板門店 はんもんてん における韓国 かんこく 軍 ぐん 兵士 へいし (右 みぎ 手前 てまえ )と朝鮮 ちょうせん 軍 ぐん 兵士 へいし (左 ひだり 奥 おく )
朝鮮半島 ちょうせんはんとう の軍服 ぐんぷく (ちょうせんはんとうのぐんぷく、군복 )は、李 り 氏 し 朝鮮 ちょうせん 末期 まっき や大韓 たいかん 帝国 ていこく 時代 じだい の軍服 ぐんぷく 、日 にち 韓 かん 併合 へいごう 後 ご を経 へ て日本 にっぽん 敗戦 はいせん 後 ご の独立 どくりつ 後 ご 1948年 ねん の両国 りょうこく 建国 けんこく 以降 いこう 現在 げんざい までの大韓民国 だいかんみんこく 、朝鮮民主主義人民共和国 ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく における軍服 ぐんぷく の特徴 とくちょう と変遷 へんせん を中心 ちゅうしん に述 の べる。
李 り 氏 し 朝鮮 ちょうせん の時代 じだい までは民族 みんぞく 衣装 いしょう に似 に た具 ぐ 軍服 ぐんぷく などが着 き られていたが、李 り 氏 し 朝鮮 ちょうせん 末期 まっき や大韓 たいかん 帝国 ていこく 時代 じだい は軍隊 ぐんたい の西洋 せいよう 化 か ・近代 きんだい 化 か とともに幕末 ばくまつ ・明治 めいじ 日本 にっぽん 軍 ぐん や清朝 せいちょう の西洋 せいよう 式 しき 軍服 ぐんぷく の影響 えいきょう を受 う けた。日本 にっぽん からは軍装 ぐんそう 品 ひん を含 ふく めた軍需 ぐんじゅ 物資 ぶっし の援助 えんじょ を受 う け、日本 にっぽん で一部 いちぶ 生産 せいさん されていた関係 かんけい もあり大韓 たいかん 帝国 ていこく 時代 じだい の軍装 ぐんそう は明治 めいじ の日本 にっぽん 軍 ぐん の軍装 ぐんそう に非常 ひじょう に酷似 こくじ していた。一方 いっぽう でドイツ軍 ぐん 式 しき ヘルメット であるピッケルハウベ や、常 つね 服 ふく に肩章 けんしょう の取 と り外 はず しなど、同 おな じく仏 ふつ 独 どく 折衷 せっちゅう であった日本 にっぽん の軍装 ぐんそう よりその影響 えいきょう を強 つよ めたり、階級 かいきゅう 呼称 こしょう でも当時 とうじ の清国 きよくに 新 しん 軍 ぐん の影響 えいきょう も見 み られる。当時 とうじ の朝鮮半島 ちょうせんはんとう と周辺 しゅうへん 諸国 しょこく の複雑 ふくざつ な関係 かんけい を反映 はんえい したような軍装 ぐんそう であった。
日 にち 韓 かん 併合 へいごう 後 ご 、大韓 たいかん 帝国 ていこく 軍 ぐん は解体 かいたい され一部 いちぶ 部隊 ぶたい は日本 にっぽん 軍 ぐん に吸収 きゅうしゅう されるにしたがって朝鮮 ちょうせん 半島 はんとう としての軍装 ぐんそう も消滅 しょうめつ したが、抗日 こうにち 独立 どくりつ 組織 そしき の光 ひかり 復 ふく 軍 ぐん や独立 どくりつ 軍 ぐん 、朝鮮 ちょうせん 決死 けっし 隊 たい 、また朝鮮民主主義人民共和国 ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく の歴史 れきし 上 じょう では朝鮮 ちょうせん 人民 じんみん 革命 かくめい 軍 ぐん (実態 じったい は中国 ちゅうごく で活動 かつどう した東北 とうほく 抗日 こうにち 聯 れん 軍 ぐん の朝鮮 ちょうせん 人 じん 部隊 ぶたい の一部 いちぶ 、その後 ご のソ連 それん 極東 きょくとう 軍 ぐん 第 だい 88特殊 とくしゅ 旅団 りょだん 。)において独自 どくじ の軍装 ぐんそう が作 つく られ、ゲリラ軍 ぐん 兵士 へいし などが着 き ていたとされているが詳細 しょうさい は不明 ふめい である。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご の東西 とうざい 冷戦 れいせん の最前線 さいぜんせん である分断 ぶんだん 国家 こっか として出発 しゅっぱつ したという事情 じじょう から、朝鮮半島 ちょうせんはんとう の2つの国 くに の軍服 ぐんぷく は、大韓民国 だいかんみんこく (韓国 かんこく 軍 ぐん )においては西側 にしがわ 諸国 しょこく とりわけアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 、朝鮮民主主義人民共和国 ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく (朝鮮人民軍 ちょうせんじんみんぐん )においてはソビエト連邦 れんぽう 、中国 ちゅうごく の軍服 ぐんぷく の強 つよ い影響 えいきょう を受 う けた。さらに、たとえば同様 どうよう に分断 ぶんだん 国家 こっか であった東西 とうざい ドイツの軍服 ぐんぷく と比較 ひかく すると、大韓 たいかん 帝国 ていこく 時代 じだい の軍装 ぐんそう は殆 ほとん ど両者 りょうしゃ に受 う け継 つ がれず南北 なんぼく 分断 ぶんだん 以前 いぜん に日 にち 韓 かん 併合 へいごう によって非 ひ 独立 どくりつ 国 こく であった(大韓 たいかん 帝国 ていこく 時代 じだい にようやく出来 でき 始 はじ めた近代 きんだい 軍服 ぐんぷく の伝統 でんとう も消滅 しょうめつ した)ことも手伝 てつだ い、南北 なんぼく 両国 りょうこく を通 つう じて共通 きょうつう する意匠 いしょう (帽章 ぼうしょう 、襟章 えりしょう 等 とう )もほとんど存在 そんざい せず同 どう 一 いち 民族 みんぞく が全 まった く系統 けいとう の異 こと なる軍服 ぐんぷく を着用 ちゃくよう し、それが軍服 ぐんぷく に対 たい する東西 とうざい 両 りょう 陣営 じんえい の発想 はっそう の違 ちが いを端的 たんてき に示 しめ す形 かたち となった。
ただし、背嚢 はいのう などの一部 いちぶ の装備 そうび 品 ひん にはかつての旧 きゅう 日本 にっぽん 軍 ぐん の影響 えいきょう が両者 りょうしゃ ともに残 のこ っている。
李 り 氏 し 朝鮮 ちょうせん の軍服 ぐんぷく [ 編集 へんしゅう ]
別 べつ 技 わざ 軍 ぐん は「具 ぐ 軍服 ぐんぷく 」と呼 よ ばれる白 しろ い韓 かん 服 ふく の上 うえ からボタン付 つ きの緑 みどり の馬 うま 褂子を着用 ちゃくよう した半 はん 洋風 ようふう 軍服 ぐんぷく を着用 ちゃくよう していた。帽章 ぼうしょう はカッ を被 こうむ る。
1895年 ねん になると、西洋 せいよう 式 しき 教練 きょうれん を行 おこな う訓練 くんれん 隊 たい 向 む けに高 こう 宗 むね 32年 ねん (1895)4月 がつ 8日 にち 、勅 みことのり 令 れい 第 だい 78号 ごう <陸軍 りくぐん 服裝 ふくそう 規則 きそく >が制定 せいてい [1] 。明治 めいじ 初期 しょき の御 ご 親 おや 兵 へい のような黒 くろ いシングルブレストの詰襟 つめえり にピッケルハウベ、あるいはカッを被 こうむ っていた。
続 つづ いて同年 どうねん 9月 がつ 5日 にち の勅 みことのり 令 れい 165号 ごう によって勅 みことのり 令 れい 第 だい 78号 ごう の全 ぜん 軍 ぐん 適用 てきよう による洋装 ようそう 化 か が通達 つうたつ され[2] 、具 ぐ 軍服 ぐんぷく は廃 はい された。
大韓 たいかん 帝国 ていこく の軍服 ぐんぷく [ 編集 へんしゅう ]
1897年 ねん の大韓 たいかん 帝国 ていこく への改号 かいごう に当 あ たり、軍装 ぐんそう も各種 かくしゅ バリエーションが制定 せいてい された。明治 めいじ 19年 ねん 制式 せいしき とよく似 に ているが、大韓 たいかん 皇室 こうしつ の家紋 かもん である李 り 花 はな が随所 ずいしょ に盛 も り込 こ まれている。
韓国 かんこく 皇帝 こうてい の御 ご 服 ふく [ 編集 へんしゅう ]
皇帝 こうてい は1898年 ねん ごろより御用 ごよう 戎 えびす 服 ふく を着用 ちゃくよう していたが、1899年 ねん 元帥 げんすい 府 ふ 創設 そうせつ を機 き に大元帥 だいげんすい 服装 ふくそう 規定 きてい が制定 せいてい される。1895年 ねん 制式 せいしき 風 ふう の御 ご 常 つね 服装 ふくそう と、1897年 ねん 制式 せいしき 風 ふう の肋骨 あばらぼね 服 ふく 型 がた の御礼 おれい 服装 ふくそう から構成 こうせい された。
1907年 ねん 、ハーグ密使 みっし 事件 じけん を機 き に大元帥 だいげんすい と元帥 げんすい の階級 かいきゅう は廃止 はいし され、高 こう 宗 はじめ は1900年 ねん 制式 せいしき 礼服 れいふく の袖 そで に草花 くさばな 模様 もよう の刺繍 ししゅう の入 はい った太 ふとし 上皇 じょうこう 大 だい 礼服 れいふく 、純 じゅん 宗 むね は1900年 ねん 制式 せいしき 礼服 れいふく と同一 どういつ となる[3] 。
御 ご 常 つね 服装 ふくそう 着用 ちゃくよう の高 こう 宗 むね (1904年 ねん )
退位 たいい 後 ご のため、太 ふとし 上皇 じょうこう 大 だい 礼服 れいふく 着用 ちゃくよう の高 こう 宗 はじめ
純 じゅん 宗 むね (1909年 ねん ごろ)。大元帥 だいげんすい 廃止 はいし 後 ご の為 ため 、階級 かいきゅう は陸軍 りくぐん 大将 たいしょう (袖章 そでしょう 九 きゅう 本線 ほんせん )
1897年 ねん 制定 せいてい 。両側 りょうがわ の付 つ け根 ね が李 り 花 はな の意匠 いしょう となった5列 れつ の肋骨 あばらぼね 服 ふく で、エポレット式 しき 肩章 けんしょう とケピ帽 ぼう を着用 ちゃくよう 。襟 えり には階級 かいきゅう に応 おう じて李 り 花 はな が入 はい る。尉官 いかん で左右 さゆう 一 いち 個 こ ずつ(日本 にっぽん のように平織 ひらおり 金線 きんせん は入 はい らない)、領 りょう 官 かん で襟 えり 外側 そとがわ 金線 きんせん が足 た され、花 はな は左右 さゆう 二 に 個 こ ずつ、将官 しょうかん では日本 にっぽん の佐官 さかん に似 に た電 でん 紋 もん が入 はい り、花 はな は左右 さゆう 三 さん 個 こ ずつとなっている。袖章 そでしょう は人 ひと 字 じ 型 がた の細線 さいせん の頂点 ちょうてん を李 り 花 はな の形 かたち に結 むす んでおり、階級 かいきゅう は太線 ふとせん の上 うえ に連 つら なる細線 さいせん の数 かず で示 しめ す。
1900年 ねん 以降 いこう 、明治 めいじ 19年 ねん 制式 せいしき のようなフロックコート型 がた となる。階級 かいきゅう の配列 はいれつ は変 か わらないが、袖章 そでしょう の細線 さいせん の下 した に太線 ふとせん が入 はい るようになる。騎兵 きへい 科 か は上衣 うわぎ が赤 あか である。
1897年 ねん 以降 いこう 、明治 めいじ 19年 ねん 制式 せいしき の影響 えいきょう を受 う けた軍装 ぐんそう となり、帽子 ぼうし も金属 きんぞく 帽章 ぼうしょう の付 つ いたケピ帽 ぼう となる。将校 しょうこう は兵 へい 下士官 かしかん 同様 どうよう にショルダーストラップ式 しき の肩章 けんしょう が付 つ くようになっている。袖章 そでしょう の黒 くろ 線 せん の配列 はいれつ は礼服 れいふく と同 おな じだが、この時点 じてん では礼服 れいふく にまだ入 はい っていなかった太線 ふとせん が細線 さいせん の下 した に入 はい る。兵士 へいし は明治 めいじ 8年 ねん 制式 せいしき 略服 りゃくふく の影響 えいきょう を受 う けた、あるいは日本 にっぽん 軍 ぐん から余剰 よじょう 品 ひん を購入 こうにゅう したホック式 しき の軍 ぐん 衣 ころも の着用 ちゃくよう も見受 みう けられる。やがて世界 せかい 的 てき 風潮 ふうちょう に則 のっと り、1906年 ねん 5月 がつ 22日 にち に勅 みことのり 令 れい 第 だい 24号 ごう による陸軍 りくぐん 服裝 ふくそう 規則 きそく を以 もっ て[4] 明治 めいじ 38年 ねん 制式 せいしき 風 ふう の帽子 ぼうし と軍服 ぐんぷく に明治 めいじ 37年 ねん 戦時 せんじ 服 ふく のような袖章 そでしょう を付 つ けた新型 しんがた 軍服 ぐんぷく を採用 さいよう したが、大韓 たいかん 帝国 ていこく 軍 ぐん は解体 かいたい されてしまったため短命 たんめい に終 お わった。
1897年 ねん 制式 せいしき の将兵 しょうへい ら。中央 ちゅうおう の将校 しょうこう 2名 めい は肋骨 あばらぼね 服 ふく に階級 かいきゅう 章 しょう が付 つ いているのが分 わ かる。
前 ぜん 立 だて 、布 ぬの 脚絆 きゃはん を付 つ けた兵士 へいし (1904年 ねん ごろ)
兵卒 へいそつ 。ホック式 しき のものとボタン式 しき のものが混在 こんざい している。1898年 ねん
併合 へいごう 直前 ちょくぜん の独立 どくりつ 派 は ゲリラ。右 みぎ 4番目 ばんめ の人物 じんぶつ は元 もと 大韓 たいかん 帝国 ていこく 軍人 ぐんじん と思 おも われ、軍 ぐん の外套 がいとう を着用 ちゃくよう している。(1907年 ねん )
1906年 ねん 制式 せいしき 常 つね 服 ふく を着用 ちゃくよう した李 り 垠
日本 にっぽん 統治 とうち 時代 じだい の抗日 こうにち 組織 そしき などの軍服 ぐんぷく [ 編集 へんしゅう ]
朝鮮 ちょうせん 系 けい 抗日 こうにち 組織 そしき の多 おお くは、国内 こくない での活動 かつどう がままならず大陸 たいりく を軍事 ぐんじ 拠点 きょてん とした。従 したが って、軍服 ぐんぷく もその拠点 きょてん とした地域 ちいき における援助 えんじょ 組織 そしき の影響 えいきょう を色濃 いろこ く受 う けている。例 たと えば、初期 しょき の東北 とうほく 部 ぶ を拠点 きょてん とした独立 どくりつ 軍 ぐん 諸派 しょは は中国 ちゅうごく 北洋 ほくよう 陸軍 りくぐん 風 ふう 、あるいはソ連 それん 赤軍 せきぐん 風 ふう の軍服 ぐんぷく を着用 ちゃくよう しているケースが多 おお く見受 みう けられる。
中国 ちゅうごく 国民 こくみん 革命 かくめい 軍 ぐん の訓練 くんれん を受 う けた朝鮮 ちょうせん 義勇 ぎゆう 隊 たい は、略 りゃく 帽 ぼう や軍 ぐん 衣 ころも は国民 こくみん 革命 かくめい 軍 ぐん の民 みん 国 こく 18年 ねん 制式 せいしき や民 みん 国 こく 24年 ねん 制式 せいしき を供与 きょうよ された。
韓国 かんこく 光 こう 復 ふく 軍 ぐん の軍装 ぐんそう は、朝鮮 ちょうせん 義勇 ぎゆう 隊 たい と同様 どうよう に国民 こくみん 革命 かくめい 軍 ぐん と同 おな じ軍装 ぐんそう であったが、略 りゃく 帽 ぼう は青天白日 せいてんはくじつ 章 しょう の代 か わりに太極 たいきょく 章 しょう を付 つ けていた。この帽章 ぼうしょう は1943年 ねん 、五 ご 芒 すすき 星 ぼし を太極 たいきょく 章 あきら と葉 は で囲 かこ んだ図式 ずしき へと変更 へんこう される。大戦 たいせん 末期 まっき になると、米 べい 軍 ぐん 装備 そうび が中国 ちゅうごく 軍 ぐん に普及 ふきゅう されたことを受 う け、M41ジャケット (英語 えいご 版 ばん ) やアイクジャケット 、ジャックブーツなどを使用 しよう するケースも見受 みう けられる。1945年 ねん 2月 がつ [5] になると、光 ひかり 復 ふく 軍 ぐん は独自 どくじ の制服 せいふく を有 ゆう した。この制服 せいふく は折襟 おりえり で、胸 むね 2点 てん はプリーツ入 い り丸 まる 型 がた の貼 は りポケット、腰 こし 2点 てん はフラップとなっている。左 ひだり 胸 むね に部隊 ぶたい 章 しょう を付 つ ける、左 ひだり 胸 むね ポケットに万年筆 まんねんひつ 用 よう の穴 あな があるなど国民 こくみん 革命 かくめい 軍 ぐん の影響 えいきょう も残 のこ る。米 べい 軍 ぐん 式 しき の制帽 せいぼう を使用 しよう 、略 りゃく 帽 ぼう は日本 にっぽん 軍 ぐん 風 ふう の顎 あご 紐 ひも の付 つ いた戦闘 せんとう 帽 ぼう や日本 にっぽん の国民 こくみん 服用 ふくよう の様 よう な耳 みみ 当 あ ての付 つ いた戦闘帽 せんとうぼう 、米 べい 軍 ぐん 式 しき ギャリソンキャップを使用 しよう するようになる。兵科 へいか 章 あきら は襟 えり に着 つ け、階級 かいきゅう 章 あきら は軍 ぐん 官 かん は肩 かた 、下士 かし 卒 そつ は袖 そで に付 つ ける。階級 かいきゅう 呼称 こしょう は大韓 たいかん 帝国 ていこく 時代 じだい を強 つよ く意識 いしき したものとなっている。制定 せいてい からわずか半年 はんとし で終戦 しゅうせん となった事 こと で調達 ちょうたつ が間 ま に合 あ わなかった、あるいは調達 ちょうたつ はされどそれを着用 ちゃくよう して記念 きねん 写真 しゃしん を撮 と る余裕 よゆう がなかったためか、この制服 せいふく を一式 いっしき 着用 ちゃくよう している例 れい は上級 じょうきゅう 指揮 しき 官 かん 以外 いがい 少 すく なく、多 おお くは米 べい 軍 ぐん の軍装 ぐんそう との混用 こんよう や、日本 にっぽん 軍 ぐん や開拓 かいたく 団 だん から鹵獲 ろかく した被服 ひふく を改造 かいぞう した事 こと もあった。
一方 いっぽう 、東北 とうほく 抗日 こうにち 聯 れん 軍 ぐん などの共産党 きょうさんとう 系 けい 抗日 こうにち パルチザン は帝国 ていこく 陸軍 りくぐん の軍装 ぐんそう ないし開拓 かいたく 団 だん の協和 きょうわ 服 ふく を鹵獲 ろかく した、あるいはその影響 えいきょう を強 つよ く受 う けたと思 おも われる制服 せいふく を着用 ちゃくよう しており、98式 しき 軍 ぐん 衣 ころも を彷彿 ほうふつ とさせる折襟 おりえり の軍 ぐん 衣 ころも にサムブラウンベルト、赤 あか い星 ほし の付 つ いた戦闘 せんとう 帽 ぼう といった出 い で立 た ちであった。しかし、こうした姿 すがた はプロパガンダ上 じょう 好 この ましくないと判断 はんだん されたのか、現在 げんざい の抗日 こうにち パルチザンを取 と り扱 あつか った各種 かくしゅ 宣伝 せんでん 芸術 げいじゅつ では、戦闘 せんとう 帽 ぼう ではなく紅 べに 軍 ぐん のようなハンチング帽 ぼう に変 か えられている。女性 じょせい 兵士 へいし はソ連 それん 式 しき のクラッシュキャップ、プリーツスカートであった。
金 きむ 佐 たすく 鎮および
北 きた 路 ろ 軍政 ぐんせい 署 しょ 隊員 たいいん 。
北洋 ほくよう 陸軍 りくぐん 風 ふう の
襟章 えりしょう や
肩章 けんしょう が
見受 みう けられる(1920
年 ねん 10
月 がつ )
韓国 かんこく 光 こう 復 ふく 軍 ぐん 将兵 しょうへい 。国民 こくみん 革命 かくめい 軍 ぐん と同一 どういつ の軍装 ぐんそう を着用 ちゃくよう しているが帽章 ぼうしょう は異 こと なる(1940年 ねん 9月 がつ 、重慶 たーちん )
韓国 かんこく 光 こう 復 ふく 戦線 せんせん 青年 せいねん 工作 こうさく 隊 たい 。国民 こくみん 革命 かくめい 軍 ぐん と同一 どういつ の軍装 ぐんそう もあれば中山 なかやま 装 そう もある(1939年 ねん 、柳 やなぎ 州 しゅう )
1945
年 ねん 制定 せいてい の
光 ひかり 復 ふく 軍 ぐん 制服 せいふく を
着用 ちゃくよう した
池 いけ 青天 せいてん 総 そう 司令 しれい (
中央 ちゅうおう )、
金 きむ 学 まなぶ 奎(
右 みぎ )
光 ひかり 復 ふく 軍 ぐん 兵士 へいし 。
米 べい 軍 ぐん 風 ふう の
野戦 やせん 服 ふく を
着用 ちゃくよう している。
魯能瑞 みず (朝鮮 ちょうせん 語 ご 版 ばん ) 、
金 きむ 俊 しゅん 燁(朝鮮 ちょうせん 語 ご 版 ばん ) 、
張 ちょう 俊 しゅん 河 かわ (1945
年 ねん 8
月 がつ )
光 ひかり 復 ふく 軍 ぐん 指揮 しき 官 かん 。
日本 にっぽん 軍 ぐん の
戦闘帽 せんとうぼう 風 ふう の
帽子 ぼうし を
被 こうむ っている。
李 り 範 はん 奭
光 ひかり 復 ふく 軍 ぐん 第 だい 2支隊 したい 隊員 たいいん 。(1940年 ねん )
光 ひかり 復 ふく 軍 ぐん 兵士 へいし 。制服 せいふく を開襟 かいきん にして着用 ちゃくよう し、米 べい 軍 ぐん 風 ふう のギャリソンキャップを被 こうむ っている(1946年 ねん )
東北 とうほく 抗日 こうにち 聯 れん 軍 ぐん の
男女 だんじょ 軍装 ぐんそう 。
金 きむ 日成 いるそん 、
金正淑 きんせいしゅく
モザイク画 が に描 えが かれた東北 とうほく 抗日 こうにち 聯 れん 軍 ぐん 。比較的 ひかくてき 実際 じっさい のものに近 ちか い女性 じょせい 兵士 へいし と比 くら べ、男性 だんせい 兵士 へいし は紅 べに 軍 ぐん のようなハンチング帽 ぼう に変 か えられているのが分 わ かる
大韓民国 だいかんみんこく の軍服 ぐんぷく [ 編集 へんしゅう ]
大韓民国 だいかんみんこく 国軍 こくぐん 創設 そうせつ 前 まえ の前身 ぜんしん 組織 そしき である南朝鮮 みなみちょうせん 国防 こくぼう 警備 けいび 隊 たい では、当時 とうじ 朝鮮半島 ちょうせんはんとう に多 おお く残 のこ された旧 きゅう 日本 にっぽん 軍 ぐん の余剰 よじょう 軍装 ぐんそう 品 ひん を多量 たりょう に使用 しよう した一方 いっぽう で、米 べい 軍 ぐん 式 しき の制服 せいふく やアイクジャケット を導入 どうにゅう し、軍装 ぐんそう 面 めん からは徐々 じょじょ に日本 にっぽん 軍 ぐん 的 てき な要素 ようそ は排除 はいじょ されていった。(しかし当時 とうじ の指揮 しき 官 かん の中 なか には自身 じしん が日本 にっぽん 軍 ぐん の将校 しょうこう であった時代 じだい に使 つか っていた軍刀 ぐんとう を米 べい 軍 ぐん 式 しき 制服 せいふく に組 く み合 あ わせる者 もの も多 おお かった)。これは後 のち に日本 にっぽん で創設 そうせつ される自衛隊 じえいたい の前身 ぜんしん 組織 そしき 、警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい の当時 とうじ の制服 せいふく の状況 じょうきょう と非常 ひじょう に似 に た過渡 かと 期 き 軍装 ぐんそう であった。この時期 じき に階級 かいきゅう 章 しょう や階級 かいきゅう 制度 せいど などが制定 せいてい 、整備 せいび され後 のち の大韓民国 だいかんみんこく 軍 ぐん 軍装 ぐんそう の基盤 きばん を作 つく り上 あ げていった。
1946年 ねん 1月 がつ 15日 にち に帽章 ぼうしょう が制定 せいてい された。将校 しょうこう は刺繍 ししゅう 製 せい 、下士 かし 卒 そつ は金属 きんぞく 製 せい で、ムクゲの花 はな を葉 は で囲 かこ むデザインである。このムクゲの花 はな の中 なか には4月 がつ に太極 たいきょく 章 しょう が追加 ついか された。また、同月 どうげつ に米 べい 軍 ぐん 政庁 せいちょう 軍務 ぐんむ 局 きょく のハリー・ビショップ(Harry D. Bishop)中佐 ちゅうさ [6] の考案 こうあん により金属 きんぞく 階級 かいきゅう 章 あきら も制定 せいてい された[7] 。将校 しょうこう は縦長 たてなが の長方形 ちょうほうけい の中 なか に佐官 さかん は太極 たいきょく 章 あきら 、尉官 いかん は横長 よこなが の長方形 ちょうほうけい で階級 かいきゅう を示 しめ した。
大韓民国 だいかんみんこく 陸軍 りくぐん の軍服 ぐんぷく [ 編集 へんしゅう ]
行事 ぎょうじ 服 ふく を着用 ちゃくよう する三軍 さんぐん 儀仗 ぎじょう 兵 へい (2013年 ねん 10月 がつ 1日 にち )
朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう までは米 べい 軍 ぐん の第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 時 どき 軍装 ぐんそう 、60年代 ねんだい ~80年代 ねんだい まではベトナム戦争 せんそう 時 どき 軍装 ぐんそう を基本 きほん とし、90年代 ねんだい 以降 いこう は迷彩 めいさい 服 ふく やボディアーマー の普及 ふきゅう と、西側 にしがわ 諸国 しょこく の世界 せかい 的 てき な流 なが れにおおむね沿 そ った変遷 へんせん である。朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう 前後 ぜんこう まで引 ひ き続 つづ き強 つよ く残 のこ っていた旧 きゅう 日本 にっぽん 軍 ぐん の影響 えいきょう も、1960年代 ねんだい にはほぼ米 べい 軍 ぐん 式 しき となった。今 いま なお残 のこ る旧 きゅう 日本 にっぽん 軍 ぐん の影響 えいきょう として、陸 りく 大 だい 卒業 そつぎょう 徽章 きしょう や指揮 しき 官 かん 章 あきら などが挙 あ げられる他 ほか 、戦闘 せんとう 服 ふく のポケットの雨 あめ 蓋 ぶた に階級 かいきゅう 章 しょう を取 と り付 つ ける点 てん もその名残 なごり ではないかと指摘 してき されている[8] 。また、近年 きんねん まで背嚢 はいのう には通称 つうしょう 「蛸 だこ 足 あし 」と呼 よ ばれる天幕 てんまく や飯 はん ごうを取 と り付 つ ける紐 ひも がついていた。
特 とく 戦 せん 団 だん などの特殊 とくしゅ 部隊 ぶたい や郷土 きょうど 予備 よび 軍 ぐん では1960年代 ねんだい 、70年代 ねんだい からダックハント迷彩 めいさい などが使用 しよう されていたが、一般 いっぱん 部隊 ぶたい では1980年代 ねんだい まで基本 きほん はOD色 しょく の戦闘 せんとう 服 ふく だった。1990年代 ねんだい から全 ぜん 軍 ぐん 統一 とういつ で米 べい 軍 ぐん のウッドランド迷彩 めいさい を元 もと にした斑点 はんてん 迷彩 めいさい が登場 とうじょう し、近年 きんねん はACU迷彩 めいさい をヒントにした新型 しんがた 迷彩 めいさい を導入 どうにゅう している。
装備 そうび 品 ひん は実質 じっしつ 米 まい 軍 ぐん の第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 装備 そうび のM1936装備 そうび やベトナム戦争 せんそう 装備 そうび のM1956装備 そうび を基礎 きそ にしているが、上記 じょうき の背嚢 はいのう など、細 こま かな個所 かしょ はやはり独自 どくじ 的 てき に形 かたち や形式 けいしき 、材質 ざいしつ を変 か えられたものが多 おお い。
ヘルメット はアメリカ製 せい M1ヘルメット を経 へ て、1970年代 ねんだい には形状 けいじょう を踏襲 とうしゅう した国産 こくさん の防弾 ぼうだん ヘルメット が採用 さいよう され、2004年 ねん からアメリカ製 せい PASGT ヘルメットを参考 さんこう に開発 かいはつ された新型 しんがた 防弾 ぼうだん ヘルメット(KH-B2000 (英語 えいご 版 ばん ) )への更新 こうしん が始 はじ まった。
正 せい 服 ふく ・勤務 きんむ 服 ふく ・礼服 れいふく [ 編集 へんしゅう ]
正 せい 帽 ぼう の帽章 ぼうしょう
韓国 かんこく 軍 ぐん では制服 せいふく に相当 そうとう するものを正 せい 服 ふく (정복)と呼称 こしょう する。四季 しき のはっきりした温帯 おんたい に属 ぞく する韓国 かんこく では夏 なつ 正 ただし 服 ふく と冬 ふゆ 正 せい 服 ふく の2種類 しゅるい が存在 そんざい する。冬 ふゆ 正 せい 服 ふく は国防 こくぼう 警備 けいび 隊 たい の頃 ころ から継承 けいしょう され1960年代 ねんだい までは茶色 ちゃいろ であったが、70年代 ねんだい 以降 いこう ダークグリーンとなった。夏 なつ 正 ただし 服 ふく は米 べい 軍 ぐん のトロピカルドレスの影響 えいきょう を受 う けた明 あか るいカーキ色 しょく であったが、1980年 ねん 1月 がつ 9日 にち 以降 いこう 、冬 ふゆ 正 せい 服 ふく と同色 どうしょく となっている[9] 。下士 かし 卒 そつ 用 よう も意匠 いしょう は同 おな じだが、憲兵 けんぺい 、軍楽隊 ぐんがくたい 、儀仗 ぎじょう 隊 たい を除 のぞ き徴兵 ちょうへい された兵士 へいし には支給 しきゅう されない。1967年 ねん に将校 しょうこう との区別 くべつ 化 か のため折 お り襟 えり となった事 こと があったが、71年 ねん に再 ふたた び開襟 かいきん に戻 もど された。
兵科 へいか 章 あきら は襟 えり の下部 かぶ 両側 りょうがわ に付 つ ける。将校 しょうこう は米 べい 軍 ぐん の「US」に倣 なら い「대한」(大韓 たいかん )の徽章 きしょう を襟 えり 上部 じょうぶ に付 つ けていたが、朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう 以降 いこう は見 み られなくなった。
士官 しかん は袖 そで に黒 くろ のパイピングが入 はい り、尉官 いかん は3cm、佐官 さかん は4cm、将官 しょうかん は5cmとなる。副 ふく 士官 しかん は精勤 せいきん 章 しょう を付 つ ける。米 べい 軍 ぐん の影響 えいきょう で2017年 ねん 改定 かいてい により礼服 れいふく と統合 とうごう されることになり、礼服 れいふく と同一 どういつ の袖章 そでしょう が追加 ついか される事 こと となった。
正 せい 帽 ぼう (정모)には1962年 ねん 夏 なつ ごろより顎 あご 紐 ひも と庇 ひさし 部分 ぶぶん に金色 きんいろ の装飾 そうしょく があしらわれるようになる。庇 ひさし の装飾 そうしょく は、将官 しょうかん はムクゲの花 はな 2輪 りん 、佐官 さかん はつぼみ8個 こ 、葉 は 20枚 まい 、つぼみ6個 こ 、葉 は 14枚 まい である。尉官 いかん はなし。将官 しょうかん は1975年 ねん 以降 いこう 腰 こし 回 まわ りにも装飾 そうしょく が追加 ついか され、1979年 ねん にいったん廃止 はいし されたが1980年 ねん 1月 がつ 9日 にち の改定 かいてい で復活 ふっかつ した。またこの時 とき に装飾 そうしょく が金属 きんぞく 製 せい となり、顎 あご 紐 ひも が金色 きんいろ となった[10] 。
女性 じょせい 正 せい 服 ふく は1959年 ねん に制定 せいてい され、当時 とうじ の正 せい 帽 ぼう はギャリソンキャップであったが、1963年 ねん 以降 いこう ハイバック型 がた となった[11] 。
礼服 れいふく (예복)は、夏季 かき は白 しろ 、冬季 とうき は黒 くろ となっておりエポレットに似 に た先 さき の丸 まる い形状 けいじょう の肩章 けんしょう を付 つ ける。基本 きほん 的 てき に将官 しょうかん や駐在 ちゅうざい 武官 ぶかん にしか支給 しきゅう されない。1961年 ねん 7月 がつ 1日 にち の「国防 こくぼう 第 だい 4672号 ごう 」制定 せいてい ではショルダーノッチ型 がた であったが、1963年 ねん 3月 がつ 18日 にち よりショルダーボード型 がた に変更 へんこう 。その後 ご 、1967年 ねん 1月 がつ 9日 にち 「大統領 だいとうりょう 令 れい 第 だい 2869号 ごう 」改訂 かいてい 、1971年 ねん 2月 がつ 25日 にち 「大統領 だいとうりょう 令 れい 第 だい 5538号 ごう 」、1975年 ねん 9月 がつ 30日 にち 「大統領 だいとうりょう 令 れい 第 だい 7837号 ごう 」を経 へ て徐々 じょじょ に丸 まる みを帯 お びるようになり、1980年 ねん 1月 がつ 9日 にち 「大統領 だいとうりょう 令 れい 第 だい 9713号 ごう 」で現在 げんざい の形 かたち となった。
儀仗 ぎじょう 兵 へい や軍楽 ぐんがく 兵 へい の礼服 れいふく に相当 そうとう するものとして行事 ぎょうじ 服 ふく (행사복)がある。ともに詰襟 つめえり だが、儀仗 ぎじょう 兵 へい は上衣 うわぎ が灰色 はいいろ 、軍楽 ぐんがく 兵 へい は赤 あか となる。軍楽 ぐんがく 兵 へい は第 だい 5共和 きょうわ 国 こく 時代 じだい には折襟 おりえり もあった[14] 。礼砲 れいほう 兵 へい は軍楽 ぐんがく 兵 へい と同様 どうよう だが帽子 ぼうし とズボンが黒 くろ 。
初期 しょき の制服 せいふく 。米 べい 軍 ぐん と同 おな じシャツやアイクジャケットなども混在 こんざい している。
初期 しょき の
制服 せいふく (
李 り 亨 とおる 根 ね 、1951
年 ねん 11月)
夏 なつ 正 ただし 服 ふく (朴 ぼく 正煕 せいき 、1963年 ねん 8月 がつ )
旧 きゅう 正 せい 服 ふく (
尹 いん 誠 まこと 敏 さとし (朝鮮 ちょうせん 語 ご 版 ばん ) 大将 たいしょう 、1982
年 ねん 5
月 がつ )
陸軍 りくぐん 大将 たいしょう (
金 きむ 泰 やすし 栄 さかえ )。
陸軍 りくぐん 大将 たいしょう 。
右側 みぎがわ の
将官 しょうかん (
李 り 哲 あきら 徽
大将 たいしょう )は
袖 そで に
第 だい 2軍 ぐん のパッチをつけ、また
肩 かた には
指揮 しき 官 かん であることを
示 しめ す
緑 みどり のラベル、
胸 むね には
将官 しょうかん 指揮 しき 官 かん 徽章 きしょう を
佩用 はいよう (2009
年 ねん )
女性 じょせい 用 よう 正 せい 服 ふく (2014年 ねん 3月 がつ )
改定 かいてい 後 ご の陸軍 りくぐん 統合 とうごう 正 ただし .礼服 れいふく (2017年 ねん 6月 がつ )正 せい 服 ふく 形 がた 。
統合 とうごう 正 ただし .
礼服 れいふく の
大将 たいしょう (
金 きむ 勇 いさむ 佑 たすく 陸軍 りくぐん 参謀 さんぼう 総長 そうちょう 、2017
年 ねん 9
月 がつ )
礼服 れいふく 形 がた 。 まだ
礼服 れいふく 用 よう ワイン
色 しょく のネクタイは
普及 ふきゅう されていなかった。
冬 ふゆ 礼服 れいふく の大将 たいしょう (金 きむ 曜煥、2014年 ねん 10月 がつ 1日 にち )
夏 なつ 礼服 れいふく の将官 しょうかん (2012年 ねん 9月 がつ )
礼装 れいそう の陸 りく ・海 うみ ・空 そら ・海兵 かいへい 隊 たい 軍人 ぐんじん ら
行事 ぎょうじ 服 ふく の軍楽隊 ぐんがくたい (2013年 ねん 10月 がつ 1日 にち )
行事 ぎょうじ 服 ふく の儀仗 ぎじょう 兵 へい (2013年 ねん 10月 がつ 1日 にち )
1946年 ねん 以降 いこう 、朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう 全期 ぜんき に渡 わた り「米国 べいこく 軍事 ぐんじ 援助 えんじょ 作業 さぎょう 服 ふく 」と呼 よ ばれる米 べい 軍 ぐん のHBTジャケット戦闘 せんとう 服 ふく を着用 ちゃくよう していた[15] 。韓国 かんこく 軍 ぐん の戦闘 せんとう 服 ふく が正式 せいしき に規定 きてい されたのは1954年 ねん 9月 がつ である。当時 とうじ は戦闘 せんとう 服 ふく ではなく作業 さぎょう 服 ふく と呼称 こしょう していた。ズボンのポケットの位置 いち を下方 かほう に調整 ちょうせい した以外 いがい はアメリカ軍 ぐん のそれと大差 たいさ はなかった。
1965年 ねん 、韓国 かんこく 軍 ぐん 独自 どくじ の意匠 いしょう として、肘 ひじ ・膝 ひざ ・腰 こし などの摩耗 まもう しやすい部分 ぶぶん に補強 ほきょう 用 よう の布 ぬの パッチを取 と り付 つ けた通称 つうしょう 「トッテム軍服 ぐんぷく 」(덧댐 군복)を採用 さいよう したが、短命 たんめい に終 お わった。1967年 ねん 、ウイングカラーを適用 てきよう しズボンのポケットを中 ちゅう ポケットに変 か えた[16] 。またこの時 とき 、正式 せいしき 名称 めいしょう を「作業 さぎょう 服 ふく 」から「戦闘 せんとう 服 ふく 」に変更 へんこう した。1971年 ねん 2月 がつ には、リッジウェイ・キャップ だった帽子 ぼうし を野球 やきゅう 帽 ぼう タイプに変更 へんこう 。また裾 すそ をズボンの外 そと に出 だ す形 かたち で着用 ちゃくよう したが、背 せ が低 ひく く見 み えるという理由 りゆう から不評 ふひょう であった。1973年 ねん にはポケットを小型 こがた に変更 へんこう 。
1990年 ねん 11月23日 にち より全 ぜん 軍 ぐん 共通 きょうつう で緑 みどり ・カーキ・茶 ちゃ ・黒 くろ の4色 しょく より構成 こうせい されたウッドランドタイプの斑点 はんてん 迷彩 めいさい が採用 さいよう された。夏季 かき と冬季 とうき の2種類 しゅるい があり、夏季 かき はポリエステル65%、コットン35%となっている。将校 しょうこう 用 よう 階級 かいきゅう 章 しょう にはダークグリーンの肩章 けんしょう が採用 さいよう されたが、判別 はんべつ しづらいという事 こと で93年 ねん に明 あか るいグリーンへと変更 へんこう された。また1996年 ねん ごろには迷彩 めいさい の色調 しきちょう が全体 ぜんたい 的 てき にやや明 あか るく変更 へんこう された。
2006年 ねん 11月よりデジタル迷彩 めいさい への改正 かいせい 案 あん が発表 はっぴょう され[17] 、2010年 ねん 10月 がつ 12日 にち 、5色 しょく のデジタル迷彩 めいさい が正式 せいしき 導入 どうにゅう された。基本 きほん 的 てき に陸海空 りくかいくう 共通 きょうつう だが、海兵 かいへい 隊 たい および特 とく 戦 せん のみ迷彩 めいさい のパターンや色彩 しきさい が若干 じゃっかん 異 こと なる。生地 きじ はポリエステル65%、コットン35%で、伸縮 しんしゅく 性 せい ・防臭 ぼうしゅう 性 せい に優 すぐ れ、斑点 はんてん 迷彩 めいさい の問題 もんだい 点 てん であった耐久 たいきゅう 性 せい が解消 かいしょう された。
また裁断 さいだん 面 めん では、上衣 うわぎ がボタンからファスナー式 しき へと変更 へんこう され、裾 すそ は1971年 ねん 制式 せいしき のようにズボンの外 そと に出 だ す形 かたち で着用 ちゃくよう することになった。また、韓国 かんこく 軍 ぐん の大 おお きな特徴 とくちょう であったアイロンがけをする必要 ひつよう もなくなった[18] 。
靴 くつ は防水 ぼうすい 性 せい に優 すぐ れた皮革 ひかく となり、重量 じゅうりょう も3分 ぶん の1へと軽量 けいりょう 化 か された。
一方 いっぽう で、オールシーズンであった事 こと から夏季 かき の通気 つうき 性 せい に難 なん があり、兵士 へいし からの不満 ふまん が続出 ぞくしゅつ した[19] 。これを受 う け、新型 しんがた デジタルでは禁止 きんし されていた袖 そで まくりが許可 きょか されることとなった。
2014年 ねん 5月 がつ 23日 にち 、3年間 ねんかん の混用 こんよう 期間 きかん が終了 しゅうりょう 。8月25日 にち には旧型 きゅうがた 斑 むら 柄 がら 戦闘 せんとう 服 ふく が軍服 ぐんぷく 取締 とりしま りの対象 たいしょう からも除外 じょがい された事 こと が発表 はっぴょう され、これを以 もっ て陸海空 りくかいくう 軍 ぐん 全 すべ ての部隊 ぶたい がデジタル迷彩 めいさい への完全 かんぜん 移行 いこう となった
[20] 。
部隊 ぶたい 章 あきら は上腕 じょうわん 部 ぶ のポケットの上 うえ に縫 ぬ い付 つ けていたが、2015年 ねん 1月 がつ ごろからACU迷彩 めいさい のようにポケットと一体 いったい となり面 めん ファスナー となった。
帽子 ぼうし はデジタル迷彩 めいさい 導入 どうにゅう に伴 ともな いJSA警備 けいび や海軍 かいぐん ・空軍 くうぐん を除 のぞ きダークグリーンのベレー帽 ぼう となった。兵士 へいし は布 ぬの 刺繍 ししゅう の帽章 ぼうしょう 、副 ふく 士官 しかん (下士官 かしかん )は階級 かいきゅう 章 しょう を配 はい し、兵卒 へいそつ は帽章 ぼうしょう のみである。
後述 こうじゅつ の特 とく 戦 せん 要員 よういん の他 ほか にも、郷土 きょうど 予備 よび 軍 ぐん は1970年代 ねんだい からレパード迷彩 めいさい 、捜索 そうさく 隊 たい や特攻隊 とっこうたい は1980年 ねん ごろから一般 いっぱん 部隊 ぶたい に先駆 さきが けてウッドランド迷彩 めいさい を使用 しよう していた。この他 ほか 、首都 しゅと 防衛 ぼうえい 司令 しれい 部 ぶ では通称 つうしょう 「維新 いしん 服 ふく (유신복)」と呼 よ ばれるハニカム構造 こうぞう の様 よう な独自 どくじ の迷彩 めいさい 服 ふく が支給 しきゅう されていた[21] 。国軍 こくぐん 情報 じょうほう 司令 しれい 部 ぶ (朝鮮 ちょうせん 語 ご 版 ばん ) ではタイガーストライプやDPM迷彩 めいさい 、ERDL迷彩 めいさい など複数 ふくすう の迷彩 めいさい を使用 しよう していた。
捜索 そうさく 隊 たい 、偵察 ていさつ 隊 たい 、特攻隊 とっこうたい は任務 にんむ 中 ちゅう はブッシュハットを使用 しよう する事 こと が多 おお い。
ガスマスクはM9A1のコピー品 ひん であるKM9A1であったが、1980年代 ねんだい より国産 こくさん のK1ガスマスクが導入 どうにゅう された。
戦闘 せんとう 靴 くつ は軍人 ぐんじん 共済 きょうさい 会 かい などより支給 しきゅう されるものであったが、非常 ひじょう に劣悪 れつあく だったため全面 ぜんめん 改正 かいせい に合 あ わせて2009年 ねん 9月 がつ よりトレックスタと供給 きょうきゅう 契約 けいやく を締結 ていけつ [22] 、同社 どうしゃ 製造 せいぞう のゴアテックス戦闘 せんとう 靴 くつ が支給 しきゅう されている。
朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう 時 じ の
歩兵 ほへい 大尉 たいい (
金 かね 王 おう 虎 とら (朝鮮 ちょうせん 語 ご 版 ばん ) )。
初期 しょき の
作業 さぎょう 服 ふく は
生地 きじ の
肌触 はだざわ りが
悪 わる かったため、
中 なか に
私服 しふく のシャツやセーターを
着 つ こんだり
首 くび 周 まわ りに
襟巻 えりまき を
入 い れるケースが
多 おお かった。
朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう 時 じ の戦闘 せんとう 服装 ふくそう
准 じゅん 将 はた (
朴 ぼく 正煕 せいき 、1957
年 ねん 3
月 がつ 30
日 にち )
中将 ちゅうじょう (
左 ひだり 、
張 ちょう 都 みやこ 暎)と
少将 しょうしょう (
右 みぎ 、
朴 ぼく 正煕 せいき )(1961
年 ねん 5
月 がつ 20日 はつか )
ベトナム
戦争 せんそう 時 じ の
中将 ちゅうじょう 。
蔡命新 しん (1969
年 ねん 5
月 がつ )
ベトナム戦争 せんそう 時 じ の中佐 ちゅうさ
無地 むじ 戦闘 せんとう 服 ふく の兵士 へいし (いずれも上等 じょうとう 兵 へい 、1977年 ねん 1月 がつ )
勤務 きんむ 用 よう 外套 がいとう 着用 ちゃくよう の中尉 ちゅうい (1980年 ねん 2月 がつ )
無地 むじ 戦闘 せんとう 服 ふく の
大将 たいしょう 。
鄭鎬溶 ていこうよう (1989
年 ねん )
新型 しんがた 迷彩 めいさい に
ベレー帽 ぼう の
大将 たいしょう 。
李 り 淳 あつし 鎮(朝鮮 ちょうせん 語 ご 版 ばん ) (2016
年 ねん )
斑 むら 柄 がら 迷彩 めいさい 服 ふく の
第 だい 3軍 ぐん 司令 しれい 官 かん ら。
中央 ちゅうおう の
大将 たいしょう (
金 かね 相 しょう 基 もと )は
肩 かた に
司令 しれい 官 かん 章 しょう を
付 つ けている。
左右 さゆう の
将官 しょうかん が
胸 むね に
佩用 はいよう しているのは
勤続 きんぞく 30
年 ねん 記念 きねん 徽章 きしょう (2009
年 ねん 9
月 がつ )
陸軍 りくぐん 士官 しかん のオーバーコート (前列 ぜんれつ 右 みぎ 端 はし )。後方 こうほう の儀仗 ぎじょう 隊 たい たる空軍 くうぐん 下士官 かしかん 兵 へい は行事 ぎょうじ 服 ふく を着用 ちゃくよう (1998年 ねん 1月 がつ )
花崗岩 かこうがん 迷彩 めいさい の陸軍 りくぐん 第 だい 32歩兵 ほへい 師団 しだん 大尉 たいい
戦闘 せんとう 服 ふく 姿 すがた の陸軍 りくぐん 憲兵 けんぺい
浸透 しんとう 訓練 くんれん 中 ちゅう の第 だい 30機械 きかい 化 か 歩兵 ほへい 師団 しだん 偵察 ていさつ 隊 たい 将兵 しょうへい (2014年 ねん 9月 がつ )
国際 こくさい 治安 ちあん 支援 しえん 部隊 ぶたい 参加 さんか の
茶山 ちゃやま 部隊 ぶたい (朝鮮 ちょうせん 語 ご 版 ばん ) と
思 おも われるデザート
迷彩 めいさい の
兵士 へいし 。
砂漠 さばく 迷彩 めいさい のベストの
普及 ふきゅう が
間 ま に
合 あ わず
通常 つうじょう のベストを
着用 ちゃくよう している(カブール、2004
年 ねん 5
月 がつ 17
日 にち )
イラク
戦争 せんそう における
ザイトゥーン部隊 ぶたい デザート
迷彩 めいさい (2004
年 ねん 9
月 がつ )
ザイトゥーン部隊 ぶたい チョコチップ迷彩 めいさい (2003年 ねん )
陸軍 りくぐん の花崗岩 かこうがん 迷彩 めいさい 。左 ひだり 前方 ぜんぽう の中 なか 領 りょう (ベレー帽 ぼう の人物 じんぶつ )の部隊 ぶたい 章 あきら は第 だい 26機甲 きこう 師団 しだん 、その左 ひだり 奥 おく の大尉 たいい は第 だい 6軍団 ぐんだん の所属 しょぞく であることを示 しめ す(2013年 ねん 10月 がつ 1日 にち )
首都 しゅと 機械 きかい 化 か 歩兵 ほへい 師団 しだん 部隊 ぶたい 員 いん 。ベレー
帽 ぼう には
兵士 へいし は
帽章 ぼうしょう 、
副 ふく 士官 しかん は
階級 かいきゅう 章 しょう が
付 つ く(2015
年 ねん 3
月 がつ )
迷彩 めいさい 服 ふく の上 うえ より防弾 ぼうだん ベストを着用 ちゃくよう するJSA警備 けいび 大隊 だいたい 所属 しょぞく の中尉 ちゅうい 。右肩 みぎかた に発煙 はつえん 筒 とう 、左肩 ひだりかた にKM7銃剣 じゅうけん を付 つ けている。なお着用 ちゃくよう しているのは特 とく 戦 せん 迷彩 めいさい だが、現在 げんざい は花崗岩 かこうがん 迷彩 めいさい となっている(2013年 ねん 12月 がつ )
特 とく 戦 せん 迷彩 めいさい
特殊 とくしゅ 戦 せん 司令 しれい 部 ぶ 要員 よういん は特 とく 戦 せん 空挺 くうてい 旅団 りょだん の草創 そうそう 期 き 以来 いらい 独自 どくじ の戦闘 せんとう 服 ふく を有 ゆう しており、また最大 さいだい の特徴 とくちょう として黒 くろ いベレー帽 ぼう を被 こうむ っている事 こと が挙 あ げられる。
第 だい 3共和 きょうわ 国 こく ~第 だい 4共和 きょうわ 国 こく 期 き にはダックハンター迷彩 めいさい や「忠誠 ちゅうせい 服 ふく 」(충정복)と呼 よ ばれるヌードルパータン迷彩 めいさい が、第 だい 5共和 きょうわ 国 こく 期 き には米 べい 軍 ぐん ウッドランドBDUの影響 えいきょう を受 う けた毒蛇 どくへび 迷彩 めいさい が使用 しよう されていた。1990年 ねん には一般 いっぱん 部隊 ぶたい と同様 どうよう のウッドランド迷彩 めいさい が導入 どうにゅう されたが、上衣 うわぎ 左上 ひだりうえ 腕 うで 部 ぶ のシガーポケットおよびファスナー、下 しも 衣 ころも の臀部 でんぶ ポケットの雨 あめ 蓋 ぶた の有無 うむ 、ボタンフライの数 かず など細部 さいぶ が異 こと なる。
2010年 ねん 以降 いこう のデジタル迷彩 めいさい は一般 いっぱん 部隊 ぶたい よりやや明 あか るめの色調 しきちょう となっている。
なお、707特殊 とくしゅ 任務 にんむ 大隊 だいたい や旅団 りょだん 偵察 ていさつ 隊 たい などの特別 とくべつ 任務 にんむ に就 つ く部隊 ぶたい は独自 どくじ の黒 くろ い戦闘 せんとう 服 ふく を着用 ちゃくよう し、EXFILヘルメット等 とう の使用 しよう 例 れい も見 み られる[23] 。同様 どうよう の戦闘 せんとう 服 ふく は各 かく 軍団 ぐんだん の憲兵 けんぺい 特殊 とくしゅ 任務 にんむ 隊 たい (SDT)などでも用 もち いられる。
階級 かいきゅう 章 あきら はベレー帽 ぼう と肩 かた に付 つ け、部隊 ぶたい 章 あきら は右 みぎ 胸 むね に付 つ ける。幹部 かんぶ (士官 しかん ・副 ふく 士官 しかん )は階級 かいきゅう 章 しょう を、兵 へい は特 とく 戦 せん 徽章 きしょう をベレーの黄色 きいろ い楯 だて 状 じょう の布 ぬの に付 つ けていたが、2014年 ねん 4月 がつ 1日 にち の改定 かいてい により、幹部 かんぶ は階級 かいきゅう 章 しょう の上 うえ に将校 しょうこう 用 よう 特 とく 戦 せん 徽章 きしょう 、兵 へい は兵 へい 用 よう 特 とく 戦 せん 徽章 きしょう のみを付着 ふちゃく するようになった[24] 。
なお、JSA警備 けいび 大隊 だいたい [† 1] も特 とく 戦 せん 迷彩 めいさい であったが、2016年 ねん ごろに通常 つうじょう 師団 しだん と同 おな じ花崗岩 かこうがん 迷彩 めいさい となった。
無地 むじ 戦闘 せんとう 服 ふく の特 とく 戦 せん 空輸 くうゆ 隊員 たいいん (1980年 ねん )
閲兵 えっぺい 式 しき に参加 さんか する特 とく 戦 せん (戦闘 せんとう 服 ふく 姿 すがた 、1973年 ねん )
花崗岩 かこうがん 迷彩 めいさい 服 ふく を着用 ちゃくよう した特 とく 戦 せん 司 し の中 ちゅう 士 し (軍曹 ぐんそう に相当 そうとう 、中央 ちゅうおう のベレー帽 ぼう の人物 じんぶつ )ら(2013年 ねん 10月 がつ 1日 にち )
特 とく 戦 せん 各種 かくしゅ 軍装 ぐんそう (2010年 ねん 9月 がつ )
第 だい 1空輸 くうゆ 特 とく 戦 せん 旅団 りょだん 兵士 へいし
第 だい 707特殊 とくしゅ 任務 にんむ 大隊 だいたい 所属 しょぞく の
兵士 へいし (
中央 ちゅうおう )。
空挺 くうてい 降下 こうか 装備 そうび (
前方 ぜんぽう 右 みぎ 端 はし )、UDT
過程 かてい の
特 とく 戦 せん (
後方 こうほう の
水中 すいちゅう メガネ
着用 ちゃくよう )の
姿 すがた も
ISAF 派遣 はけん 中 ちゅう の
特 とく 戦 せん 兵士 へいし (2010
年 ねん 8
月 がつ )
領内 りょうない 活動 かつどう 帽 ぼう を被 こうむ ったハイチ派遣 はけん の特 とく 戦 せん 元 もと 士 し (曹長 そうちょう に相当 そうとう 、2010年 ねん 4月 がつ 14日 にち )
UAE 派遣 はけん 中 ちゅう の
第 だい 707
特殊 とくしゅ 任務 にんむ 大隊 だいたい 所属 しょぞく の
兵士 へいし
M16A1 を
手 て にしてパレードに
参加 さんか する
兵士 へいし
特 とく 戦士 せんし 官 かん 。制服 せいふく にベレー帽 ぼう と戦闘 せんとう 靴 くつ を着用 ちゃくよう 。
その他 た 特殊 とくしゅ 被服 ひふく [ 編集 へんしゅう ]
新兵 しんぺい 訓練 くんれん における遊 ゆう 撃 げき 戦 せん 訓練 くんれん を指導 しどう する「遊 ゆう 撃 げき 教官 きょうかん 」は、庇 ひさし が長 なが く角 かく ばった帽子 ぼうし を被 こうむ る。この帽子 ぼうし は下士 かし 卒 そつ は赤 あか 、士官 しかん は黒 くろ である。また、一般 いっぱん の戦闘 せんとう 服 ふく に半分 はんぶん だけ白 しろ 生地 きじ を張 は り付 つ けた独自 どくじ の戦闘 せんとう 服 ふく を着用 ちゃくよう する。
板門店 はんもんてん でも見 み る機会 きかい の多 おお い憲兵 けんぺい は、冬 ふゆ は詰襟 つめえり 、夏 なつ は半 はん そでシャツを着用 ちゃくよう 。両 りょう 肩 かた に白 しろ い飾 かざり 緒 いとぐち を付 つ ける。学生 がくせい 軍事 ぐんじ 教育 きょういく 団 だん 士官 しかん (朝鮮 ちょうせん 語 ご 版 ばん ) (ROTC)候補 こうほ 生 せい は「団 だん 服 ふく 」(단복)と呼 よ ばれるダブルブレストのブレザー制服 せいふく を着用 ちゃくよう 。
遊 ゆう 撃 げき 教官 きょうかん たる中 ちゅう 領 りょう (2011年 ねん 5月 がつ )
遊 ゆう 撃 げき 教官 きょうかん たる将校 しょうこう (手前 てまえ 、黒 くろ 帽 ぼう )と遊 ゆう 撃 げき 助 じょ 教 きょう たる下士官 かしかん (後方 こうほう 、赤帽 あかぼう )(2011年 ねん 5月 がつ )
朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう における憲兵 けんぺい (右 みぎ 奥 おく )
JSA で
観光 かんこう 客 きゃく を
護衛 ごえい している
憲兵 けんぺい
夏 なつ 勤務 きんむ 服 ふく の憲兵 けんぺい
憲兵 けんぺい
白 しろ バイ憲兵 けんぺい (2013年 ねん 5月 がつ )
ヘリコプター搭乗 とうじょう 員 いん
ヘリコプター搭乗 とうじょう 員 いん 用 よう ヘルメット
完全 かんぜん 武装 ぶそう した歩兵 ほへい 第 だい 3師団 しだん 所属 しょぞく の憲兵 けんぺい
K1ガスマスクを使用 しよう する上等 じょうとう 兵 へい (2013年 ねん 11月)
陸軍 りくぐん 士官 しかん 学校 がっこう 生徒 せいと の
制服 せいふく 。
全 ちょん 斗煥 どふぁん 。
士官 しかん 学校 がっこう 生徒 せいと 行事 ぎょうじ 服 ふく
三 さん 士官 しかん 学校 がっこう 生徒 せいと 行事 ぎょうじ 服 ふく (2014年 ねん 2月 がつ )
大韓民国 だいかんみんこく 海軍 かいぐん [ 編集 へんしゅう ]
1946年 ねん 2月 がつ に将校 しょうこう 、6月 がつ に副 ふく 士官 しかん および兵 へい の階級 かいきゅう が制定 せいてい された。初期 しょき の軍服 ぐんぷく は日本 にっぽん 海軍 かいぐん の影響 えいきょう を色濃 いろこ く残 のこ しており、副 ふく 士官 しかん は詰襟 つめえり であった。また水兵 すいへい 帽 ぼう のペンネント は漢字 かんじ で「大韓民國 だいかんみんこく 海軍 かいぐん 」(大韓民国 だいかんみんこく 海軍 かいぐん )と表記 ひょうき されていた。1952年 ねん に「海軍 かいぐん 服 ふく 制令 せいれい 」を制定 せいてい して[25] 以降 いこう はほぼアメリカ式 しき となり、水兵 すいへい 帽 ぼう のペンネント表記 ひょうき も「대한민국해군 」(大韓民国 だいかんみんこく 海軍 かいぐん )とハングル になっている。また、海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい の海士 あま の制服 せいふく と比 くら べて、丈 たけ が長 なが いなどアメリカ海軍 かいぐん の様式 ようしき に近 ちか いデザインである。
海兵 かいへい 隊 たい も米 べい 軍 ぐん の影響 えいきょう を非常 ひじょう に受 う けた意匠 いしょう であり、緑 みどり のブレザーにカーキのネクタイとシャツ、礼服 れいふく は詰襟 つめえり 、戦闘 せんとう 服 ふく はタイガーストライプ柄 がら で八 はち 角帽 かくぼう を着用 ちゃくよう 。
また、一般 いっぱん 部隊 ぶたい も迷彩 めいさい 服 ふく を着用 ちゃくよう する事 こと もあるが、デジタル迷彩 めいさい 導入 どうにゅう 後 ご も野球 やきゅう 帽 ぼう タイプのままである。
UDTや海難 かいなん 救助 きゅうじょ 部隊 ぶたい (朝鮮 ちょうせん 語 ご 版 ばん ) (SSU)のウッドランド迷彩 めいさい は陸軍 りくぐん 通常 つうじょう 部隊 ぶたい と異 こと なり、4つポケットのエポレットなし、下 しも 衣 ころも のポケットに蓋 ぶた が付 つ くという構造 こうぞう であった。UDTでは迷彩 めいさい のベレー帽 ぼう 、SSUでは八 はち 角帽 かくぼう が使用 しよう された。デジタル迷彩 めいさい 導入 どうにゅう 後 ご 、UDTでは灰色 はいいろ のベレー帽 ぼう となり、SSUは引 ひ き続 つづ き迷彩 めいさい 柄 がら の八角 はっかく 帽 ぼう 。また、UDTではマルチカム迷彩 めいさい を使用 しよう する事 こと もある。
正 せい 服 ふく /略 りゃく 正 せい 服 ふく
将校 しょうこう および副 ふく 士官 しかん はサービスドレス・ブルーに相当 そうとう する冬 ふゆ 正 せい 服 ふく とサービスドレス・ホワイトに相当 そうとう する夏 なつ 正 ただし 服 ふく のほか、サマー・ホワイトに相当 そうとう する開襟 かいきん の半袖 はんそで シャツの夏 なつ 略 りゃく 正 せい 服 ふく がある。
冬 ふゆ 正 せい 服 ふく は1987年 ねん 11月より一 いち 時 じ 陸軍 りくぐん 型 がた 階級 かいきゅう 章 しょう を付 つ けることがあったが、1992年 ねん 11月に廃止 はいし された[26] 。
水兵 すいへい の正 せい 服 ふく はセ せ ーラ ら ー服 ふく で、正 せい 帽 ぼう は水兵 すいへい 帽 ぼう 型 がた の「A型 がた 」と米 べい 海軍 かいぐん のディキシー・キャップ型 がた の「B型 がた 」がある。夏 なつ 正 ただし 服 ふく と正 せい 帽 ぼう A型 がた は儀仗 ぎじょう 隊 たい と軍楽隊 ぐんがくたい のみ支給 しきゅう される。夏 なつ 略 りゃく 正 せい 服 ふく は半袖 はんそで シャツであったが、2017年 ねん 9月 がつ 29日 にち よりセ せ ーラ ら ー服 ふく 型 がた となった[27] 。士官 しかん 学校 がっこう 生徒 せいと は襟 えり と袖 そで に錨 いかり の徽章 きしょう が入 はい る。
外套 がいとう は将校 しょうこう はシングルブレストのコート、兵 へい 用 よう は4つボタンのピーコート。
初期 しょき の
少 しょう 領 りょう (
右側 みぎがわ )。
現在 げんざい と
帽章 ぼうしょう が
異 こと なり、
旧 きゅう 日本 にっぽん 海軍 かいぐん 士官 しかん の軍帽 ぐんぼう 帽章 ぼうしょう に
近 ちか い
意匠 いしょう である。(1950
年 ねん 11月22
日 にち )
帽章 ぼうしょう 変更 へんこう 後 ご (1952年 ねん 9月 がつ )
初期 しょき の
中将 ちゅうじょう (
孫 まご 元一 げんいち 海軍 かいぐん 参謀 さんぼう 総長 そうちょう 。1952
年 ねん 1
月 がつ )
右側 みぎがわ はかつての水兵 すいへい 冬 ふゆ 服 ふく 。ペンネントには右 みぎ から左 ひだり へ「大韓民国 だいかんみんこく 海軍 かいぐん 」とある。
初期 しょき の水兵 すいへい 冬 ふゆ 服 ふく 。正面 しょうめん の水兵 すいへい のペンネントには左 ひだり から右 みぎ へ「大韓民国 だいかんみんこく 海軍 かいぐん 」とある。
初期 しょき の水兵 すいへい 夏服 なつふく 。現在 げんざい と帽章 ぼうしょう や階級 かいきゅう 章 あきら 等 とう が異 こと なる。
かつての水兵 すいへい 。米 べい 海軍 かいぐん 型 がた の水兵 すいへい 帽 ぼう が使用 しよう されている。
冬 ふゆ 正 せい 服 ふく の海軍 かいぐん 准 じゅん 将 しょう
士官 しかん 学校 がっこう 女性 じょせい 生徒 せいと (2014年 ねん 2月 がつ 14日 にち )
夏季 かき 正 せい 服 ふく の大将 たいしょう (厳 いむ 賢 けん 聖 せい 海軍 かいぐん 参謀 さんぼう 総長 そうちょう 。2017年 ねん 9月 がつ )
夏季 かき 正 せい 服 ふく の大領 だいりょう (2013年 ねん 9月 がつ )
将校 しょうこう 用 よう 外套 がいとう 。左 ひだり 一 いち 列 れつ は兵 へい 用 よう 外套 がいとう (2014年 ねん 1月 がつ )
女性 じょせい 用 よう 制帽 せいぼう (2014年 ねん 2月 がつ )
夏 なつ 略 りゃく 正 せい 服 ふく の孫 まご 正睦 まさとし 准 じゅん 将 しょう
夏 なつ 略 りゃく 正 せい 服 ふく の士官 しかん
夏 なつ 略 りゃく 正 せい 服 ふく の大領 だいりょう (2012年 ねん 11月)
当直 とうちょく 任務 にんむ に就 つ く夏 なつ 略 りゃく 正 せい 服 ふく の副 ふく 士官 しかん
夏 なつ 略 りゃく 正 せい 服 ふく の副 ふく 士官 しかん および水兵 すいへい (2015年 ねん 8月 がつ 15日 にち )
兵 へい 冬 ふゆ 正 せい 服 ふく (1981年 ねん )
兵 へい 夏 なつ 正 ただし 服 ふく の儀仗 ぎじょう 兵 へい (2006年 ねん 10月 がつ 20日 はつか )
兵 へい 夏 なつ 正 ただし 服 ふく の軍楽 ぐんがく 兵 へい 。
勤務 きんむ 服 ふく
将校 しょうこう の冬 ふゆ 勤務 きんむ 服 ふく は藍色 あいいろ 、夏 なつ 勤務 きんむ 服 ふく はカーキ。防寒 ぼうかん 用 よう に陸軍 りくぐん と同 おな じジャンパーを着用 ちゃくよう 。兵 へい には米 べい 海軍 かいぐん のユーティリティに相当 そうとう する「海上 かいじょう 兵 へい 戦闘 せんとう 服 ふく 」(해상병전투복)がある。
この他 ほか 、大鷲 おおわし 型 がた 哨戒 しょうかい 艇 てい 乗組 のりくみ 員 いん は全 ぜん 階級 かいきゅう 統一 とういつ で「高速艇 こうそくてい 服 ふく 」と呼 よ ばれる上下 じょうげ ツナギ型 がた 勤務 きんむ 服 ふく が支給 しきゅう される。潜水艦 せんすいかん 乗組 のりくみ 員 いん にも「潜水艦 せんすいかん 服 ふく 」と呼 よ ばれる独自 どくじ の勤務 きんむ 服 ふく が支給 しきゅう される。一見 いっけん 通常 つうじょう の勤務 きんむ 服 ふく と似 に ているが、耐火 たいか 性 せい に優 すぐ れているほか、左腕 さわん には戦闘 せんとう 服 ふく のように腕 うで のポケットがあり、背中 せなか には腕 うで を上 あ げたときに袖 そで が後 うし ろに引 ひ かれないように処理 しょり されている。
冬 ふゆ 勤務 きんむ 服 ふく の中将 ちゅうじょう (李 り 範 はん 林 りん 海軍 かいぐん 教育 きょういく 司令 しれい 官 かん 。2018年 ねん 3月 がつ 12日 にち )
米 べい 海軍 かいぐん 士官 しかん と親睦 しんぼく を深 ふか めている冬 ふゆ 勤務 きんむ 服 ふく の士官 しかん (左 ひだり 二 に 名 めい )。両者 りょうしゃ とも階級 かいきゅう は大尉 たいい (2000年 ねん 8月 がつ )
冬 ふゆ 勤務 きんむ 服 ふく ジャンパーの将官 しょうかん (青 あお い服 ふく )
夏 なつ 勤務 きんむ 服 ふく の兵 へい 学校 がっこう 生徒 せいと (2003年 ねん 10月 がつ )
夏 なつ 勤務 きんむ 服 ふく の兵 へい 学校 がっこう 女子 じょし 生徒 せいと 。手前 てまえ は米 べい 海軍 かいぐん 軍人 ぐんじん 。
海上 かいじょう 兵 へい 戦闘 せんとう 服 ふく の上兵 かみへい (2010年 ねん 8月 がつ 26日 にち )
戦闘 せんとう 服 ふく その他 た
浦項 ほこう 級 きゅう コルベット乗組 のりくみ 員 いん (2012
年 ねん 7
月 がつ 11
日 にち )
迷彩 めいさい 服 ふく 姿 すがた の
海軍 かいぐん 中将 ちゅうじょう (
金成 かねなり 萬 まん 海軍 かいぐん 作戦 さくせん 司令 しれい 官 かん )。
階級 かいきゅう 章 あきら は1992
年 ねん まで
陸軍 りくぐん が
使用 しよう していたものと
同型 どうけい である(2003
年 ねん 8
月 がつ )
デジタル迷彩 めいさい 服 ふく 姿 すがた の海軍 かいぐん 将官 しょうかん ら (2011年 ねん 12月 がつ )
斑 むら 柄 がら 戦闘 せんとう 服 ふく 姿 すがた の
UDT/SEALs 隊員 たいいん (2010
年 ねん 4
月 がつ 3
日 にち )
迷彩 めいさい 服 ふく 姿 すがた のUDT/SEALs部隊 ぶたい 長 ちょう (手前 てまえ )およびウェットスーツ姿 すがた の隊員 たいいん (2013年 ねん 9月 がつ 17日 にち )
UDT/SEALs隊員 たいいん (2012年 ねん 6月 がつ 13日 にち )
清海 きよみ 部隊 ぶたい 隊員 たいいん (2009
年 ねん 7
月 がつ 21
日 にち )
海軍 かいぐん 飛行 ひこう 服 ふく 姿 すがた の兪聖薰 かおる 准 じゅん 将 はた (2014年 ねん 9月 がつ )
朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう 期 き の海軍 かいぐん 憲兵 けんぺい (1950年 ねん )
板門店 はんもんてん 勤務 きんむ の海軍 かいぐん 憲兵 けんぺい (1978年 ねん )
ヘリコプター搭乗 とうじょう 員 いん (2004年 ねん 7月 がつ 12日 にち )
士官 しかん 学校 がっこう 生徒 せいと (1952年 ねん )
海兵 かいへい 隊 たい の軍服 ぐんぷく [ 編集 へんしゅう ]
冬季 とうき 正 せい 服 ふく は基本 きほん 的 てき に陸軍 りくぐん と同 おな じデザインだが、ブレザーは緑 みどり が強 つよ く、中 なか に着用 ちゃくよう するシャツとネクタイはカーキ色 しょく である。夏季 かき は半 はん そでとなる。
かつては夏季 かき にも上下 じょうげ カーキ色 しょく のブレザータイプの正 せい 服 ふく が使用 しよう されていたが、1970年 ねん に廃止 はいし された[28] 。現在 げんざい の夏季 かき 正 せい 服 ふく はそれまで夏 なつ 略 りゃく 正 せい 服 ふく ないし夏 なつ 勤務 きんむ 服 ふく として使用 しよう されていたものを夏季 かき 正 せい 服 ふく としたものである[29] 。夏季 かき ズボンはカーキ色 しょく と冬季 とうき と同 おな じグリーン色 しょく が混在 こんざい していたが、1982年 ねん にグリーンに統一 とういつ された。
冬季 とうき 正 せい 服 ふく は採用 さいよう 以来 いらい 大 おお きな変化 へんか はないが、1970年 ねん に袖章 そでしょう が追加 ついか され、1986年 ねん にブレザーの色 いろ が「スイカ色 しょく 」と呼 よ ばれる青 あお みのかかった緑 みどり に変更 へんこう された。また、当初 とうしょ 襟 えり には階級 かいきゅう 章 しょう が付 つ いていたが、1987年 ねん 1月 がつ に廃止 はいし された[30] 。礼服 れいふく は1960年代 ねんだい に制定 せいてい されたもので、夏 なつ は海軍 かいぐん 一般 いっぱん 部隊 ぶたい と似 に たギャバジン製 せい の白 しろ い詰襟 つめえり 、冬 ふゆ は黒 くろ の詰襟 つめえり で襟 えり に装飾 そうしょく が入 はい る[31] 。
勤務 きんむ 服 ふく は緑色 みどりいろ で、1987年 ねん 以降 いこう 襟 えり がノータイ式 しき に変更 へんこう [32] 。勤務 きんむ 服 ふく には制帽 せいぼう 、もしくは八 はち 角帽 かくぼう を着用 ちゃくよう していたが、2016年 ねん より海軍 かいぐん 一般 いっぱん 部隊 ぶたい 同様 どうよう 、略服 りゃくふく にもギャリソンキャップが導入 どうにゅう される事 こと になった[33] 。
戦闘 せんとう 服 ふく は、1960年代 ねんだい は特 とく 戦 せん のダックハンター迷彩 めいさい 等 とう を使用 しよう していたが、1977年 ねん よりブロックパターン迷彩 めいさい (石垣 いしがき 迷彩 めいさい )を使用 しよう 。1990年 ねん には陸軍 りくぐん と同 おな じ斑 むら 柄 がら 迷彩 めいさい 服 ふく となったが、2010年 ねん 以降 いこう のデジタル迷彩 めいさい は海岸 かいがん を想定 そうてい しタイガーストライプ調 ちょう となっている。ネームプレートを右 みぎ 胸 むね ポケットと平行 へいこう に取 と り付 つ けるのも大 おお きな特徴 とくちょう である。八角 はっかく 帽 ぼう の前面 ぜんめん には階級 かいきゅう 章 しょう を付 つ けるが、2014年 ねん から兵卒 へいそつ は付 つ けなくなった。
朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう 時代 じだい の海兵 かいへい 隊 たい 制服 せいふく
ベトナム戦争 せんそう における第 だい 2海兵 かいへい 旅団 りょだん 所属 しょぞく の隊員 たいいん
将官 しょうかん 用 よう 戦闘 せんとう 帽 ぼう (朴 ほお 喜 き 宰 おさむ 中将 ちゅうじょう 、1984年 ねん 5月 がつ 9日 にち )
海兵 かいへい 隊 たい 戦闘 せんとう 服 ふく (1983年 ねん 3月 がつ )
旧式 きゅうしき 階級 かいきゅう 章 あきら (海兵 かいへい 下士 かし )
冬季 とうき 制服 せいふく の中将 ちゅうじょう (2013年 ねん 10月 がつ )
夏季 かき 勤務 きんむ 服 ふく の将官 しょうかん (李 り 浩 ひろし 淵 ふち 中将 ちゅうじょう 、2013年 ねん 7月 がつ )
将官 しょうかん 用 よう 制帽 せいぼう (海兵 かいへい 隊 たい 司令 しれい 官 かん 、全 ぜん 振 ふ 九 きゅう 中将 ちゅうじょう 、2017年 ねん 6月 がつ 25日 にち )
迷彩 めいさい 服 ふく 姿 すがた の海兵 かいへい 大佐 たいさ (2015年 ねん 7月 がつ )
戦闘 せんとう 服 ふく 姿 すがた の海兵 かいへい 中尉 ちゅうい (2014年 ねん 4月 がつ )
K2 を
構 かま える
海兵 かいへい 隊員 たいいん (2002
年 ねん 11月20
日 にち )
タイ
王国 おうこく 海兵 かいへい 隊 たい との
合同 ごうどう 訓練 くんれん に
参加 さんか する
海兵 かいへい 隊員 たいいん 。
前列 ぜんれつ 右 みぎ から
二 に 番目 ばんめ の
上等 じょうとう 兵 へい は
K3 、それ
以外 いがい はK2を
携行 けいこう 。
右 みぎ 端 はし 1
列 れつ はタイ
海兵 かいへい 隊 たい (2014
年 ねん 2
月 がつ 14
日 にち )
海兵 かいへい 隊 たい 偵察 ていさつ 兵 へい
海兵 かいへい 憲兵 けんぺい SWAT
海兵 かいへい 隊 たい 儀仗 ぎじょう 隊 たい
海兵 かいへい 隊 たい 軍楽 ぐんがく 兵 へい
海兵 かいへい 憲兵 けんぺい (2014年 ねん 1月 がつ )
大韓民国 だいかんみんこく 空軍 くうぐん の軍服 ぐんぷく [ 編集 へんしゅう ]
正 せい 服 ふく の制定 せいてい は1949年 ねん 10月 がつ 。制定 せいてい 当初 とうしょ は灰色 はいいろ のブレザーであったが[34] 、1952年 ねん 3月 がつ 改定 かいてい で夏 なつ 正 ただし 服 ふく はシルバーグレー、冬 ふゆ 正 せい 服 ふく は紺 こん のブレザーとなった[35] 。何 いず れも材質 ざいしつ はウールであったが、1976年 ねん 改正 かいせい で冬 ふゆ 正 せい 服 ふく はウールもしくは混紡 こんぼう 、夏服 なつふく は紺 こん のテトロンもしくは混紡 こんぼう とされた[36] 。
略服 りゃくふく (勤務 きんむ 服 ふく )は1949年 ねん 10月 がつ 制定 せいてい された。紺 こん のアイクジャケット で、アイク服 ふく とも呼称 こしょう されていた[37] 。夏季 かき にはネクタイを外 はず して襟 えり を上着 うわぎ の外 そと に広 ひろ げるといった[38] 、日本 にっぽん 陸軍 りくぐん 防暑 ぼうしょ 衣 ころも のイチョウ襟 えり (オープンカラー)のようなスタイルであったという。現在 げんざい の様 よう なネクタイの付 つ いたシャツスタイルとなったのは1952年 ねん 3月 がつ である。夏 なつ 勤務 きんむ 服 ふく は将校 しょうこう は上下 じょうげ シルバーグレーのウールまたは混紡 こんぼう 素材 そざい [39] 、下士 かし 卒 そつ はカーキ綿 めん 織 お [40] のノータイ半袖 はんそで であったが、1975年 ねん 7月 がつ 以降 いこう シャツは水色 みずいろ 、ズボンは紺 こん になった。また、冬 ふゆ 勤務 きんむ 服 ふく は1978年 ねん にネクタイが廃止 はいし されたが、2012年 ねん に復活 ふっかつ した[41] 。
士官 しかん 候補 こうほ 生 せい の礼服 れいふく は1955年 ねん に制定 せいてい され、1963年 ねん 11月改正 かいせい で冬 ふゆ 服 ふく 夏服 なつふく の区分 くぶん をなくし、1974年 ねん に現在 げんざい の形 かたち となった[42] 。将校 しょうこう 礼服 れいふく および晩餐 ばんさん 服 ふく は1975年 ねん 制定 せいてい 。
将校 しょうこう 用 よう 外套 がいとう は1952年 ねん 制定 せいてい 当時 とうじ 、前 ぜん 合 あ わせの内 うち ボタンないしジッパー式 しき の絨緞 じゅうたん 製 せい オーバーコートであったが、1963年 ねん 以降 いこう ダブルブレストのトレンチコートとなった。一方 いっぽう で下士 かし 卒 そつ 向 む けには1962年 ねん に丈 たけ の短 みじか いダブルブレストのコートが制定 せいてい され、1976年 ねん にジャンパーに変更 へんこう された。しかし、警備 けいび 員 いん や駅員 えきいん に誤認 ごにん されるなど現場 げんば からはすこぶる不評 ふひょう であり、2012年 ねん よりコートに戻 もど された[41] 。
冬 ふゆ 正 せい 服 ふく の空軍 くうぐん 中将 ちゅうじょう
将官 しょうかん 用 よう 制帽 せいぼう (
空軍 くうぐん 参謀 さんぼう 総長 そうちょう 鄭 てい 景 けい 斗 と 大将 たいしょう 、2017
年 ねん 6
月 がつ 25
日 にち )
迷彩 めいさい 服 ふく 姿 すがた の
空軍 くうぐん 大将 たいしょう (
成 なり 日 び 煥(朝鮮 ちょうせん 語 ご 版 ばん ) 空軍 くうぐん 参謀 さんぼう 総長 そうちょう 、2013
年 ねん 8
月 がつ )。
ギャリソンキャップ 姿 すがた の
空軍 くうぐん 中将 ちゅうじょう (
李 り 旺根
空軍 くうぐん 作戦 さくせん 司令 しれい 官 かん 、2016
年 ねん 9
月 がつ )。
夏 なつ 勤務 きんむ 服 ふく (2005年 ねん 5月 がつ 30日 にち )
冬 ふゆ 勤務 きんむ 服 ふく の将兵 しょうへい (2013年 ねん 2月 がつ )
冬 ふゆ 勤務 きんむ 服 ふく の上 うえ に将校 しょうこう 用 よう セーターを着用 ちゃくよう した少 しょう 領 りょう (2013年 ねん 2月 がつ )
パイロットスーツを着用 ちゃくよう した第 だい 19戦闘 せんとう 航空 こうくう 団 だん 所属 しょぞく の少 しょう 領 りょう (右 みぎ )と大尉 たいい (左 ひだり )(2012年 ねん 9月 がつ )
パイロットスーツの
上 うえ に
酸素 さんそ マスク、ヘルメット、
耐 たい Gスーツ、
救命胴衣 きゅうめいどうい などを
着用 ちゃくよう した
姿 すがた (F-15K
体験 たいけん 搭乗 とうじょう 時 じ の
具 ぐ 滋 しげる 哲 あきら 、2012
年 ねん )
地上 ちじょう 戦 せん 部隊 ぶたい の野戦 やせん 服 ふく 。階級 かいきゅう は兵長 へいちょう 。
ソウル空軍 くうぐん 基地 きち における
地上 ちじょう 戦 せん 部隊 ぶたい の
空軍 くうぐん 兵卒 へいそつ (2010
年 ねん 3
月 がつ 31
日 にち )
空軍 くうぐん 憲兵 けんぺい (2014年 ねん 5月 がつ )
空軍 くうぐん 憲兵 けんぺい (2009年 ねん 10月 がつ )
空軍 くうぐん 空挺 くうてい 統制 とうせい 司令 しれい 部隊 ぶたい 員 いん (2011年 ねん 4月 がつ 25日 にち )
空軍 くうぐん 憲兵 けんぺい SWAT
朝鮮民主主義人民共和国 ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく の軍服 ぐんぷく [ 編集 へんしゅう ]
朝鮮人民軍 ちょうせんじんみんぐん の軍服 ぐんぷく に関 かん する情報 じょうほう が当局 とうきょく から公開 こうかい される事 こと はほとんどなく、その種類 しゅるい や変遷 へんせん は写真 しゃしん や映像 えいぞう 、あるいは脱 だつ 北 きた した元 もと 将兵 しょうへい の証言 しょうげん から考察 こうさつ せざるを得 え ないのが現状 げんじょう である。襟 えり に階級 かいきゅう 章 しょう がついたカーキ色 しょく の人民 じんみん 服 ふく 風 ふう の軍服 ぐんぷく と制帽 せいぼう 、もしくは戦闘帽 せんとうぼう を着用 ちゃくよう していることが多 おお い。兵 へい 下士官 かしかん はソ連 それん 型 がた のプルオーバー型 がた (ギムナスチョルカ型 がた と呼 よ ばれる)の軍服 ぐんぷく が基本 きほん である。ソ連 それん 軍 ぐん と中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 、そして旧 きゅう 日本 にっぽん 軍 ぐん の軍装 ぐんそう から強 つよ い影響 えいきょう を受 う けていると、一般 いっぱん 的 てき に言 い われる[43] 。
2011年 ねん の金 きむ 正日 じょんいる 総 そう 書記 しょき の死去 しきょ 以降 いこう 、旧態 きゅうたい 依然 いぜん としていた朝鮮人民軍 ちょうせんじんみんぐん の軍装 ぐんそう は大 おお きな分岐 ぶんき 点 てん を迎 むか えつつある。即 すなわ ち軍楽隊 ぐんがくたい や人民 じんみん 保安 ほあん 部 ぶ の女性 じょせい 軍人 ぐんじん へのハイバック型 がた 制帽 せいぼう 、空軍 くうぐん 名誉 めいよ 衛兵 えいへい 隊 たい への青 あお ブレザー、夏季 かき シャツの導入 どうにゅう など、西側 にしがわ やロシアの要素 ようそ を取 と り入 い れたものとなっている。その一方 いっぽう で、女性 じょせい 軍 ぐん 官 かん 向 む けに1960年代 ねんだい に使 つか われていたハンチング型 がた 制帽 せいぼう の復活 ふっかつ 、朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう 期 き の夏季 かき 白 しろ キーチェリの意匠 いしょう を盛 も り込 こ んだ略 りゃく 礼装 れいそう の導入 どうにゅう など、金 きむ 日成 いるそん 主席 しゅせき 時代 じだい の要素 ようそ 復古 ふっこ の傾向 けいこう もあり、金 きむ 正 ただし 恩 おん 第 だい 一 いち 書記 しょき の改革 かいかく 方針 ほうしん を軍装 ぐんそう にも反映 はんえい させる意図 いと が伺 うかが われ、その改正 かいせい は毎年 まいとし 日 び を追 お うごとに目 め まぐるしく行 おこな われている。2013年 ねん に朝鮮中央通信 ちょうせんちゅうおうつうしん が発表 はっぴょう した記録 きろく 映像 えいぞう では「軍服 ぐんぷく を我々 われわれ の革命 かくめい 武力 ぶりょく の性格 せいかく と使命 しめい が反映 はんえい され軍事 ぐんじ 行動 こうどう にも便利 べんり なだけでなく、時代 じだい 的 てき 美感 びかん にも合 あ わせ見事 みごと 完成 かんせい させることに乗 の り出 だ す戦略 せんりゃく を明 あき らかにした」との声明 せいめい がなされており、今後 こんご より朝鮮人民軍 ちょうせんじんみんぐん の軍装 ぐんそう は大 だい 規模 きぼ な改定 かいてい がなされるものと推測 すいそく された[44] 。そして2016年 ねん 以降 いこう 、そうした声明 せいめい を反映 はんえい するかのように、旧態 きゅうたい 依然 いぜん としていた野戦 やせん 服 ふく も驚 おどろ くほど急速 きゅうそく な近代 きんだい 化 か が行 おこな われつつある。
朝鮮人民軍 ちょうせんじんみんぐん の軍服 ぐんぷく が制定 せいてい されたのは1947年 ねん のことであると思 おも われる。当時 とうじ はソ連 それん 軍 ぐん のそれにもっと酷似 こくじ した軍服 ぐんぷく であり、軍 ぐん 官 かん は詰襟 つめえり 式 しき で肩章 けんしょう のついたキーチェリ、兵 へい 下士官 かしかん は折襟 おりえり であったが肩章 けんしょう 式 しき の戦士 せんし 服 ふく であった。その後 ご 、1958年 ねん から全 ぜん 軍事 ぐんじ 称号 しょうごう で折襟 おりえり の人民 じんみん 服 ふく タイプに襟章 えりしょう が基本 きほん スタイルとなり、現在 げんざい も軍事 ぐんじ 称号 しょうごう 制度 せいど に若干 じゃっかん の改正 かいせい はあるものの、1960年代 ねんだい からほぼ同一 どういつ である。その後 ご 、礼服 れいふく として灰色 はいいろ に近 ちか い茶色 ちゃいろ をした肩章 けんしょう のつく開襟 かいきん 式 しき の軍服 ぐんぷく 、将校 しょうこう ・将官 しょうかん の常勤 じょうきん 服 ふく として戦闘 せんとう 服 ふく と同 おな じ色 しょく をした開襟 かいきん 式 しき の軍服 ぐんぷく が採用 さいよう され、詳細 しょうさい は不明 ふめい だが1985年 ねん 頃 ごろ [45] には現在 げんざい の区分 くぶん が出来上 できあ がったものと思 おも われる。
女性 じょせい はズボンを使用 しよう することはモンペを髣髴 ほうふつ とさせるという理由 りゆう からスカートを穿 は いているが、野戦 やせん 等 とう の時 とき はズボンが許可 きょか される[45] 。スカートは70年代 ねんだい まで紺色 こんいろ のプリーツであったが、現在 げんざい では上衣 うわぎ と同色 どうしょく のタイトスカートとなっている。
海軍 かいぐん の軍服 ぐんぷく もソ連 それん 海軍 かいぐん の軍装 ぐんそう が原型 げんけい であり兵 へい 下士官 かしかん はセ せ ーラ ら ー服 ふく 、軍 ぐん 官 かん は折襟 おりえり 式 しき の軍服 ぐんぷく である。空軍 くうぐん は陸軍 りくぐん とほぼ同 おな じデザインの軍装 ぐんそう であるが、兵科 へいか 色 しょく と徽章 きしょう が陸軍 りくぐん とは異 こと なり、また制帽 せいぼう に徽章 きしょう が入 はい る。
軍 ぐん 官 かん 用 よう 戦闘 せんとう 服 ふく ・外出 がいしゅつ 服 ふく [ 編集 へんしゅう ]
1947年 ねん 制定 せいてい
裁断 さいだん はソ連 それん の「キーチェリ」型 がた とほぼ同様 どうよう である。ポケットは胸 むね のみでボタンはない。色 いろ はカーキで、陸軍 りくぐん の場合 ばあい 襟 えり 、袖 そで 、そして袴 はかま に赤 あか いパイピングが入 はい る。空軍 くうぐん はパイピングが青色 あおいろ であること以外 いがい には陸軍 りくぐん と同様 どうよう 。夏 なつ になると白 しろ い上衣 うわぎ も存在 そんざい した。
1958年 ねん ~現在 げんざい
折襟 おりえり になった以外 いがい は裁断 さいだん の意匠 いしょう に大差 たいさ はないが、袖 そで 、及 およ び袴 はかま のパイピングが廃止 はいし されたシンプルなものとなった。1970年代 ねんだい までは乗馬 じょうば ズボンも使用 しよう されていたが、現在 げんざい では護衛 ごえい 司令 しれい 部 ぶ や名誉 めいよ 衛兵 えいへい 隊 たい 要員 よういん を除 のぞ きスラックスのみとなっている。
着用 ちゃくよう 対象 たいしょう は基本 きほん 的 てき に軍 ぐん 官 かん だが、護衛 ごえい 司令 しれい 部 ぶ の他 ほか に軍楽隊 ぐんがくたい や板門店 はんもんてん 警務 けいむ 隊 たい や宣伝 せんでん 隊 たい などの特別 とくべつ 待遇 たいぐう 軍人 ぐんじん たる戦士 せんし にも支給 しきゅう される。
1960年代 ねんだい 。乗馬 じょうば ズボンに長靴 ながぐつ 姿 すがた の軍 ぐん 官 かん
板門店 はんもんてん の
会議 かいぎ 場 じょう 内 ない を
警備 けいび する
兵士 へいし (
右 みぎ :
下士 かし 、
左 ひだり :
上等 じょうとう 兵 へい )
軍事 ぐんじ 境界 きょうかい 線 せん で監視 かんし を行 おこな う下士官 かしかん 。軍事 ぐんじ 称号 しょうごう はいずれも下士 かし (伍長 ごちょう に相当 そうとう )(1998年 ねん 10月 がつ 9日 にち )
女性 じょせい 兵士 へいし (2010年 ねん 9月 がつ )
軍事 ぐんじ 境界 きょうかい 線 せん における戦士 せんし (兵 へい の最下 さいか 級 きゅう クラス)。兵卒 へいそつ もサム・ブラウンベルトの支給 しきゅう 対象 たいしょう であることがわかる(1990年 ねん 10月 がつ 1日 にち )
米 べい 軍 ぐん 高官 こうかん と対面 たいめん する将校 しょうこう (佐官 さかん クラス)
1958年 ねん の被服 ひふく 改正 かいせい に伴 ともな い、新 あら たに一般 いっぱん 将校 しょうこう を対象 たいしょう とした開襟 かいきん 式 しき の礼服 れいふく が採用 さいよう された。当初 とうしょ 、色 いろ はOD色 しょく で鉢巻 はちまき もなく、また女性 じょせい は蝶 ちょう ネクタイを使用 しよう し紺 こん のプリーツスカートを穿 は いていた。現在 げんざい では以下 いか の正装 せいそう 、礼装 れいそう (常勤 じょうきん 服 ふく )、そして略 りゃく 礼装 れいそう の3種類 しゅるい がある。
正装 せいそう
正装 せいそう は、1970年 ねん に採用 さいよう されたもので、集会 しゅうかい や海外 かいがい 要人 ようじん との会見 かいけん などといった一般 いっぱん 的 てき な場 ば や板門店 はんもんてん 警備 けいび 隊 たい などでも日常 にちじょう 的 てき に用 もち いられていたが、1985年 ねん よりその役割 やくわり は常勤 じょうきん 服 ふく に取 と って代 か わられた。現在 げんざい では主 おも に軍事 ぐんじ パレード等 とう 儀礼 ぎれい の場 ば で着用 ちゃくよう されるのみである。1958年 ねん 制式 せいしき の礼服 れいふく と似 に ているが、色合 いろあ いは明 あか るいカーキ色 しょく で、帽子 ぼうし には赤 あか い鉢巻 はちまき が入 はい り装飾 そうしょく も華 はな やかなものとなった。肩章 けんしょう はショルダーボード型 がた 。ズボンには2本 ほん のストライプが付 つ いている。ポケットは胸 むね 2点 てん と下部 かぶ 2点 てん の計 けい 4点 てん であったが、92年 ねん に胸 むね ポケットが廃止 はいし され、同時 どうじ に将官 しょうかん 礼服 れいふく 襟章 えりしょう と佐官 さかん 礼服 れいふく 襟章 えりしょう のデザインも変更 へんこう された。2011年 ねん の金 きむ 正日 じょんいる 総 そう 書記 しょき 死去 しきょ 時 じ に将官 しょうかん の帽子 ぼうし の装飾 そうしょく が廃 はい され、その後 ご 赤 あか い鉢巻 はちまき も廃 はい された。
2015年 ねん 10月 がつ 10日 とおか の党 とう 創建 そうけん 70周年 しゅうねん 記念 きねん 式典 しきてん では新 あら たに飾 かざり 緒 いとぐち を付 つ けている事 こと が確認 かくにん できる。
礼装 れいそう (常勤 じょうきん 服 ふく )
1985年 ねん ごろに採用 さいよう されたもので、やや古臭 ふるくさ さの残 のこ る外出 がいしゅつ 服 ふく や正装 せいそう と比較 ひかく すると比較的 ひかくてき 洗練 せんれん された印象 いんしょう を受 う ける。機能 きのう 性 せい ・実用 じつよう 性 せい を重視 じゅうし し、装飾 そうしょく を控 ひか えたシンプルな意匠 いしょう となっている。裁断 さいだん は4 よっ つボタンのブレザー、肩章 けんしょう はショルダーループ型 がた で、ポケットは下部 かぶ 2点 てん のほか右 みぎ 胸 むね にもある[46] 。将官 しょうかん 以上 いじょう は帽子 ぼうし の腰 こし 回 まわ りに礼装 れいそう と同様 どうよう の装飾 そうしょく が入 はい っていたが、こちらも正装 せいそう と同様 どうよう 、2011年 ねん 以降 いこう に廃止 はいし された。
板門店 はんもんてん 警務 けいむ 隊 たい や説明 せつめい 員 いん などの重要 じゅうよう 職務 しょくむ につく軍 ぐん 官 かん には夏季 かき シャツも支給 しきゅう される。ソ連 それん 軍 ぐん のブルゾン型 がた 盛夏 せいか シャツと似 に ているが、腰 こし の調節 ちょうせつ タブと絞 しぼ り部分 ぶぶん にボタンが付 つ き、胸 むね のポケットにはプリーツが入 はい る。長袖 ながそで タイプと半袖 はんそで タイプがあり、長袖 ながそで の場合 ばあい はワンタッチ式 しき の短 みじか いネクタイを着用 ちゃくよう 。2013年 ねん ごろから将官 しょうかん 向 む けにも新 あら たな夏季 かき シャツが導入 どうにゅう された。こちらは開襟 かいきん で腰 こし の絞 しぼ りはゴム型 がた である。
陸軍 りくぐん 中佐 ちゅうさ (2008年 ねん 9月 がつ 26日 にち )
米 べい 韓 かん 軍 ぐん 高官 こうかん と会談 かいだん する将官 しょうかん 。奥 おく から二 に 番目 ばんめ の人物 じんぶつ は人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん の軍人 ぐんじん 。(1990年 ねん 10月 がつ 1日 にち )
男性 だんせい 用 よう 常勤 じょうきん 服 ふく (2011年 ねん 8月 がつ )
女性 じょせい 用 よう 常勤 じょうきん 服 ふく (2011年 ねん 8月 がつ )
夏季 かき 常勤 じょうきん 服 ふく の博物館 はくぶつかん 員 いん たる女性 じょせい 軍 ぐん 官 かん (2012年 ねん 8月 がつ )
夏季 かき シャツの板門店 はんもんてん 警備 けいび 要員 よういん (奥 おく のヘルメットをかぶった中尉 ちゅうい 、2014年 ねん 8月 がつ )
改正 かいせい 後 ご の
次 じ 帥 そち (
黄 き 炳瑞、2014
年 ねん 10
月 がつ )
略 りゃく 礼装 れいそう
2012年 ねん 4月 がつ 15日 にち の金 きむ 日成 いるそん 生誕 せいたん 100周年 しゅうねん 祝賀 しゅくが 閲兵 えっぺい 式 しき にて新 あら たに導入 どうにゅう が確認 かくにん されたもの。前述 ぜんじゅつ の夏季 かき 白 しろ キーチェリを強 つよ く意識 いしき した意匠 いしょう となっている。上衣 うわぎ は白 しろ の折襟 おりえり で、階級 かいきゅう 章 あきら は肩 かた に付 つ け、襟 えり には赤 あか で縁 よ った柏葉 はくよう 型 がた の金色 きんいろ の装飾 そうしょく がつく [1] 。サムブラウンベルトを使用 しよう する場合 ばあい もある。袴 はかま は紺色 こんいろ で、赤 あか のパイピングが2本 ほん 入 はい っており、スラックスと乗馬 じょうば ズボンの2種類 しゅるい がある。帽子 ぼうし は官 かん 帽 ぼう ではなく、略 りゃく 帽 ぼう を被 こうむ る。勲章 くんしょう の佩用 はいよう は略綬 りゃくじゅ で行 おこな われる。
[2]
なお、これまで将官 しょうかん の中 なか でも上 うえ 将 すすむ 級 きゅう ~次 じ 帥 そち といった最上級 さいじょうきゅう の軍人 ぐんじん しか着用 ちゃくよう が確認 かくにん されてこなかったが、2015年 ねん 10月 がつ 10日 とおか の党 とう 創建 そうけん 70周年 しゅうねん 記念 きねん 式典 しきてん では学校 がっこう 部隊 ぶたい と思 おも われる下級 かきゅう 軍 ぐん 官 かん も着用 ちゃくよう しており、着用 ちゃくよう 対象 たいしょう は不明 ふめい 。
パレード礼装 れいそう
主 おも な構造 こうぞう は通常 つうじょう の外出 がいしゅつ 服 ふく や戦士 せんし 服 ふく と同様 どうよう だが、ソ連 それん のM69のように軍事 ぐんじ 称号 しょうごう を示 しめ す肩章 けんしょう と朝鮮人民軍 ちょうせんじんみんぐん の徽章 きしょう のみが入 はい った襟章 えりしょう が付 つ く。戦士 せんし 級 きゅう だけではなく、部隊 ぶたい 長 ちょう 以外 いがい の軍 ぐん 官 かん も着用 ちゃくよう する。ソ連 それん のように取 と り外 はず して平時 へいじ の外出 がいしゅつ 服 ふく と共用 きょうよう しているのかは不明 ふめい 。2015年 ねん の閲兵 えっぺい 式 しき では肩章 けんしょう ・襟章 えりしょう ともに外側 そとがわ を黄色 きいろ で囲 かこ むようになったが、2016年 ねん 10月 がつ 10日 とおか の党 とう 創建 そうけん 70周年 しゅうねん 閲兵 えっぺい 式 しき では再 ふたた び元 もと に戻 もど っている。2017年 ねん 4月 がつ の太陽 たいよう 節 ぶし 閲兵 えっぺい 式 しき では、正装 せいそう のような袖章 そでしょう が追加 ついか された[47] 。また、迷彩 めいさい 服 ふく にも同様 どうよう の仕様 しよう がなされていることが確認 かくにん できる。
護衛 ごえい 司令 しれい 部 ぶ 所属 しょぞく と思 おも われる閲兵 えっぺい 式 しき での警備 けいび 要員 よういん 、軍楽隊 ぐんがくたい などに支給 しきゅう される仕様 しよう も同 おな じ構造 こうぞう だが、襟 えり と袖 そで そして袴 はかま に赤 あか いパイピングが入 はい り、肩章 けんしょう の両 りょう 端 はし に藍色 あいいろ のパイピングが入 はい る [3] [4] 。
制帽 せいぼう (官 かん 帽 ぼう )はソ連 それん 軍 ぐん タイプのいわゆるフラーシュカである。外出 がいしゅつ 服 ふく の場合 ばあい 、将官 しょうかん 級 きゅう の顎 あご 紐 ひも が金 きん モールであることを除 のぞ いては将校 しょうこう 下士官 かしかん の意匠 いしょう に違 ちが いはない。ただし下士官 かしかん 兵 へい や下級 かきゅう 将校 しょうこう の場合 ばあい クラウン部 ぶ の骨 ほね が不十分 ふじゅうぶん のため、綿 めん を詰 つ めることでかろうじて高 たか さを保 たも っている[43] 。1990年代 ねんだい 初頭 しょとう よりソ連 それん ・ロシアの影響 えいきょう でクラウン部 ぶ が高 たか くなった。
正装 せいそう は陸軍 りくぐん は赤 あか 、空軍 くうぐん は青 あお の鉢巻 はちまき が入 はい っていた。将官 しょうかん の場合 ばあい 、正装 せいそう ・礼装 れいそう ともに鉢巻 はちまき 部 ぶ に金 かね の装飾 そうしょく が付 つ き、この装飾 そうしょく は92年 ねん に若干 じゃっかん の改正 かいせい がなされたが2012年 ねん までに全廃 ぜんぱい された。
帽章 ぼうしょう は金属 きんぞく だが、将官 しょうかん は金 かね の刺繍 ししゅう となる。
女性 じょせい は兵士 へいし はベレー帽 ぼう 、士官 しかん はクラッシュキャップ(天井 てんじょう 両 りょう 脇 わき をへこませている)式 しき の官 かん 帽 ぼう であったが、1970年代 ねんだい にベレー帽 ぼう へと統一 とういつ された。しかし2011年 ねん 4月 がつ 頃 ごろ より陸軍 りくぐん ・空軍 くうぐん の軍 ぐん 官 かん 及 およ び長期 ちょうき 服務 ふくむ 士官 しかん と学校 がっこう 生徒 せいと 、軍 ぐん 官 かん 候補 こうほ 生 せい にクラッシュキャップが復活 ふっかつ [5] 、また、将官 しょうかん は男性 だんせい と同 どう タイプの官 かん 帽 ぼう を被 こうむ るようになった。
一方 いっぽう 、戦闘 せんとう 帽 ぼう はソ連 それん とは異 こと なりケピ帽 ぼう のような独自 どくじ の形状 けいじょう をしている。これは官 かん 帽 ぼう よりも先 さき に制定 せいてい され、デザイン自体 じたい は朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう 前後 ぜんこう の時代 じだい から現在 げんざい にいたるまでほぼ変化 へんか はない。両側 りょうがわ には防寒 ぼうかん のため耳 みみ 当 あ てが付 つ いており、国民 こくみん 革命 かくめい 軍 ぐん の使用 しよう した規格 きかく 帽 ぼう を髣髴 ほうふつ とさせる。軍 ぐん 官 かん は全面 ぜんめん に2本 ほん の赤 あか 線 せん (空軍 くうぐん は青 あお )が入 はい る。また、戦士 せんし 級 きゅう でも長期 ちょうき 服務 ふくむ 士官 しかん (98年 ねん 以前 いぜん は長期 ちょうき 服務 ふくむ 兵 へい )や軍 ぐん 官 かん 学校 がっこう 生 せい は軍 ぐん 官 かん 用 よう 帽子 ぼうし を被 こうむ る。元帥 げんすい クラスはあご紐 ひも に金 きん モールが付 つ く。2011年 ねん ごろの改定 かいてい で高 たか くなった。
陸軍 りくぐん 大将 たいしょう 。あご紐 ひも に金 きん モールが付 つ いている(南 みなみ 日 び )
赤 あか いパイピングの入 はい ったものが軍 ぐん 官 かん 用 よう 、そうでないものが兵卒 へいそつ 用 よう である
改定 かいてい 後 ご の戦闘 せんとう 帽 ぼう (2011年 ねん 8月 がつ )
戦闘 せんとう 服 ふく ・防寒 ぼうかん 服 ふく [ 編集 へんしゅう ]
下士官 かしかん 兵 へい は平時 へいじ 戦士 せんし 服 ふく (戦闘 せんとう 服 ふく )が基本 きほん である。47年 ねん 制式 せいしき ではソ連 それん 軍 ぐん の35/41型 がた ギムナスチョルカの影響 えいきょう を受 う けつつも、朝鮮 ちょうせん の伝統 でんとう 衣装 いしょう であるパジのような幅 はば の広 ひろ いズボンと開襟 かいきん 時 じ のガスフラップを特徴 とくちょう とする。58年 ねん 改正 かいせい 以降 いこう は折襟 おりえり であり、ズボンの丈 たけ も外出 がいしゅつ 服 ふく と変 か わらないが、裾 すそ をボタンで留 と めるものもある。
材質 ざいしつ はテトロンもしくは綿 めん 製 せい で、訓練 くんれん ・作業 さぎょう 等 とう の平時 へいじ には綿 めん 製 せい を使 つか うが、儀礼 ぎれい 時 じ にテトロン製 せい を使 つか うといった使 つか い分 わ けの規定 きてい はないとされる[48] 。夏服 なつふく の支給 しきゅう は3月 がつ 末 まつ に行 おこな われ4月 がつ 1日 にち に衣替 ころもが え、冬 ふゆ 服 ふく の支給 しきゅう は11月中旬 ちゅうじゅん に行 おこな われる[48] 。支給 しきゅう 頻度 ひんど は一般 いっぱん 部隊 ぶたい は2年 ねん に1回 かい 、軽 けい 歩兵 ほへい ・偵察 ていさつ 部隊 ぶたい は毎年 まいとし である[48] 。サイズは身長 しんちょう によって3号 ごう 、4号 ごう 、5号 ごう などと分 わ けられており、4号 ごう (166cm-172cm)が一般 いっぱん 的 てき とされる[49] 。
なお例外 れいがい として、工兵 こうへい 部隊 ぶたい (建設 けんせつ 部隊 ぶたい )は規律 きりつ の悪 わる さから通常 つうじょう の軍服 ぐんぷく を着用 ちゃくよう する事 こと が許 ゆる されなくなったため、赤 あか 茶色 ちゃいろ のブルゾン型 がた といった独自 どくじ の作業 さぎょう 服 ふく を着用 ちゃくよう 、兵 へい ・下士官 かしかん は労農 ろうのう 赤 あか 衛 まもる 軍 ぐん 兵士 へいし が被 こうむ るものと同様 どうよう ハンチング帽 ぼう と赤 あか い星章 せいしょう 、軍 ぐん 官 かん においては通常 つうじょう の戦闘帽 せんとうぼう を被 こうむ る。
迷彩 めいさい 服 ふく は、航空 こうくう 陸戦 りくせん 隊 たい 、海上 かいじょう 狙撃 そげき 旅団 りょだん などを中心 ちゅうしん にかつてのソ連 それん 軍 ぐん など東側 ひがしがわ の軍隊 ぐんたい に多 おお く見 み られたつなぎ式 しき の迷彩 めいさい 服 ふく を通常 つうじょう の軍服 ぐんぷく の上 うえ から着込 きこ む古 ふる いものであり、迷彩 めいさい の形状 けいじょう 、パターンは主 おも に3-4色 しょく からなるシンプルなダックハンターだった。色 いろ は濃 こ い緑 みどり 、薄 うす い緑 みどり 、ベージュ [6] 、濃 こ い緑 みどり 、薄 うす い緑 みどり 、赤 あか 茶色 ちゃいろ 、焦 こ げ茶 ちゃ 色 しょく [7] など複数 ふくすう が確認 かくにん できる。帽子 ぼうし は略 りゃく 帽 ぼう やウシャンカを被 こうむ るが、1992年 ねん の朝鮮人民軍 ちょうせんじんみんぐん 創建 そうけん 60周年 しゅうねん 記念 きねん 式典 しきてん には迷彩 めいさい 服 ふく と同 おな じパターンの略 りゃく 帽 ぼう の使用 しよう が確認 かくにん できる [8] 。この他 ほか 、対 たい 南 みなみ 浸透 しんとう 用 よう に韓国 かんこく 軍 ぐん の迷彩 めいさい を模倣 もほう することもあった。
しかし、これらの支給 しきゅう は前述 ぜんじゅつ の特殊 とくしゅ 部隊 ぶたい 等 とう 一部 いちぶ の部隊 ぶたい に限 かぎ られ、以降 いこう 21世紀 せいき になっても長 なが らく基本 きほん 的 てき な軍服 ぐんぷく に迷彩 めいさい は取 と り入 い れられない、近年 きんねん ではもはや珍 めずら しい類 るい の軍装 ぐんそう となった[† 2] 。これは共和 きょうわ 国 こく の深刻 しんこく な経済 けいざい 状況 じょうきょう により全 ぜん 軍 ぐん 支給 しきゅう ができない、或 ある いは一線 いっせん 級 きゅう 部隊 ぶたい のみでしか迷彩 めいさい 服 ふく が必要 ひつよう 視 し されていない事 こと から、迷彩 めいさい 服 ふく を大量 たいりょう 生産 せいさん するラインが確立 かくりつ できていないためと推定 すいてい されている[50] 。
こうした問題 もんだい は朝鮮人民軍 ちょうせんじんみんぐん 側 がわ も重 おも く受 う け止 と めていたようであり、2000年代 ねんだい より独立 どくりつ して着用 ちゃくよう するタイプの試作 しさく 迷彩 めいさい 服 ふく を3種類 しゅるい ほど製作 せいさく 。一 ひと つは中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん の87式 しき 迷彩 めいさい や99式 しき 迷彩 めいさい に似 に た4色 しょく パターン、もう一 ひと つは自衛隊 じえいたい の [9] 、そしてもう一 ひと つは韓国 かんこく 軍 ぐん の斑 むら 柄 がら 迷彩 めいさい 風 ふう であった [10] が、何 いず れも模様 もよう が縦長 たてなが でやや細 こま かくなるなど独特 どくとく なものであった。これらは師団 しだん 級 きゅう と思 おも われる複数 ふくすう の軍部 ぐんぶ 隊 たい で着用 ちゃくよう され、特 とく に人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 風 ふう は、2005年 ねん の人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん の演習 えんしゅう “北 きた 剑-2005”を観閲 かんえつ する駐在 ちゅうざい 武官 ぶかん も着用 ちゃくよう した[51] 。ポケットの形式 けいしき は貼 は りポケット型 がた で2つ切 き れ込 こ みが入 はい る。上衣 うわぎ の他 ほか 、両 りょう 腕 うで 上腕 じょうわん 部 ぶ にも1点 てん ずつ存在 そんざい する。領 りょう 章 あきら は左 ひだり 胸 むね に付 つ けており、星 ほし の数 かず とその左側 ひだりがわ の縦 たて 線 せん で示 しめ していた。
そして2010年 ねん 、全 ぜん 部隊 ぶたい 対象 たいしょう と思 おも われる迷彩 めいさい 服 ふく が正式 せいしき 導入 どうにゅう された。ポケットの形状 けいじょう 等 とう は試作 しさく 品 ひん に近 ちか いが、迷彩 めいさい パターンは87式 しき 迷彩 めいさい や99式 しき 迷彩 めいさい により近 ちか くなった。また領 りょう 章 あきら も試作 しさく 品 ひん の独特 どくとく なものではなく、通常 つうじょう の軍装 ぐんそう と同様 どうよう のパターンの軍事 ぐんじ 称号 しょうごう を襟 えり に付 つ けることとなった。ただし、低 てい 視認 しにん 性 せい を意識 いしき し下地 したじ は緑 みどり で、その周 まわ りを陸軍 りくぐん の場合 ばあい 赤 あか で囲 かこ む。襟 えり 布 ぬの は国境 こっきょう 部隊 ぶたい を除 のぞ き基本 きほん 的 てき に付 つ けないものと推測 すいそく される。まずは国境 こっきょう 警備 けいび に当 あ たる朝鮮 ちょうせん 人民 じんみん 内務 ないむ 軍 ぐん (後述 こうじゅつ )などの前方 ぜんぽう 師団 しだん を中心 ちゅうしん に支給 しきゅう が始 はじ まり[49] 、日 ひ を追 お うごとに普及 ふきゅう 率 りつ は高 たか まりつつあると考 かんが えられる。
しかし、厳 きび しい経済 けいざい 状況 じょうきょう の中 なか でこうした急速 きゅうそく かつ大量 たいりょう 生産 せいさん は生産 せいさん 側 がわ にかなりの無理 むり を強 し いたようで、軍服 ぐんぷく の生 なま 地質 ちしつ の悪化 あっか や製法 せいほう の簡略 かんりゃく 化 か などが多 おお く行 おこな われており、基本 きほん 的 てき な耐久 たいきゅう 性 せい すらも疑問 ぎもん 視 し される程 ほど である。2016年 ねん 10月 がつ に韓国 かんこく メディアで現物 げんぶつ が紹介 しょうかい されたが、縫 ぬ い目 め が整理 せいり されておらず、返 かえ し縫 ぬ いは仕上 しあ げが正 ただ しくされていないなど非常 ひじょう に杜撰 ずさん な作 つく りであることが明示 めいじ された。また、着用 ちゃくよう 者 しゃ によれば肌触 はだざわ りも悪 わる く、規定 きてい サイズよりも小 ちい さいとの事 こと である[49] 。このため、輸入 ゆにゅう した方 ほう が安上 やすあ がりであるため、朝鮮 ちょうせん 族 ぞく を通 とお して中国 ちゅうごく 国内 こくない の工場 こうじょう に外注 がいちゅう したり[52] 、後方 こうほう 部隊 ぶたい では07式 しき 迷彩 めいさい の導入 どうにゅう で不要 ふよう となった人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん の99式 しき 迷彩 めいさい 服 ふく を安値 やすね で買 か い取 と っているとされる[50] 。
ヘルメットは長 なが らくソ連 それん のSSh-40に似 に た古 ふる めかしいものに迷彩 めいさい ヘルメットカバーを被 かぶ せていたが、2011年 ねん 頃 ごろ より板門店 はんもんてん 警備 けいび 隊 たい を中心 ちゅうしん にケプラー製 せい ないしプラスチック製 せい のフリッツヘルメットが現 あらわ れた。2015年 ねん 、2016年 ねん の閲兵 えっぺい 式 しき の映像 えいぞう でもヘルメットはフリッツヘルメットにほぼ置 お き換 か わっており、かなりの数 かず が急速 きゅうそく に普及 ふきゅう していると思 おも われる。PASGT型 がた ヘルメットに似 に ているが顎 あご 紐 ひも が4点 てん 式 しき で、ヘルメットカバーではなく直接 ちょくせつ 塗装 とそう しているようである。
また、2016年 ねん 12月11日 にち に公開 こうかい された人民 じんみん 軍 ぐん 第 だい 525軍部 ぐんぶ 隊 たい (総 そう 参謀 さんぼう 部 ぶ 作戦 さくせん 局 きょく )直属 ちょくぞく の特殊 とくしゅ 作戦 さくせん 大隊 だいたい による青瓦台 チョンワデ 襲撃 しゅうげき 訓練 くんれん では、暗視装置 あんしそうち や防弾 ぼうだん ベスト、ニーパッドなど装備 そうび の急速 きゅうそく な近代 きんだい 化 か が確認 かくにん できる[53] 。2017年 ねん 太陽 たいよう 節 ぶし での閲兵 えっぺい 式 しき では、こうした近代 きんだい 化 か 装備 そうび の兵士 へいし が登場 とうじょう し、デジタル迷彩 めいさい 仕様 しよう であることが判明 はんめい した。またこれ以外 いがい にも、灰色 はいいろ など多様 たよう な迷彩 めいさい パターンが見受 みう けられる。
更 さら に2020年 ねん 10月 がつ に行 おこな われた軍事 ぐんじ パレードでは行進 こうしん した部隊 ぶたい のほとんど全 すべ てが新種 しんしゅ の迷彩 めいさい が施 ほどこ された戦闘 せんとう 服 ふく になり、防弾 ぼうだん ベストやニーパッド、フリッツ式 しき のヘルメットを装備 そうび していた。モバイル端末 たんまつ らしきものを右腕 うわん のポケットにしまっている兵士 へいし も見 み られた。
また多種 たしゅ 多様 たよう な戦場 せんじょう を想定 そうてい しているのか、砂漠 さばく 迷彩 めいさい や寒冷 かんれい 地 ち 用 よう の迷彩 めいさい が施 ほどこ された部隊 ぶたい も新 あら たに登場 とうじょう した。
防寒 ぼうかん 服 ふく としてはソ連 それん 式 しき のテログレイカ と呼 よ ばれる服 ふく に似 に た綿 めん の入 い れられた特徴 とくちょう 的 てき な被服 ひふく がある。この防寒 ぼうかん 服 ふく は九州 きゅうしゅう 南西 なんせい 海域 かいいき 工作 こうさく 船 せん 事件 じけん において自爆 じばく した工作 こうさく 船 せん から回収 かいしゅう された遺留 いりゅう 品 ひん の中 なか にも同型 どうけい の防寒 ぼうかん 服 ふく がある。また防寒 ぼうかん 帽 ぼう も同 おな じくソ連 それん 式 しき のウシャンカ 型 かた である点 てん も各 かく 共産 きょうさん 圏 けん 軍装 ぐんそう とも共通 きょうつう した特徴 とくちょう である。
一方 いっぽう 、軍 ぐん 官 かん および特別 とくべつ 待遇 たいぐう 軍人 ぐんじん たる戦士 せんし が制服 せいふく と併用 へいよう して着用 ちゃくよう する通常 つうじょう 勤務 きんむ 用 よう の外套 がいとう はボタン4個 こ 2列 れつ ダブルブレストのチェスターフィールドコート であり、将官 しょうかん 、元帥 げんすい クラスとなると袖章 そでしょう が付 つ く。
1947年 ねん 制式 せいしき の戦士 せんし 服 ふく
1958年 ねん 制式 せいしき の現行 げんこう 戦士 せんし 服 ふく を着用 ちゃくよう した非 ひ 武装 ぶそう 地帯 ちたい の歩哨 ほしょう (上等 じょうとう 兵 へい )。本来 ほんらい 上衣 うわぎ は下 しも 衣 ころも の中 なか に入 い れなければならないが、彼 かれ は外 そと に出 だ している(2005年 ねん 7月 がつ 31日 にち )
少尉 しょうい (前列 ぜんれつ 右 みぎ 端 はし )に引率 いんそつ される下士官 かしかん 兵 へい ら。制服 せいふく を着用 ちゃくよう している軍 ぐん 官 かん との違 ちが いに注目 ちゅうもく (2012年 ねん 8月 がつ 5日 にち )
2010年 ねん 型 がた の迷彩 めいさい 服 ふく を着用 ちゃくよう する部隊 ぶたい (2015年 ねん 10月 がつ )
2010年 ねん 型 がた の迷彩 めいさい 服 ふく を着用 ちゃくよう する部隊 ぶたい (2015年 ねん 10月 がつ )
SSh-40タイプのヘルメットを被 こうむ った軍 ぐん 官 かん (中央 ちゅうおう :少尉 しょうい 、両 りょう 端 はし :中尉 ちゅうい )
新型 しんがた のフリッツヘルメットを被 こうむ った兵士 へいし (2015年 ねん 10月 がつ )
外套 がいとう を着用 ちゃくよう する下士 かし (伍長 ごちょう に相当 そうとう )(2009年 ねん 3月 がつ 6日 にち )
外套 がいとう 着用 ちゃくよう の大尉 たいい (2018年 ねん 3月 がつ )
外套 がいとう を
着用 ちゃくよう した
中将 ちゅうじょう 。(
李 り 相 しょう 朝 あさ 、1953
年 ねん 4
月 がつ 10日 とおか )
建設 けんせつ 部隊 ぶたい 将兵 しょうへい (2012年 ねん 8月 がつ 5日 にち )
軍 ぐん 官 かん 、戦士 せんし ともに軍靴 ぐんか と戦闘 せんとう 靴 くつ の2種類 しゅるい があり、戦士 せんし の場合 ばあい 、戦闘 せんとう 靴 くつ は「地 ち 下足 げそく 」と呼 よ ばれ、1年 ねん に1足 そく 、狙撃 そげき 、軽 けい 歩兵 ほへい 、偵察 ていさつ 部隊 ぶたい 支給 しきゅう 頻度 ひんど は1年 ねん に2足 そく 、軍靴 ぐんか は2年 ねん に1足 そく とされるが[54] 、物資 ぶっし 不足 ふそく から更新 こうしん がままならず10年 ねん に1足 そく のケースもあるという[55] 。更新 こうしん 頻度 ひんど は軍 ぐん 官 かん も同一 どういつ だが、上 うえ 佐 たすく 以上 いじょう の高級 こうきゅう 軍 ぐん 官 かん は毎年 まいとし 革 かわ 製 せい の短靴 たんぐつ が支給 しきゅう される[56] 。靴下 くつした は基本 きほん 的 てき に配給 はいきゅう されず、高級 こうきゅう 軍 ぐん 官 かん や一部 いちぶ の長期 ちょうき 服務 ふくむ 士官 しかん などエリート層 そう を除 のぞ いてソ連 それん 軍 ぐん 式 しき のポルチャンキ を使用 しよう する[57] [58] 。
兵科 へいか 章 あきら は階級 かいきゅう 章 あきら 上部 じょうぶ に併記 へいき されていたが、92年 ねん 改正 かいせい で「陸海空 りくかいくう の三軍 さんぐん 種 しゅ のみ」と簡略 かんりゃく 化 か された。芸術 げいじゅつ 宣伝 せんでん 隊 たい 、体育 たいいく 団 だん 、軍 ぐん 学校 がっこう 生徒 せいと 、軍楽隊 ぐんがくたい 博物館 はくぶつかん 員 いん は本来 ほんらい 軍事 ぐんじ 称号 しょうごう を明記 めいき する肩章 けんしょう ・襟章 えりしょう の部分 ぶぶん に特殊 とくしゅ 兵科 へいか 章 しょう を付 つ ける。
1998年 ねん から導入 どうにゅう された長期 ちょうき 服務 ふくむ 士官 しかん 制度 せいど は、通常 つうじょう の戦士 せんし 級 きゅう 領 りょう 章 あきら とは異 こと なり、黄色 おうしょく の下地 したじ に赤 あか 線 せん で軍事 ぐんじ 称号 しょうごう を示 しめ す。この制度 せいど は技術 ぎじゅつ 系 けい 、准 じゅん 士官 しかん 等 とう の説 せつ があるが詳細 しょうさい は不明 ふめい 。
海軍 かいぐん の領 りょう 章 しょう や各 かく パイピングは黒 くろ を基調 きちょう とする。軍 ぐん 官 かん の制服 せいふく は色 いろ を除 のぞ き陸軍 りくぐん と同 おな じ裁断 さいだん だが、パイピングの代 か わりに袖 そで にも階級 かいきゅう 章 しょう がつく。帽章 ぼうしょう は星章 せいしょう に柏葉 はくよう を配 はい しその上 うえ に錨 いかり が付 つ く。陸 りく ・空軍 くうぐん と同 おな じく常勤 じょうきん 服 ふく や礼装 れいそう も同様 どうよう にあるが、軍服 ぐんぷく の色 いろ ・徽章 きしょう ・ボタンは海軍 かいぐん 独特 どくとく である。常勤 じょうきん 服 ふく のワイシャツは白 しろ 、水色 みずいろ 、カーキ色 しょく 等 とう が確認 かくにん される。
セーラー帽 ぼう のペンネントには朝鮮人民軍 ちょうせんじんみんぐん 海軍 かいぐん のチョソングルが入 はい る。兵 へい 下士官 かしかん の階級 かいきゅう 章 あきら はセ せ ーラ ら ー服 ふく であるため、長方形 ちょうほうけい の肩章 けんしょう 式 しき となる。またベルトバックルには海軍 かいぐん を示 しめ す錨 いかり と星 ほし の重 かさ なったマークが入 はい るバックルとなる。また、陸上 りくじょう 勤務 きんむ 者 しゃ は戦士 せんし 級 きゅう にも黒 くろ い外出 がいしゅつ 服 ふく も支給 しきゅう される [11] 。
夏服 なつふく は上着 うわぎ 及 およ び制帽 せいぼう が白色 はくしょく 、冬 ふゆ 服 ふく は黒色 こくしょく となる。袴 はかま は夏 なつ 冬 ふゆ 一貫 いっかん して黒 くろ である。
空軍 くうぐん の領 りょう 章 しょう や各 かく パイピングは青 あお を基調 きちょう とする。腰部 ようぶ の帽章 ぼうしょう は陸軍 りくぐん と同一 どういつ で、ソ連 それん 空軍 くうぐん のように別個 べっこ にクラウン前面 ぜんめん にウィングマークがついていたが、2014年 ねん ごろに腰部 ようぶ の帽章 ぼうしょう と統一 とういつ された。
航空 こうくう 要員 よういん はグリーンの布製 ぬのせい 、あるいは中国 ちゅうごく 空軍 くうぐん が2004年 ねん まで使 つか っていた59式 しき の夏 なつ 飛行 ひこう 皮 がわ 服 ふく 、冬 ふゆ 飛行 ひこう 皮 がわ 服 ふく とほぼ同型 どうけい (あるいは全 まった く同 おな じ)の革 かわ 製 せい のフライトジャケットとズボンを使用 しよう している[59] [60] [61] [62] 。ヘルメットはソ連 それん で1960年代 ねんだい に導入 どうにゅう されたZsh-3と思 おも われる、無線 むせん 機 き 内蔵 ないぞう の革 かわ 製 せい 飛行 ひこう 帽 ぼう の上 うえ からバイザー付 つ きヘルメットを被 こうむ るタイプのもので、1983年 ねん 2月 がつ に韓国 かんこく に亡命 ぼうめい した李 り 雄平 ゆうへい 大尉 たいい や1996年 ねん 10月 がつ に亡命 ぼうめい したリ・チョルス大尉 たいい も被 こうむ っており、この頃 ころ には既 すで に導入 どうにゅう されていたものと思 おも われる。
帽章 ぼうしょう 改正 かいせい 前 まえ の空軍 くうぐん 士官 しかん ら(2012年 ねん 8月 がつ )
布製 ぬのせい 飛行 ひこう 服 ふく を着用 ちゃくよう した航空 こうくう 要員 よういん (2015年 ねん 10月 がつ )
布製 ぬのせい 飛行 ひこう 服 ふく に帽章 ぼうしょう 改正 かいせい 後 ご の制帽 せいぼう を被 こうむ った女性 じょせい 軍 ぐん 官 かん (2015年 ねん 10月 がつ )
背嚢 はいのう を背負 せお った空軍 くうぐん 兵士 へいし ら(2011年 ねん 8月 がつ )
人民 じんみん 保安 ほあん 省 しょう [ 編集 へんしゅう ]
警察 けいさつ 機関 きかん である人民 じんみん 保安 ほあん 省 しょう の保安 ほあん 員 いん およびその準 じゅん 軍事 ぐんじ 組織 そしき である朝鮮 ちょうせん 人民 じんみん 内務 ないむ 軍 ぐん 将兵 しょうへい (旧 きゅう 朝鮮 ちょうせん 人民 じんみん 警備 けいび 隊 たい )の領 りょう 章 しょう や各 かく パイピングは緑 みどり を基調 きちょう とする。また、外出 がいしゅつ 服 ふく はともにキーチェリ型 がた となっており、1947年 ねん 制式 せいしき を復古 ふっこ させたような印象 いんしょう を受 う ける。
社会 しゃかい 安全 あんぜん 部 ぶ 管轄 かんかつ 当時 とうじ の保安 ほあん 員 いん (当時 とうじ は社会 しゃかい 安全 あんぜん 員 いん と呼称 こしょう されていた)の制服 せいふく は、1970年代 ねんだい は紺色 こんいろ の折襟 おりえり で貼 は りポケット、領 りょう 章 あきら は肩 かた で示 しめ していたが、のちに現在 げんざい の様 よう なカーキ色 しょく のキーチェリ型 がた となる。帽章 ぼうしょう は2014年 ねん までは盾 たて の下 した 側 がわ を柏葉 はくよう で囲 かこ んだ円形 えんけい 章 しょう で、盾 たて の中 なか には朝鮮 ちょうせん 労働党 ろうどうとう の紋章 もんしょう の入 はい った赤星 あかほし を内側 うちがわ より白 しろ 円 えん と赤 あか →白 しろ →青 あお の10角形 かくがた で囲 かこ んだ。2014年 ねん 以降 いこう は盾 たて と柏葉 はくよう 型 がた となり、10角形 かくがた は内側 うちがわ より赤 あか →青 あお の2色 しょく となった。
ズボンは2000年代 ねんだい 半 なか ば頃 ごろ から紺色 こんいろ になったが、少 すく なくとも2008年 ねん 末 まつ 以降 いこう にはカーキに戻 もど された。
2014年 ねん に大 だい 規模 きぼ な改定 かいてい がなされ、帽章 ぼうしょう の変更 へんこう 、また雨 あめ 蓋 ぶた にボタンが付 つ くようになり、夏季 かき シャツと女性 じょせい 向 む けにハイバック型 がた の帽子 ぼうし が導入 どうにゅう された。
軍 ぐん 官 かん 常勤 じょうきん 服 ふく は陸 りく 空軍 くうぐん と同様 どうよう の開襟 かいきん ブレザーだが、領 りょう 章 あきら は正装 せいそう と同一 どういつ であり、また中 なか のシャツはこげ茶 ちゃ 色 しょく となる。
交通 こうつう 保安 ほあん 員 いん 制服 せいふく は冬季 とうき は青色 あおいろ 、夏季 かき は白 しろ の折襟 おりえり で、90年代 ねんだい 以降 いこう 平壌 ぴょんやん のみ開襟 かいきん となる。
朝鮮 ちょうせん 人民 じんみん 警備 けいび 隊 たい は社会 しゃかい 安全 あんぜん 部 ぶ の管轄 かんかつ 当時 とうじ よりその任務 にんむ 上 じょう 、人民 じんみん 軍 ぐん と同様 どうよう の軍装 ぐんそう であったが、領 りょう 章 あきら は緑 みどり であった。人民 じんみん 武力 ぶりょく 部 ぶ 管轄 かんかつ の頃 ころ より領 りょう 章 しょう を赤 あか で囲 かこ むようになる。朝鮮 ちょうせん 人民 じんみん 内務 ないむ 軍 ぐん への組織 そしき 変更 へんこう に伴 ともな い、人民 じんみん 保安 ほあん 員 いん と同一 どういつ の制服 せいふく となったが、帽章 ぼうしょう は人民 じんみん 軍 ぐん と同一 どういつ となる。また、常勤 じょうきん 服 ふく はシャツの色 いろ が明 あか るいカーキ色 しょく となる。ただし、人民 じんみん 内務 ないむ 軍 ぐん 機動 きどう 隊 たい は保安 ほあん 員 いん 軍装 ぐんそう を着 き 装 そう する。野戦 やせん 装備 そうび は陸軍 りくぐん と同 おな じ戦士 せんし 服 ふく であり、国境 こっきょう 警備 けいび という任務 にんむ 上 じょう 、迷彩 めいさい 服 ふく も広 ひろ く普及 ふきゅう しているものとみられる。この迷彩 めいさい 服 ふく は陸軍 りくぐん とは異 こと なり、襟章 えりしょう は外出 がいしゅつ 服 ふく と同 おな じものを使用 しよう 、また略 りゃく 帽 ぼう には軍 ぐん 官 かん であることを示 しめ す黒 くろ 線 せん が入 はい っている様子 ようす が確認 かくにん できる [12] 。
保安 ほあん 員 いん の大尉 たいい (右 みぎ )と下士 かし (左 ひだり )(2010年 ねん 8月 がつ 14日 にち )
保安 ほあん 員 いん の上 うえ 尉 じょう (右 みぎ )と大尉 たいい (左 ひだり )(2010年 ねん 9月 がつ )
少年 しょうねん 体育 たいいく 団 だん 員 いん (2011年 ねん 8月 がつ )
保安 ほあん 員 いん 少佐 しょうさ (手前 てまえ 、2013年 ねん 7月 がつ )
保安 ほあん 員 いん 戦士 せんし 。
帽章 ぼうしょう の
変更 へんこう がなされている(2015
年 ねん 10
月 がつ 、
妙香 みょうこう 山 さん )
夏季 かき 制服 せいふく の交通 こうつう 保安 ほあん 員 いん (平壌 ぴょんやん 、2007年 ねん 8月 がつ 20日 はつか )
冬季 とうき 制服 せいふく の交通 こうつう 保安 ほあん 員 いん (平壌 ぴょんやん 、2015年 ねん 10月 がつ )
夏季 かき 制服 せいふく の地方 ちほう 交通 こうつう 保安 ほあん 員 いん (開城 かいじょう 、2007年 ねん 7月 がつ )
冬季 とうき 制服 せいふく の地方 ちほう 交通 こうつう 保安 ほあん 員 いん (江西 えにし 郡 ぐん 、2015年 ねん 10月 がつ )
雨合羽 あまがっぱ の交通 こうつう 保安 ほあん 員 いん (2008年 ねん 6月 がつ )
白 しろ バイ隊員 たいいん (2012年 ねん 8月 がつ )
防寒 ぼうかん 服 ふく の交通 こうつう 保安 ほあん 員 いん (2014年 ねん 1月 がつ 7日 にち )
軍楽隊 ぐんがくたい 、名誉 めいよ 衛兵 えいへい 隊 たい [ 編集 へんしゅう ]
式典 しきてん を取 と り扱 あつか う軍楽隊 ぐんがくたい や協奏 きょうそう 団 だん 要員 よういん 、名誉 めいよ 衛兵 えいへい 隊 たい では、任務 にんむ 上 じょう 様々 さまざま な特殊 とくしゅ 軍装 ぐんそう が使用 しよう されている。
演奏 えんそう 時 じ 、軍楽隊 ぐんがくたい 員 いん は基本 きほん 的 てき に礼装 れいそう を着用 ちゃくよう する。朝鮮人民軍 ちょうせんじんみんぐん 協奏 きょうそう 団 だん や功 こう 勲 くん 国家 こっか 合唱 がっしょう 団 だん などのステージで演奏 えんそう する協奏 きょうそう 団 だん と閲兵 えっぺい 式 しき で演奏 えんそう する軍楽隊 ぐんがくたい では任務 にんむ の違 ちが いからそれぞれ細部 さいぶ が異 こと なるため、以下 いか で個別 こべつ に解説 かいせつ する。
まず、協奏 きょうそう 団 だん の礼装 れいそう は一般 いっぱん 軍 ぐん 官 かん と同様 どうよう のものであるが [13] 、ブレザーの襟 えり が赤 あか いパイピングで縁 えん 取 と られる、メインボーカルを務 つと める人物 じんぶつ は紺色 こんいろ のズボンを穿 は くなどの点 てん で相違 そうい 点 てん がある。また襟章 えりしょう ・肩章 けんしょう には軍事 ぐんじ 称号 しょうごう を表記 ひょうき せず特殊 とくしゅ 兵科 へいか 章 しょう のみを付 つ ける事 こと が多 おお い。この協奏 きょうそう 団 だん 要員 よういん 用 よう 礼装 れいそう は2011年 ねん 以降 いこう の一般 いっぱん 将兵 しょうへい の赤 あか 鉢巻 はちまき 廃止 はいし 後 ご も変更 へんこう される事 こと はなかったが[63] 、2013年 ねん 7月 がつ ごろ~8月 がつ ごろ[64] の改正 かいせい で、鉢巻 はちまき が廃止 はいし されると同時 どうじ に帽章 ぼうしょう や袖章 そでしょう の装飾 そうしょく 、金 きん モールの顎 あご 紐 ひも 、飾 かざり 緒 いとぐち などが追加 ついか され、肩章 けんしょう は赤 あか から暗 くら い金色 きんいろ となった [14] 。
一方 いっぽう 、軍楽隊 ぐんがくたい の礼装 れいそう では、男女 だんじょ ともに名誉 めいよ 衛兵 えいへい 隊 たい とよく似 に た5つボタンのダブルブレザーを着用 ちゃくよう する [15] [16] [17] 。金 かね と赤 あか の逆 ぎゃく V字 じ 型 がた の袖章 そでしょう が付 つ き、襟章 えりしょう は5角形 かくがた となっている。ただし、メイン位置 いち に立 た たない戦士 せんし 級 きゅう はパレード用 よう 肩章 けんしょう を付 つ けた折襟 おりえり の外出 がいしゅつ 服 ふく 型 がた 上衣 うわぎ を着用 ちゃくよう する事 こと もある [18] 。13年 ねん 改正 かいせい 以降 いこう 、こちらの礼装 れいそう も大 だい 規模 きぼ な改定 かいてい がなされた。肩章 けんしょう はエポーレットとなり、ケピ帽 ぼう を被 こうむ る事 こと もある [19] [20] 。また女性 じょせい の場合 ばあい 、軍 ぐん 官 かん 級 きゅう ないし指揮 しき 者 しゃ 、メイン位置 いち に立 た つと思 おも われる人物 じんぶつ は3つボタンのシングルブレストへと変更 へんこう [21] 、戦士 せんし 級 きゅう ないし後方 こうほう 位置 いち は詰襟 つめえり [22] 、いずれも帽子 ぼうし はハイバック型 がた となっている。
名誉 めいよ 衛兵 えいへい 隊 たい では、将校 しょうこう 用 よう 正装 せいそう に似 に たダブルブレザー式 しき の軍装 ぐんそう が全 ぜん 階級 かいきゅう の将兵 しょうへい に導入 どうにゅう されていたが、軍楽隊 ぐんがくたい と同時 どうじ に行 おこな われた2013年 ねん 6月 がつ ごろの大 だい 規模 きぼ な改正 かいせい でブレザーの中 なか に詰襟 つめえり シャツを着用 ちゃくよう 、また帽子 ぼうし 腰 こし 回 まわ りや袖 そで の装飾 そうしょく も華 はな やかとなった [23] ほか、空軍 くうぐん は青 あお いブレザーとなった。2018年 ねん の2.8節 せつ ごろより迷彩 めいさい 服 ふく の戦略 せんりゃく 軍 ぐん および特殊 とくしゅ 作戦 さくせん 軍 ぐん 名誉 めいよ 衛兵 えいへい 隊 たい が追加 ついか された。
学生 がくせい 部隊 ぶたい その他 た 準 じゅん 軍事 ぐんじ 組織 そしき [ 編集 へんしゅう ]
各 かく 革命 かくめい 学院 がくいん 生徒 せいと はキーチェリに軍 ぐん 官 かん 用 よう 略 りゃく 帽 ぼう を被 こうむ り、肩章 けんしょう には特殊 とくしゅ 兵科 へいか 章 しょう を付 つ ける。ただし、万 まん 景 けい 台 だい 革命 かくめい 学院 がくいん 生 なま の制服 せいふく が人民 じんみん 軍 ぐん と同色 どうしょく の服地 ふくじ に対 たい し、金正淑 きんせいしゅく 革命 かくめい 学院 がくいん 生 なま 、南浦 みなみうら 革命 かくめい 学院 がくいん 生 なま など他 た の革命 かくめい 学院 がくいん の制服 せいふく は青 あお 緑色 みどりいろ である。2002年 ねん 4月 がつ 25日 にち の閲兵 えっぺい 式 しき では官 かん 帽 ぼう であったが、2003年 ねん 9月 がつ 9日 にち の共和 きょうわ 国 こく 建国 けんこく 55周年 しゅうねん 式典 しきてん では略 りゃく 帽 ぼう となっており、以降 いこう 官 かん 帽 ぼう は廃止 はいし されたものと思 おも われる。
労農 ろうのう 赤 あか 衛 まもる 軍 ぐん をはじめ各種 かくしゅ 民兵 みんぺい 組織 そしき はカーキ色 しょく の人民 じんみん 服 ふく と赤 あか い星章 せいしょう の付 つ いた人民 じんみん 帽 ぼう を着用 ちゃくよう しているが、近年 きんねん ではそれぞれ変化 へんか が出 で 始 はじ めている。まず、労農 ろうのう 赤 あか 衛 まもる 軍 ぐん とその常備 じょうび 部隊 ぶたい である人民 じんみん 保衛 やすえ 隊 たい は袖 そで の徽章 きしょう (労農 ろうのう 赤 あか 衛 まもる 軍 ぐん は赤星 あかほし と朝鮮 ちょうせん 労働党 ろうどうとう の徽章 きしょう の入 はい った緑 みどり の円形 えんけい 章 あきら 、人民 じんみん 保衛 やすえ 隊 たい は円形 えんけい 章 しょう が金色 きんいろ となり、赤星 あかほし の中 なか が歯車 はぐるま で囲 かこ んだ工場 こうじょう と農地 のうち となる)で区別 くべつ されていたが、人民 じんみん 保衛 やすえ 隊 たい は2015年 ねん 末 まつ ごろより青 あお 緑色 みどりいろ の人民 じんみん 服 ふく となった。
赤 あか い近衛 このえ 青年 せいねん 隊 たい は藍色 あいいろ の学生 がくせい 帽 ぼう やズボンを着用 ちゃくよう することもある。戦士 せんし 用 よう ベルトのバックルには「붉은청년근위대」のチョソングルと星 ほし を戴 いただ く鎌 かま と槌 づち の紋章 もんしょう が入 はい る。女性 じょせい 兵士 へいし は2017年頭 ねんとう 頃 ごろ からプリーツスカートとなった。
建設 けんせつ 部隊 ぶたい である速度 そくど 戦 せん 青年 せいねん 突撃 とつげき 隊 たい も同 おな じくカーキ色 しょく の人民 じんみん 服 ふく を着用 ちゃくよう するが、襟 えり が開襟 かいきん のものも見受 みう けられる。また、青色 あおいろ の作業 さぎょう 服 ふく やシャツなども使用 しよう している模様 もよう 。2015年 ねん 末 まつ ごろより青色 あおいろ の人民 じんみん 服 ふく が導入 どうにゅう された。
万景台革命学院生徒。官 かん 帽 ぼう が廃止 はいし され略 りゃく 帽 ぼう となっている(2014年 ねん 1月 がつ 6日 にち )
労農 ろうのう 赤 あか 衛 まもる 軍 ぐん など各種 かくしゅ 民兵 みんぺい 組織 そしき で使用 しよう される人民 じんみん 服 ふく
人民 じんみん 保衛 やすえ 隊 たい 女性 じょせい 兵士 へいし (2015年 ねん 10月 がつ )
赤 あか い近衛 このえ 青年 せいねん 隊 たい (2012年 ねん 10月 がつ 24日 にち )
赤 あか い近衛 このえ 青年 せいねん 隊 たい (2013年 ねん 11月)
赤 あか い近衛 このえ 青年 せいねん 隊 たい 。学生 がくせい 帽 ぼう を被 こうむ っている(2010年 ねん 9月 がつ )
^ 第 だい 1師団 しだん 所属 しょぞく だが第 だい 3野戦 やせん 軍 ぐん 直轄 ちょっかつ 命令 めいれい 系統 けいとう 。
^ なお、他 た に迷彩 めいさい 服 ふく を導入 どうにゅう していない軍隊 ぐんたい としてはイスラエル国防 こくぼう 軍 ぐん が知 し られているが、これは逐次 ちくじ 専用 せんよう の迷彩 めいさい 服 ふく を用意 ようい する事 こと が困難 こんなん な気候 きこう 的 てき ・地理 ちり 的 てき 問題 もんだい のためである。