(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ジルジャン - Wikipedia コンテンツにスキップ

ジルジャン

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
Zildjianから転送てんそう
アヴェディス・ジルジャン・カンパニー
種類しゅるい
非公開ひこうかい
業種ぎょうしゅ シンバル製造せいぞう
設立せつりつ 1623ねん 創業そうぎょう
1929ねん 米国べいこく
本社ほんしゃ
主要しゅよう人物じんぶつ
アヴェディス・ジルジャン(創業そうぎょうしゃ
Armand Zildjian
Craigie Zildjian(げんCEO)
Debbie Zildjian
ウェブサイト 公式こうしきウェブサイト

ジルジャンえい:Zildjian)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくシンバルのブランド。400ねん歴史れきしをもち、トルコイスタンブールにいたアルメニアじんシンバル職人しょくにんもとであるが、今日きょうは、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくマサチューセッツしゅう本拠ほんきょゆうするアヴェディス・ジルジャンしゃ (Avedis Zildjian Company) によって製造せいぞうされている。同社どうしゃ現在げんざい世界せかい最大さいだい規模きぼのシンバルとドラムスティックのメーカーである。日本にっぽん国内こくないではヤマハ株式会社かぶしきがいしゃのグループ会社かいしゃである株式会社かぶしきがいしゃヤマハミュージックジャパンが輸入ゆにゅう販売はんばいおこなっている。

歴史れきし

[編集へんしゅう]
ジルジャンのさい高級こうきゅう製品せいひんぐん「K Constantinople」シリーズのライドシンバル(K Constantinople Big Band Ride 21")
「A Custom」シリーズのクラッシュシンバル(A Custom Projection Crash 16")
「A Zildjian」シリーズのハイハットシンバル(A Zildjian Quick Beat Hi Hat 15")
A Zildjian Quick Beat Hi Hatのボトムがわはカップがない。さらに、ハイハットペダルをんだときの空気くうきけをくするためにあなを4つけている。他社たしゃおなじようなシンバルを販売はんばいしているが、大手おおて3しゃでこのようなハイハットシンバルを開発かいはつしたのはジルジャンがはじめて

ジルジャンの草分くさわ

[編集へんしゅう]

ジルジャンのシンバルは、17世紀せいき初頭しょとうオスマン帝国ていこく首都しゅとコンスタンチノープルにいたアルメニアじんアベディス1せいのシンバル開発かいはつはじまる。アベディス1せい1596ねんまれ、皇帝こうてい金属きんぞくこうとしてつかえていた。

1618ねん合金ごうきん技術ぎじゅつ使つかってすずどうぎんなどを材料ざいりょうに、それまでのシンバルとはことなる独自どくじ製造せいぞうほう発明はつめい

1623ねん、アベティス1せい皇帝こうていからシンバル製造せいぞう公式こうしき認可にんかされる[1]。そのジルジャンのシンバルはヨーロッパでもたか評価ひょうかけた。

中興ちゅうこう

[編集へんしゅう]

1600〜1800年代ねんだいのジルジャン家族かぞく継承けいしょうかんする正確せいかく日付ひづけ事実じじつは、大半たいはん保管ほかん場所ばしょ火災かさいとう全焼ぜんしょうしたため、のこっていないという。

1800年代ねんだい、ハルーティアン(先代せんだい)・ジルジャンの長男ちょうなんアベディス2せい継承けいしょうしゃとなった。

KジルジャンとAジルジャン

[編集へんしゅう]

1865ねん、アベディス2せいくなり、2人ふたり息子むすこ長男ちょうなんハルーティアン(先代せんだい同名どうめい)と次男じなんアラム)がいたが、おさな長男ちょうなんにかわって、アベティス2せいおとうとケロップがシンバル製造せいぞう技術ぎじゅつぎ『K.ZILDJIAN&Cie(Kジルジャンしゃ)』ので、トルコのコンスタンチノープルでシンバルの製造せいぞう開始かいしし、ここで『Kジルジャン』の歴史れきしはじまる。またケロップはヨーロッパ、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく見本市みほんいちにおいてシンバルを展示てんじした。

ケロップは、本来ほんらい正統せいとう継承けいしょうしゃであるアベティス2せい長男ちょうなん・ハルーティアンも継承けいしょうできる年頃としごろになったが、とう本人ほんにん断固だんことしてシンバル製造せいぞうぎょうきら役人やくにんになったため、げで次男じなんアラムにシンバル製造せいぞう技術ぎじゅつ継承けいしょうした。アラムは『A.ZILDJIAN&Cie(Aジルジャンしゃ)』ので、やはりコンスタンチノープルでシンバルの製造せいぞうはじめた。

本来ほんらい継承けいしょうではなく一時いちじてきにできたKジルジャンブランドだったが、1909ねん、ケロップがくなると、そのむすめ婿むこミカエル・ジルジャン(ミカエル・ダルカリアン)がこういだため、コンスタンチノープルでのKジルジャンシンバルの製造せいぞうつづけられることとなりAジルジャンとはべつにKジルジャンブランドのつよめることとなった。これにより、ジルジャンシンバルのブランドめいは『Aジルジャン』(トルコA)と『Kジルジャン』(トルコK)の2つにかれることとなる。

『Kジルジャンしゃ』は、トルコ共和きょうわこく成立せいりつで、これまでイスタンブールの別名べつめいとして対外たいがいてき通用つうようしていたコンスタンチノープル使つかえなくなったため、ブランドめい刻印こくいんが『K ZILDJIAN&Cie CONSTANTINOPLE』(Kジルジャン・コンスタンチノープル)から『K ZILDJIAN&Co ISTANBUL』(Kジルジャン・イスタンブール)にかわり、ジルジャンのせいもトルコふうに Zilcijan とつづられるようになった(なお1950年代ねんだいにはのちにイスタンブールを設立せつりつするアゴップ・トムルシュク(Agop Tomurcuk)とメメット・タンデガー(Mehmet Tamdeger)が『Kジルジャンしゃ』につとはじめる)。

アメリカへ

[編集へんしゅう]

1927ねん、アラムもとしをとり、つぎ継承けいしょうしゃさがした。そして本来ほんらい継承けいしょうしゃであったあにハルーティアンの息子むすこアベディス3せい手紙てがみき、1929ねん、アラムの説得せっとくによりアベディス3せい新天地しんてんちアメリカ、マサチューセッツしゅうクインシーで『AVEDIS ZILDJIAN(アベディス・ジルジャンしゃ)』(アメリカAジルジャンしゃ)をげた。

この時点じてんでのジルジャンのかんするブランドはトルコ工場こうじょうの『Kジルジャン』とアメリカ工場こうじょうの『Aジルジャン』の2つである。『アメリカAジルジャンしゃ』は、アメリカで様々さまざま規格きかくのシンバルを開発かいはつし、今日きょうドラムセット使つかわれるシンバルのもとをつくった。同社どうしゃのシンバルはジャズロックといったアメリカはつ音楽おんがく使つかわれるようになって世界せかいひろがっていった。

1968ねん、アベディス3せい次男じなんロバートを責任せきにんしゃにして、カナダニューブランズウィックしゅうしん工場こうじょう『AZCO(カナダAジルジャンしゃ)』を設立せつりつ

1972ねんからその翌年よくねんにかけて、マサチューセッツしゅうノーウェルしん工場こうじょう開設かいせつ(このさいにシンバルのカップのおおきさ(とくに18インチ)やレイジングに若干じゃっかん変更へんこうくわえられたらしい)。同時どうじにジルジャン創設そうせつ350周年しゅうねんいわう。

トルコKジルジャンの終焉しゅうえん近況きんきょう

[編集へんしゅう]

1970年代ねんだいごろ、『Kジルジャンしゃ』は『アメリカAジルジャンしゃ』に買収ばいしゅうされる。1977ねん、アベディス3せい長男ちょうなんアーマンドを社長しゃちょう任命にんめいする。アーマンド就任しゅうにん記念きねんなのかこのときあたらしいZildjianロゴの発足ほっそくともしろきのZildjianロゴをシンバル裏側うらがわにプリントするようになる(それまでのロゴは全部ぜんぶ大文字おおもじでZILDJIANのJがしたっているロゴだった)。1977ねんにトルコの『Kジルジャンしゃ』の工場こうじょう閉鎖へいさされてカナダ工場こうじょう統合とうごうされ、1865ねんからつづいた伝統でんとう本場ほんばトルコKジルジャンのなが歴史れきしまくじることとなる。

1978ねん、Kジルジャン商標しょうひょうのトルコせいシンバルによる使用しよう商標しょうひょうけんしゃの『アメリカAジルジャンしゃ』によって禁止きんしされ、Kジルジャンブランドの製造せいぞうはカナダ工場こうじょうの『AZCO(カナダAジルジャンしゃ)』でおこなわれるようになった。なお、トルコKジルジャンの職人しょくにんのうちトルコにのこったものは1980ねんに『イスタンブール・シンバルしゃ』をおこし、そのながれをむシンバル工場こうじょう現在げんざいすうしゃかれている。

1979ねんにアベディス3せいぼっしたのち相続そうぞくしゃ長男ちょうなんアーマンドと次男じなんロバートのあいだ会社かいしゃ分割ぶんかつされる。1981ねんにロバートのカナダ工場こうじょう『AZCO(カナダAジルジャンしゃ)』が独立どくりつして『SABIANセイビアンしゃ)』となった。この時点じてんでKジルジャンブランドの製造せいぞうかんしては名称めいしょう商標しょうひょう使つかえない『セイビアンしゃ』はカナダK製造せいぞう時代じだいながれをぎ、HH(ハンド・ハンマード)の名称めいしょう製造せいぞう販売はんばい開始かいしし、Kジルジャン商標しょうひょう使つかえる『アメリカAジルジャンしゃ』はビッグKロゴりのKジルジャンシンバルを製造せいぞう販売はんばい開始かいしした。

2002ねんにはアーマンドがぼっし、現在げんざい同社どうしゃはアーマンドの2人ふたりむすめ、クレーギーとデビーが経営けいえいしている。

系譜けいふ

[編集へんしゅう]
  • トルコ工場こうじょう 『Aジルジャンしゃ』【1623〜1865】(トルコA製造せいぞう)→『Kジルジャン&Cieしゃ』【1865〜1977】(トルコK製造せいぞう) →『イスタンブールしゃ』【1980〜現在げんざい
  • トルコ→ルーマニア工場こうじょう『Aジルジャン&Cieしゃ』【1909?〜1927?】(トルコA製造せいぞう
  • アメリカ工場こうじょう『アメリカAジルジャンしゃ』【1929〜現在げんざい】(アメリカA・1981〜アメリカK製造せいぞう
  • カナダ工場こうじょう 『AZCO(カナダAジルジャンしゃ)』【1968〜1981】(ZILCO・カナダA・カナダK製造せいぞう)→『セイビアンしゃ』【1981〜現在げんざい】(HH・AA製造せいぞう

現行げんこう製品せいひんライン

[編集へんしゅう]

ドラムセット

[編集へんしゅう]

B20キャスト・ブロンズせい

[編集へんしゅう]

・K Constantinople
・Kerope
・K Custom
・K Zildjian
・A Avedis
・A Custom
・A Zildjian
・Z Custom

B12シート・ブロンズせい

[編集へんしゅう]

・S Zildjian
・S Dark

B8シート・ブロンズせい

[編集へんしゅう]

・I Family

ブラスせい

[編集へんしゅう]

・Planet Z

その

[編集へんしゅう]

・FX(チャイナ・シンバルやあなあきシンバルなど、エフェクト・シンバルをそろえたライン。製品せいひんによって素材そざいわる)
・L80 Low Volume(練習れんしゅうよう消音しょうおんシンバル。シンバル全面ぜんめん大量たいりょうこまかいあないている)

オーケストラ、ドラム・コー

[編集へんしゅう]

B20キャスト・ブロンズせい

[編集へんしゅう]

・K Constantinople Orchestral
・K Symphonic
・A Zildjian Classic Orchestral
・A Zildjian Symphonic Tone
・A Zildjian Concert Stage
・A Zildjian Stadium
・A Zildjian Z-MAC

B12シート・ブロンズせい

[編集へんしゅう]

・S Band

B8シート・ブロンズせい

[編集へんしゅう]

・I Band

ブラスせい

[編集へんしゅう]

・Planet Z Band

おもなエンドーサー

[編集へんしゅう]

海外かいがい

[編集へんしゅう]

日本にっぽん国内こくない(50おとじゅん

[編集へんしゅう]

[2]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 井上いのうえけんわれ老舗しにせ企業きぎょう事例じれいとした永続えいぞく経営けいえい研究けんきゅう (PDF) 高知工科大学こうちこうかだいがく大学院だいがくいん 修士しゅうし論文ろんぶん 2008ねん
  2. ^ アーティスト”. Zildjian.jp. 2020ねん2がつ3にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]