摩ま差さ國こく(梵語ぼんご:मत्स्य,Matsya;意い為ため「魚さかな」),又また譯わけ摩ま蹉國,是ぜ古代こだい印度いんど十じゅう六ろく大國たいこく之これ一いち,[1]位くらい於俱盧國こく的てき南方なんぽう,亞あ穆きよし納おさめ河かわ的まと的てき西岸せいがん,河かわ的てき對岸たいがん是ぜ般闍羅ら國こく,西部せいぶ地區ちく是ぜ昌あきら巴ともえ爾なんじ河かわ北岸ほくがん的てき丘陵きゅうりょう地帶ちたい。在ざい巴ともえ利とし文獻ぶんけん中なか,摩ま差さ國こく與あずか蘇そ羅ら娑しゃば國こく關係かんけい密みつ切きり。
在ざい印度いんど史詩しし摩ま訶婆羅ら多た中なか,摩ま差さ國こく國王こくおう是ぜ至上しじょう公主こうしゅ(उत्तरा,Uttarā)之の父ちち毗羅吒,般度族ぞく曾隱藏ぞう身み份在他た的てき宮廷きゅうてい里さと充當じゅうとう僕ぼく役やく,後ご在ざい俱盧之の戰たたかえ中ちゅう被ひ德とく羅ら納おさむ殺ころせ死し[2]。