高円宮たかまどのみや

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高円宮たかまどのみや
家紋
高円宮たかまどのみやきく
いえ 高円宮たかまどのみや憲仁のりひと親王しんのう
三笠みかさみやたかしじん親王しんのうだい3男子だんし/大正天皇たいしょうてんのう皇孫こうそん
種別しゅべつ 皇族こうぞく宮家みやけ
出身しゅっしん 東京とうきょう
おも根拠地こんきょち 東京とうきょう赤坂あかさか用地ようちうち
著名ちょめい人物じんぶつ 高円宮たかまどのみや憲仁のりひと親王しんのう
憲仁のりひと親王しんのう久子ひさこ
うけたまわ女王じょおうだい1女子じょし
以下いかすめらぎせき離脱りだつしゃ
千家せんげ典子のりこ典子のりこ女王じょおうだい2女子じょし
守谷もりや絢子あやこ絢子あやこ女王じょおうだい3女子じょし
凡例はんれい / Category:日本にっぽん氏族しぞく
皇室こうしつ






高円宮たかまどのみや(たかまどのみや)は、憲仁のりひと親王しんのうみやごう

ここでは1984ねん昭和しょうわ59ねん12月6にち創設そうせつされた高円宮たかまどのみやについても解説かいせつする。現行げんこう皇室こうしつ典範てんぱんしたはつ直宮じきみや以外いがい宮家みやけ創設そうせつであり[注釈ちゅうしゃく 1]2021ねんれい3ねん現在げんざいでも、現存げんそんする唯一ゆいいつ直宮じきみや以外いがい宮家みやけである。げん当主とうしゅ憲仁のりひと親王しんのう久子ひさこ

1986ねん昭和しょうわ61ねん12月2にちに、東京とうきょうみなともと赤坂あかさか丁目ちょうめ1ばん6ごう赤坂あかさか用地ようちうち)に高円宮たかまどのみやていしん営した[1]

概要がいよう[編集へんしゅう]

高円宮たかまどのみや」のみやごう昭和しょうわ天皇てんのうからたまわったもので[2]ちちみやみやごう由来ゆらいとなった奈良なら東部とうぶ三笠山みかさやまちかくにある高円山たかまどやまからられた。これは、みやごう皇室こうしつとゆかりのあるやまてらなどからるという慣例かんれいである。当主とうしゅ憲仁のりひと親王しんのう男子だんしおう)をもうけないまま2002ねん平成へいせい14ねん)に薨去こうきょした[3]ため、現行げんこう皇室こうしつ典範てんぱんにおいては、憲仁のりひと親王しんのう久子ひさこおよびうけたまわ女王じょおう薨去こうきょまたはすめらぎせき離脱りだつをもって宮家みやけ断絶だんぜつすることになる。

2014ねん平成へいせい26ねん5月27にち典子のりこ女王じょおう婚約こんやく発表はっぴょうされ、結婚けっこん同時どうじ高円宮たかまどのみやから臣籍しんせき降嫁こうかした。

2018ねん平成へいせい30ねん6月26にち絢子あやこ女王じょおう婚約こんやく発表はっぴょうされ、結婚けっこん同時どうじ高円宮たかまどのみやから臣籍しんせき降嫁こうかした。

構成こうせい[編集へんしゅう]

性別せいべつ 生年月日せいねんがっぴ げん年齢ねんれい 続柄つづきがら
憲仁のりひと親王しんのう久子ひさこひさこ 女性じょせい 1953ねん(昭和しょうわ28ねん)07がつ10日とおか 70さい
うけたまわつぐこ女王じょおう 女性じょせい 1986ねん(昭和しょうわ61ねん)03がつ08にち 38さい 高円宮たかまどのみや憲仁のりひと親王しんのうだいいち女子じょし

薨去こうきょ離脱りだつ[編集へんしゅう]

性別せいべつ 生年月日せいねんがっぴ げん年齢ねんれい 続柄つづきがら 概要がいよう
高円宮たかまどのみや憲仁のりひとのりひと親王しんのう 男性だんせい 1954ねん(昭和しょうわ29ねん)12月29にち (故人こじん) 三笠みかさみやたかしじん親王しんのうだいさん男子だんし 2002ねん(平成へいせい14ねん)11月21にち薨去こうきょまん47さいぼつ
典子のりこのりこ女王じょおう千家せんげ典子のりこ 女性じょせい 1988ねん(昭和しょうわ63ねん)07がつ22にち 35さい 高円宮たかまどのみや憲仁のりひと親王しんのうだい女子じょし 2014ねん(平成へいせい26ねん)10がつ5にち千家せんげこく麿まろ出雲いずも大社たいしゃ禰宜ねぎ)との婚姻こんいんによりすめらぎせき離脱りだつ
絢子あやこあやこ女王じょおう守谷もりや絢子あやこ 女性じょせい 1990ねん(平成へいせい02ねん)09月15にち 33さい 高円宮たかまどのみや憲仁のりひと親王しんのうだいさん女子じょし 2018ねん(平成へいせい30ねん)10がつ29にち守谷もりやとし日本郵船にっぽんゆうせん社員しゃいんNPO法人ほうじん国境こっきょうなきどもたち理事りじ)との婚姻こんいんによりすめらぎせき離脱りだつ

系図けいず[編集へんしゅう]

 
 
123 大正天皇たいしょうてんのう
 
 
 
 
 
 
 
 
124 昭和しょうわ天皇てんのう(大正天皇たいしょうてんのう)三笠みかさみやたかしじん親王しんのう(大正天皇たいしょうてんのう)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
だい125だい天皇てんのう
明仁あきひと(昭和しょうわ天皇てんのう)
寬仁かんじん親王しんのう(三笠みかさみやたかしじん親王しんのう)かつらみやむべひとし親王しんのう(三笠みかさみやたかしじん親王しんのう)高円宮たかまどのみや憲仁のりひと親王しんのう(三笠みかさみやたかしじん親王しんのう)
 
 
 
久子ひさこ(高円宮たかまどのみや憲仁のりひと親王しんのうつま)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
だい126だい天皇てんのう
とくひとし(だい125だい天皇てんのう明仁あきひと)
うけたまわ女王じょおう(高円宮たかまどのみや憲仁のりひと親王しんのう)千家せんげ典子のりこ(高円宮たかまどのみや憲仁のりひと親王しんのう)
千家せんげこく麿まろ夫人ふじん
守谷もりや絢子あやこ(高円宮たかまどのみや憲仁のりひと親王しんのう)
守谷もりやとし夫人ふじん

当主とうしゅ

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ その直宮じきみや以外いがい宮家みやけ創設そうせつは、4ねん1988ねん昭和しょうわ63ねん)に憲仁のりひと親王しんのう次兄じけいかつらみやむべひとし親王しんのう独身どくしん宮家みやけかつら宮家みやけ)を創設そうせつしたれいがある(かつら宮家みやけは、2014ねん平成へいせい26ねん)にむべひとし親王しんのう薨去こうきょにより断絶だんぜつ)。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 1986ねん昭和しょうわ61ねん)12月3にち官報かんぽうだい17941ごう15ページ「皇族こうぞく移転いてん
  2. ^ 1984ねん昭和しょうわ59ねん)12月6にち宮内庁くないちょう告示こくじだい11ごう天皇陛下てんのうへいかは、昭和しょうわじゅうきゅうねん十二月じゅうにがつろくにち憲仁のりひと親王しんのう殿下でんかに、高円宮たかまどのみや称号しょうごうたまものつたけん
  3. ^ 2002ねん平成へいせい14ねん)11月25にち宮内庁くないちょう告示こくじだい9ごう憲仁のりひと親王しんのう殿下でんか薨去こうきょされたけん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]