(Translated by https://www.hiragana.jp/)
TEAM ビチッと! - Wikipedia コンテンツにスキップ

TEAM ビチッと!

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

TEAM ビチッと!(チーム・ビチッと!)は、全日本ぜんにほんプロレス興行こうぎょうにおいて活動かつどうしていたプロレスラーのユニットである。2011ねん8がつ30にち発足ほっそく同年どうねん9がつ11にちより活動かつどう開始かいしした。発起人ほっきにんKENSO

チームめいは、KENSOの口癖くちぐせ由来ゆらいする。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

発足ほっそく

[編集へんしゅう]

2011ねん8がつ30にち全日本ぜんにほんプロレスリングの事務所じむしょにて、KENSOが記者きしゃ会見かいけん実施じっしし、『TEAM ビチッと!』なるしん軍団ぐんだん結成けっせい次期じきシリーズ「2011 FLASHING TOUR」開幕かいまくせんとなる9がつ11にちより始動しどうさせるむね発表はっぴょうした[1]

元々もともとKENSOは8がつ20日はつか札幌さっぽろ大会たいかいにおいて、試合しあいまえ全日本ぜんにほん改革かいかく提唱ていしょうをし、団体だんたい内外ないがい国内外こくないがいわず同志どうしつのっていた(通称つうしょう・KENSO改革かいかく)。また「ドラフト1」としてどう団体だんたいカズ・ハヤシ共闘きょうとうちかけていた。しかし、KENSO自身じしんどう団体だんたいにおける人望じんぼう皆無かいむとしていたとおり、団体だんたいないからは賛同さんどうしゃ出現しゅつげんせず、ハヤシにも丁重ていちょうことわられていた[1]

しかし後日ごじつ全日本ぜんにほんプロレスに参戦さんせん経験けいけんのあるメキシコの団体だんたいAAA所属しょぞくダーク・オズダーク・クエルボの2選手せんしゅ賛同さんどうしたことが記者きしゃ会見かいけん公表こうひょうされた。2選手せんしゅは、KENSOがかつてメキシコでたたかっていたときの盟友めいゆうである[1]

さらにKENSOは、突如とつじょ普段ふだん無視むしされている女性じょせい社員しゃいん5にん美人びじんしょうし「ビチッと!ガールズ」に勝手かって任命にんめい。5にんにKENSO みずか全然ぜんぜんれていないというKENSO-Tてぃーシャツを無理矢理むりやり着用ちゃくようさせた。また『TEAM ビチッと!』のライセンスを後楽園こうらくえんホールで観客かんきゃく配布はいふすることも勝手かって発表はっぴょうした。この会見かいけん同席どうせきしたどう団体だんたい代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょうである内田うちだ雅之まさゆき勝手かって賛同さんどうしゃとした[1]

活動かつどう開始かいしとその

[編集へんしゅう]

2011ねん8がつ30にちにKENSOにより発足ほっそく発表はっぴょうし、翌月よくげつ11にち後楽園こうらくえんホールにおける「2011 FLASHING TOUR」開幕かいまくせんにて活動かつどう開始かいしした。KENSO、ダーク・オズ、ダーク・クエルボの3にん船木ふなきまことかちあけぼのはま亮太りょうた対戦たいせんするも、試合しあい開始かいし早々そうそうにオズとクエルボがKENSOに暴行ぼうこう活動かつどう本格ほんかく開始かいし初日しょにちにいきなり分裂ぶんれつする羽目はめになった。しかし、暴行ぼうこうけるKENSOを、リングサイドで雑用ざつよう業務ぎょうむおこなっていた若手わかてレスラーの曹駿救出きゅうしゅつ。そのみずからチーム加入かにゅうもうた。全日本ぜんにほんプロレスのレギュラー参戦さんせん選手せんしゅはつ加入かにゅう希望きぼうしゃとなった[2]

なお翌日よくじつ記者きしゃ会見かいけんにて、発足ほっそく発表はっぴょうのときにKENSOが勝手かって発言はつげんした、女性じょせい社員しゃいん5めいによる「ビチッと!ガールズ」の結成けっせい内田うちだ社長しゃちょう加盟かめいかんし、会社かいしゃがわから「業務ぎょうむ支障ししょうをきたす」として認可にんかされなかったことが発表はっぴょうされた。また、ビチッと!ガールズ候補こうほ女性じょせい社員しゃいんは4めいあやまりであったこともあわせて発表はっぴょうされている[2]

幕切まくぎ

[編集へんしゅう]

2012ねん当初とうしょから、世界せかいタッグ王座おうざへの挑戦ちょうせん直訴じきそしていたKENSOだが、もっと信頼しんらいしていたパートナー・カズからは「いまはジュニア王座おうざ専念せんねんしたいから迷惑めいわく」と一蹴いっしゅうされていた。そのカズがケニー・オメガとの王座おうざせんやぶれると、バックステージに乱入らんにゅうし、タッグ王座おうざ挑戦ちょうせん直訴じきそ。カズもこれに快諾かいだくしたが、おな時期じきGET WILD世界せかいタッグ挑戦ちょうせん表明ひょうめい勝者しょうしゃ挑戦ちょうせんけん獲得かくとくマッチをながれとなった。

その挑戦ちょうせんけん獲得かくとく試合しあい内容ないようは、ナンバーワン・コンテンダー・TLCマッチという天井てんじょうげられた挑戦ちょうせん権利けんりしょうばうもので、同時どうじ敗者はいしゃユニットの解散かいさんもかけられていたが、試合しあいまえ記者きしゃ会見かいけんからGET WILDの空気くうきまれ、結局けっきょく敗退はいたい。ユニットはあっさりと解散かいさんになってしまった。しかし、とうのKENSO本人ほんにんは「KENSO革命かくめい全日本ぜんにほん、いや、世界せかいつづいていきます」とあらたなみち示唆しさした。

復活ふっかつ

[編集へんしゅう]

しかし、明確めいかく解散かいさん宣言せんげんをしていないこと、試合しあいのタイトルに解散かいさん文字もじふくまれていないことなどから、KENSO本人ほんにん思惑おもわくとしては、カズがけただけで以後いご一人ひとりでユニットをつづけていたという認識にんしきであるとおもわれる。4月には、井上いのうえまさひさしとの「リストラコンビ」をみ、8がつにアジアタッグに挑戦ちょうせん。 9月になると、後楽園こうらくえんホールでの開幕かいまくせんザ・グレート・サスケとのタッグマッチがまれていたが、KENSOが一方いっぽうてき井上いのうえとのタッグを解消かいしょうし、サスケとのタッグにえた。試合しあいには、そのタッグのまま年末ねんまつ最強さいきょうタッグ参戦さんせんをアピール。

ただし、リーグせん途中とちゅうにサスケが怪我けが離脱りだつ。KENSO本人ほんにんとく言及げんきゅうしていないため、またもや自然しぜん消滅しょうめつしてしまうことになる。

メンバー

[編集へんしゅう]
  • KENSO発起人ほっきにん
  • 曹駿(2011ねん9がつ11にち加盟かめい)(現在げんざい中国ちゅうごく一時いちじ帰国きこくちゅう

共闘きょうとうメンバー

[編集へんしゅう]

もとメンバー

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]