遠藤えんどうあきら (農芸のうげい化学かがくしゃ)

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えんどう あきら
遠藤えんどう あきら
文化ぶんか功労こうろうしゃ顕彰けんしょうさいして
公表こうひょうされた肖像しょうぞう写真しゃしん
生誕せいたん (1933-11-14) 1933ねん11月14にち(90さい
日本の旗 秋田あきたけん由利ゆりぐん下郷しもごうむら
げん由利ゆり本荘ほんじょう
居住きょじゅう 日本の旗 日本にっぽん
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
研究けんきゅう分野ぶんや 農芸のうげい化学かがく
研究けんきゅう機関きかん 三共さんきょう
東京農工大学とうきょうのうこうだいがく
バイオファーム研究所けんきゅうじょ
東北大学とうほくだいがく
早稲田大学わせだだいがく
出身しゅっしんこう 東北大学とうほくだいがく農学部のうがくぶ卒業そつぎょう
おも指導しどう学生がくせい 竹島たけしまひろし
おも業績ぎょうせき スタチン発見はっけん開発かいはつ
おも受賞じゅしょうれき 日本にっぽん国際こくさいしょう2006ねん
マスリーしょう(2006ねん
アルバート・ラスカー
臨床りんしょう医学いがく研究けんきゅうしょう
2008ねん
ガードナー国際こくさいしょう2017ねん
プロジェクト:人物じんぶつでん
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遠藤えんどう あきら(えんどう あきら、1933ねん11月14にち - )は、日本にっぽん農芸のうげい化学かがくしゃ応用おうよう微生物びせいぶつがく)。勲等くんとうみずたから重光しげみつあきら学位がくい農学のうがく博士はかせ東北大学とうほくだいがく1966ねん)。株式会社かぶしきがいしゃバイオファーム研究所けんきゅうじょ代表だいひょう取締役とりしまりやく所長しょちょう東京農工大学とうきょうのうこうだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ特別とくべつ栄誉えいよ教授きょうじゅ文化ぶんか功労こうろうしゃ

三共さんきょう株式会社かぶしきがいしゃ田無たなし工場こうじょう研究けんきゅういん三共さんきょう株式会社かぶしきがいしゃ中央ちゅうおう研究所けんきゅうじょふく主任しゅにん研究けんきゅういん三共さんきょう株式会社かぶしきがいしゃ発酵はっこう研究所けんきゅうじょ研究けんきゅうだいさんしつ室長しつちょう東京農工大学とうきょうのうこうだいがく農学部のうがくぶ教授きょうじゅ東北大学とうほくだいがく農学部のうがくぶとくにん教授きょうじゅ早稲田大学わせだだいがく特命とくめい教授きょうじゅなどを歴任れきにんした。

概要がいよう[編集へんしゅう]

1933ねん秋田あきたけん由利ゆりぐん下郷しもごうむら(のちに東由利ひがしゆりまち由利ゆり本荘ほんじょうまれ[1]1957ねん東北大学とうほくだいがく農学部のうがくぶ卒業そつぎょうして三共さんきょう株式会社かぶしきがいしゃ入社にゅうしゃし、発酵はっこう研究所けんきゅうじょ研究けんきゅうだいさんしつにて室長しつちょうなどを歴任れきにんした。東京農工大学とうきょうのうこうだいがくてんじ、農学部のうがくぶ助教授じょきょうじゅ教授きょうじゅつとめ、のちに名誉めいよ教授きょうじゅ特別とくべつ栄誉えいよ教授きょうじゅ称号しょうごうけた。また、バイオファーム研究所けんきゅうじょ設立せつりつし、代表だいひょう取締役とりしまりやくとして所長しょちょう就任しゅうにんした。東京農工大学とうきょうのうこうだいがく退官たいかんは、東北大学とうほくだいがく農学部のうがくぶとくにん教授きょうじゅ早稲田大学わせだだいがく特命とくめい教授きょうじゅなどをつとめた。なお、教育きょういく研究けんきゅう機関きかんにおいても客員きゃくいんとして非常勤ひじょうきん教鞭きょうべんっており、金沢大学かなざわだいがく大学院だいがくいん医学いがくけい研究けんきゅう一橋大学ひとつばしだいがくイノベーション研究けんきゅうセンターにて客員きゃくいん教授きょうじゅ兼任けんにんしていた。

来歴らいれき[編集へんしゅう]

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農家のうかまれ、少年しょうねん時代じだいから菌類きんるいしたしむ。高校こうこう時代じだい当初とうしょ定時ていじせい本荘ほんじょう高校こうこう下郷しもごう分校ぶんこうかよいながら農業のうぎょう従事じゅうじしていたが、ぜんにちせい秋田あきた市立しりつ高校こうこう編入へんにゅうがく卒業そつぎょう[1]東北大学とうほくだいがく農学部のうがくぶ在学ざいがくちゅうは、あおカビからペニシリンを発見はっけんしたアレクサンダー・フレミングり、傾倒けいとうする。1957ねん同大どうだい卒業そつぎょうして三共さんきょう株式会社かぶしきがいしゃ入社にゅうしゃし、果汁かじゅう果実かじつしゅ清澄せいちょうもちいるペクチナーゼという菌類きんるい酵素こうそ発見はっけんして2ねん商業しょうぎょう成功せいこう。1966ねん東北大学とうほくだいがく農学のうがく博士はかせ論文ろんぶんだいは「Studies on pectolytic enzymes of molds(糸状いとじょうきんのペクチンしつ分解ぶんかい酵素こうそかんする研究けんきゅう) 」。

農芸のうげい化学かがくしゃとして[編集へんしゅう]

日本にっぽん国際こくさいしょう受賞じゅしょうさいして公表こうひょうされた肖像しょうぞう写真しゃしん[2]

1966ねんから1968ねんアルバート・アインシュタイン医科いか大学だいがく(ニューヨーク)に留学りゅうがくコレステロール米国べいこく年間ねんかんすう10まんにん死亡しぼうする心筋梗塞しんきんこうそく主要しゅよう原因げんいんであることをる。帰国きこく有効ゆうこうなコレステロール低下ていかざい開発かいはつ目指めざして、2年間ねんかんに6000かぶ菌類きんるい調しらべ、1973ねんあおカビペニシリウム・シトリヌム)の培養ばいようえきからコレステロール合成ごうせい阻害そがいざい ML-236B(コンパクチン)を発見はっけん[3]予想よそうはんしてコンパクチンがラットのコレステロールをげないために、1974ねんはじめに開発かいはつ中止ちゅうしされる。おなごろ、イギリスの研究けんきゅうしゃもコンパクチンを発見はっけんしたが、ラットに無効むこうなことを理由りゆう開発かいはつ中止ちゅうし。その遠藤えんどうはラットにかない原因げんいんめ、1976ねん4-7がつ同僚どうりょう獣医じゅういともに、コンパクチンが産卵さんらんにわとりイヌのコレステロールを劇的げきてきげることをしめす。しかしながら、翌年よくねんの1977ねんはるには、ラットにかん毒性どくせいがあるとして、再度さいど開発かいはつ中止ちゅうし危機きき直面ちょくめん。それでも「コンパクチンが安全あんぜん有効ゆうこうくすりになる」としんじていた遠藤えんどうは、大阪大学おおさかだいがく医学部いがくぶ山本やまもとあきら医師いし協力きょうりょくして、1978ねん2がつ、コンパクチンによる重症じゅうしょう患者かんじゃ治療ちりょうる。同年どうねんなつまでにさい重症じゅうしょう家族かぞくせいだかコレステロールしょうホモ接合せつごうたいのぞ重症じゅうしょう患者かんじゃ8めい安全あんぜんせい劇的げきてきなコレステロール低下ていか作用さようみとめ、コンパクチンのさい復活ふっかつたす。ところが1980ねんなつにははつガンせいがあるとする誤判ごはんだん開発かいはつ完全かんぜん中止ちゅうし一方いっぽう三共さんきょう追随ついずいしてスタチン2ごうとなるロバスタチン発見はっけんした米国べいこくメルクしゃは、膨大ぼうだい毒性どくせい試験しけんはつガンせいがないことを証明しょうめいし、三共さんきょうして1987ねんにメバコーン®発売はつばいける。その三共さんきょうプラバスタチン商品しょうひんめい:メバロチン®)など6しゅのスタチンが商業しょうぎょうされる。これらスタチンは心筋梗塞しんきんこうそく脳卒中のうそっちゅう予防よぼうのために、世界せかい毎日まいにちやく4000まんにん投与とうよされ、ペニシリンなら奇跡きせきくすりばれる。2005ねんにはスタチンの年間ねんかんそう売上うりあげが270おくドル(3ちょうえん)にたっする。なかでも、ファイザーアトルバスタチン商品しょうひんめい:リピトール®)は世界せかい医薬品いやくひんげの1めるブロックバスターとなっている。

遠藤えんどうのこれらの研究けんきゅうは、1985ねんノーベル生理学せいりがく医学いがくしょう受賞じゅしょうした米国べいこくマイケル・ブラウンジョーゼフ・ゴールドスタインによるコレステロール代謝たいしゃ研究けんきゅうにもおおきく貢献こうけんした。ブラウンとゴールドスタインは遠藤えんどう日本にっぽん国際こくさいしょう受賞じゅしょうさいしておいのビデオメッセージをせている。2012ねん3がつ1にち全米ぜんべい発明はつめい殿堂でんどう英語えいご: National Inventors Hall of Fame)は、遠藤えんどう日本人にっぽんじんはつの「発明はつめい殿堂でんどうりすると発表はっぴょうした[4]

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

文化ぶんか功労こうろうしゃ顕彰けんしょうさいして文部もんぶ科学かがくしょうから公表こうひょうされた肖像しょうぞう写真しゃしん
  • 1953ねん3がつ - 秋田あきた市立しりつ高校こうこうげん 秋田あきた中央ちゅうおう高校こうこう卒業そつぎょう
  • 1957ねん3がつ - 東北大学とうほくだいがく農学部のうがくぶ農芸のうげい学科がっか卒業そつぎょう
  • 1957ねん4がつ - 三共さんきょう株式会社かぶしきがいしゃげんだいいち三共さんきょう株式会社かぶしきがいしゃ入社にゅうしゃ
  • 1966ねん9がつ - 東北大学とうほくだいがくより農学のうがく博士はかせ 「Studies on pectolytic enzymes of molds(糸状いとじょうきんのペクチンしつ分解ぶんかい酵素こうそかんする研究けんきゅう)」
  • 1966ねん9がつ - アルバート・アインシュタイン医科いか大学だいがく留学りゅうがく(1968ねん8がつまで)
  • 1975ねん8がつ - 三共さんきょう株式会社かぶしきがいしゃ発酵はっこう研究所けんきゅうじょ研究けんきゅうだい3室長しつちょう
  • 1979ねん1がつ - 東京農工大学とうきょうのうこうだいがく農学部のうがくぶ助教授じょきょうじゅ
  • 1986ねん12月 - 同上どうじょう教授きょうじゅ
  • 1997ねん3がつ - 同上どうじょう定年ていねん退官たいかん
  • 1997ねん4がつ - 同上どうじょう名誉めいよ教授きょうじゅ株式会社かぶしきがいしゃバイオファーム研究所けんきゅうじょ代表だいひょう取締役とりしまりやく所長しょちょう[5]
  • 2005ねん4がつ - 金沢かなざわ大学だいがく大学院だいがくいん医学いがくけい研究けんきゅう脂質ししつ研究けんきゅう講座こうざ客員きゃくいん教授きょうじゅ
  • 2007ねん6がつ - 東北大学とうほくだいがくとくにん教授きょうじゅ
  • 2008ねん9がつ - 東京農工大学とうきょうのうこうだいがく特別とくべつ栄誉えいよ教授きょうじゅ
  • 2009ねん4がつ - 早稲田大学わせだだいがく特命とくめい教授きょうじゅ
  • 2009ねん11月 - 一橋大学ひとつばしだいがくイノベーション研究けんきゅうセンター客員きゃくいん教授きょうじゅ(2015ねん3がつまで)[6]

しょうれき[編集へんしゅう]

栄典えいてん[編集へんしゅう]

その[編集へんしゅう]

2015ねん5がつ全米ぜんべい脂質ししつ協会きょうかい国際こくさい動脈どうみゃく硬化こうか学会がっかいにおいて、遠藤えんどうあきらしょう(Akira Endo Award)が創設そうせつされた[3]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b ノーベルしょう候補こうほ遠藤えんどうあきらさん 10年間ねんかん笑顔えがおつづける秋田あきた実家じっか毎日新聞まいにちしんぶん2019ねん10がつ18にち
  2. ^ この写真しゃしんについて、Llyoshihirollは「Copyright released under the GFDL by Science and Technology Foundation of Japan in discussion with Dr Endo. Email has been forwarded to permissions AT wikipedia DOT org.」と主張しゅちょうしている。
  3. ^ a b 遠藤えんどうあきら (2015). “特別とくべつ講演こうえんⅡ スタチンの誕生たんじょう なかやく科学かがくしゃ目指めざして70ねん”. 日本にっぽん農村のうそん学会がっかい雑誌ざっし 64 (5): 958-965. doi:10.2185/jjrm.64.958. 
  4. ^ 遠藤えんどう発明はつめい殿堂でんどうり…ジョブズらとならび” (日本語にほんご). 読売新聞よみうりしんぶんオンライン (読売新聞社よみうりしんぶんしゃ). (2012ねん3がつ3にち). https://web.archive.org/web/20120303061001/http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120303-OYT1T00387.htm 2012ねん3がつ4にち閲覧えつらん 
  5. ^ 会社かいしゃ概要がいよう”. www.biopharm.co.jp. バイオファーム研究所けんきゅうじょ. 2020ねん4がつ26にち閲覧えつらん
  6. ^ バイオグラフィー”. endoakira.com. 遠藤えんどうあきら. 2020ねん4がつ26にち閲覧えつらん
  7. ^ Award Recipients - Warren Alpert Foundation
  8. ^ Alpert awards $100,000 for cholesterol research
  9. ^ 日本にっぽん国際こくさいしょう歴代れきだい受賞じゅしょうしゃ 遠藤えんどうあきら - 国際こくさい科学かがく技術ぎじゅつ財団ざいだん
  10. ^ USC news;Akira Endo, biochemist who made statin drugs possible, awarded 2006 Massry Prize
  11. ^ 遠藤えんどう あきら 特別とくべつ栄誉えいよ教授きょうじゅが「2017カナダガードナー国際こくさいしょう」を受賞じゅしょう”. www.tuat.ac.jp. 国立こくりつ大学だいがく法人ほうじん 東京農工大学とうきょうのうこうだいがく. 2020ねん4がつ26にち閲覧えつらん
  12. ^ ESC Gold Medal Award winner: Professor Akira Endo
  13. ^ 遠藤えんどうあきら博士はかせ東由利ひがしゆり地域ちいき出身しゅっしん)が名誉めいよ県民けんみん
  14. ^ 遠藤えんどうあきら 特別とくべつ栄誉えいよ教授きょうじゅ文化ぶんか功労こうろうしゃ顕彰けんしょうされました”. www.tuat.ac.jp. 国立こくりつ大学だいがく法人ほうじん 東京農工大学とうきょうのうこうだいがく. 2020ねん4がつ26にち閲覧えつらん
  15. ^ National Inventors Hall of Fame Inductee Akira Endo Invented Mevastatin” (英語えいご). www.invent.org. 2020ねん4がつ26にち閲覧えつらん
  16. ^ 平成へいせい24ねんあき叙勲じょくん みずたから重光しげみつあきら受章じゅしょうしゃ” (PDF). 内閣ないかく. p. 1 (2012ねん11月). 2013ねん1がつ22にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2023ねん2がつ9にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • Akira Endo. The discovery and development of HMG-CoA reductase inhibitors. J Lipid Res 1992;33:1569-1582. PMID 1464741
  • 遠藤えんどう あきらちょ自然しぜんからのおくりもの―史上しじょう最大さいだい新薬しんやく誕生たんじょう.メデイカルレビューしゃ、2006. ISBN 978-4896009613 
  • 遠藤えんどう あきらちょ新薬しんやくスタチン発見はっけんコレステロールいどむ.岩波書店いわなみしょてん.2006.ISBN 978-4000074636
  • 山内やまうち喜美子きみこちょ世界せかい一番いちばんれているくすり.小学しょうがくかん. 2007. ISBN 9784093897006
  • Eugene Braunwald. The Simon Dack lecture. Cardiology : the past, the present, and the future. J Am Coll Cardiol 2003;42:2031-2041. PMID 14680723
  • Michael S Brown, Joseph L Goldstein. A tribute to Akira Endo, discoverer of a“Penicillin”for cholesterol. Atherosclerosis Suppl 2004;5:13-16.
  • Peter Landers. Stalking cholesterol. How one scientist intrigued by molds found first statin. Feat of Japan's Dr. Endo led to heart care revolution but brought him nothing. Nature as a drug laboratory. The Wall Street Journal. 9 January, 2006.

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]