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鹿野山かのうざん

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鹿野山かのうざん
鹿野山かのうざん南南東なんなんとう位置いちする高宕山たかごやまよりのぞ
標高ひょうこう 379 m
所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
千葉ちばけん君津きみつ
位置いち 北緯ほくい3515ふん20びょう 東経とうけい13958ふん18びょう / 北緯ほくい35.25556 東経とうけい139.97167 / 35.25556; 139.97167[1]
山系さんけい 房総丘陵ぼうそうきゅうりょう
鹿野山の位置(千葉県内)
鹿野山
鹿野山の位置(日本内)
鹿野山
プロジェクト やま
テンプレートを表示ひょうじ

鹿野山かのうざん(かのうざん)は、千葉ちばけん君津きみつにあるやま[2]標高ひょうこうは379メートルで、愛宕山あたごやまいで千葉ちばけんで2番目ばんめたか[2]愛宕山あたごやまきゅう安房あわこく千葉ちばけんさい南部なんぶ)にあるため、きゅう上総かずさこく千葉ちばけんちゅう南部なんぶ)では鹿野山かのうざん最高峰さいこうほうである[3]

歌川うたがわ広重ひろしげ山海さんかい見立みたて相撲すもう 上総かずさ鹿しかすわえさん

概要がいよう

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鹿野山かのうざん房総丘陵ぼうそうきゅうりょう一角いっかくし、みなみ房総ぼうそう国定こくてい公園こうえん指定していされている。鹿野山かのうざんとは、白鳥はくちょうほう東峰とうほう:379m)、熊野くまのほう中央ちゅうおうほう:376m)、春日かすがほう西峰にしのみね:352.4m、一等いっとう三角さんかくてん)の3ほう総称そうしょうで、それぞれの山頂さんちょうには白鳥しらとり神社じんじゃ熊野くまの神社じんじゃ春日かすが神社じんじゃあり[2]みね呼称こしょう由来ゆらいとなっている。

白鳥はくちょうほう直下ちょっかにはひさじゅうきゅうたに展望てんぼう公園こうえん熊野くまのほう直下ちょっかには神野寺じんのじ春日かすがほうには国土こくど地理ちりいん測地そくち観測かんそくしょがある。

山名やまな由来ゆらい

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山名やまな由来ゆらいは、鹿しかおおくいたことから鹿野かのえんにちなんでづけられたというせつや、砂鉄さてつれたので「金生きんせいさん」とばれていたというせつなどがある。

人間にんげん

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日本にっぽんたけたかし東征とうせいさいおとずれ、先住民せんじゅうみん豪族ごうぞく阿久あくとめおう(あくるおう)とたたか征伐せいばつしたという伝説でんせつがある。598ねん聖徳太子しょうとくたいしにより神野寺じんのじ開山かいさんされ、その修験しゅげんどうやまとして、また上総かずさこく安房あわこくむす街道かいどうまちとしてさかえた。

鹿野山かのうざん平地ひらちから視認しにんしやすく、きゅう東京とうきょう天文台てんもんだいから日本にっぽん経緯けいい原点げんてん方向ほうこう基準きじゅんであるはら方位ほういさだめるために、1879ねんには日本にっぽん最初さいしょ一等いっとう三角さんかくてん山頂さんちょうかれた。その2001ねん測量そくりょうほう改正かいせいまでげん方位ほういとされていた[4]1956ねんには国土こくど地理ちりいん鹿野山かのうざん測地そくち観測かんそくしょ設置せっちされ、地磁気ちじき[5]人工じんこう衛星えいせい観測かんそくなどがおこなわれている[6]

なお、地磁気ちじき観測かんそく鉄道てつどう房総西線ぼうそうさいせんげん内房線うちぼうせん)の直流ちょくりゅう電化でんかにより支障ししょうしょうじたため、観測かんそく機器きき改良かいりょうなどを実施じっしした[7]1960年代ねんだいマザー牧場ぼくじょうゴルフじょうがオープンして観光かんこうやまとなった。

南側みなみがわ斜面しゃめん地盤じばんよわく、1970ねん梅雨つゆどき豪雨ごううなどにより度々どど崩壊ほうかいしている[8][9]

文学ぶんがく

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  • 1922ねん大町おおまち桂月けいげつが『鹿野山かのうざん[10]執筆しっぴつ
  • 作家さっか志賀しが直哉なおやは、学習がくしゅういん高等こうとう在籍ざいせきちゅう友人ゆうじん鹿野山かのうざんおとずれ、そのときの感動かんどうから、1907ねん一人ひとり滞在たいざいした鹿野山かのうざん旅館りょかんまるなな」で『はな小娘こむすめ』を執筆しっぴつアンデルセンの童話どうわ影響えいきょうされていた作品さくひんで、のちにつま婦人ふじん雑誌ざっし懸賞けんしょう童話どうわ応募おうぼしたが落選らくせん、その子供こども雑誌ざっしから原稿げんこう依頼いらいがあり、ほんさく提供ていきょう懸賞けんしょうすうばい原稿げんこうりょうたという。志賀しが友人ゆうじんである里見さとみも「まるなな」で『おみね』を執筆しっぴつ[11]

文学ぶんがく

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アクセス

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山麓さんろく

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南面なんめんは、きゅうじゅうきゅうたにばれる景勝けいしょうで、侵食しんしょくによってできた複雑ふくざつ地形ちけいとなっている。

鹿野山かのうざんよりのぞきゅうじゅうきゅうたに

市宿いちじゅく地区ちくなどはやますな産地さんちで、1960年代ねんだいから大量たいりょう採掘さいくつされつづけており、消失しょうしつしたやまもある[13]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 千葉ちばけんやま”. 国土こくど地理ちりいん. 2020ねん4がつ8にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c 鹿野山かのうざん かのうざん やま渓谷社けいこくしゃ「ヤマケイオンライン」2023ねん4がつ18にち閲覧えつらん
  3. ^ 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん編纂へんさん委員いいんかい角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 12.千葉ちばけん角川書店かどかわしょてん1984ねん
  4. ^ 国土こくど地理ちりいんによる解説かいせつ
  5. ^ 地磁気ちじきはか 国土こくど地理ちりいん
  6. ^ 石川いしかわ甲子男きねお鹿野山かのうざんにおける地磁気ちじき経年けいねん変化へんか局地きょくちせい」『測地そくち学会がっかいだい26かんだい1ごう日本にっぽん測地そくち学会がっかい、1980ねん、50-58ぺーじdoi:10.11366/sokuchi1954.26.50ISSN 0038-0830NAID 130004069975 
  7. ^ 田島たじまみのる, 瀬戸せと孝夫たかお地磁気ちじき観測かんそく計数けいすう処理しょりについて」『測地そくち学会がっかいだい15かんだい4ごう日本にっぽん測地そくち学会がっかい、1970ねん、150-157ぺーじdoi:10.11366/sokuchi1954.15.150ISSN 0038-0830NAID 130004189036 
  8. ^ 古谷ふるやたかし彦, 大倉おおくらひろし房総半島ぼうそうはんとう鹿野山かのうざん周辺しゅうへん地域ちいき斜面しゃめん崩壊ほうかい地形ちけい地質ちしつてき特性とくせい」『すべり』だい28かんだい4ごう日本にっぽんすべり学会がっかい、1992ねん、29-36ぺーじdoi:10.3313/jls1964.28.4_29ISSN 0285-2926NAID 130001009463 
  9. ^ 小平こだいら哲夫てつお, 中村なかむらとおる鹿野山かのうざん山腹さんぷく崩壊ほうかい植生しょくせい : 緑化りょくか工事こうじ跡地あとち初期しょき植生しょくせい発達はったつ」『森林しんりん立地りっちだい24かんだい2ごう森林しんりん立地りっち学会がっかい、1982ねん、22-28ぺーじdoi:10.18922/jjfe.24.2_22ISSN 0388-8673NAID 110008146489 
  10. ^ 鹿野山かのうざん
  11. ^ 冨澤とみさわしげる志賀しが直哉なおやはな小娘こむすめ』とアンデルセン」『明治大学めいじだいがく教養きょうよう論集ろんしゅうだい504かん明治大学めいじだいがく教養きょうよう論集ろんしゅう刊行かんこうかい、2015ねん1がつ、67-85ぺーじISSN 0389-6005NAID 120005844865 
  12. ^ 大川おおかわ冨美子とみこ千葉ちば県内けんない歌碑かひ所在しょざい一覧いちらん千葉ちば県立けんりつ中央ちゅうおう図書館としょかんへん房総ぼうそう短歌たんか歌人かじん』(千葉ちば県立けんりつ中央ちゅうおう図書館としょかん発行はっこう、1979ねん)、p.76
  13. ^ になるスポット]やますな産地さんち人工じんこう峡谷きょうこく日本経済新聞にほんけいざいしんぶん夕刊ゆうかん2023ねん3がつ30にちくらしナビめん(2023ねん4がつ18にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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