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徴兵令(チョウヘイレイ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

徴兵ちょうへいれいみ)チョウヘイレイ

デジタル大辞泉だいじせん徴兵ちょうへいれい」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

ちょうへい‐れい【徴兵ちょうへいれい

明治めいじ6ねん(1873)に公布こうふされた徴兵ちょうへいかんする法令ほうれい国民こくみん皆兵かいへい主義しゅぎをとり、まん20さいたっした男子だんし兵役へいえき義務ぎむさだめたが、当初とうしょおおくの免役めんえき規定きていがあった。昭和しょうわ2ねん(1927)兵役へいえきほう改称かいしょう

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精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん徴兵ちょうへいれい」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

ちょうへい‐れい【徴兵ちょうへいれい

  1. 名詞めいし 徴兵ちょうへいかんする命令めいれい法規ほうき日本にっぽんでは明治めいじろくねんいちはちななさんいちがついちにち公布こうふされたきゅう兵役へいえきほう昭和しょうわねんいちきゅうななよんがついちにち以前いぜん名称めいしょう
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「ハイそれは徴兵ちょうへいれいくわしくしょりやすが」(出典しゅってん開化かいか入口いりくち(1873‐74)〈よこかわあき濤〉よん)

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改訂かいてい新版しんぱん 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん徴兵ちょうへいれい」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

徴兵ちょうへいれい (ちょうへいれい)

明治めいじ大正たいしょうにおける国民こくみん兵役へいえき義務ぎむかんしてさだめた法令ほうれい廃藩置県はいはんちけん,1まんらずの政府せいふ直轄ちょっかつぐんであるおやへいのほかにはきゅうかくはんへいからる4鎮台ちんだい歩兵ほへい10大隊だいたいと19小隊しょうたいほうたい2たい地方ちほうぐんしかもっていなかった明治めいじ政府せいふは,早急そうきゅう統制とうせいある常備じょうびぐん建設けんせつ必要ひつようせまられた。実現じつげんすべき兵制へいせいについては,たけしへい職業しょくぎょう兵制へいせいとするか,徴兵ちょうへいせいとするか,民兵みんぺい国民こくみん軍制ぐんせいとするかについて議論ぎろんがあったが,陸軍りくぐん大輔だいすけ山県やまがた有朋ありとも主導しゅどうけんのもとに徴兵ちょうへいせい採用さいようされ,1872ねん明治めいじ5)11月に徴兵ちょうへいみことのり徴兵ちょうへい告諭こくゆ翌年よくねん1がつ徴兵ちょうへい編成へんせいなみがいそく布告ふこくした。これがだい1徴兵ちょうへいれいである。徴兵ちょうへいれい目的もくてき鎮台ちんだいへい徴集ちょうしゅうにあり,おやへいあらた近衛このえたけし兵制へいせい維持いじすることになっていたが,せいかんろん分裂ぶんれつにより鹿児島かごしま高知こうち出身しゅっしん近衛このえへいおおくがやめたので,徴兵ちょうへいれいによって徴集ちょうしゅうされた兵員へいいんちゅうから成績せいせき優秀ゆうしゅうしゃ近衛このえへい選抜せんばつし,あらためて5年間ねんかん勤務きんむさせるせいとし,85ねん鎮台ちんだい同様どうよう徴兵ちょうへいれいによることになった。

 当初とうしょ徴兵ちょうへいれい兵役へいえき免役めんえきしゃ以外いがいまん17さいから40さいまでの男子だんし全員ぜんいん国民こくみん兵役へいえき兵籍へいせき登録とうろくし,まん20さい男子だんし徴兵ちょうへい検査けんさ抽選ちゅうせんによってしるし,3ねん全日ぜんじつ勤務きんむふくさせる常備じょうびぐん常備じょうびぐんわったのちとし1短期たんき勤務きんむふくさせる2年間ねんかんだいいち後備こうびぐん勤務きんむ義務ぎむのない2年間ねんかんだい後備こうびぐんけい7年間ねんかん服役ふくえき義務ぎむさだめた。1879ねんには常備じょうび3ねん予備よび3ねん後備こうび4ねんけい10ねん服役ふくえきせいのほか,欠員けついん補充ほじゅうのための1年間ねんかん予備よびちょういん新設しんせつされ,83ねんには現役げんえき3ねん予備よびやく4ねん常備じょうび兵役へいえきとし,後備こうびやく5ねんとした。89ねん改正かいせい予備よびやく4ねん4ヵ月かげつ,95ねん改正かいせい予備よびちょういん服役ふくえき義務ぎむ7ねん4ヵ月かげつだいいち補充ほじゅう兵役へいえき(90日間にちかん軍隊ぐんたい教育きょういくける)・だい補充ほじゅう兵役へいえきとなり,国民こくみん兵役へいえき現役げんえきだいいち補充ほじゅう兵役へいえき出身しゅっしんだいいち国民こくみん兵役へいえきとそのだい国民こくみん兵役へいえきけられ,1905ねん後備こうびやくを10ねん延長えんちょうし,07ねん歩兵ほへいの2ねんざい営・1ねん帰休ききゅうせい採用さいようにより,現役げんえき勤務きんむ短縮たんしゅくされた。

 当初とうしょ徴兵ちょうへいれいは,官吏かんり陸海りくかいぐん生徒せいと官立かんりつ専門せんもん学校がっこう以上いじょう生徒せいと洋行ようこう修業しゅうぎょうちゅうもの医術いじゅつじゅう医術いじゅつまなものなどの国家こっか支配しはいそうとその後継こうけいしゃ一家いっか主人しゅじん嗣子ししおよびうけたまわまごどくどくまご父兄ふけいわっていえおさめるもの養子ようしなどのみつぎ負担ふたんしゃとその後継こうけいしゃ代人だいにんりょう270えんはらった富裕ふゆうしゃ免役めんえきとしたので,兵役へいえき負担ふたんなか以下いか農民のうみんそうさんなんにかかり,名目めいもくてき養子ようしなどで兵役へいえきのがれるものおおかった。1879ねん改正かいせい免役めんえき平時へいじだけの免役めんえき設置せっちされ,嗣子しし養子ようしなどのおや年齢ねんれいが50さい以上いじょうとなり,83ねん改正かいせい代人だいにんせい廃止はいし免役めんえき徴集ちょうしゅう猶予ゆうよに,嗣子ししなどのおや年齢ねんれいが60さい以上いじょうあらためられ,1ねん志願しがんへい制度せいど創設そうせつされた。

 1889ねん憲法けんぽう制定せいていにともない徴兵ちょうへいれいだい改正かいせいされて法律ほうりつとなり,平時へいじ徴集ちょうしゅう猶予ゆうよはいされ国民こくみんみなへい原則げんそく確立かくりつされた。しかし,学生がくせいへの徴集ちょうしゅう延期えんきせいいちねん志願しがん兵制へいせい短期たんき現役げんえきへいせいなどの高学歴こうがくれきしゃへの特典とくてんのこされた。1927ねん徴兵ちょうへいれい兵役へいえきほうあらためられた。
血税けつぜい一揆いっき →徴兵ちょうへい忌避きひ
執筆しっぴつしゃ

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日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)徴兵ちょうへいれい」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

徴兵ちょうへいれい
ちょうへいれい

国民こくみん兵役へいえき義務ぎむした法律ほうりつ成立せいりつまもない明治めいじ政府せいふは、中央ちゅうおう直属ちょくぞく軍事ぐんじりょくをほとんどゆうしないままに、農民のうみん一揆いっき(いっき)などのはん政府せいふ行動こうどう直面ちょくめんしなければならなかった。このため、中央ちゅうおう集権しゅうけん国家こっか物理ぶつりてき基礎きそとなるべき中央ちゅうおう政府せいふ直属ちょくぞく軍事ぐんじりょく整備せいび急務きゅうむとなり、1871ねん明治めいじ4)2がつにはおやへい編成へんせいされ、さらに同年どうねん8がつには、旧藩きゅうはんはんへい召集しょうしゅうしてよん鎮台ちんだい設置せっちされた。しかし、これらの軍事ぐんじりょく基礎きそとなっていたのは封建ほうけんてき身分みぶん秩序ちつじょうちにある旧藩きゅうはんへいであったため、欧米おうべい列強れっきょうれいなら国民こくみんみなへい理念りねんもとづく徴兵ちょうへいせい導入どうにゅう要請ようせいされ、1872ねん全国ぜんこく徴兵ちょうへいみことのり(みことのり)がはっせられて、よく73ねんには徴兵ちょうへいれい布告ふこくされた。この徴兵ちょうへいれいには、官吏かんり官立かんりつ学校がっこう生徒せいと戸主こしゅ代人だいにんりょう納入のうにゅうしゃなどの兵役へいえき免除めんじょする広範こうはん免役めんえき条項じょうこう存在そんざいしていたが、国内こくない支配しはい体制たいせい整備せいびともなって対外たいがい戦争せんそう準備じゅんび日程にっていのぼり、大量たいりょう兵員へいいん確保かくほする必要ひつようまれてくると、これらの免役めんえき条項じょうこうは、再三さいさん改正かいせいによってしだいに制限せいげんされ、1889ねんには徴兵ちょうへいれい抜本ばっぽんてき改正かいせいおこなわれる。すなわち、この改正かいせいでは、従来じゅうらい徴集ちょうしゅう猶予ゆうよせい廃止はいしされ、国民こくみんみなへい原則げんそく徹底てっていはかられるとともに、徴兵ちょうへい忌避きひしゃたいする罰則ばっそく(1かげつ以上いじょう1ねん以下いかじゅう禁錮きんこ、3えん以上いじょう30えん以下いか罰金ばっきん)がもうけられ、その徴兵ちょうへいせい基本きほんてき骨格こっかく確定かくていされた。さらに、同年どうねん2がつ公布こうふされた大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうでは、兵役へいえきが「日本にっぽん臣民しんみん」の義務ぎむであるとさだめられた。徴兵ちょうへいれいは、その副次的ふくじてき改正かいせいて、1927ねん昭和しょうわ2)のだい改正かいせいによって兵役へいえきほう公布こうふされるまでつづく。民衆みんしゅうは、徴兵ちょうへいれい制定せいてい同時どうじに、各地かくち血税けつぜい一揆いっきとよばれる徴兵ちょうへいれい反対はんたい一揆いっきがり、そのも、逃亡とうぼうやさまざまなかたちでの徴兵ちょうへい忌避きひこうたなかったが、取締とりしまりの強化きょうか軍国ぐんこく主義しゅぎ思想しそう社会しゃかいへの浸透しんとうにより抵抗ていこう余地よちはしだいにせばめられていった。

吉田よしだ ひろし

大江おおえ志乃しのおっとちょ徴兵ちょうへいせい』(岩波いわなみ新書しんしょ)』

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百科ひゃっか事典じてんマイペディア徴兵ちょうへいれい」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

徴兵ちょうへいれい【ちょうへいれい】

1873ねんがつ10日とおか明治めいじ政府せいふにより公布こうふされた国民こくみんみなへい法令ほうれい兵隊へいたい経験けいけん列強れっきょう兵制へいせいなどをまなんだ大村おおむら益次郎えきじろう山県やまがた(やまがた)有朋ありともらが推進すいしんまん20さいたっした男子だんし徴集ちょうしゅう陸海りくかいぐんてるというたてまえであったが,官吏かんり官立かんりつ学校がっこう生徒せいと戸主こしゅ嗣子ししなどにたいしては免役めんえき兵役へいえき免除めんじょ規定きていがあった。制定せいてい当時とうじ血税けつぜい騒動そうどうばれる徴兵ちょうへいれい反対はんたい一揆いっき(いっき)があった。1889ねん本格ほんかくてき改正かいせい免役めんえき規定きてい全廃ぜんぱい国民こくみんみなへい原則げんそく確立かくりつ。1927ねんがつにち兵役へいえきほう公布こうふされるまでつづいた。
関連かんれん項目こうもく一揆いっき士族しぞく士族しぞく授産じゅさん召集令状しょうしゅうれいじょう鎮台ちんだい陸軍りくぐん

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ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん徴兵ちょうへいれい」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

徴兵ちょうへいれい
ちょうへいれい

明治めいじ5 (1872) ねん 11月の「全国ぜんこく徴兵ちょうへいみことのり」にもとづき,1873ねん1がつ公布こうふされた法令ほうれいどう4ねんまつ兵部ひょうぶ大輔だいすけ山県やまがた有朋ありともらの建議けんぎによりはっせられた。徴兵ちょうへいきらった庶民しょみんは,たとえば養子ようし免役めんえきみとめられたので,これを利用りようして免役めんえきようとしたり (徴兵ちょうへい養子ようし) ,また徴兵ちょうへい告諭こくゆ文字もじ (「血税けつぜい」) の誤解ごかいしん政府せいふたいする不平ふへい不満ふまんむすびつき,各地かくち血税けつぜい一揆いっききた。徴兵ちょうへいれいは 79ねん全面ぜんめん改訂かいていされ,1927ねんこれにかわって兵役へいえきほう制定せいていされた。

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山川やまかわ 日本にっぽんしょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱん徴兵ちょうへいれい」の解説かいせつ

徴兵ちょうへいれい
ちょうへいれい

国民こくみん義務ぎむ兵役へいえきせい大綱たいこうしめした太政官だじょうかん布告ふこく。1873ねん(明治めいじ6)1がつ10日とおか公布こうふ男子だんしまん20さい徴兵ちょうへい検査けんさをうけ,3年間ねんかん常備じょうびぐん(現役げんえき)にふくし,除隊じょたい在郷ざいきょう軍人ぐんじんとして戦時せんじ動員どういん召集しょうしゅうをまつこととされた。布告ふこく緒言しょげん・6しょう付録ふろくからなり,そのうち常備じょうびへい免役めんえきがいそくは,官吏かんりおよびかん公立こうりつ学校がっこう生徒せいと代人だいにんりょう上納じょうのうしゃなど広範こうはん除外じょがい規定きていゆうし,国民こくみん皆兵かいへい主義しゅぎつらぬかれていたわけではなかった。のち79ねん,83ねん,89ねん,95ねん,1904ねんなどの改正かいせい兵役へいえき年限ねんげん延長えんちょう免役めんえき条項じょうこう縮小しゅくしょうはかられた。1927ねん(昭和しょうわ2)兵役へいえきほう改称かいしょうされた。

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旺文社おうぶんしゃ日本にっぽん事典じてん さんていばん徴兵ちょうへいれい」の解説かいせつ

徴兵ちょうへいれい
ちょうへいれい

1873(明治めいじ6)ねん明治めいじ政府せいふ成年せいねん男子だんし兵役へいえき義務ぎむわせた法令ほうれい
封建ほうけんてき武士ぶしだん解体かいたいし,近代きんだいてき軍隊ぐんたい創設そうせつするため山県やまがた有朋ありとも建議けんぎにより,1872ねん詔書しょうしょ告諭こくゆされ,よく'73ねん公布こうふされた。はじ戸主こしゅ官吏かんり代人だいにんりょう(270えん納入のうにゅうしゃ官立かんりつ学校がっこう上級じょうきゅう生徒せいとなどの免役めんえき規定きていがあったが,'89ねん改正かいせいにより国民こくみんみなへい原則げんそく確立かくりつした。1927ねん兵役へいえきほう改称かいしょう。'45ねん廃止はいし

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世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん旧版きゅうばんうち徴兵ちょうへいれい言及げんきゅう

鎮台ちんだい】より

… 軍事ぐんじ機構きこうとしての鎮台ちんだいは1871ねん4がつ23にち東山ひがしやまみち(本営ほんえい石巻いしのまき),西海にしうみみち(本営ほんえい小倉こくら)のりょう鎮台ちんだいき,かくはんへいさせて兵部ひょうぶしょう管轄かんかつとしたことにはじまり,8がつ20日はつか東京とうきょう大阪おおさか鎮西ちんぜい(小倉おぐら),東北とうほく(仙台せんだい)の4鎮台ちんだいかく鎮台ちんだい管下かんかに1ないし3のぶん営をいた。徴兵ちょうへいれい制定せいていにともない,73ねん1がつ9にち6管区かんく鎮台ちんだいひょうさだめられ,東京とうきょう仙台せんだい名古屋なごや大阪おおさか広島ひろしま熊本くまもとかく鎮台ちんだいに14営所をもうけ,歩兵ほへいかく1連隊れんたいかく営所にき,その平時へいじ兵力へいりょく3まん1680にんさだめられた。このとし東京とうきょう鎮台ちんだいはじめて徴兵ちょうへいおこなわれ,翌年よくねん大阪おおさか名古屋なごや,75ねんに6鎮台ちんだい全部ぜんぶ徴兵ちょうへいおこなわれ,西南せいなん戦争せんそう当時とうじには鎮台ちんだいへいだい部分ぶぶん徴兵ちょうへいれかわっていた。…

法制ほうせい】より

きゅう体制たいせいわるあたらしい中央ちゅうおう集権しゅうけんてき統治とうち機構きこうは,1871ねん太政官だじょうかんせい整備せいびをはじめ,同年どうねん府県ふけん官制かんせいけん条例じょうれい,72ねんだいしょうせい,78ねんこおり町村ちょうそん編制へんせいほうによる地方ちほう制度せいど整備せいび,1872ねん以降いこう裁判所さいばんしょ設置せっちなどによって構築こうちくされた。あたらしい統治とうち機構きこうまも軍事ぐんじ警察けいさつ機構きこうは,1872ねん陸海りくかいぐん両省りょうしょう設置せっちと73ねん徴兵ちょうへいれい制定せいてい,73ねん内務省ないむしょう警保りょう設置せっち,74ねん警視庁けいしちょう設置せっちによって整備せいびされた。治安ちあん維持いじ重要じゅうよう手段しゅだんである刑事けいじほうは,すでに1870ねんしんりつ綱領こうりょう,73ねん改定かいていりつれい制定せいていされ,さらに1880ねんには,フランスじんボアソナードによって起草きそうされた最初さいしょ近代きんだい法典ほうてんである刑法けいほうおよびざいほう(刑事けいじ訴訟そしょうほう)が制定せいていされ,82ねんから施行しこうされた。…

※「徴兵ちょうへいれい」について言及げんきゅうしている用語ようご解説かいせつ一部いちぶ掲載けいさいしています。

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