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山城やましろこく

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山城やましろこく
ぐすくしゅうじょうしゅう
やましゅうさんしゅう
雍州(ようしゅう
日本にっぽんてきれいせいこく
すわ标:34°52′55″N 135°48′02″E / 34.8819°N 135.8006°E / 34.8819; 135.8006
所屬しょぞく畿内きない
こんぞく京都きょうと南部なんぶ[1]
國府こくふ1.(推定すいてい京都きょうと木津川きづがわ
2.(推定すいてい京都きょうと京都きょうと
3.(推定すいてい京都きょうと長岡京ながおかきょう
4.(推定すいてい京都きょうと乙訓おとくにぐん大山崎おおやまざきまち
ぐんさと8ぐん78乡
國力こくりょくうえこく
225262せき(1598ねん
230131せき(1842ねん
國分寺こくぶんじ京都きょうと木津川きづがわ山城やましろ国分寺こくぶんじあとにち山城やましろ国分寺こくぶんじあと
國分こくぶ尼寺あまでら推定すいてい京都きょうと木津川きづがわ
一宮いちのみや賀茂かもべつ雷神らいじんしゃ京都きょうと京都きょうと
賀茂かも祖神そしんしゃ京都きょうと京都きょうと

山城やましろこくにち语:山城やましろこく山城やましろこくやましろのくに Yamashiro No Kuni */?),日本にっぽん古代こだいてきれいせいこくこれいちぞく京畿けいき區域くいきためこれいちまたたたえやましゅうあるぐすくしゅう山城やましろこく相當そうとう現在げんざいてき京都きょうと南部なんぶこういん領地りょうち內之平安京へいあんきょうため仿長安ながやすあずか洛陽らくよう型式けいしきしょ建造けんぞうまたたたえ雍州

慶長けいちょうさんねん1598ねん),根據こんきょふとしかく檢地けんちてき統計とうけい山城やましろこく此時てきそう石高こくだかため225262せき[2]いたりょう江戶えど時代じだい末期まっきてき天保てんぽうじゅうさんねん1842ねんてきそう石高こくだか統計とうけいため230131せき[3]

歷史れきし[编辑]

山城やましろ以前いぜんまたうつしさく山代やましろ大約たいやく7世紀せいきおこりやまためめい立國りっこくのべれき13ねん(794ねん)11月7日當にっとう平安京へいあんきょう正式せいしき命名めいめい桓武かんむ天皇てんのう此地倚山はたすいため天然てんねんてき要塞ようさい,於是おもしん命名めいめいため山城やましろ[4]

開始かいし山城やましろこくてき國府こくふくらい南山城みなみやましろてき相樂さがらぐんよりどころ推斷すいだんそくため現在げんざいてき相樂さがらぐんあずか山城やましろまち附近ふきんざい8世紀せいき前半ぜんはん轉移てんいりょういた葛野かずらのぐんだい致為現在げんざいてき京都きょうと右京うきょう太秦うずまさ右京うきょう西京極にしきょうごくぐんまち附近ふきんいたりょうのべれき16ねん(797ねん)8がつ25にちいんため葛野かずらのぐんてき地勢ちせい狹隘きょうあい,於是遷移せんいりょういた長岡京ながおかきょう以南いなんてき乙訓おとくにぐんだい致為現在げんざいてき長岡京ながおかきょうみなみぐりづか遺跡いせき向日むこう上植野かみうえのまち

清和せいわ天皇てんのうさだかん3ねん(861ねん)6がつ7にち國府こくぶさい轉移てんいいた乙訓おとくにぐんてき河陽かわよう行宮あんぐう河陽かわよう行宮あんぐうため嵯峨天皇さがてんのうところ建造けんぞう目的もくてきためりょう抵禦外敵がいてきいれおかせ,而政治せいじ會議かいぎまたざい這裡召開,位置いちだい致為現在げんざいてき乙訓おとくにぐん大山崎おおやまざきまち

最初さいしょしつらえゆう國司こくし山城やましろまもる鎌倉かまくら幕府ばくふ時期じき山城やましろこくしつらえゆう守護しゅごしょ最初さいしょゆかり京都きょうと守護しゅご兼任けんにん山城やましろこく守護しゅごうけたまわ久之ひさゆきらん,1221ねん~1333ねん ろく探題たんだい兼任けんにん此職,守護しゅごしょ也成ためりょうろく宇治うじかわためかいざい室町むろまち時代ときよ初期しょきさむらいしょ兼任けんにん仍設守護しゅごはた上面うわつら三郡和下面五郡割開,はた山城やましろ國一くにいちぶんため上面うわつらさんぐんてき守護しゅご設置せっちざい宇治うじ槙島まきしま下五しもごぐんてき守護しゅごしょ設置せっちざいよどみとうすうしょ地方ちほう日本にっぽん戰國せんごく時期じきしつらえ有武ありたけ官位かんいてき山城やましろまもるゆかり松永まつなが久秀ひさひでざい內的戰國せんごく大名だいみょう擔任たんにん江戶えど時期じきゆかり藤井ふじい松平まつへい嫡流ちゃくりゅう當主とうしゅ及諸藩主はんしゅぶんよりどころ

こう户时だいてきはん[编辑]

こう户时だい山城やましろ国内こくないてきはん
はんめい 居城いじろ 藩主はんしゅ
よどみはん よどみじょうにちよどみじょう 松平まつだいら久松ひさまつ(3まん5せんせき、1623ねん—1633ねん
永井ながいにち永井ながい(10まんせき → 7まん3600せき、1633ねん—1669ねん
石川いしかわ(6まんせき、1669ねん—1711ねん
松平まつだいら(户田)(6まんせき、1711ねん—1717ねん
松平まつだいら大給おぎゅう(6まんせき、1717ねん—1723ねん
いねかのうにち稲葉いなば(10まん2せんせき、1723ねん—1871ねん
山城やましろ長岡ながおかはんにち高槻たかつきはん 長岡ながおか陣屋じんや 永井ながい(1まん2せんせき、1633ねん—1649ねん
永井ながい转封いた高槻たかつきはんきさき废藩
伏見ふしみはんにち伏見ふしみはん 伏見ふしみじょう 松平まつだいら久松ひさまつ(5まんせき、1607ねん—1616ねん
内藤ないとう信成のぶなりけいにち内藤ないとう(5まんせき、1617ねん—1619ねん
内藤ないとう转封为大阪城おおさかじょう城代じょうだいきさき废藩
御牧みまきはんにち御牧みまきはん 津田つだ(1まん3せんせき1600ねん1607ねん
いん藩主はんしゅぎょう为不とう而废はん

しつらえほどこせ[编辑]

國分寺こくぶんじ國分こくぶ尼寺あまでら[编辑]

國分寺こくぶんじ相樂さがらぐん加茂かもまち同時どうじたてゆうそうてらかずあん。其中きょうひとしみや大極殿たいきょくでんざい746ねんしつらえためそうてら。此寺ざい882ねんやき毀,これ雖然じゅうけんただしこうおとろえ。1925ねん大正たいしょう14ねんざい國分寺こくぶんじつくり發掘はっくつ大量たいりょうてきかわらみとめため古國分ふるこくぶ尼寺あまでらてき痕跡こんせき

神社じんじゃ[编辑]

一宮いちのみやこれ京都きょうとてきじょう下賀茂しもがも神社じんじゃそくきたてき賀茂かもべつ雷神らいじんしゃ上賀茂かみがも神社じんじゃ左京さきょうてき賀茂かも祖神そしんしゃ下鴨神社しもがもじんじゃ),しゃごうため一宮いちのみや二宮にのみや以下いか存在そんざい

人物じんぶつ[编辑]

國司こくし[编辑]

やまもり時期じき[编辑]

ざい平安へいあんきょうおさむけんてき794ねんとし以前いぜん山城やましろこくてきげん國名こくめい為山いざんこく,其主かんそく國司こくし為山いざんもり時間じかんまたがたびため飛鳥あすか時代じだい末期まっき703ねんいた奈良なら時代じだい結束けっそく794ねん)。根據こんきょぞく日本にっぽんてきろく以知どうざい這約莫92ねんてき期間きかんそう共有きょうゆう17官員かんいん擔任たんにん該職

やまもり時期じき飛鳥あすか時代ときよ末期まっき奈良なら時代じだい
姓名せいめい 任命にんめい時間じかん はちしょくせい 當時とうじ官位かんい これぜん官職かんしょく これ官職かんしょく 備註
しょ大伴おおとも[5] 大寶たいほうさんねん703ねん)7がつ5にち れん せい 死後しごおくせいよん
さかごう三田みた麻呂まろ[6] 和銅わどう元年がんねん708ねん)3がつ13にち 宿禰すくね したがえ 三河みかわまもる
高向たこうしょくおっとさとし[7] 和銅わどうねん709ねん) 11月2にち 朝臣あそん したがえ みぎ兵衛ひょうえとく
大伴おおともいぬやしなえ[8] 天平てんぴょうかちたから元年がんねん749ねん) 8がつ10日とおか 宿禰すくね したがえじょう 少納言しょうなごん 播磨はりままもる かんいたりしたがえよん·讃岐さぬきもり
きのしょうかじ[9] 天平てんぴょうかちたからねん750ねん) 3がつ12にち 朝臣あそん したがえ 東海道とうかいどう巡察じゅんさつ使
高圓こうえんこう[10] 天平てんぴょうたからろくねん762ねん) 4がつ1にち 朝臣あそん したがえ 攝津せっつあきら したがえじょう·播磨はりままもる
日下部くさかべ麻呂まろ[11] 天平てんぴょうたからはちねん764ねん) 1がつ21にち 宿禰すくね せいじょう 上野うえのまもる したがえよんじょう·播磨はりままもる
藤原ふじわらくろ麻呂まろ[12] 天平てんぴょうたからはちねん764ねん) 11月5にち 朝臣あそん したがえ ひだり勇士ゆうし 播磨はりままもる
佐伯さえきすけ[13] 天平てんぺい神護かんごねん766ねん) 11月13にち 宿禰すくね したがえじょう やまかい 兵部ひょうぶ大輔だいすけ かんいたりしたがえよん·肥後守ひごのかみ
榎井えのいしょう[14] 神護かんごけいくもさんねん769ねん) 3がつ28にち 朝臣あそん したがえじょう 宮内みやうち大輔だいすけ 上總かずさまもる かんいたりせいじょう·みやつこみや大輔だいすけ
たちばな綿めん[15] 神護かんごけいくもさんねん769ねん)3がつ28にち 宿禰すくね したがえ 中務なかつかさしょう したがえじょう·だい判事はんじ 兼任けんにんかんいたりしたがえよんじょう右京大夫うきょうのだいぶ、「ためおうたちばなたすくため之子ゆきこ
藤原ふじわらたねつぎ[16] たからひさしねん771ねん)9がつ16にち 朝臣あそん したがえ 近衛このえ員外いんがい少將しょうしょう せい·左京さきょう大夫たいふ 兼任けんにんかんいたりせいさん中納言ちゅうなごんけん式部しきぶきょう死後しごおくせいいち太政大臣だじょうだいじん
大中おおなかしんつぎ麻呂まろ[17] たからひさしななねん776ねん)3がつ6にち 朝臣あそん したがえ みぎ衛士えじ員外いんがい したがえじょう·衛門えもん
多治比たじひ人足ひとあし[18] てんおう元年がんねん781ねん)5がつ25にち 真人まさと したがえじょう したがえ·だい判事はんじ せいしゅ馬頭めず
大中おおなかしんしょさかな[19] のべれきよんねん785ねん)1がつ15にち 朝臣あそん せい 少納言しょうなごん ひだりちゅうべん 兼任けんにんかんいたりせいよんじょう·參議さんぎ右大臣うだいじん大中おおなかしんきよし麻呂まろ之子ゆきこ
三嶋みしまめいつぎ[20] のべれきねん786ねん)2がつ17にち 真人まさと したがえじょう うちうまやあたま あらためけん美作みさくまもる 兼任けんにん
巨勢こせしまじん[21] のべれききゅうねん790ねん)3がつ10日とおか 朝臣あそん したがえ ひだり衛士えじ 兼任けんにん

山城やましろまもる時期じき[编辑]

平安へいあん時代じだい山城やましろまもる時期じき
姓名せいめい 任命にんめい時間じかん はちしょくせい 當時とうじ官位かんい これぜん官職かんしょく これ官職かんしょく 備註
藤原ふじわらおつあきら[22] のべれきじゅうよんねん795ねん)2がつ2にち 朝臣あそん したがえよん 參議さんぎ左京さきょう大夫たいふ あらためけんもり 兼任けんにん同時どうじけん侍從じじゅう
多治比たじひつぎけい[23] のべれきじゅうはちねん799ねん)2がつ20日はつか 真人まさと したがえよん 中務なかつかさ大輔だいすけ 神祇じんぎはく
藤原ふじわらなかしげる[24] のべれきじゅうはちねん(799ねん)9がつ10日とおか 朝臣あそん せい 治部じぶ大輔だいすけ しゅ馬頭めず 兼任けんにんかんいたりしたがえよん參議さんぎ
藤原ふじわらおつあきら[25] のべれきじゅうねん801ねん)8がつ11にち 朝臣あそん したがえさん けん中納言ちゅうなごんなかまもる大將たいしょう あらためけん近江おうみまもる 兼任けんにん
藤原ふじわらいとぐち[26] のべれきじゅうさんねん804ねん) 2がつ18にち 朝臣あそん したがえよん 參議さんぎみぎ衛士えじとく 畿内きない觀察かんさつ使 兼任けんにんかんいたりせい左大臣さだいじん死後しごおくしたがえいちしょう山本やまもと大臣だいじん
藤原ふじわらつぎぎょう[27] のべれきじゅうねん806ねん) 1がつ28にち 朝臣あそん せいじょう 兵部ひょうぶ大輔だいすけ 左京さきょう大夫たいふ大和やまとまもる侍從じじゅう 兼任けんにん
藤原ふじわらつぎ[28] 大同だいどうねん810ねん)9がつ10日とおか 朝臣あそん したがえよん みん大輔だいすけ したがえよんじょう·刑部おさかべきょう かんいたりしたがえさん刑部おさかべきょう
安倍あべだかままし[29] うけたまわ元年がんねん834ねん)1がつ12にち 朝臣あそん せい

ぐん[编辑]

图集[编辑]

まいり[编辑]

参考さんこう文献ぶんけん[编辑]

  1. ^ 山城やましろ地域ちいき紹介しょうかい. 京都きょうと. [2018-09-07]. (原始げんし内容ないようそん于2018-09-08). 
  2. ^ 野中のなかじゅん とう. だい日本にっぽん租税そぜいこころざし ちゅうまき』「慶長けいちょうさんねん總高そうだか. 金沢かなざわ税務ぜいむ調査ちょうさかい. 明治めいじ41ねん7がつ: p.502 [2022-07-28]. (原始げんし内容ないようそん于2022-07-28). 
  3. ^ かつ海舟かいしゅう. 海舟かいしゅう全集ぜんしゅう. だい3かん『吹塵ろく』の「天保てんぽうじゅうさんねん全国ぜんこく石高こくだか内訳うちわけ. 改造かいぞうしゃ. 昭和しょうわ2ねんいたり4ねん: p.154 [2022-07-28]. (原始げんし内容ないようそん于2022-07-28). 
  4. ^ 山城やましろこく. 朝日新聞社あさひしんぶんしゃKotobank. [2018-09-07]. (原始げんし内容ないようそん于2018-09-08). 
  5. ^ ぞく日本にっぽん·まきさん》:「あきなながつかぶとうまみことのり曰。『せきちょうしつらえ國家こっか大信たいしん。逐時變更へんこう詐僞さぎ必起。むべ庚午こうごねんせきためじょうさら改易かいえき。』以從五位上大石王爲河内守。せい五位下黄文連大伴爲山背守。……」
  6. ^ ぞく日本にっぽん·まきよん》:「丙午ひのえうま。以從四位上中臣朝臣意美麻呂爲神祇伯。……したがえ五位下坂合部宿祢三田麻呂爲山背守。……」
  7. ^ ぞく日本にっぽん·まきよん》:「じゅういちがつきのえとら。以從さん長屋王ながやおうため宮内卿くないきょうしたがえ五位上田口朝臣益人爲右兵衛率。したがえ五位下高向朝臣色夫智爲山背守。……」
  8. ^ ぞく日本にっぽん·まきじゅうなな》:「からしひつじ。以從大原おおはら眞人まさと麻呂まろ石川いしかわ朝臣あそんゆたかじんなみため少納言しょうなごん。……したがえ五位上大伴宿祢犬養爲山背守。……」
  9. ^ ぞく日本にっぽん·まきじゅうはち》:「かのえ。以正四位下多治比眞人占部爲攝津大夫。したがえ五位下紀朝臣小楫爲山背守。……」
  10. ^ ぞく日本にっぽん·まき廿にじゅうよん》:「なつよんがつかのえいぬついたち以外いがいしたがえ五位下山田連古麻呂爲主税助。……したがえ五位下高圓朝臣廣世爲山背守。……」
  11. ^ ぞく日本にっぽん·まき廿にじゅう》:「おのれ。以正下山村しもやまむらおうため少納言しょうなごん。……せい五位上日下部宿祢子麻呂爲山背守。……」
  12. ^ ぞく日本にっぽん·まき廿にじゅう》:「じゅういちがつつちのえいぬそとしたがえ益田ますだれん繩手なわてすんもとたまきなみ授從したがえ五位下藤原朝臣黒麻呂爲山背守。……」
  13. ^ ぞく日本にっぽん·まき廿にじゅうきゅう》:「みずのとひつじしたがえ四位下藤原朝臣楓麻呂爲右大辨。……したがえ五位上佐伯宿祢助爲山背守。……」
  14. ^ ぞく日本にっぽん·まき廿にじゅうきゅう》:「へいさるみことのりえんゆう所思しょし大赦たいしゃ天下でんか神護かんごけいくも三年三月廿八日昧爽以前雜犯大辟罪以下。つみ輕重けいちょうやめ發覺はっかく發覺はっかくやめゆいただしゆいただしつなぎしゅう。及強竊とう。咸赦じょ。其八しいたげわたしぜにつね赦所めんしゃ不在ふざい赦限。」以從五位上榎井朝臣子祖爲山背守。」
  15. ^ ぞく日本にっぽん·まきさんじゅう》:「おつ。以從五位下石川朝臣眞守爲少納言。……中務なかつかさしょう輔從五位下橘宿祢綿裳爲兼山背守。……」
  16. ^ ぞく日本にっぽん·まきさんじゅう》:「おのれ。以從五位下當麻眞人永繼爲右少弁。……近衛このえ少將しょうしょうしたがえ五位下藤原朝臣種繼爲兼山背守。……」
  17. ^ ぞく日本にっぽん·まき卅四》:「癸巳きし。以從五位下粟田朝臣人成爲右少弁。……したがえ五位下大中臣朝臣繼麻呂爲山背守。……」
  18. ^ ぞく日本にっぽん·まき卅六》:「みずのとひつじ。以從五位下賀茂朝臣大川爲神祇大副。……したがえ五位上多治比眞人人足爲山背守。……」
  19. ^ ぞく日本にっぽん·まき卅八》:「からし。以從五位下藤原朝臣弟友爲侍從。……少納言しょうなごんせい五位下大中臣朝臣諸魚爲兼山背守。……」
  20. ^ ぞく日本にっぽん·まき卅九》:「ちょううししたがえ四位上紀朝臣古佐美爲右大弁。……うちうまやあたましたがえ五位上三嶋眞人名繼爲兼山背守。……」
  21. ^ ぞく日本にっぽん·まきよんじゅう》:「丙午ひのえうま。以從五位下巨勢朝臣嶋人爲山背守。ひだり衛士えじ如故。……」
  22. ^ 公卿くぎょう補任ほにん
  23. ^ 日本にっぽん·まきはち》:「きのえうませい六位上石川朝臣乙名復本位從五位下。したがえ四位下多治比眞人繼兄爲神祇伯。山城やましろまもる如故。……」
  24. ^ 日本にっぽん·まきはち》:「からししたがえ四位下藤原朝臣園人爲右大辨。大和やまともり如故。東宮とうぐうでんしたがえ三位大伴宿禰弟麻呂爲兼治部卿。せい五位下藤原朝臣仲成爲大輔兼山城守。……」
  25. ^ 日本にっぽん·まきじゅう》:「からしうし任官にんかんけん中納言ちゅうなごんしたがえさん藤原ふじわらおつあきらため山城やましろまもる。」
  26. ^ 日本にっぽん·まきじゅう》:「みずのとしたがえ五位下大宅眞人繼成爲大監物。……參議さんぎしたがえ四位下藤原朝臣諸嗣爲兼山城守。みぎ衛士えじとく如故。……」此應ゆうあやまいとぐち嗣才たい
  27. ^ 日本にっぽん·まきじゅうさん》:「癸巳きししたがえ四位下藤原朝臣仲成爲大和守。したがえ五位上百濟王鏡仁爲河内守。したがえ五位下紀朝臣南麻呂爲介。兵部ひょうぶ大輔だいすけせい五位上藤原朝臣繼業爲兼山城守。……」
  28. ^ 日本にっぽん·まきじゅう》:「丁未ていみえん遷都せんとごと人心じんしん騷動そうどう。仍遣使鎭固伊勢いせ近江おうみ美濃みのとうさん国府こくふ并故せき。……したがえ四位下藤原朝臣繼彦爲山城守。……」
  29. ^ ぞく日本にっぽん·まきさん》:「みずのと。以從眞人しんじんきょうむねためひだりしょうべん。……せい五位下安倍朝臣高繼爲山城守。……」