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1891ねんのメジャーリーグベースボール

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1891ねん野球やきゅうから転送てんそう
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以下いかは、メジャーリーグベースボール(MLB)における1891ねんのできごとをしるす。

アメリカン・アソシエーションではプレイヤーズ・リーグからうつってきたボストン・レッズ前年ぜんねんのプレイヤーズ・リーグ優勝ゆうしょうつづきこのとしはアメリカン・アソシエーションで優勝ゆうしょうし、ナショナルリーグではボストン・ビーンイーターズ(のブレーブス)が8ねんぶり4度目どめ優勝ゆうしょうをした。

1890ねんのメジャーリーグベースボール - 1891ねんのメジャーリーグベースボール - 1892ねんのメジャーリーグベースボール

できごと[編集へんしゅう]

ナショナルリーグのボストン・ビーンイーターズはこのとしからリーグ3連覇れんぱし、さらに1887ねん・1888ねんも2連覇れんぱで1880年代ねんだいに5優勝ゆうしょうし、黄金おうごん時代じだいであった。

アメリカン・アソシエーションはこのとしかぎりで解散かいさんしたので最後さいごのシーズンとなった。それは前年ぜんねんのプレイヤーズ・リーグの影響えいきょうけた波乱はらんの1ねんとなった。

アメリカン・アソシエーションの運営うんえい破綻はたん[編集へんしゅう]

このとし優勝ゆうしょうしたボストン・レッズ前年ぜんねん1890ねんのプレイヤーズ・リーグ創設そうせつわせてつくられた球団きゅうだんで、キング・ケリー監督かんとくもとで、投手とうしゅチャールズ・ラドボーン、ビル・デイリー、打者だしゃではダン・ブローザース、ハーディー・リチャードソン、そしてトム・ブラウン、ハリー・ストーヴィーらの俊足しゅんそく選手せんしゅそろってプレイヤーズ・リーグの最初さいしょ最後さいごのシーズンを優勝ゆうしょうし、そしてレッズは翌年よくねんにアメリカン・アソシエーションに加盟かめいし、監督かんとく交代こうたいしたがデューク・ファレル、ヒュー・ダフィーが打線だせんくわわり、ダン・ブローザースが首位しゅい打者だしゃ、ファレルとダフィーがリーグ最多さいたの110打点だてん、トム・ブラウンは189安打あんだ得点とくてん177、盗塁とうるい106という記録きろくつくり、2のセントルイス・ブラウンズ(げんカージナルス)を8.5ゲームはなしてアメリカン・アソシエーションでのシーズンを優勝ゆうしょうした。ところがこのとしのアメリカン・アソシエーションのすべての球団きゅうだん赤字あかじであった。

ナショナルリーグとのトラブル[編集へんしゅう]

前年ぜんねんのプレイヤーズ・リーグに「フィラデルフィア・クエーカーズ」が加盟かめいしたが、アメリカン・アソシエーションにはフィラデルフィア・アスレチックス (1882-1890ねん)すで加盟かめいしていた。しかしわずか1ねんでプレイヤーズ・リーグは解散かいさんし、また同時どうじにアメリカン・アソシエーションの「アスレチックス」がリーグを脱退だったいする事態じたいきたため、クエーカーズはよく1891ねんにアメリカン・アソシエーションに加盟かめいし、もとのアメリカン・アソシエーションの「アスレチックス」を吸収きゅうしゅう合併がっぺいしてまえのチームの愛称あいしょう「アスレチックス」をいでフィラデルフィア・アスレチックス (1890-1891ねん)となった。

このプレイヤーズ・リーグからたフィラデルフィア・アスレチックス(前年ぜんねんはクエーカーズ)と、ナショナルリーグのボストン・ビーンイーターズ(のブレーブス)およびピッツバーグ・パイレーツとのあいだで、前年ぜんねんにプレイヤーズ・リーグにかれたもとアメリカン・アソシエーションの2選手せんしゅもとのアスレチックス(前年ぜんねんのアスレチックスとはべつになる)にもどることなく、ナショナルリーグのりょう球団きゅうだんうつったことから横取よこどりされたとして、りょうリーグあいだ対立たいりつしょうじた。結局けっきょく調停ちょうてい委員いいんかいまれて2選手せんしゅ保有ほゆうけんはナショナルリーグにあるとの裁定さいていた。この選手せんしゅ移籍いせき問題もんだいについてはファンも委員いいんかいとナショナルリーグを批判ひはんし、アメリカン・アソシエーションはナショナルリーグのフランチャイズけんがあったシンシナティにあたらしくシンシナティ・ポーカーズ(1891ねん加盟かめいさせたりして、りょうリーグの反目はんもくつづいた。そしてシーズン途中とちゅうからりょうリーグの対立たいりつ事態じたい膠着こうちゃくしたままシーズンをえた。

シンシナティについては1889ねんまでアメリカン・アソシエーションに所属しょぞくしていたシンシナティ・レッドストッキングス(のレッズ)が1890ねんにナショナルリーグにうつったことでアメリカン・アソシエーションも反発はんぱつしていたことも影響えいきょうしていたが、このシンシナティ・ポーカーズが1891ねん途中とちゅう破綻はたんしてミルウォーキー・ブルワーズ(1891ねん)が8がつからくわわった。そしてポストシーズンの全米ぜんべい選手権せんしゅけん(19世紀せいきのワールドシリーズ)は開催かいさいされなかった。

事態じたい打開だかい[編集へんしゅう]

シーズン終了しゅうりょうにプレイヤーズ・リーグ騒動そうどうから痛手いたでけたアメリカン・アソシエーションの加盟かめいぜん球団きゅうだん経営けいえいまっている現状げんじょうて、ここでナショナルリーグは一挙いっきょ問題もんだい打開だかいさくした。それがリーグの合併がっぺいであった。急遽きゅうきょりょうリーグの首脳しゅのう会談かいだんひらかれて合併がっぺい討議とうぎされ、アメリカン・アソシエーションの4球団きゅうだん吸収きゅうしゅうし、の4球団きゅうだん売却ばいきゃくさせる工作こうさくはじめ、1891ねん12月にアメリカン・アソシエーションは正式せいしきにそのすべての権利けんりをナショナルリーグに譲渡じょうとして、ボルチモア・オリオールズ(1882ねん-1899ねん)ワシントン・セネタース (1891-1899ねん)セントルイス・ブラウンズ(のカージナルス)、ルイビル・カーネルズ(1882ねん-1899ねん)はナショナルリーグにうつり、の4球団きゅうだんボストン・レッズ(1890ねん-1891ねん)コロンバス・ソロンズ(1889ねん-1891ねん)ミルウォーキー・ブルワーズ(1891ねん)フィラデルフィア・アスレチックス (1890-1891ねん)売却ばいきゃくさせてこのとしかぎりでアメリカン・アソシエーションは10ねん歴史れきしまくじた。

そしてナショナルリーグはよく1892ねんに8球団きゅうだんから12球団きゅうだん体制たいせいとなり、この体制たいせいは1999ねんまでつづいた。

  • ボストン・レッズはアメリカン・アソシエーションが解体かいたいされ、ナショナルリーグにはすでにボストン・ビーンイーターズが加盟かめいしていたため、ナショナルリーグはボストン・レッズ参加さんか拒否きょひした。そのため、ボストン・レッズのオーナーはナショナルリーグから13まん5,000ドルの和解わかいきん支払しはらいをけてチームは解体かいたいされた。
  • キング・ケリーは、このとしボストン・レッズはなれて、おなじアメリカン・アソシエーションのシンシナティ・ポーカーズひきいたが低迷ていめいして破綻はたんしたためシーズン途中とちゅうでチームをはなれた。そしてシーズン終盤しゅうばんにナショナルリーグのボストン・ビーンイーターズにうつり、1893ねんにニューヨーク・ジャイアンツに移籍いせきして、1893ねんかぎりで引退いんたいした。

キャッチャーミット[編集へんしゅう]

1875ねん以降いこう、チャーリー・ウエイト選手せんしゅのグラブ考案こうあんから毎年まいとしのように野手やしゅのグラブの改善かいぜんすすんだが、捕手ほしゅのグラブも日進月歩にっしんげっぽして、1885ねんには捕手ほしゅのプロテクターを考案こうあんしたジョージ・マイヤーズ捕手ほしゅがその キャッチャーミットを大型おおがたして周囲しゅうい分厚ぶあついパッドをグラブにれたりしたが、リーグがわ許可きょかしなかった。しかし、その球団きゅうだんでもこの大型おおがたキャッチャーミットがひろがり、このとし正式せいしき使用しよう許可きょかされた。

規則きそく改訂かいてい[編集へんしゅう]

  • 試合しあいちゅうにどんな時点じてんでも選手せんしゅ交代こうたい可能かのうとなった。

記録きろく[編集へんしゅう]

最終さいしゅう成績せいせき[編集へんしゅう]

アメリカン・アソシエーション[編集へんしゅう]

じゅん チーム 勝利しょうり 敗戦はいせん 勝率しょうりつ G
1 ボストン・レッズ 93 42 .689 --
2 セントルイス・ブラウンズ 85 51 .625 8.5
3 ミルウォーキー・ブルワーズ 21 15 .583 22.5
4 ボルチモア・オリオールズ 71 64 .526 22.0
5 フィラデルフィア・アスレチックス 73 66 .525 22.0
6 コロンバス・ソロンズ 61 76 .445 33.0
7 シンシナティ・ポーカーズ 43 57 .430 32.5
8 ルイビル・カーネルズ 54 83 .394 40.0
9 ワシントン・セネタース 44 91 .326 49.0

ナショナルリーグ[編集へんしゅう]

じゅん チーム 勝利しょうり 敗戦はいせん 勝率しょうりつ G
1 ボストン・ビーンイーターズ 87 51 .630 --
2 シカゴ・コルツ 82 53 .607 3.5
3 ニューヨーク・ジャイアンツ 71 61 .538 13.0
4 フィラデルフィア・フィリーズ 68 69 .496 18.5
5 クリーブランド・スパイダーズ 65 74 .468 22.5
6 ブルックリン・グルームズ 61 76 .445 25.5
7 シンシナティ・レッズ 56 81 .409 30.5
8 ピッツバーグ・パイレーツ 55 80 .407 30.5

個人こじんタイトル[編集へんしゅう]

アメリカン・アソシエーション[編集へんしゅう]

打者だしゃ成績せいせき[編集へんしゅう]

項目こうもく 選手せんしゅ 記録きろく
打率だりつ ダン・ブローザース (BOS) .350
本塁打ほんるいだ デューク・ファレル (BOS) 12
打点だてん デューク・ファレル (BOS) 110
ヒュー・ダフィー (BOS)
得点とくてん トム・ブラウン (BOS) 177
安打あんだ トム・ブラウン (BOS) 189
盗塁とうるい トム・ブラウン (BOS) 106

投手とうしゅ成績せいせき[編集へんしゅう]

項目こうもく 選手せんしゅ 記録きろく
勝利しょうり セイディー・マクマホン (BAL) 33
防御ぼうぎょりつ エド・クレーン (CKK) 2.45
だつ三振さんしん ジャック・スティベッツ (STL) 158
投球とうきゅうかい セイディー・マクマホン (BAL) 503
セーブ ジョー・ニール (STL) 3

ナショナルリーグ[編集へんしゅう]

打者だしゃ成績せいせき[編集へんしゅう]

項目こうもく 選手せんしゅ 記録きろく
打率だりつ ビリー・ハミルトン (PHI) .340
本塁打ほんるいだ ハリー・ストービー (BSN) 16
マイク・ティアマン (NYG)
打点だてん キャップ・アンソン (CHC) 120
得点とくてん ビリー・ハミルトン (PHI) 141
安打あんだ ビリー・ハミルトン (PHI) 179
盗塁とうるい ビリー・ハミルトン (PHI) 111

投手とうしゅ成績せいせき[編集へんしゅう]

項目こうもく 選手せんしゅ 記録きろく
勝利しょうり ビル・ハッチソン (CHC) 44
防御ぼうぎょりつ ジョン・ユーイング (NYG) 2.27
だつ三振さんしん ビル・ハッチソン (CHC) 314
投球とうきゅうかい ビル・ハッチソン (CHC) 561.0
セーブ キッド・ニコルズ (BSN) 3
ジョン・クラークソン (BSN)

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  • 『アメリカ・プロ野球やきゅう』≪だい1しょうナショナルリーグの確立かくりつ≫ 54-56P参照さんしょう  鈴木すずきたけしじゅ ちょ  1971ねん9がつ発行はっこう  さんいち書房しょぼう
  • べいだいリーグ かがやける1世紀せいき~その歴史れきしとスター選手せんしゅ~』≪1885ねん≫ 34P参照さんしょう 週刊しゅうかんベースボール 1978ねん6がつ25にち増刊ぞうかんごう ベースボールマガジンしゃ 
  • だいリーグへの招待しょうたい』≪野球やきゅう規則きそく変遷へんせん≫ 88P参照さんしょう  池井いけいゆう ちょ  1977ねん4がつ発行はっこう  平凡社へいぼんしゃ

参考さんこう[編集へんしゅう]