう 1948ねん
  • かみさがせねて』弘文こうぶんどう アテネ文庫ぶんこ 1949ねん
  • 『キリストきょう共産きょうさん主義しゅぎさんいち書房しょぼう 1949ねん
  • わたしはイエスを裏切うらぎらない』きたたかしかん 1949ねん
  • わたしはいまもイエスをついふ』角川書店かどかわしょてん 1949ねん
  • 『イエスでん月曜げつよう書房しょぼう 1950ねん
  • あたらしい人間にんげん誕生たんじょう これからのキリストしゃ理論りろんしゃ 1953ねん
  • 『キリストきょう入門にゅうもん文理ぶんり書院しょいん 1955ねん
  • 『キリスト 人間にんげんあいしぬいたひとしょう国民こくみん偉人いじん物語ものがたり文庫ぶんこ 佐藤さとう忠良ただよし 岩崎いわさき書店しょてん 1959ねん
  • 人間にんげんであること ケリュグマと短章たんしょう新教しんきょう出版しゅっぱんしゃ 新教しんきょう新書しんしょ 1959ねん
  • 人間にんげんその回復かいふく理論りろんしゃ 1962ねん
  • 『キリストきょう脱出だっしゅつ理論りろんしゃ 1964ねん
  • 赤岩あかいわさかえ著作ちょさくしゅうぜん9かん別巻べっかんきょうぶんかん 1970ねん - 1972ねん

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 上田うえだただしあきら津田つだ秀夫ひでお永原ながはらけい藤井ふじい松一しょういち藤原ふじわらあきら、『コンサイス日本人にっぽんじんめい辞典じてん だい5はん』、株式会社かぶしきがいしゃ三省堂さんせいどう、2009ねん 9ぺーじ
  2. ^ 世相せそう風俗ふうぞく観察かんさつかい増補ぞうほ新版しんぱん 現代げんだい世相せそう風俗ふうぞく年表ねんぴょう 昭和しょうわ20ねん(1945)-平成へいせい20ねん(2008)』河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2003ねん11月7にち、30ぺーじISBN 9784309225043 
  3. ^ 遠藤えんどう周作しゅうさくわたしにとってかみとは』52-53ページ
  4. ^ 日本にっぽん基督きりすと公会こうかいひゃくねん記念きねんかい』(記録きろく)p.23

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]