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1952ねんのメジャーリーグベースボール

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1952ねん > 1952ねんのスポーツ > 1952ねんのメジャーリーグベースボール

以下いかは、メジャーリーグベースボール(MLB)における1952ねんのできごとをしるす。

1952ねん4がつ15にち開幕かいまく10月7にちぜん日程にっていえ、ナショナルリーグブルックリン・ドジャースが3ねんぶり9度目どめのリーグ優勝ゆうしょうで、アメリカンリーグニューヨーク・ヤンキースが4ねん連続れんぞく19度目どめのリーグ優勝ゆうしょうであった。

ワールドシリーズはニューヨーク・ヤンキースがブルックリン・ドジャースを4しょう3はいやぶり、4ねん連続れんぞく15度目どめのシリーズ制覇せいはで、1936ねんから1939ねんまでの4連覇れんぱならぶ2度目どめの4連覇れんぱであった。

1951ねんのメジャーリーグベースボール - 1952ねんのメジャーリーグベースボール - 1953ねんのメジャーリーグベースボール

できごと[編集へんしゅう]

アメリカンリーグのヤンキースは、3連覇れんぱした前年ぜんねんからこのとしにかけてレギュラー選手せんしゅ新旧しんきゅう交代こうたいがあり、ジェリー・コールマン二塁手にるいしゅとボビー・ブラウン一塁いちるいしゅホワイティ・フォードおなじく兵役へいえきいて朝鮮ちょうせん戦争せんそう参加さんかし、わってビリー・マーチン二塁手にるいしゅ前年ぜんねん新人しんじんおうったギル・マクドガルドが三塁手さんるいしゅとなり、一塁いちるいはそのままジミー・コリンズまもり、引退いんたいしたディマジオのわりに前年ぜんねんデビューしたミッキー・マントル右翼うよくから中堅ちゅうけんうつって、ハンク・バウアーとジーン・ウッドリングがそのまま両翼りょうよくまもり、打線だせんじくヨギ・ベラ捕手ほしゅとマントル、そして代打だいだせんもんになったジョニー・マイズであった。このメンバーでも圧倒的あっとうてきつよく、投手とうしゅじん相変あいかわらずアーリー・レイノルズ(20しょう)、ロパット、ラスキの先発せんぱつさんほんばしら健在けんざいで8がつ14にちにインディアンスに0.5ゲームられたが最後さいごの32試合しあいを25しょう7はい首位しゅい死守ししゅして2ゲームで13ねんぶりの4連覇れんぱとなった。レイノルズは最優秀さいゆうしゅう防御ぼうぎょりつ2.06・最多さいただつ三振さんしん160を獲得かくとくした。ベラは打率だりつ.273・本塁打ほんるいだ30ほん打点だてん98で21さいになったマントルは前年ぜんねんのワールドシリーズでの痛恨つうこんのケガからなおり、ぜん試合しあい出場しゅつじょう打率だりつ.311・本塁打ほんるいだ23ほん打点だてん87の成績せいせきげた。最多さいたしょうはフィラデルフィア・アスレチックスのボビー・シャンツで、前年ぜんねん18しょう注目ちゅうもくされ2ねん連続れんぞくオールスターに選出せんしゅつされて、とくに1952ねん一時いちじ30しょう可能かのう予想よそうされるほどのペースだったが死球しきゅうけて24しょうまでだった。防御ぼうぎょりつ2.48・だつ三振さんしん152でリーグMVPにえらばれた。しかしシャンツは翌年よくねんから下降かこうせん辿たどり、5ねんヤンキースにうつり11しょうげたがその球団きゅうだんわたあるいた。ただゴールドクラブしょう制定せいていされた1957ねんから8ねん連続れんぞく受賞じゅしょうしている。

ナショナルリーグは、ドジャースがジャイアンツをり3ねんぶりのリーグ優勝ゆうしょうであった、投手とうしゅじんドン・ニューカム兵役へいえきいて朝鮮ちょうせん戦争せんそう参加さんかしたがビリー・ローズ(14しょう)、ドジャースはつ黒人こくじん投手とうしゅ救援きゅうえん投手とうしゅでありこのとし新人しんじんおうとなったジョー・ブラック(15しょう)、これにプリーチャー・ロー、カール・アースキンらがいたが、打線だせん相変あいかわらずそうあつく、ジャッキー・ロビンソンデューク・スナイダーギル・ホッジスロイ・キャンパネラピー・ウィー・リースらがいた。しかしリーグMVPはシカゴ・カブスのハンク・サウアー本塁打ほんるいだ37ほん打点だてん121で本塁打ほんるいだおう(ラルフ・カイナーと同数どうすうう)と打点だてんおうをも獲得かくとくした。首位しゅい打者だしゃはセントルイス・カージナルスのスタン・ミュージアル打率だりつ.336で3ねん連続れんぞくであった。投手とうしゅではボストン・ブレーブスのウォーレン・スパーンだつ三振さんしん183で4ねん連続れんぞくであった。しかしかれがこのタイトルをるのはこれが最後さいごで、のちに5ねん連続れんぞく最多さいた勝利しょうり通算つうさん8かい最多さいた勝利しょうり投手とうしゅのメジャーリーグ記録きろくつくる。フィラデルフィア・フィリーズのロビン・ロバーツ はこのとしから4ねん連続れんぞく最多さいた勝利しょうり投手とうしゅとなった。

ワールドシリーズでは、ヤンキースのジョニー・マイズだい活躍かつやくしてだい3せん代打だいだ本塁打ほんるいだち、だい4せんから一塁いちるいまもりながらマントルと3・4ばんコンビをみ、だい4せんだい5せんと3試合しあい連続れんぞく本塁打ほんるいだち、だい7せんではビリー・マーチンがロビンソンがったヒットせいたりをジャンピングキャッチして逆転ぎゃくてん阻止そしするだい美技びぎでヤンキースがった。ドジャースではデューク・スナイダーがシリーズ4ほん本塁打ほんるいだち、新人しんじんのジョー・ブラック投手とうしゅだい1せん先発せんぱつし6安打あんだ2失点しってん完投かんとう勝利しょうりで、これはワールドシリーズ史上しじょうはつ黒人こくじん選手せんしゅ勝利しょうり投手とうしゅとなった。

ラルフ・カイナー[編集へんしゅう]

パイレーツのラルフ・カイナーはこのとし本塁打ほんるいだ37ほんで7ねん連続れんぞく本塁打ほんるいだおうとなった。デビュー1ねんからつづけて7年間ねんかん本塁打ほんるいだおうとなったのはメジャーリーグ史上しじょうカイナーだけである。このとしまでに通算つうさん294ほん本塁打ほんるいだち、まだ30さいであった。通算つうさん500ほん視野しやれるほどであった。しかしかれ本塁打ほんるいだおう栄冠えいかんはこのとし最後さいごとなった。パイレーツGMはあのブランチ・リッキーで、リッキーはカイナーをたか評価ひょうかしていなかった。カイナーがホームランをってもパイレーツの勝利しょうりむすびつかないことがその理由りゆうであった。翌年よくねんのシーズン途中とちゅうにシカゴ・カブスにトレードした。そして3ねん引退いんたいし、通算つうさん本塁打ほんるいだ369ほんわった。(1975ねん殿堂でんどうり)

ラリー・ドビー[編集へんしゅう]

ジャッキー・ロビンソンのデビューで球界きゅうかい衝撃しょうげきあたえた1947ねん7がつにクリーブランド・インディアンスの名物めいぶつオーナーであるビル・ベックが契約けいやくした黒人こくじん選手せんしゅラリー・ドビーであった。20世紀せいき以降いこうでは2人ふたり黒人こくじん選手せんしゅであり、よく1948ねんにインディアンスがリーグ優勝ゆうしょうしてワールドシリーズに進出しんしゅつし、ラリー・ドビーもワールドシリーズに出場しゅつじょうして黒人こくじん選手せんしゅとしてはつのワールドシリーズ出場しゅつじょうとなった。そのとしのシリーズだい4せん本塁打ほんるいだって黒人こくじん選手せんしゅはつのホームランとなった。そして1949ねんから8ねん連続れんぞく20ほん以上いじょう本塁打ほんるいだち、このとし1952ねんに32ほん本塁打ほんるいだおうとなった。

マイナーリーグの危機きき[編集へんしゅう]

1948ねん観客かんきゃく動員どういんすう2,092まん842にんをピークにそのがりつづけて、このとしのナショナルリーグはピークから3わり観客かんきゃく動員どういんすうらして、1952ねんだけでも前年ぜんねんからりょうリーグあわせてやく150まんにん減少げんしょうした。そしてそれはメジャーリーグのみならずマイナーリーグのほうがより深刻しんこく事態じたいとなった。1949ねんにはマイナーリーグ全体ぜんたいで464球団きゅうだん存在そんざいしたが、AAAきゅうからAAきゅう・Aきゅう・Bきゅう・Cきゅう・Dきゅうまでの6クラス59リーグのうち、16リーグがこの3年間ねんかん姿すがたした。そしてラジオにわってテレビが普及ふきゅうはじめてメジャーリーグの試合しあい中継ちゅうけいしたためマイナーリーグは危機ききかんつのらせた。1950ねんまではメジャーもマイナーも自己じこのチームの本拠地ほんきょちから半径はんけい50マイル(80キロ)以内いない地域ちいき放送ほうそうする野球やきゅう中継ちゅうけいはテレビ・ラジオとも、そのチームが規制きせいできることになっていた。ところが連邦れんぽう司法省しほうしょうがこの規制きせい独占どくせん禁止きんしほうれるおそれがあるとしたため、1951ねん撤廃てっぱいした。そのためとおくのだいリーグの試合しあいをテレビでられるようなったことでマイナーリーグの観客かんきゃくすう減少げんしょう傾向けいこうつづいていた。そこで防衛ぼうえいさくとしてパシフィックコーストリーグをはじめマイナーリーグのかくリーグは自己じこ区域くいきだいリーグの試合しあい放送ほうそうする場合ばあいはその放送ほうそうりょう放映ほうえいりょうをプールして財政ざいせいてき危機ききおちいったチームを援助えんじょするという提案ていあんをメジャーリーグにけたが拒否きょひされた。フォード・フリックコミッショナーはこのテレビ・ラジオの野球やきゅう中継ちゅうけいかんする問題もんだい討議とうぎする委員いいんかい発足ほっそくさせたがなん進展しんてんしなかった。

本拠地ほんきょち移転いてん胎動たいどう[編集へんしゅう]

危機ききかんったのはメジャーリーグの球団きゅうだんたずマイナーリーグの球団きゅうだんしかないかく都市としおなじで、やがてそれらの都市としはメジャーの球団きゅうだん誘致ゆうちする運動うんどうさかんになり、そしてメジャーリーグの球団きゅうだん観客かんきゃくすう減少げんしょう対応たいおうするにはフランチャイズの移動いどう真剣しんけん検討けんとうはじめていた。後述こうじゅつのセラ報告ほうこくしょでメジャーリーグはそれまで東部とうぶ球団きゅうだんかたよっていたことを指摘してきして球団きゅうだん全米ぜんべい拡大かくだいすべしとの指摘してきけて、本拠地ほんきょち移転いてんかんする規則きそくゆるめ、自己じこのチームが所属しょぞくするリーグで承認しょうにんされればフランチャイズの変更へんこう可能かのうとなった。そしてこのとしれにセントルイス・ブラウンズのオーナーであるビル・ベック本拠地ほんきょち移転いてん断行だんこうする用意よういがあるとして、その候補こうほとしてミルウォーキーをげた。ブラウンズは11ねんまえの1941ねんにロサンゼルスへの移転いてん検討けんとうして、ロサンゼルスにフランチャイズをくパシフィックコーストリーグのロサンゼルス・エンゼルス(現在げんざい同名どうめい球団きゅうだんとは無関係むかんけい)を100まんドルで計画けいかくらなけらばフランチャイズけん侵害しんがいとして1まんドルの損害そんがい賠償金ばいしょうきんはらわなくてはならなかった)をすすめていた。これは日本にっぽんぐん真珠湾しんじゅわん攻撃こうげきでアメリカが参戦さんせんしたためえとなった。

そして戦後せんご7ねんぎて、おなじブラウンズはロサンゼルスでなく今度こんどはミルウォーキーを検討けんとうはじめたのだが、しかしミルウォーキーにファームチームをつボストン・ブレーブスのオーナーであるルー・ペリーニは自分じぶんつマイナー球団きゅうだんのフランチャイズをゆず意志いしいとこたえたため、このはなし頓挫とんざした。するとビル・ベック一転いってんしてボルチモアに白羽しらはてて、よく1953ねん3がつ16にちのアメリカンリーグのオーナー会議かいぎにボルチモアへの移転いてん承認しょうにんもとめた。だがこのとき前年ぜんねんブラウンズのミルウォーキー移転いてんことわったルー・ペリーニがだれ予想よそうしなかったうごきにた。

こののちにミルウォーキー、ボルチモア、カンザスシティ、ロサンゼルス、サンフランシスコなどの都市とし既存きそん球団きゅうだん移転いてんうながし、これが1950年代ねんだい後半こうはんかく球団きゅうだんうごきが活発かっぱつとなった。そしてそのつぎに1リーグ8球団きゅうだんせいでは限定げんていされるためにリーグを拡張かくちょうして10球団きゅうだんせいにしようとするうごきがてきて、それはやがてミネアポリス、ヒューストンが恩恵おんけいけることになった。さらにあたらしいメジャーリーグをげるうごきも表面ひょうめんして、このうごきは頓挫とんざしたが、既存きそんリーグの拡張かくちょううごきはつづき、その球団きゅうだん拡張かくちょう(エクスパンション)とばれて20世紀せいきまつまでつづき、2リーグ16球団きゅうだんがやがてほぼ倍増ばいぞうの30球団きゅうだんとなった。

だいボーナス規制きせい制定せいてい[編集へんしゅう]

5ねんまえさだめられた契約けいやくきん6,000ドル以上いじょう新人しんじん選手せんしゅ(高額こうがく契約けいやくきん入団にゅうだんした新人しんじんをボーナス・プレーヤーとんだ)を対象たいしょうとしただいいちボーナス規制きせい実効じっこうともなわず、1950ねん廃止はいしされたが、このとしあらたに「4,000ドル以上いじょう契約けいやくきん入団にゅうだんした新人しんじん選手せんしゅ公式こうしきせんのベンチにはいる25めいなかに、2年間ねんかん連続れんぞくしてくわえなければならない」とするだいボーナス規制きせいさだめられた。よう高額こうがく契約けいやくきんはいった新人しんじん選手せんしゅは、いきなりメジャーリーグにデビューさせてしかも2年間ねんかんそのままベンチにいなければならない、とするものでこれで高騰こうとうする新人しんじん契約けいやくきんおさえることを目的もくてきとしたものであった。しかし実際じっさい効果こうかはなくそのも8まんドル、8まん5,000ドル、15まんドルと契約けいやくきん高騰こうとうおさえる効果こうかかった。しかもデビューして2年間ねんかんはメジャーリーグのベンチにいなけらばならないとすると、そのあいだにファームでじっくりとおしむこともく、経験けいけんませて成長せいちょう余裕よゆうもなく、この期間きかんにドジャースに入団にゅうだんしてこの規則きそくがあるためにいきなりメジャーリーグのマウンドにがりずっとつづけたサンディ・コーファックス本来ほんらいならファームでじっくり育成いくせいしてからメジャーデビューするはずが最初さいしょからメジャーのベンチにいたために必要ひつようなことをおそわらずに6年間ねんかん中途半端ちゅうとはんぱ位置いちかれた。この規制きせいは1958ねんふたた廃止はいしされた。

セラ報告ほうこくしょ[編集へんしゅう]

フォード・フリックあたらしいコミッショナーとして就任しゅうにんしたのとほぼときおなじくして、連邦れんぽう議会ぎかい下院かいんの「はんトラストしょう委員いいんかい」(委員いいんちょう イマニュアル・セラ)が野球やきゅう機構きこうたいして「独占どくせん禁止きんしほう違反いはんうたがいがあるとして調査ちょうさはいった。そしてよく1952ねんに1,643ページからなる調査ちょうさ報告ほうこくしょをまとめて調査ちょうさ結果けっか発表はっぴょうした。一般いっぱんには委員いいんちょう名前なまえから「セラ報告ほうこくしょ」とばれている。  

委員いいんかいではしゅとして選手せんしゅ拘束こうそくする保留ほりゅう条項じょうこう合法ごうほうせい検討けんとうし、あわせて法律ほうりつによる野球やきゅう機構きこう規制きせい必要ひつようかどうかを討議とうぎしたのであった。公聴こうちょうかいには野球やきゅう機構きこう役員やくいん選手せんしゅ新聞しんぶん記者きしゃまねかれ、タイ・カッブは保留ほりゅう条項じょうこう擁護ようごする意見いけんべ、チャンドラーぜんコミッショナーはすうめいのオーナーをはげしく非難ひなんした。調査官ちょうさかんによると1950年度ねんどのメジャーリーグは、全体ぜんたいそう収入しゅうにゅうやく3,203まん4,000ドルでそう支出ししゅつやく2,550まん4,000ドル、差引さしひき653まんドルの収益しゅうえきがあったと指摘してきした。さらに選手せんしゅ年俸ねんぽうは5,000ドルから9まんドルのあいだで、かく球団きゅうだんごとの平均へいきん年俸ねんぽう最高さいこうがヤンキースの1まん8,788ドル、最低さいていはブラウンズの8,031ドルであることも報告ほうこくされた。そして結論けつろんとして法廷ほうていなんらかの判決はんけつるまでは保留ほりゅう条項じょうこう違法いほうめつけることは出来できず、必要ひつようあくなすべきで、野球やきゅうはんトラストほう適用てきよう範囲はんいからはみすユニークな企業きぎょうであると報告ほうこくしょしるしている。そして2リーグ16チームのメジャーリーグが全国ぜんこく組織そしきでありながら東部とうぶ本拠地ほんきょちかたよっている現状げんじょうに、西部せいぶ南部なんぶ本拠地ほんきょち球団きゅうだん必要ひつようせい言及げんきゅうした。

その[編集へんしゅう]

  • このとしからレギュラーシーズンの試合しあい審判しんぱん4にんせいおこなうようになった。

最終さいしゅう成績せいせき[編集へんしゅう]

レギュラーシーズン[編集へんしゅう]

アメリカンリーグ[編集へんしゅう]

じゅん チーム 勝利しょうり 敗戦はいせん 勝率しょうりつ G
1 ニューヨーク・ヤンキース 95 59 .617 --
2 クリーブランド・インディアンス 93 61 .604 2.0
3 シカゴ・ホワイトソックス 81 73 .526 14.0
4 フィラデルフィア・アスレチックス 79 75 .513 16.0
5 ワシントン・セネタース 78 76 .506 17.0
6 ボストン・レッドソックス 76 78 .494 19.0
7 セントルイス・ブラウンズ 64 90 .416 31.0
8 デトロイト・タイガース 50 104 .325 45.0

ナショナルリーグ[編集へんしゅう]

じゅん チーム 勝利しょうり 敗戦はいせん 勝率しょうりつ G
1 ブルックリン・ドジャース 96 57 .627 --
2 ニューヨーク・ジャイアンツ 92 62 .597 4.5
3 セントルイス・カージナルス 88 66 .571 8.5
4 フィラデルフィア・フィリーズ 87 67 .565 9.5
5 シカゴ・カブス 77 77 .500 19.5
6 シンシナティ・レッズ 69 85 .448 27.5
7 ボストン・ブレーブス 64 89 .418 32.0
8 ピッツバーグ・パイレーツ 42 112 .273 54.5

オールスターゲーム[編集へんしゅう]

  • ナショナルリーグ 3 - 2 アメリカンリーグ

ワールドシリーズ[編集へんしゅう]

  • ドジャース 3 - 4 ヤンキース
10/1 – ヤンキース 2 - 4 ドジャース
10/2 – ヤンキース 7 - 1 ドジャース
10/3 – ドジャース 5 - 3 ヤンキース
10/4 – ドジャース 0 - 2 ヤンキース
10/5 – ドジャース 6 - 5 ヤンキース
10/6 – ヤンキース 3 - 2 ドジャース
10/7 – ヤンキース 4 - 2 ドジャース

個人こじんタイトル[編集へんしゅう]

アメリカンリーグ[編集へんしゅう]

打者だしゃ成績せいせき[編集へんしゅう]

項目こうもく 選手せんしゅ 記録きろく
打率だりつ フェリス・フェイン (PHA) .327
本塁打ほんるいだ ラリー・ドビー (CLE) 32
打点だてん アル・ローゼン (CLE) 105
得点とくてん ラリー・ドビー (CLE) 104
安打あんだ ネリー・フォックス (CWS) 192
盗塁とうるい ミニー・ミノーソ (CWS) 22

投手とうしゅ成績せいせき[編集へんしゅう]

項目こうもく 選手せんしゅ 記録きろく
勝利しょうり ボビー・シャンツ (PHA) 24
敗戦はいせん アート・ホートマン (DET) 20
防御ぼうぎょりつ アリー・レイノルズ (NYY) 2.06
だつ三振さんしん アリー・レイノルズ (NYY) 160
投球とうきゅうかい ボブ・レモン (CLE) 309⅔
セーブ ハリー・ドリッシュ (CWS) 11

ナショナルリーグ[編集へんしゅう]

打者だしゃ成績せいせき[編集へんしゅう]

項目こうもく 選手せんしゅ 記録きろく
打率だりつ スタン・ミュージアル (STL) .336
本塁打ほんるいだ ラルフ・カイナー (PIT) 37
ハンク・サウアー (CHC)
打点だてん ハンク・サウアー (CHC) 121
得点とくてん ソリー・ヘムス (STL) 105
スタン・ミュージアル (STL)
安打あんだ スタン・ミュージアル (STL) 194
盗塁とうるい ピー・ウィー・リース (BRO) 30

投手とうしゅ成績せいせき[編集へんしゅう]

項目こうもく 選手せんしゅ 記録きろく
勝利しょうり ロビン・ロバーツ (PHI) 28
敗戦はいせん マーリー・ディックソン (PIT) 21
防御ぼうぎょりつ ホイト・ウィルヘルム (NYG) 2.43
だつ三振さんしん ウォーレン・スパーン (BSN) 183
投球とうきゅうかい ロビン・ロバーツ (PHI) 330
セーブ アル・ブラジル (STL) 16

表彰ひょうしょう[編集へんしゅう]

全米ぜんべい野球やきゅう記者きしゃ協会きょうかい(BBWAA)表彰ひょうしょう[編集へんしゅう]

シーズンMVP

最優秀さいゆうしゅう新人しんじんしょう

その表彰ひょうしょう[編集へんしゅう]

ベーブ・ルースしょう

アメリカ野球やきゅう殿堂でんどうはい表彰ひょうしょうしゃ[編集へんしゅう]

BBWAA投票とうひょう

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  • 『アメリカ・プロ野球やきゅうだい6しょう 試練しれん苦悩くのうはじまり≪セラ報告ほうこくしょ≫  156-157P参照さんしょう 鈴木すずきたけしじゅ ちょ 1971ねん9がつ発行はっこう さんいち書房しょぼう
  • 『アメリカ・プロ野球やきゅうだい6しょう 試練しれん苦悩くのうはじまり≪マイナーリーグの危機きき≫  157-158P参照さんしょう
  • 『アメリカ・プロ野球やきゅうだい6しょう 試練しれん苦悩くのうはじまり≪ブレーブスの移転いてん≫  159-161P参照さんしょう
  • べいだいリーグ かがやける1世紀せいき~その歴史れきしとスター選手せんしゅ~』≪1952ねん≫ 112P参照さんしょう 週刊しゅうかんベースボール 1978ねん6がつ25にち増刊ぞうかんごう ベースボールマガジンしゃ
  • 『メジャーリーグ ワールドシリーズ伝説でんせつ』 1905-2000(1952ねん) 102P参照さんしょう 上田うえだりゅう ちょ 2001ねん10がつ発行はっこう ベースボールマガジンしゃ
  • 『スポーツ・スピリット21 №11 ヤンキース最強さいきょう読本とくほん』≪レジェンド ミッキー・マントル≫ 52-53P参照さんしょう 2003ねん6がつ発行はっこう ベースボールマガジンしゃ
  • 『スポーツ・スピリット21 №11 ヤンキース最強さいきょう読本とくほん』≪歴代れきだいヤンキースめい選手せんしゅ 野手やしゅへん≫ 60-61P参照さんしょう
  • 月刊げっかんメジャーリーグ 12月ごう(2003) ワールドシリーズ栄光えいこうの1世紀せいき』≪最強さいきょうヤンキース不滅ふめつの5連覇れんぱ≫ 36P参照さんしょう 加藤かとう和彦かずひこ ちょ 2003ねん12月発行はっこう ベースボールマガジンしゃ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]