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野上のかみ豊一郎とよいちろう

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野上のかみ 豊一郎とよいちろう
1939ねん撮影さつえい
人物じんぶつ情報じょうほう
生誕せいたん (1883-09-14) 1883ねん9月14にち
日本の旗 日本にっぽん大分おおいたけん臼杵きゅうしょ
死没しぼつ 1950ねん2がつ23にち(1950-02-23)(66さいぼつ
子供こども 長男ちょうなん野上のかみ素一そいち(文学ぶんがくしゃ)、次男じなん野上のかみしげる吉郎よしろう(物理ぶつり学者がくしゃ)、三男さんなん野上のかみ耀三(物理ぶつり学者がくしゃ)
学問がくもん
研究けんきゅう分野ぶんや 文学ぶんがく(えい文学ぶんがく)・演劇えんげき能楽のうがく
研究けんきゅう機関きかん 法政大学ほうせいだいがく
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野上のかみ 豊一郎とよいちろう(のがみ とよいちろう、1883ねん9月14にち - 1950ねん2がつ23にち)は、日本にっぽん英文えいぶん学者がくしゃ能楽のうがく研究けんきゅうしゃ。「臼川きゅうせん」(きゅうせん)とごうした。法政大学ほうせいだいがく総長そうちょうつとめ、のう研究けんきゅう発展はってんにも多大ただい寄与きよをした。レジョンドヌール・オフィシェ勲章くんしょう受章じゅしょうしゃ[1]

経歴けいれき

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1883ねん大分おおいたけん臼杵きゅうしょまれ。臼杵うすき中学ちゅうがく第一高等学校だいちこうとうがっこう1908ねん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく文科ぶんか大学だいがく英文えいぶん卒業そつぎょう同級生どうきゅうせい安倍あべ能成よしなり藤村ふじむらみさお岩波いわなみ茂雄しげおがいて、とも夏目なつめ漱石そうせき師事しじした。

東京帝大とうきょうていだい卒業そつぎょう国民こくみん新聞しんぶんしゃ文芸ぶんげい記者きしゃとなる[1]1909ねん法政大学ほうせいだいがく講師こうしとなり、1920ねんどう大学だいがく教授きょうじゅとなる。ちょうがくかん理事りじ歴任れきにんし、森田もりた草平そうへい内田うちだ百閒ひゃっけん井本いもと健作けんさくなど漱石そうせき門下もんか文学ぶんがくしゃ教授きょうじゅじん招聘しょうへいするが、1933ねん学内がくない紛争ふんそう法政ほうせい騒動そうどう)で辞職じしょく1941ねん復職ふくしょく[2])。1939ねん文学ぶんがく博士はかせ学位がくいける[1]終戦しゅうせん直後ちょくご1946ねん法政大学ほうせいだいがく総長そうちょうえらばれ、戦争せんそう被害ひがいけた大学だいがく復興ふっこうにあたった。総長そうちょう在任ざいにんちゅう1950ねん脳出血のうしゅっけつのため世田谷せたがや成城せいじょう自宅じたく死去しきょ[3]墓所はかしょ鎌倉かまくら東慶寺とうけいじ

バーナード・ショーなどイギリス演劇えんげき研究けんきゅう紹介しょうかいおこなかたわら、能楽のうがく研究けんきゅう海外かいがいへの紹介しょうかいにも尽力じんりょくした。1938ねんにはにちえい交換こうかん教授きょうじゅとして外務省がいむしょうから派遣はけんされ、ケンブリッジ大学けんぶりっじだいがくなどで世阿弥ぜあみ講義こうぎし、みずか監修かんしゅうしたのうとしてははつトーキー作品さくひんあおいじょう』を紹介しょうかいして反響はんきょうんだ。岩波いわなみ文庫ぶんこ世阿弥ぜあみ謡曲ようきょく校訂こうていばんを、岩波いわなみ新書しんしょで『のうはなし』を出版しゅっぱんしたほか、没後ぼつご収集しゅうしゅうした資料しりょうもとにして「野上のかみ記念きねん法政大学ほうせいだいがく能楽のうがく研究所けんきゅうじょ」がつくられた。また近年きんねん書肆しょししんすいで、能楽のうがく関連かんれんの『野上のかみ豊一郎とよいちろう批評ひひょう集成しゅうせい』が刊行かんこうされている。

家族かぞく親族しんぞく

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著書ちょしょ

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  • 巣鴨すがもおんな野上のかみ臼川きゅうせん 春陽しゅんようどう 1912ねん
  • のう 研究けんきゅう発見はっけん岩波書店いわなみしょてん 1930ねん復刊ふっかん1982ねん
  • のう再生さいせい岩波書店いわなみしょてん 1935ねん
  • 世阿弥ぜあみもときよしつくもとしゃ 1938ねん
  • くさころもしゅう相模さがみ書房しょぼう 1938ねん
  • 翻訳ほんやくろん 翻訳ほんやく理論りろん実際じっさい岩波書店いわなみしょてん 1938ねん
  • のうはなし岩波いわなみ新書しんしょ 1940ねん度々たびたび再版さいはん
  • 『クレオパトラ エジプトのおうたちと女王じょおうたち』丸岡まるおか出版しゅっぱんしゃ 1941ねん冨山とやまぼう百科ひゃっか文庫ぶんこ 1979ねん
  • 西洋せいよう見学けんがく日本にっぽん評論ひょうろんしゃ 1941ねん
  • 野上のかみ弥生子やよこ共著きょうちょ朝鮮ちょうせん 台湾たいわん 海南かいなんしょみなとつぶせみなみしゃ 1942ねん復刻ふっこく大空おおぞらしゃ 1998ねん
  • のう幽玄ゆうげんはな岩波書店いわなみしょてん 1943ねん
  • 能面のうめん論考ろんこう小山こやま書店しょてん 1944ねん
  • 太郎たろう冠者かんじゃ行状ぎょうじょう生活せいかつしゃ 1946ねん
  • 謡曲ようきょく鑑賞かんしょう目黒めぐろ書店しょてん 1946ねん
  • 大臣だいじんばしら能楽のうがく書林しょりん 1947ねん
  • シェバの女王じょおう東京とうきょう出版しゅっぱん 1947ねん
  • はな伝書でんしょ研究けんきゅう小山こやま書店しょてん 1948ねん
  • 『エヂプトの驚異きょういよう書房しょぼう 1948ねん
  • 観阿弥かんあみ清次せいじよう書房しょぼう 1949ねん
  • 『バーナード・ショー』東京とうきょうどう 1949ねん
  • 山荘さんそう往来おうらい 野上のかみ豊一郎とよいちろう 野上のかみ弥生子やよこ 往復おうふく書簡しょかん宇田うだけんへん岩波書店いわなみしょてん 1995ねん
  • 太郎たろう冠者かんじゃ山伏やまぶし行状ぎょうじょうひのき書店しょてん 2002ねん
  • のうとはなに野上のかみ豊一郎とよいちろう批評ひひょう集成しゅうせい じょうした書肆しょししんすい 2009ねん
  • 観阿弥かんあみ清次せいじ 世阿弥ぜあみもときよし 野上のかみ豊一郎とよいちろう批評ひひょう集成しゅうせい 人物じんぶつへん書肆しょししんすい 2010ねん
  • せいかい風姿ふうしはなでん 野上のかみ豊一郎とよいちろう批評ひひょう集成しゅうせい 文献ぶんけんへん書肆しょししんすい 2012ねん

能楽のうがく関連かんれん校訂こうていへん

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  • 世阿弥ぜあみはな伝書でんしょ岩波いわなみ文庫ぶんこ 1927ねん、のち『風姿ふうしはなでん西尾にしおみのる校訂こうてい
  • 世阿弥ぜあみのうさくしょさとし条条じょうじょういたり花道かどうしょ岩波書店いわなみしょてん 1931ねん のち岩波いわなみ文庫ぶんこ
  • 世阿弥ぜあみ申楽さるがく談義だんぎ岩波いわなみ文庫ぶんこ 1934ねん
  • 謡曲ようきょく選集せんしゅう のうほん岩波いわなみ文庫ぶんこ 1935ねん復刊ふっかん1986ねん
  • 能面のうめん岩波書店いわなみしょてん 1937ねん
  • のうひゃくよんじゅうばん 主題しゅだい構成こうせい』(へん丸岡まるおか出版しゅっぱんしゃ 1943ねん
  • 謡曲ようきょく全集ぜんしゅう』(へんぜん6かん 中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1935-36ねん再版さいはん1949-51ねん
  • 能楽のうがく全書ぜんしょ』(へん三宅みやけじょう改訂かいていぜん5かん はじめもとしゃ 1952-54ねんしんていばん東京とうきょうそうもとしゃ ぜん7かん

翻訳ほんやく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c 野上のかみ豊一郎とよいちろう人事じんじ興信録こうしんろくだい13はん昭和しょうわ16, doi:10.11501/3430444
  2. ^ 法政大学ほうせいだいがく法政大学ほうせいだいがく戦後せんごねん』 2004ねん、8-9ぺーじ
  3. ^ 朝日新聞あさひしんぶん』 1950ねん2がつ25にち

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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